馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

クリスマスシーズン

Привет!

ほとんど1ヶ月近くかけてウズベキスタン旅行のことを書いているうちに、モスクワはすっかりクリスマス…というより年末の雰囲気になりました。4時には日の入りになるのでイルミネーションがきらめき、クリスマスツリーを街角で見かけます。ロシア正教は旧暦なので、クリスマスを祝うのは1月7日なのです。なので11月後半から少しずつ街中はホリデイシーズンの準備をはじめ、12月25日を過ぎても変わらず、1月後半までこの楽しい雰囲気は続きます。

ボリショイ劇場横のツム百貨店もこんな風にリボンがかかってとても可愛いです。毎年違った飾り付けを考える人は本当にすごいです。

赤の広場横、グム百貨店前のイルミネーションは、去年のルミナリエっぽいものとは方向性を変えてきました。 まだ日の沈む前(3時くらい)にはもうライトがついています。この時期は一日中光っているようです。

赤の広場には毎年恒例、グム百貨店主催のスケート場がオープンしています。スケートする気満々で行ったのが偶然平日だったので、10:00から16:00までは無料で滑ることができます(レンタル料は別)。ラッキー!と思いながらチケット売り場に並ぶと「16:00までのチケットはもうなくなりました」と言われてしまいました。人数制限があるのか…!

諦めて周りを散策。 スケート場横のクリスマスマーケットも大盛況です。熱い紅茶で口の中を火傷しながら、散歩を楽しみました。去年に比べるとそこまで寒くないのでありがたいです。

今のグム百貨店は内装もとても綺麗で、 気球がたくさん飛んでいます。噴水のところに立っている大きなクリスマスツリーも立派です。

サンタさんからカメラをもらったので、調子に乗って色々撮影しました。 幻想的で、ステキですね。

トベルスカヤ通りは去年と同じように街灯をシャンパングラスに見立てたライトアップがされていました。途中にあるモスクワの創設者、ユーリ・ドルゴルーキーさんの像がある広場ではクリスマスマーケットが充実しています。 たくさん売っていたロウソクのお店。思わず「これ、火をつけたらクマも溶けちゃうんですか」と聞いてしまって笑われました。クマのところまで蝋はないそうです。

クリスマスの夜には、旦那と二人でご馳走を作りました。ロシアにはないと思っていた冷凍パイシートがスーパーで売っているという情報を先生から聞いて (これで160円程。冷凍パイシートというよりクロワッサンの皮ですが)
キッシュに初挑戦。旦那は去年と同じくチキンの丸焼きです。

二人で食べるにはかなり多かったです。次の日はチキンをスープにリメイクしていただきました。

昨日まで書いてきたウズベキスタンと景色が違いすぎて自分でも戸惑いますが、モスクワの今をお届けしました。この時期のモスクワもいいですよ!

Пока!

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ロシアへ帰国

Привет!

見事にホワイトクリスマスだった24、25日でしたが、今朝起きるともうすでに雪が溶けてしまっていました。気温は2度。暑い。

さて、ブハラからモスクワへ帰る飛行機は昼の11:30でした。ホテルの人に伝えると「9時過ぎにはついておいたほうがいいですね。ここからは10分ほどなので9時にタクシーを呼んでおきますね」とのこと。そして朝ごはんは8:30から。…微妙に時間が足りなさそうですが、準備を万端にして朝食会場へ行けばいいか。

朝ごはんはバイキングではありませんでした。サムサとナン、それにチーズ3種類。個人経営のホテルだし、朝食が出て来るだけ有難い。しかもかわいいチャイハナの綿花柄の食器です。

…と思っていると、2、3分に一回スタッフの大学生のお兄さんが運んで来てくれて みるみるうちに増えていき、 かなり豪華な朝食になりました。えっと、これ30分で食べるのかなり難しそう…。おそらくシーズンオフのこのホテル、私たちしか宿泊客がいなさそうです。私たちのため(だけじゃないだろうけど)にこれだけ用意してくれてありがとうございます。8:50くらいになると、朝食を頬張っている私たちのところにお兄さんが来て「もうタクシーが待機しているので、いつでも空港へ行けますよ」と言ってくれました。なんでこういう時だけ10分前行動なんだ…。ありがとう…!

