馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

イスタンブール・グルメ(二日目)

Привет!

少し時間が空いてしまいましたが、トルコ編最終回です。この旅行でトルコの料理がどれほど美味しいかを知ったので、ご飯の話で締めるのがぴったりだと思ったのです。イスタンブールでの二日目はトルコ旅行の最終日だったので、とりあえずこれまで食べていないものを見つけると食べてみるようにしていました。そんなお料理の数々をご紹介します。

①ドネル・ケバブ トルコ料理といえばこの巨大な肉の塊を想像する方も多いでしょう。私たちもせっかくトルコに来たのだから食べなければと思っていたのですが、なかなか勇気が出ませんでした。というのも、去年まで住んでいたモスクワにもヌルスルタンにもドネルケバブの屋台が(シャウルマやシャワルマという名前で)たくさん並んでいるのですが、衛生状態があまりよくないと聞いていたからです。モスクワの語学学校での友達も「あっちの屋台は3回行って2回も当たった上にまずかったけど、こっちの屋台は6回中2回しか当たっていないからこっちの屋台がいいよ」などと教えてくれました。いや、そもそも1回でもあたったならもう行かなければいいのに。でもイスタンブールはドネルケバブの本場です。勇気がなく食べずに帰ると後悔する気がしました。あたった友達も美味しいから何度も通うのかもしれない。

極度の空腹でふらふらとガラタ塔から出てきた私たちは、目の前にあった肉の塊にそのままふらふらと引き寄せられました。接客業の人はみんな人懐っこい笑顔をむけてくれるのですが、このお店の人も例にもれずとてもいい笑顔で奥から出てきました。「ケバブかい?鶏か牛を選んで、それからお肉はトルティーヤ(ラップ)とホットドッグのパンとどっちで包もうか?」と言いながら串刺しの巨大な肉に向き直ります。「ビーフで!そしてトルティーヤに包んでください。あ、お水も一つ」7月下旬のイスタンブールは過ごしやすいながらもとても暑く、みるみるうちに手持ちの水は減っていきます。「了解!ちょっと待っててね。ところで日本人かい?イスタンブールは初めて?」店員さんは口と同じくらい手も速く動かしてあっという間にドネルケバブが完成しました。「ありがとう!これがトルコで食べる初めてのケバブなんです」「そうなのか!それは正しい店を選んだよ」と店員からのお墨付きをもらったので、次の目的地へ歩きながら出来立てのケバブにかぶりつきます。

ケバブってこんなに美味しいの!お肉の濃い味が、野菜とトルティーヤに完璧に合います。お肉も濃いとは言っても辛くも重くもなく、香ばしさが口いっぱいに広がるので、どんどん食べられました。せっかく買った水を飲むのも忘れて、旦那と取り合うように二人で食べました。あまりにも美味しかったのでさっきのお店に戻ってもう一つ注文しようかと思いましたが思いとどまって次へ行きます。

②イカリングとムール貝のフライ ガラタ塔からイスティクラール通りを歩いていくと、魚市場がある通りの横に上の写真のようなアーケードがあります。このアーケードの下には海鮮レストランがいくつか連なっています。今回の目的はイカフライ。旦那がイカフライをどうしても食べたいといっていたのですが、前日の屋台ではどこも売り切れていたのです。前日から注文する気だったので席に着くなり「カラマル・タワ(イカのフライ)」とトルコ語で注文する旦那。私は前日のムール貝のピラフ詰めが忘れられず「ミディエ(ムール貝)…」とつぶやくと「ムール貝のフライはどうですか?」と店員さんが私の意図を汲んでくれました。トルコ語は食材の名前の語彙ばかりが増えていきます。 イカは柔らかく、塩だけのシンプルな味がイカのおいしさを引き立てます。イカは好物というわけではなかったのですが、これを口に入れた瞬間に好きな料理になりました。そして想像できますか、ふわふわのムール貝を。ピラフ詰めは味の引き締まった歯ごたえのしっかりしたムール貝だったのですが、フライにするとこんなに食感が変わるとは思いもよりませんでした。この国は揚げ物が美味しい。

③スイーツ イスタンブールでは数百メートルごとにトルコアイス屋さんがあります。屋台でトルコの民族衣装のベストと帽子をかぶったおじさんにアイスを注文すると、アイスをすくう棒と、粘りが強いアイスをつかってパフォーマンスをしてくれます。おそらくこのパフォーマンスは調べると動画が出てくると思うのでぜひどうぞ。パフォーマンスを堪能した後、アイスの値段を聞くと「50リラ」とのこと。え、二つで1000円?ということは一つ500円!ちなみにアイスはトルコ語でドンドゥルマと言い、アイスで有名な街マラシュの頭2文字をもらった「MADO」という名前のアイス屋さんが街には本当にたくさんあるので、パフォーマンスは別に興味ないという人はこちらでもいいかもしれません。MADOはヌルスルタンにもあります。

