馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

ブハラのメドレセ

Привет!

メリークリスマス!なんと去年来なかったサンタさんが今年はやってきました。そしてやっとちゃんと雪が降って、気温も低くなって、3週間ぶりに青空を拝むことができました。クリスマス万歳。

さて、もう終盤になって来ましたウズベキスタン旅行記です。場所は歴史のある町ブハラ。昔ながらの街並みを歩いてメドレセ群に着きました。

まず入ったのはウルグベクメドレセです。入り口のアーチ部分の模様はサマルカンドと同じ感じでした。 アーチ上部は修復が進んでいないのか、原案がわからないのか模様は入っていません。このメドレセは中央アジアで最古であり、扉にはウルグベクの「知識欲こそムスリムになくてはならないもの」という言葉が彫られています。

中に入ると、右手に「カリグラフィー(書体)の歴史博物館」という名前がついた部屋がありました。その前のお土産物屋さんのおばちゃんに入場料を支払い(100円ほど)、中に入ります。 イスラム教圏でよく使われるアラビア語は文字が本当に美しく、流れるように書かれるのでデザイン性も高いです。「アラビア書道」に見られるように文字で絵を書くこともあります。メドレセでは文字を教えていたので、納得のいく展示でした。 少し小さめではありますが。出口には、文字は人間に多くの影響を与えた素晴らしい発明だ、と記されていました。

メドレセの広場の方はまだ工事中で、ほとんど何もありませんでした。二階へ続く真っ暗な階段があったり、ゲーム感は満載です。 さて、向かいのメドレセへ行きましょう。アブドゥールアジス・ハン・メドレセです。

こちらはアーチ上部の模様も綺麗に直されています。ウルグベクメドレセの200年後の1600年代に建てられたこちらのメドレセには、内部にオリジナルの装飾が残っていました。

入るとすぐにお土産物屋さんのおばちゃんに入場料を取られましたが、しっかり案内してくれました。 こちらがオリジナルの内装。17世紀から残っているのはすごいですね。周りには当時の学生たちが使っていた筆入れや書見台、コンパスにタイルのデザイン図案 など様々なものが残されていました。それらの展示物を見ているとこの部屋の入り口付近に呼ばれ、そこから奥を見るように言われます。

こういう場所にはメッカの方向がわかるようにくぼみ(ミヘラブと言います)が作られているのですが、それがそこから見ると人の影が浮かんでくると言うのです。 わかるでしょうか?下の方です。言われるとたしかに。

このモスクも例に漏れず中にはお土産物屋さんが並んでいます。しかし、前日にサマルカンドを見ていたこともあって、少し活気がないように感じてしまいました。ここでタシケントの陽気なタクシー運転手が言っていたことを思い出します。たしかにブハラ→サマルカンドと回った方が楽しめそう。オリジナルの内装が残っていること自体すごいのですが、先にこちらを見ておいて、サマルカンドで修復されたものを見て「ブハラで見たあの内装が当時はこんなにきらびやかだったのか!」とより感動できる気がしました。

ここから少し進むとすぐに見えて来るのがブハラの象徴とも言える、カラーン・ミナレットです。 高さが46mもあり、本当にどこからでも見えます。カラーンというのはそのまま「大きい」という意味。建てられたのは1127年で、その後のイスラム教の文化的中心地として栄えたブハラも、チンギスハンがやってきて破壊されたブハラも、ずっと見てきました。なぜこのミナレットが壊されなかったかというと、あまりにも高すぎてチンギスハンが見上げた時被っていた帽子が落ち、それを拾うために彼がかがんだことで「この塔は私に頭を下げさせた立派な塔だから壊してはいけない」と言ったから、という伝説が残っているそうです。

近くで見ると本当に大きかったです。 表面は14層に分かれており、それぞれレンガを違う積み方にしているそうです。これが900年ほど前…。昔は登れたそうですが、今は登れないようになっていました。いや、頂上に着くまでにバテそうです。

さあ、次はお城へ行きますよ!

Пока!

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