タイムリミットが来たので、ニギナさんの「全部食べなくていいですよ」という言葉を思い出し、食べきれず朝食会場を出ました。受付でお兄さんにホテル代金の支払いをし(4000円程でした)、送り出してもらいます。

ブハラ空港。ブハラでは珍しく鉄道駅より空港の方が市街地に近いので、タクシーの運転手さんとも短い時間になってしまいましたが、少し話すことができました。「今からサマルカンドとかタシケントへ行くのかい?」と第一声で聞かれたので、本当にこの国はブハラから回るのが正解なのだと実感し、タシケントの運転手さんを思い出します。

ここから先は車が入れないんだ、と上の写真の場所(少し空港の建物から離れているところ)で降ろされました。ここから建物まで小さめのスーツケースを転がしながら歩いていると、お手洗いへの案内の看板があります。 上からウズベク語、ロシア語、英語です。サマルカンドでこのような看板を多く目にし、ニギナさんに聞いてみたことを思い出しました。どの言語でも「トイレ」に近い発音の単語が多いと思っていたのですがウズベク語は全然違うんですね、と。するとニギナさんは「あれは直訳すると『ホッとする場所』という意味なんですよ」と教えてくれました。これからお手洗いに行く場所にちょっと楽しい気分になれそうです。

小さなブハラ空港は、この日は一便しかないのかモスクワ行きの飛行機のチェックインカウンターだけでした。チェックイン自体はすぐ済んだものの、そこからが荷物検査と身体検査の嵐。何度金属探知機を通って、荷物をX線の機械に通したかわかりません。途中パスポートを見せたり、各地で集めた滞在登録のカードを披露したり(この時にかなり念入りに見られたので、タシケントで不法滞在になる前に気づいてくれた先輩に改めて感謝しました)、予備で持っていた乾電池を取りあげられたりしているうちに何とか出発ロビーまでやってきました。

なんとか帰れそうだとホッとして座っている私たちの前に、警察っぽい服を着た人がやってきました。何か不備があった…?帰れない…?不安でいっぱいの私たちに彼が一言「スーツケースが」と言いました。ふっと手元を見るとスーツケースがありません。旦那が慌ててその人の後について行くと、荷物検査のところにポツンと置かれているスーツケースを受け取るよう言われたそうです。二人で機内持ち込みのスーツケース一つをもっていつも旅をしているのですが、度重なる荷物検査で受け取るのを忘れてしまっていたようです。私たちのものだと気付いて呼びにきてくれた人、本当にありがとうごさいました。

ロビーでずっと待っていてもいっこうに搭乗案内が始まりません。ふと時計を見ると11:20です。出発予定時刻まで後10分。一瞬私たちが搭乗口を間違えているのかと思いましたが、ほかに搭乗口がありません。やっと11:50になって搭乗案内が始まりました。

機内ではよほどアジア人が珍しかったのか、酔っ払いのロシア人に絡まれたりして周りのウズベク人から哀れな目で見られつつも、なんとかモスクワに帰ってきました。

ネットを繋いだ瞬間、サマルカンドのSさんから「ブハラでおそらくみっきーさんたちを乗せたタクシーに乗りましたよ」というメールが来ており、その瞬間にこの6日間の思い出が蘇ってきて泣きそうになります。

本当にたくさんの人にお世話になりました。短時間で深く関わった人から、名前も知らないような街の人まで、みなさんがいなかったら成し遂げられなかった旅行です。素晴らしい景色と、素敵な人たちがたくさんのウズベキスタンが今は本当に身近な国になりました。

長い旅行記になりましたが、読んでくださった方々へありがとうございます。少しでもウズベキスタンに興味を持ってもらえれば嬉しいです。

Пока!

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アルク城とラビハウズ

Привет!