トルコはこのアイスをはじめとして美味しいスイーツがたくさんあります。その中でも前から気になっていたキュネフェを注文してみました。 写真からもわかるように、チーズが使われたこのお菓子は、とても甘いです。金属製のお皿の上に、素麺を細かくしたような生地(カダイフ)を敷き詰め、チーズをのせ、またカダイフを満遍なく敷き、焼き上げます。仕上げに甘いシロップとピスタチオの粉をかけたら完成です。歩き疲れた体にこの甘さはしみわたりました。サクサクのカダイフの食感は楽しく、チーズとシロップが合うのでどんどん食べられるのですが、半分を超えたあたりでチーズの重さとシロップの甘さが効いてきます。個人的には2人で一つを食べるのが得策かなと思いました。その時横で旦那が食べていたのはライスプディング。 これもトルコで大人気なので、甘いお米が大丈夫だという人はぜひ試してみてください。

こうして楽しかったトルコ旅行は幕を閉じました。見たかったものを見、食べたかったものを食べ、してみたかったことをして、そして想像以上に素敵な人やものに出会えた旅でした。旦那にこれまで行った旅行先で一番良かったのは?と聞いてみると「トルコ」と即答するほど印象深い国になりました。これだから旅はやめられません。次はどこに行こうかな。

イスタンブール市街散策

Привет!

ついに10月に入ってしまって、いつまでトルコの話をしているんだという感じですが、もうあと2,3回で終わると思います。ちなみに先週末、ヌルスルタンから郊外に遊びに行ったのですが、そこで初雪に遭遇しました。初雪というより、吹雪でした…。ヌルスルタンの自宅もセントラルヒーティングがつきはじめ、部屋の中がとても暑いです。

mickymm.hatenablog.com ここで出てくる「ガラタ塔」や新市街と旧市街をつなぐ橋の一つである「ガラタ橋」など、イスタンブールには「ガラタ」という地名がよく登場します。この名前の由来には諸説ありますが、私が一番しっくりきたのはイタリア語の「坂道(calata)」から来たものだ、という説。実際に歩いてみると、新市街は特に坂道や階段ばかりでした。 それぞれの坂や階段の長さもさまざまで、このようにペイントしてある階段に途中の踊り場で人々が座って休憩している階段、お土産物屋さんが道沿いにずらっと並ぶ坂道など個性があふれていて歩いているだけでとても楽しかったです。

中でも新市街にあるジェザイール小路はこの階段をうまく利用したカフェやレストランのテラス席がならんでおり、時間さえあればここでお茶を楽しみたかったです。ガイドブックによると、この小路はパリのモンマルトルをモデルにしているとのことですが、パリにはいったことがないので真偽のほどはわかりませんでした。 行ったことがある方、いかがですか?

新市街の目抜き通りといえば、なんといってもイスティクラール通り。ここは歩行者天国のような大通りで、両脇には沢山のブティックやレストラン、お土産物屋さん、本屋さん、立派な建物(おそらく政府関係の学校のようです)が並ぶので、道は人でごった返していました。イスタンブールはトランバイが縦横無尽に走っていますが、このイスティクラール通りにしか走っていないトランバイもあります。 トランバイはもともと1871年からイスタンブール市内を走っていたのですが、1961年に渋滞を引き起こすからという理由で廃止になってしまいます。しかし1980年代に高まった景観保存運動により、かつて使われていたトランバイが「ノスタルジック・トランバイ」としてここの通りで4駅分だけ復活したのです。
このトランバイは頻繁に行き来しているわけではないので、出会えたときに写真を撮るのが得策でしょう。

ちなみにこの通りを一本入ると、前に紹介した魚市場に行くことができます。 mickymm.hatenablog.com そして魚市場から伸びているいくつかの小路のうちの一つを覗くと、素敵なお店が見えました。 素敵なトルコランプがたくさん!グランドバザールではトルコランプのお店がたくさんあったのですが、たくさんありすぎてどこで買えばいいか分からなかったことと、店員さんが常に話しかけてくれるのであまりゆっくり選べなかったのです。しかしもうこの時点ですっかりトルコに心を奪われていた旦那がめずらしくこのお店を見て「ランプを買おう」と言い出しました。いつもは「どうやって持って帰るん、何に使うん」と言ってお土産を買うのは躊躇するのに。 ここの店主は「いらっしゃい、ゆっくり見て行ってね」と声をかけた後は私たちと適当な距離を保ってくれました。いざどのタイプのランプを買うか決めて伝えると、すぐに在庫にあるバリエーションを全部並べてくれます。「ランプ一ついくらですか?」「60リラ(1200円ほど)だけど、一つでいいの?どこに置くの?寝室?だったらそれぞれの枕元に自分が好きな色を置かなきゃ」それもそうだな、ということになりそれぞれが色を決めました。今回買ったのは一番小さい、卓上に置くタイプのもの。真ん中のガラスの部分だけ交換できるようになっています。