今年ももうあと数日ですが、いかがお過ごしですか?やっと2017年という響きに慣れてきたのになあ…2018年と聞くと近未来という印象です(1年しか変わらないのに)。

さて、ブハラでの観光の目玉、アルク城にやってきました。 2000年以上前、この街の始まりはこのあたりだったそうです。いつお城が建てられたかは分かりませんが、7世紀には記録に名前が残っています。その後のチンギスハン襲来時にはここで人々が虐殺されたり、その後も壊されては建て直されたりして、今は18世紀に作られた外観だそうです。

まずは入り口で入場料を。はっきりとした値段は忘れましたが、他のところに比べると少し値段が張りました。入り口からは緩やかな坂道になっています。その坂道の両脇には薄暗い部屋が並んでいるのですが、よく見ると…

※閲覧注意 誰かいる!!かつてはここが監獄だったらしく、当時を再現しようと人形が置かれていたのです。心臓が止まるかと思いました。なんでそんなリアルに再現しようとしたの…。

安心してください、この監獄は向かって左側だけで、右側はこの城で使われた武器や、棲息している生物の剥製などが展示されていました。

坂を登りきったら、ブハラの街が一望できるところに出ました。ここで何人かがアルク城のガイドを申し出てくれますが、一度断るとそれ以降は声をかけてきませんでした。 4ヘクタールもある城内はかつては街一つが形成されていたそうですが、今はほとんど「跡」になってしまっています。 夕方近かったからかシーズンオフだからか、所々ある小さな博物館も全てしまっていました。残念。

これは城内の住居スペースです。街みたい。

そしてもう一つ見ることができたのが、謁見の間。かなり広い場所で、奥の玉座にかつて座っていたであろうハンの姿を想像して浸ることができます。

城の中は迷宮のようになっており、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしているうちに出口がわからなくなってしまいました。城内にいくつかあるおみやげ物屋さんが、迷っている私たちに「ちょっとパノラマ見ていかない?」と声をかけます。別に急いでいないしお言葉に甘えるか、とついて行った先は、本当に小さなスペースから格子越しにすこーしだけ景色が見えるところで、パノラマとはなんだったのかと少し騙された気分になりました。別に代金も請求されなかったしおじさんは嬉しそうなんですが、何がしたかったんだ…。

なんとか出口を見つけて、お城にはお別れします。ホテルの近くにあった観光名所まで戻りました。

こちら(正確には奥の池)がラビハウズ。46m×36mのこの巨大なハウズ(池)は、砂漠の黄色い町ブハラのオアシスです。池の周りには木がたくさん生え、ラクダの置物がたくさんあり(登れます)、そしてアヒルがいました。 ラビハウズの横にあるレストラン前で歩いていました。このレストランでは暑くて喉が渇いていたので美味しいミントのレモネードを頼みましたが、「うずら卵10個」で70円ほどという破格の値段のメニューもありました。

ラビハウズの横にどーんと立っているのが、ナディール・ディヴァンベキ・メドレセ。 メドレセの名前は1622年に建てられた時の大臣の名前です。こちらもサマルカンドのシェルドル・メドレセのように顔が書かれていました。いや、ウズベキスタンのメドレセはイスラムの教義(偶像崇拝禁止)に反しすぎじゃない…? ここも中がお土産物屋さんでした。

そしてこのメドレセの前にひょうきんな像が立っていました。 このおじいさんは、フッジャ・ナスレッディという名前の有名な学者で、ユニークな授業で生徒から人気だったそう。彼の人となりはこの像からもわかる気がします。地元のおじいさんたちがテーブルの上で駒を使ったゲームをしていたり、本当に平和な空間でした。やはりオアシスはホッとします。

ここから歩いて2、3分のところに、タキ(交差点のバザール)があります。 ここでずっと欲しかった(でも割れそうで最終日まで買えなかった)ウズベキスタン食器を買うことにしました。少し小さめの湯呑みを5つで、なんと450円程。安い。 ウズベキスタン食器は少し脆いのですが、模様が独特で見ているだけで楽しかったです。オーブンも電子レンジもダメなので、どのお皿を買うかはしっかり考えなければなりませんが、お家でこの湯呑みを使えばたちまち心はウズベキスタンに飛んでいきます。

時間が遅めだったので、タキの店のほとんどが閉まっていたのが残念でした。物価が安めな上に可愛いものや珍しいものが多いのでどんどん買ってしまいます。 タキで案内してくれたのはこちら。 なぜか歩調を合わせてくれた可愛い子です。

半日しかなかったブハラも、できる限り満喫しました。もう次の日の早朝にはモスクワへ帰ります。

Пока!

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ブハラのメドレセ

Привет!

メリークリスマス!なんと去年来なかったサンタさんが今年はやってきました。そしてやっとちゃんと雪が降って、気温も低くなって、3週間ぶりに青空を拝むことができました。クリスマス万歳。

さて、もう終盤になって来ましたウズベキスタン旅行記です。場所は歴史のある町ブハラ。昔ながらの街並みを歩いてメドレセ群に着きました。

まず入ったのはウルグベクメドレセです。入り口のアーチ部分の模様はサマルカンドと同じ感じでした。 アーチ上部は修復が進んでいないのか、原案がわからないのか模様は入っていません。このメドレセは中央アジアで最古であり、扉にはウルグベクの「知識欲こそムスリムになくてはならないもの」という言葉が彫られています。

中に入ると、右手に「カリグラフィー(書体)の歴史博物館」という名前がついた部屋がありました。その前のお土産物屋さんのおばちゃんに入場料を支払い(100円ほど)、中に入ります。 イスラム教圏でよく使われるアラビア語は文字が本当に美しく、流れるように書かれるのでデザイン性も高いです。「アラビア書道」に見られるように文字で絵を書くこともあります。メドレセでは文字を教えていたので、納得のいく展示でした。 少し小さめではありますが。出口には、文字は人間に多くの影響を与えた素晴らしい発明だ、と記されていました。

メドレセの広場の方はまだ工事中で、ほとんど何もありませんでした。二階へ続く真っ暗な階段があったり、ゲーム感は満載です。 さて、向かいのメドレセへ行きましょう。アブドゥールアジス・ハン・メドレセです。

こちらはアーチ上部の模様も綺麗に直されています。ウルグベクメドレセの200年後の1600年代に建てられたこちらのメドレセには、内部にオリジナルの装飾が残っていました。

入るとすぐにお土産物屋さんのおばちゃんに入場料を取られましたが、しっかり案内してくれました。 こちらがオリジナルの内装。17世紀から残っているのはすごいですね。周りには当時の学生たちが使っていた筆入れや書見台、コンパスにタイルのデザイン図案 など様々なものが残されていました。それらの展示物を見ているとこの部屋の入り口付近に呼ばれ、そこから奥を見るように言われます。

こういう場所にはメッカの方向がわかるようにくぼみ(ミヘラブと言います)が作られているのですが、それがそこから見ると人の影が浮かんでくると言うのです。 わかるでしょうか?下の方です。言われるとたしかに。

このモスクも例に漏れず中にはお土産物屋さんが並んでいます。しかし、前日にサマルカンドを見ていたこともあって、少し活気がないように感じてしまいました。ここでタシケントの陽気なタクシー運転手が言っていたことを思い出します。たしかにブハラ→サマルカンドと回った方が楽しめそう。オリジナルの内装が残っていること自体すごいのですが、先にこちらを見ておいて、サマルカンドで修復されたものを見て「ブハラで見たあの内装が当時はこんなにきらびやかだったのか!」とより感動できる気がしました。

ここから少し進むとすぐに見えて来るのがブハラの象徴とも言える、カラーン・ミナレットです。 高さが46mもあり、本当にどこからでも見えます。カラーンというのはそのまま「大きい」という意味。建てられたのは1127年で、その後のイスラム教の文化的中心地として栄えたブハラも、チンギスハンがやってきて破壊されたブハラも、ずっと見てきました。なぜこのミナレットが壊されなかったかというと、あまりにも高すぎてチンギスハンが見上げた時被っていた帽子が落ち、それを拾うために彼がかがんだことで「この塔は私に頭を下げさせた立派な塔だから壊してはいけない」と言ったから、という伝説が残っているそうです。

近くで見ると本当に大きかったです。 表面は14層に分かれており、それぞれレンガを違う積み方にしているそうです。これが900年ほど前…。昔は登れたそうですが、今は登れないようになっていました。いや、頂上に着くまでにバテそうです。

さあ、次はお城へ行きますよ!

Пока!

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ブハラ町歩き

Привет!

クリスマスイブですね!SNSがあまりにもクリスマスの投稿で溢れていたので今日がクリスマス当日かと一瞬焦りました。ロシアでは1月7日なので、まだまだ街はクリスマス&新年ムードが続きます。

さて、年内にウズベキスタン旅行記を終わらせてしまいたいのでどんどん行きますよ!