そして、なによりイスタンブールの街歩きで特筆すべきなのは、猫の多さ!ちょっと歩いただけですぐ猫を発見できます。カフェのテラスの机の上、椅子の下、お店の床、ベンチの上、一度はショーウィンドウに飾られているソファーの上で寝ている子もいました。 動物好きな旦那が嬉しそうに猫たちに構いに行くのですが、猫はそのたびにとても面倒くさそうにそっぽを向きます。その様子もかわいい。街の人たちを見ていると猫がそこにいるのが当たり前だというように特別な注意を払っているわけではありません。ただ例えばお店の前で猫が中に入りたそうにしていると扉を開けてあげたり、そこここに誰かが入れてあげたのであろうお水やえさがおかれていたり、猫を大切にしていることは伝わってきました。私たちも街歩きをたくさんした理由の半分は自由に生きている猫を見るためだったかもしれません。

本当に素敵な街でした。

ガラタ塔

旧市街から金角湾をはさんだ対岸の新市街を眺めると、ほかの建物より頭一つ分ほど飛び出ている塔を見つけることができます。ガラタ塔です。 塔自体の高さは67mとそんなに高いわけではありませんが、海抜は140mもあります。これだけで塔が立っている場所が少し高台になっていることが想像できるかと思います。さかのぼること1500年弱、528年にビザンツ帝国の皇帝アナスタシウスによって灯台として建築されたこのガラタ塔は、一度は第四回十字軍によって1204年に壊されてしまいました。第四回十字軍は一度ビザンツ帝国を滅亡に追い込むほど当時コンスタンチノープルの名前で通っていたこの街を破壊しつくしましたが、亡命政権によりその60年後の1261年にコンスタンチノープルを奪回、ビザンツ帝国を再建します。そんな再興したビザンツ帝国時代の1348年に、ガラタ塔もまた再建されました。今回は灯台としてではなく宗教的な目的で使用されます(キリストタワー)。しかし、そんなビザンツ帝国の治世も十字軍に攻め込まれてからはかつてのように盛り上がることもなく、長くは続きませんでした。1453年にはオスマン帝国に支配され、国教も変わってしまいます。次にガラタ塔が歴史に登場するのは30年後、バヤズィト2世の治世に起きた地震の時です。この地震でダメージを受けたガラタ塔は修復され、天文台に姿を変えました。そのあとは奴隷として働くキリスト教徒の囚人の住居としても使われるなど、この石造りの塔は長い歴史をずっと見守り続けてきたのです。入り口に長い列ができていたので登るのを諦めそうになりましたが、待っている間もストリートミュージシャンの人の演奏が楽しめたり、列の前後の人たちと交流したりしていると中に入るまであっという間でした。

チケット売り場の前には地下宮殿にもあった「みんなでアリ王子になりきろうコーナー」がありました。 mickymm.hatenablog.com そしてここのチケットがとてもかわいいのです! 裏に簡易的なガラタ塔の説明が載っているし、デザイン性が高いのでしおりとしても使えます。このチケットの表面に描かれている切手風の絵が新市街の風景なのですが、ガラタ塔の背の高さがよくわかると思います。そしてこの絵は一つのエピソードが元になっています。塔から飛び出しているのはヘザルフェン・アフメット・チェレビという男性。1638年のことです。彼は人工的な羽を作って、この塔の上から飛び立ち、ボスフォラス海峡を越え、6㎞近く離れているアジア側のウスキュダルに降り立ったというのです。当時のスルタン、ムラット4世は初めこのニュースに喜び、彼を表彰しようとしましたが、突然心変わりし、脅威と見なされた彼はアルジェリアに追放されたという逸話が残っているそうです。

チケット売り場からエレベーターで7階まであがると、ガラタ塔についての説明が書かれたホールに出ます。その説明の上にヘザルフェンと思われる像がひっそりと置かれ、来場者を見下ろしていました。 ここからは螺旋階段で上へと昇っていきます。8階はレストランになっていますが、予約をしないと利用できないとのことでした。夜などは(上っていませんが)絶対きれいな景色を見られると思うので、記念日や特別な日に是非。電話番号は先ほどのチケットの表に書かれています。9階は気軽に使えるカフェになっており、ここから展望台に出られます。 この展望台は背の高いガラタ塔をぐるっと一周するように作られているので、イスタンブールの街並みが360度楽しめます。ちょうど上の写真は旧市街を臨む方角です。真ん中に移っているミナレットを持つドームが左からアヤソフィアとスルタンアフメト・モスクです。その下に見えているのがガラタ橋。展望台となっているテラスはとても狭く、また人が多いのでかなり動きにくいのですが、みんなで譲り合ったり、待っている間に写真を撮り合ったりしてとても平和な時間が流れていました。 これはちょうど左に大きく横たわるボスフォラス海峡に合流する金角湾の部分ですね。となると、ヘザルフェンはあの左側に見えている陸まで飛んだことになります。確かに400年前ではそこまでの距離を「飛ぶ」となると脅威と見なされるのも不思議ではないような気がしてきました。いえ、今同じことをやれと言われてもできるとは到底思えません。

入場するために列に並んだのも無駄とは全く感じない、素晴らしい景色でした。お腹がすいたのでカフェに入りましたが、食べるものは全くなかったので旦那が頼んだトルココーヒーについてきたターキッシュディライト(粉砂糖をまとった甘いグミのようなもの)を一口もらうつもりが全部食べてしまい、いつもは温厚な彼に厳しめに怒られたのもいい思い出です。

ちなみにこの塔の足元にはとても素敵なトルコチャイカップ屋さんがあります。外観はこちら。 普段カフェで出てくるのはシンプルなカップが多いのですが、ここで扱っているのはとてもきれいな幾何学模様が描かれているものが多く、とても素敵でした。伝統的なチューリップ型のカップがほとんどですが、近代的な取っ手が点いているもの、チューリップ型でも下が大きめのものに上が大きめのもの、多種多様で店員さんもとても親切に相談に乗ってくれるので、しっかり選ぶことができます。 カップは割れるので買わないつもりだったのですが、こんな素敵なラインナップを見るとはじめの決心はいとも簡単にどこかへ行ってしまいました。素敵なティースプーンと共に伝統的な取っ手のない、綺麗な模様の描かれたセットを購入。塔に上りに行くというと預かってくれる親切なお店でした。お勧めです!

イスタンブールのバザール巡り

Привет!

イスタンブール最終日の朝は、まずグランドバザールへ。 グランドバザールにはいくつか入り口がありますが、私たちが見つけた入り口の前はこのように絨毯が壁にたくさんかけられた素敵な小路にありました。おそらく絨毯は売り物でしょう。

グランドバザールは560年近くの歴史があります。中で軒を連ねているのはほとんどがお土産物屋さん。ただ、イスタンブールに住んでいた人達が口を揃えて「あそこは高くてあまり良くないものが売っているから気をつけてね」と言うので、ここでお土産を買うつもりはありませんでした。 ただ、私が好きな小説にも登場するし、1400軒もお店があると聞いたので興味があります。小説内ではこのバザールで不思議なことが起こるのですが、少しバザールを歩くだけでここを舞台にした理由がわかりました。まず中の道が入り組んでいて真っ直ぐではないので、方向感覚がなくなるのです。突然路地が現れ、そこここでさまざまな言語が飛び交い、情緒にあふれています。とりあえず中心部まで行こうとしましたが、地図アプリを見ても自分がどこにいるのか全くわからなくなりました。 お店も同じものを扱っているお店が点在しているので目印にできません。これは確かにふらっと異世界に出てしまっても不思議ではない気がしてきます。

途中からはお店を見る余裕がなく、ここから無事に抜け出せるのかが課題になってきました。もちろんお土産物屋さんはグランドバザール以外にもたくさんあるので安心してください。
とりあえず携帯のコンパスを見ながら次の目的地がある方向へ進みました。そうすると21もある出入り口の一つには必ず行き当たります。やっと空が見えた時には安堵しました。カッパドキアにいた時から迷ってばかりです。

グランドバザールからそう遠くない、エジプシャンバザールまでの道は長い商店街になっています。ある程度扱っている商品の種類が固まっているのでかなり見やすかったです。ちなみにストールはここで買うとバザールより半額ほどになりました。この商店街では地元の人の生活必需品を取り扱っているようです。

グランドバザールに入った時は朝一番だったので人がまばらでしたが、10時を過ぎたこの商店街は人で溢れていました。ここに、商品搬入のトラックが突っ込んでくるのです。一言で表すとカオス。

エジプシャン・バザールの入り口です。ここはもちろんお土産物もありますが、スパイスや食材なども多く見られました。グランドバザールよりも200年ほど新しいそうです。ガイドブックによると、主にエジプトで積まれた荷物がここに届いていたので、エジプシャンバザールという名前になったのだとか。

ちゃんと改装もしているのか、内装がとても綺麗でした。エジプシャンバザールの中には日本語で書かれた看板を出しているお店があったのですが、後から聞くところによるとそこの店主の奥さんが日本人で、扱っているものもちゃんとしているので在住者もよく行くそうです。