美味しい名物プロフで、この街に来た目的の半分くらいを達成した気になりましたが、やはり観光もはずせません。一度ホテルに帰って、スタッフの女性(おそらく大学生の子のお母さん)に両替できる場所を聞いたら、近くにいた男の子を呼んで「銀行まで連れて行ってあげて!」と言ってくれました。道すがら、小学生くらいかなあと思いながら年齢を聴くとなんと15歳。ウズベキスタンの人はみんな若く見えます。彼は日本に興味があるらしく、好きなアニメの話や将来日本に行きたいことなどをたくさん話してくれました。

無事両替も済み、彼にオススメの観光地を聴くと「チョル・ミナルはここから近いしいいよ!あっちの方」と大体の方角を教えてくれたので、私たちは彼と別れて、ガイドブックを見ながら歩きはじめました。

…分からなくなりました。道行く人に聞いても分からなかったみたいで、他の人を呼び止めて尋ねてくれます。いい人が本当に多い!その聞かれた人が「近くまで連れて行ってあげるよ」と言ってくれました。…正直ちょっと怖い。しかし、彼は「この道をまっすぐ行くとすぐだよ」とちゃんと導いてくれたのです。駅からのタクシーといい、他人のことを疑いすぎなのではないかと旦那共々反省し、これからの人生について考えながら歩きます。それがこんな道。 サマルカンドと比べると本当に観光地化されていません。周りも民家で、いかにも観光客の私たちが歩いていいものかと思いながら進みました。

一度不安になって引き返そうかと振り返ると、私たちの後ろを歩いていたおばあさんが「もう少し先だよ」とでもいうかのように前を指さします。…何も聞いていないのですが、私たちがどこに行きたいのかわかったのでしょうね。

すると、突然道が拓けました。 おお、これがチョル・ミナル…!めっちゃ工事中!

チョルは「4」という意味で、チョル・ミナルは「4つのミナレット(塔)」という意味です。工事していない方のミナレットのように、先端が綺麗な青で有名なのですが、修復中だったようでなかなか珍しいものが見られました。工事をしているおじさんに「中に入ってもいい?」と聞くと、怪訝な顔をされながら「いいよ、自由に」と言われます。

実際に入ってわかりました。中は 足場やペンキなど工事の道具がたくさん置かれていたのです。そりゃ入りたがる意味が分からへんよな。おそらく今しか見ることができないものでしょう(ポジティブ)。

さて、チョル・ミナルは町の中心部(観光名所が集まっているところ)から少し外れているので、ガイドブックに沿って歩きます。地図上ではメイン通りのように見えた道を歩いたのですが、 ずっとこんな感じなのでちょっと不安です。街角では地元の人たちがシーシャ(水煙草)をふかしながらお茶を飲んで談笑したり、学校帰りの小学生たちがお菓子の買い食いをしていたり、平和な光景でした。

実はずっと間違った道を歩いているのではないかと思いはじめたころ、道路名が書かれた標識を発見しました! 遠い。

日本語では「フッジャ・ヌラバッド通り」と書いてあったので、どうやら正解のようです。ウズベク語の表記が大体の音がわかる文字を使っていて本当に良かった。

そしてやっと中心部に着きました! 本当にサマルカンドともタシケントともちがう世界みたいです。このメドレセの入り口のアーチなどはサマルカンドでも見たはずなのに全く別物に見えます。そして向かって右側がウルグベクメドレセです。ウズベキスタン内に3つあるウルグベク・メドレセのうち二つ制覇しました(もう一つはギジュドゥヴァンという街にあります)。そして向かって左側はアブドゥールアジス・ハン・メドレセ。そして正面に見えているのはタキと呼ばれるバザールです。ブハラでは交差点に丸屋根がつけられて、その下で沢山のお店が軒を並べました。それぞれのお店の屋根が丸いので、写真で見てわかるようにボコボコした丸屋根が並んでいます。ホテルの屋上と同じですね(タキの方が規模が大きいですが)。

では、メドレセに入ってみます!

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ブハラでのホテルとランチ

Привет!