エジプシャンバザールの外は植木や植物の種を売っている園芸店でした。そしてその前はすぐ海です。イスタンブールが交易の街として栄えたことがよく分かりました。現に今も、トルコの通貨リラが大暴落した後だというのに経済危機を全く感じさせない街の賑わいようです。

ここから20分ほど歩くと、ボスフォラス海峡の上に作られた電車(メトロらしい)の駅があります。 この電車も、街中を縦横無尽に走っているトランバイも、はじめに空港から市内までのバスの時に買ったイスタンブールカードにお金をチャージしておけば乗ることができました。チャージする機械もどの駅にも置かれているので問題ありません。ちなみに一枚あれば5人まで使えるそうです。

カードもかっこいいですね。駅数が多いトランバイの方が便利ですが、メトロも人が少なく、騒音や揺れもなく、とても快適でした。これに乗って新市街まで行きます。

到着した駅は地下にプラットフォームがあったので、地下鉄だということを思い出しました。 駅名の表示もおしゃれです。歩いても楽しく、でも時間がないときは交通網も発達しているのでかなり旅行や生活がしやすい街だという印象を受けました。

ボスフォラス海峡クルーズ

Привет!

基本的に水辺が好きな旦那はどの街に旅行に行っても、そこに川や海があればクルーズをしたがります。イスタンブールでも例外ではありません。ディナークルーズもいいね、でもベリーダンスや伝統舞踊のセマーも見たいよね、と話していたのですが、私たちにはあと一晩しか残されておらず、何を諦めるか…と悩んでいたところで「ディナークルーズ、ダンスショー付き」の看板を見つけました。これだ!

海岸沿いに歩いているとそんなクルーズの案内がいくつかあります。お値段もかかりますが、背に腹はかえられません。看板の近くにいた係のお兄さんに声をかけて、申し込みをしました。8時にホテルに迎えに来てもらえ、クルーズが終わってからもホテルまで送ってもらえるそうです。気球もそうでしたが、このタイプのツアーが多いのかな。助かります。

8時を5分過ぎても誰も来ず、騙されたのかと不安になり始めた頃、運転手さんがホテルまで迎えに来てくれました。港まで行くバンにはすでにお客さんが6人ほど乗っており、みんなで会話が始まります。ドバイやオーストラリア、ドイツなど様々な国籍を持つ人たちが集まっておりとても楽しかったです。

港には何隻も船が並んでおり、乗りに来た人たちでごった返していました。運転手さんに「絶対離れずについてきてください」とかなり言い含められ、一緒にバンに乗った人とぞろぞろと連れ立って船へ。上の写真が私たちの乗る船です。この船は3階建てで、最上階がデッキになっていました。1フロアで50人ほどいたでしょうか。かなり大きな船でした。

私たちは1階の席へ案内されます。そして「どこの国からですか?」と聞かれました。日本です、と答えると机の上に見慣れた国旗が。 両脇の席の人たちの国旗が見慣れなかったので尋ねると、ルーマニアと南アフリカ共和国だそうです。このときにメインの料理がチキンか肉か魚から選べました。この日は昼に海鮮ばかり食べていたのですが、初志貫徹とばかりにまた魚を選びました。

そうこうしているうちに船専属のカメラマンによるグループごとの撮影が始まりました。「夫婦?OK、じゃあまず寄り添って。じゃあ次に見つめ合って。いいねー」という感じのノリのいい人でしたが、かなり至近距離で見つめ合う羽目になり、ちょっと気まずかったです。他の人も同じようなポーズを言われていました。 前菜。色々な味のパテでした。

さあ、いよいよ出港です。両岸のモスクがライトアップされていたり、橋がピカピカだったりとても見応えがありました。ずっとデッキにいようかと思ったのですが、中が騒がしくなったのでショーが始まったのかと席に戻ります。

フロアの中心にいたのは小柄な初老の男性でした。「ようこそ、ボスフォラス海峡のクルーズへ。今日の司会を務めます。さて、この年まで生きていると世界の色々な国に詳しくなりました。実際世界中旅もしています。さあ、皆さんの机に置かれている国旗を元に、今日共に旅をする人の国についてご紹介します」と言って、何十個あるテーブルを一つ一つまわって紹介し始めたのです。例えば「世界で一番大きな国。とても寒くて、雄大な自然が残っており、色々な民族にルーツを持つ人が暮らしています。そしてクマとウォッカの国です。ドーブルイ・ビーチェル(こんばんは)、ロシア!」というような司会の紹介に合わせて、民族音楽のカチューシャが流れ始め、紹介された人たちが真ん中に出てきて踊り始める(強制はされません)というような流れです。 踊っている人たちと司会者(右端)。ここで気になるのは日本の紹介と、選曲です。各国紹介も後半に来た頃、ようやく順番が回ってきました。「テクノロジーの国!彼らは性能のいいロボットを作ります。ロボットが働くレストランまであるのです。首都は東京!コンバンハー!ジャパン!」そして流れる『ルージュの伝言』。テクノロジーできたか!まあ忍者や侍、芸者などの言葉が出てくることを想像していたので少し驚きました。そしてやはりジブリは強いですね。『魔女の宅急便』の主題歌が日本を思い起こす曲なのか。ボスフォラス海峡の船の上でルージュの伝言に合わせて踊るという経験ができました。思ったよりアップテンポなんですね。

メインが出てきました。 シンプルに白身魚を焼いただけですが、それがまた美味しかったです。凝りすぎていないのがいいかもしれません。

しばらくデッキに出たり、歓談をしたりしていると、セマーが始まりました。セマーとはイスラム神秘主義(スーフィズム)の教団であるメレヴィー教団が行なっている教えの一つで、長いスカートをはいてくるくると回転する宗教行為です。円を描いて回転することによって、宇宙の運行を示し、神との一体を目指すという意味があるそう。オスマン帝国のスルタン(王様)でも信仰していた人がいる、トルコ発祥の宗教です。 昔世界史の教科書で見た時から気になっていたので、実際に見られて良かったです。目が回らないのだろうか…とかなり心配になりました。

そして男女6人のダンサー達によるダンスショーを挟んで、ようやくベリーダンスの女性がやってきました!腰と上半身を激しく揺らすダンスはかなり魅惑的で、いろんな人が楽しめると思います。はじめこそ真ん中で司会と踊っていましたが、途中から客席を回り始めました。 横の席の人とダンサー。みんな衣装にお金を挟みはじめたので、ちょっと気まずくなってデッキに逃げてしまいました。それにしてもダンサーのアピールが強烈でした。

最上階のデッキはとても気持ちよくて、小さなお子さんから大人まで、夜景を楽しんでいます。 左奥に見える歴史のありそうな建物のライトアップの仕方と、橋の近代的なライトが全く違う雰囲気を出しているのに、不思議とうまく全てが溶け合っている感じがイスタンブールというこの街そのもののような気がしました。

トプカプ宮殿

Привет!

アヤソフィアの周りは歴史的建造物が多く、先述した地下宮殿とアヤソフィア、そしてスルタンアフメット・モスクとトプカプ宮殿、さらにはそれらをつなぐ広場になっているかつての競技場「アト・メイダヌ」を合わせて「イスタンブールの歴史地域/遺跡公園地域」として世界遺産に登録されています。ここを歩いているとまあ色んな人に声をかけられました。突然アラビア語で挨拶されて、旦那とどうしても写真を撮りたいと言われたり(私は?とジェスチャーしたら首を振られました)、日本語で「日本人ですか?」と聞かれたり。後者に関しては「今からどこ行くんですか?トプカプ宮殿?もう閉まりますよ。それより僕が知っているお土産物の問屋さんにきませんか?僕の店じゃないので僕が得するわけじゃありません」と言われたのでなんだか怖くなって逃げるようにしてその場を離れました。案の定トプカプ宮殿は閉まっておらず、きちんと観光ができました。基本的にこちらから声をかけたのでなければ、少し警戒してしまいますね。

そんなこんなでトプカプ宮殿! ちょっと気が動転していたので門や象徴的な建物の写真を撮り忘れてしまいましたが、トプカプ宮殿はメインの建物はなく、小さな建物の集合体です。というのも、もともとトプカプ宮殿は1453年にイスタンブールを陥落したオスマン帝国の皇帝、メフメト二世によって建てられた後、450年にも渡って歴代のスルタン(皇帝)によって増築されたからです。そのため、それぞれの建物は建てられた時の建築様式に沿っているため、構造が違います。

門をくぐってすぐのところは広い前庭になっており、そこにチケット売り場があります。前庭からはまた門をくぐって敷地に入ります。すぐ目に入るのは中庭と、キッチンに使われた建物です。ここだけレンガ造りで雰囲気が他と明らかに違います。 中は撮影禁止になってなっていますが、中は現在博物館になっており、スルタンがプレゼントされたり買い集めた食器や家具、陶磁器などがこれでもかというくらい展示されていました。

また、当時のキッチンの使われ方を巻物風の絵でスクリーン上に映したり、食堂の様子などもゲーム感覚で学ぶことができるテレビもありました。最大6000人もの人が住んでいたと言われるトプカプ宮殿。シェフも1200人いたそうです。その人たちが暮らしていた宿舎もありますが、そちらも今は中国から来たような磁器やヨーロッパ風の食器などが展示されていました。