ウズベキスタンの古い街、ブハラに来ています。

タシケントでもサマルカンドでもたまたま見つけたホテルが良かったのですが、ブハラのホテルは格別でした。詳しくお話しする前に、ウズベキスタンでのホテルで気づいたことを。まずホテルについて名前をいい、パスポートのコピーをとってもらうところまではほかの国のホテルと同じなのですが、大抵そのまま部屋にすぐ案内されます。そしてドアを開けると「では、ごゆっくり」とそのまま去ってしまうのです。えっと、朝ごはんは何時からか、ロビーの内線番号、Wi-Fiのパスワード、その他諸々の説明はないんですか…?結局ロビーまで毎回聞きに行く羽目になりました。これがお国柄なのか、そんなに高級なところに泊まっていないからなのか、少し気になります。

さて、ブハラで泊まったのは「ホテル・クルジン」。なんとここ、元メドレセ(神学校)を改装したホテルなのです! 向こうに見えるドアの一つ一つが部屋になっています。

ブハラは、もともとチンギスハンが侵攻してくる前にイスラム教の文化的中心地として発展した街です。なのでサマルカンドよりも至る所に大なり小なりメドレセがあります。そのうちの一つ、町の中心地に近いところにあるメドレセをホテルとして家族で経営してるのがこちらでした。

タクシーのおじさんが「ここからは車はいけないんだ。このレストランの後ろにホテルがあるから。がんばって」とおろしてくれたところから2分ほど歩くとこんな道に。 おお、かなり不安。

奥に見えている足場の向かいにドアがあり、そこから入れるようになっていましたが、そのドアがかなり重く、もし民家だったらどうしようかと思ってしまいます。

入ってすぐにカウンターがあったので、とりあえず民家ではないことを確認しましたが、誰もいません。カウンターに置いてあったベルを鳴らすと女性が出て来ました。「今日予約している方ですか?」と聞かれたので、はいと答え、パスポートを渡します。女性は息子さんと思われるお兄さんを呼ぶと、部屋まで案内するように言ってくれました。 部屋はこんな感じ。なんて可愛いお部屋!こういう「いかにもウズベキスタン」というところに泊まりたかった私はこの時点で大満足です。写真には写っていませんが手前にももう一つベッドがあります。

このお兄さんがかなりいい人で、荷物を置いて落ち着いた頃に「お茶を淹れましょうか?」とお菓子付きでお茶を用意してくれたり(サービスでした)、部屋の前の広場(1枚目の写真です)を案内してくれたり、そこから こんな細くて急勾配の階段を登って秘密の屋上へ連れて行ってくれたり、本当に良くしてくれました。

屋上はこんな感じ。実は各部屋の天井が半球状になっているのですが、上に来ると部屋の位置がよくわかります。そして各部屋の天井に明かりとりが付いていることも。

深夜にここへ登ってみると、あかりが少ないので満点の星空を見ることができました。 屋上から見た市街地です。かなり古い町だということがよくわかります。

ついでにちょうどお昼時だったので、お兄さんに「ここへはプロフ(ピラフ)を楽しみに来たんだけど、いいお店はありませんか?」と聞いてみました。すると彼は「あ、僕今からちょうど大学に車で出るところなので送って行きますよ!」と乗せて行ってくれました。それがこちら。

チャイハナの名前がついたレストランです。というか大抵のレストランはチャイハナと書いてあります。

席に着くなり、店員さんがメニューを渡してくれながら「プロフを食べますか?」と聞いてきました。やっぱり名物なのか。とりあえず二つお願いして、メニューを見ているとサマルカンドのサムサ屋さんのように前菜がたくさん運ばれてきて、どれがいいか選ぶように言われました。メニューの意味…。

5分も経たないうちにプロフがきました! 人生で食べたプロフの中で一番です(断言)。脂っこすぎもせず、レーズンの甘さと適度なスパイスの調和が素晴らしい。うずら卵も付いて、結構お腹が空いていた(プロフのために空けていた)私たちも大満足の量。むしろ多いくらい。お皿を下げてくれた店員さんに尋ねると「調理には1日かかります」と言われました。食べられてよかった。

モスクワでのロシア語の先生が毎月お願いしているネイリストがブハラ出身だそうで、先生から「プロフを食べるためだけにでもブハラへ行け」と言われていたので、かなり期待度は上げて行ったのですが、実際のものは上回っていました。

車で来てしまったので店員さんに地図を見せながら「今どこにいますか」と聞いて怪訝な顔をされながらも、一度ホテルに帰ることができました。

書いていたらプロフを食べたくなってきました。続きはまた明日!