これが全体図です。このキッチンからもう一つ門をくぐると広いお庭と地図上の赤い建物が集まっている場所に出ます。残念ながらこの中の半分以上が改装中のためか防音の布で覆われていて、見ることができませんでした。地図によるとスルタンの服や宝石が展示してある建物とスタッフの寮のようです。ちょうどこの旅行中、日本では「トルコの至宝展」が行われていました。副題は「チューリップの宮殿 トプカプの美」…つまりここにあった宝飾品が日本にあったのです!微妙なすれ違い…。

それでも入ることができた図書館はそのタイルの素晴らしさに目を見張りました。 いえ、この図書館だけではありません。どの年代の建物も、内部のタイルが本当に素晴らしく、見ているだけで楽しかったです。また、トルコはチューリップの原産地ということで、チューリップ模様の壁もいくつかありました。 この青い丸い花の間にある、下が赤く上が青い細い花がチューリップです。よく見ないと見逃してしまいそうなので、一つ一つのタイルに描かれている模様をよく見て楽しんでくださいね。

壁一面が同じ模様というわけではなく、このようにいろんな模様が組み合わされています。宝石庫は見られませんでしたが、これらのタイルを見るだけで価値はあると思います。またそれぞれの建物の天井もそれぞれ模様が全く違うので建物に入るたびに上を見上げるのが楽しみでした。

また「秘密の会議所(聖なる遺物)」と書かれた建物も興味深かったです。主にイスラム教の儀式で使われるものや武器などが置かれていて、メッカのカアバ神殿(イスラム教の聖地となっている場所です。今カアバと打ち込むと絵文字が出てきたので驚きました)の模型や、ムハンマドのマントと旗が飾られています。そしてたまたまその時間だったのか、お祈りの時間にモスクへと教徒を呼びかけるアザーンがずっと流れていました。カザフでも家の近くにモスクがあるので毎日耳にしているものです。ここでは順路に沿って見学をしていると、突然マイクが置かれた机の前に座った人がアザーンを唱えているところに遭遇。手を伸ばせば触れられそうな場所で、毎日聞いているアザーンを実際に唱えている人を見ることができて、なかなか貴重な体験をしました。この時まで誰かが唱えたものを録音して流しているのかと思っていたからです。

宮殿の一番奥はボスフォラス海峡を臨む高台になっています。 レストランなどもあり、人々の憩いの場になっていました。海が好きな旦那はここで動かなくなります。目の前にはイスタンブールのアジア側、少し横を見るとガラタ橋と新市街、そして海岸に目を向けると地元の若者たちが泳いで遊んでいました。本当に綺麗な景色です。

ここはハーレムもあり、一時期では400人から1000人もの女性が暮らしていたそう。民族同士の争いを避けるために奴隷や身寄りのない女子たちが連れてこられ、音楽や舞踊、水タバコやコーヒーなどの用意も学び、スルタンから声がかかるのを待ちました。ハーレムの暮らしは恵まれたものだったようですが、スルタンが代変わりすると女性たちも総入れ替えになります。今では考えられない暮らしが広がっていた、この広大な敷地を持つトプカプ宮殿は一見の価値があります。

イスタンブール・グルメ(1日目)

Привет!

台風が関東を襲ったとニュースで見ましたが、皆さま大丈夫でしょうか。ヌルスルタンではあまりの冷え込みに毎日震えています。早くセントラルヒーティングがつかないかな。

さて、ノースリーブでも快適に過ごせた2ヶ月弱前のイスタンブールでのお話です。イスタンブールは海沿いの街ということで、内陸国カザフスタンでは食べられない海の幸を心から楽しみにしていました。まずはじめに向かったのはボスフォラス海峡にかかるガラタ橋。ガラタ橋は二重構造になっており、上は車道と歩道、下はレストランなのですが、歩道の下にあたる部分ははテラス席のように作られていました。

このガラタ橋のふもとでは名物の鯖サンドが食べられるということで、早速向かうことに。トルコのレストランでは大抵入り口にメニューと呼び込みの店員さんが立っているのですが、ガラタ橋の下のレストランも例外ではありません。店員さんに「サンドイッチある?」と英語で尋ねると、綺麗なカタカナの発音で「サバサンド?」それならあるよ、と言われました。日本人がよく来るのかな。お腹も空いていたので入店の意思を伝えると、案内されたのはテラス席です。他のメニューも見ずにとりあえずサバサンドを二つ、と入店時に注文したので、出てくるのは早かったです。 これがガラタ橋名物、サバサンド!トルコ語でバルック・エキメッキ。一口かぶりついたら、そのパンの美味しさとサバのさっぱりした味の虜になります。サバの味付けは塩だけで、それがより素材の美味しさを引き立てていました。骨は結構残っていましたが気にならず、むしろ骨まで食べてしまいたくなる美味しさ。挟んでいるパンも、外はカリッとしていて中はふわふわ、優しくサバを包んでいます。