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ブハラへ

Привет!

ついに今年学校へ行くのは今日が最後になりました。明日から2週間ちょっとお休みです!

そしてウズベキスタンの旅もいよいよ終わりに近づいてきました。最終目的地のブハラでは実質半日しか過ごせませんが、遺跡がたくさんあり、唯一のお城もあり、何よりプロフ(ピラフ)が格別だと聞いていたので行くしかありませんでした。

サマルカンド発ブハラ行きの列車は朝のちょうどいい時間に出るものがあったのでモスクワの自宅ですでにチケットを買っていました。現地で駅に行って発券するものだと思い、予約番号だけを控えて行きます。出発前日、サマルカンドでの観光の最後にガイドのニギナさんに事情を説明して、駅の切符売り場ついてきてもらいました。

この国では、ロシア語でも不自由はあまり感じませんでしたが、やはり細かい話になるとウズベク語です。ニギナさんが駅員さんと話してくれ、得られた情報は「出発40分前じゃないと発券出来ない。今はインターネットが動いていないから」というものでした。

そういえばタシケントからサマルカンドに来る時もモスクワで調べた時間と違ったので、嫌な予感しかしません。 サマルカンド駅のプラットフォーム。

次の日の朝、幸運にも私たちには心強い味方が付いていました。ニギナさんです。みんなで昨日言われた通りに駅の中にあるインターネットで予約していた人専用の発券所(切符売り場はタシケントと同じく駅の横の建物です)で予約番号を言うと「それはどこで買いました?モスクワ?だったらモスクワで発券しなきゃ」…そんなことどこにも書いていなかったで。

ニギナさんが昨日切符売り場で言われたことを伝えてくれ、事情を説明しますが「それはここではできません」の一点張り。40分前に発券できるからと言われたのでかなりギリギリに駅についていたのですが、一刻一刻と迫る発車時間。20分前になったところで新しく切符を買うことにしました。一人2000円程の前に買った切符は勉強代です。

私は駅の中で荷物番をしながら待つことになり、旦那とニギナさんが駅横の切符売り場まで走りました。かなり不安そうな顔をしていたのか周りの人からかなり見られました(そもそもアジア人もいませんでした)。永遠にも感じられる5分ちょっとが過ぎた頃、二人が戻ってきました!慌ててニギナさんにお礼を言い、別れを告げます。かなり安心して観光ができたのはひとえに彼女のおかげです。Sさんやニギナさんがいるサマルカンドにまた戻ってきたいという気持ちで列車に乗り込みました。 タシケント-サマルカンド間に乗った普通列車とは違って、今回は特急に乗ってみました。タシケント-ブハラ間をつなぐこの特急はサマルカンドに途中停車してくれるのです。速くて撮り損ねましたが、列車の先頭車両は新幹線にそっくりでした。中も。 しかもイヤホンまで配られます。2時間ちょっとの列車の旅はあっという間でした。窓の外はひたすら草原が広がり、牛や羊がのんびりと草を食んでいます。 そうこうしているうちにブハラに着きました。かなり小さい駅で、電車から一歩降りると目の前が出口、という感じです。出口の門の前には沢山のタクシー運転手がいました。 そのうちの一人に声をかけられ、いい人そうだったのでホテルまでお願いします。相変わらず色々な話をしながら楽しく車に乗っていると、運転手が街に着く前のスーパーで車を止めました。

一瞬騙されたのかと思い、絶望的な気分になります。運転手はそこで車を降りると、お店に入って行きました。2分後、彼は手に水を持ってお店から出てきます。そして車に乗り込むと、その水を旦那に渡してくれました。実は駅から時々旦那は乾燥のせいで咳き込んでいたのですが、運転手は気遣ってくれたようです。いくらだったか聴くと「いや、お金はいいからブハラを歩くときは水を持っときなよ」とアドバイスしてくれました。なんていい国だ。

実はブハラは駅から市街までの方が空港から市街までより遠いので、少し値段は張りましたがちゃんとホテルまで連れて行ってくれました。

さあ、半日ブハラ観光です。

Пока!

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