テラス席だったので、あまりの美味しさに半泣きで食べている私たちを見た観光客が2、3人お店に入っていました。だからテラス席に案内したのか。ガラタ橋は歩道部分で釣りをしている人々が並んでいます。下の階にあるテラスから海をぼんやり眺めていると、時々アジなどの小さな魚が釣り上げられて、私たちの頭上へと引っ張られていくというシュールな光景も目にしました。

食後にはお会計を待っている間にサービスでトルコチャイも出てきて、なかなか満足のいくレストランでした。今調べてみると、他にもいくつもの有名で美味しいサバサンド屋さん(屋台)があるそうです。ここでこんなに美味しかったんだから、有名なお店で食べたら本当に泣いてしまいそうです。

次に向かったのは新市街にある「魚市場」。グーグルマップで日本語で「魚市場」と入れても出てきます。 新市街の目抜き通り、イスティクラール通りから伸びる路地で、お魚屋さんや野菜屋さん、香辛料屋さんにお土産物屋さんなどの軒が所狭しと連なっています。そして多いのが魚料理を扱ったレストラン。ここでも名物を食べるためにさっきはサンドだけで我慢したのです。この日は日差しも強く暑かったので、旦那はここに来るまでずっと「エフェス(トルコのビール)が飲みたい…美味しい海鮮と一緒に飲みたい…」とうわ言のようにつぶやいていました。なので、魚市場に入った瞬間に勧誘されたレストランの店員さんにビールと目当の料理があるかを尋ねると、すぐに入店。 これが絶対に食べたかった、ミディエ・ドルマス。日本語で言うとムール貝(ミディエ)のピラフ詰め。レモンをかけていただきます。これだけが運ばれてきたので、店員さんに「フォークとかスプーンとかない?」と聞くと「必要ないと思うけど」と言いながら持ってきてくれました。「必要ないってどう食べればいいの?手?」「まずレモンをかけて、刺さっているムール貝の蓋ですくって食べるんだよ」とのこと。 …確かに食べやすい!そして一口で食べられてしまうこの料理ですが、口に入れた瞬間に広がる凝縮されたムール貝の旨味と、もち米の美味しさ!そしてレモンをかけているのでさっぱりした後味で見事なフィニッシュ。ここでついに泣いてしまいそうになりました。ムール貝ってこんなに美味しかったっけ。イスタンブールにいた人にオススメの食事を聞いたら真っ先にこのミディエ・ドルマが出てきたのも納得です。世の中にこんなに美味しいものがあったなんて。

ここの店員さんに丁寧にお礼を言い、次の目当ての料理へ。それにしてもトルコの人は本当に人懐っこく、ここの店員さんも私たちが前を通るたびにとてもいい笑顔で手を振ってくれました。

イワシのフライが食べたかったのですが、サバサンドとムール貝で時間を使ってしまったのでほとんどのお店でもうないと言われてしまいました。その中で屋台のフライヤーに残っているのを発見! 屋台のおじさんは英語ができなかったのですが、身振り手振りでこれが食べたいと伝えるとお店の前に置かれていたテーブル席に着くように言われました。おじさんの笑顔があまりにも素敵だったので写真を撮らせてもらえるか聞くと、うまく伝わらずに一緒に写りたいのだと解釈され、周りの屋台から人を呼んできて撮影大会が始まりました。フライヤーの前に立ってトングを持たせてもらったり、撮影してくれている人にさまざまな撮影角度を指示したり、とても気のいいおじさんです。

みんなの気が済んだので、席について料理を待っているとすぐ出てきました! カタクチイワシのフライです。これにもレモンをかけていただきます。え、イワシってこんなに美味しかったっけ!?サクサクの衣と、ふわっとしたジューシーなイワシと、さっぱりした野菜。2人で美味しい美味しいと日本語で言いながら食べていると、おじさんがそっとミディエ・ドルマを二つお皿においてくれました。サービスだよ、という感じで。正直、さっき5つでは足りなかったので涙が出るほど嬉しく思いながら、トルコ語でありがとうを伝えます。私がメモを見ながら「ありがとう」をいうのが面白かったのか、陽気に笑ってくれました。

イスタンブールはもうどこで何を食べても美味しかったです。トルコ行きが決まってから1ヶ月ほどカザフで無理に魚を食べていなかったこともあり、海産物を食べるたびに「ああ、私は海の幸で育ってきたのか」ということを実感しました。イスタンブールに行ったら是非!魚を!ここの味は本当にずっと忘れないと思います。