馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

サマルカンド最後の夜

Привет!

気がつけば今週末がクリスマスイブなんですね。メトロのWi-Fiをつなぐたびに「年越しまであと何日!」と出てきて焦ります。

さて、サマルカンドで一応全ての観光を終えた私たちは市内へ戻りますが、行きでさえ超過料金を取られたような町外れにいます。タクシーを捕まえることは不可能のように感じられました。

するとガイドのニギナさんは「工房の人がバスの運転手に知らせているはずだから(どうやってかわかりませんが)、もうすぐバスが来ますよ」と余裕の表情です。なんだか私たちも安心して色々な話をしながら待つこと10分、バスが来ました。 バス停だと思って待っていた川辺。もちろん目印などはありません。

バスは一人900スムでした。…つまりほぼ9円。運転手さんの横に若いお兄さんも乗っていて、降りた客から彼がお金を徴収していました。途中で気づいたのですが、ドアが手動で、この開け閉めも彼の役割です。そして道端に立っている人に「これは駅へ行くバスですが、乗りますか?(ウズベク語はわかりませんが多分)」と聞く仕事も。やっぱり運転手さんも誰が客で誰が違うのか分からないんか!と思いました。バス停作ればいいけど、こっちの方が便利なのかな。

ウズベキスタンのお金は単位が大きいので、ほとんど10000スム札しか使っていませんでしたが、いつかのお釣りでもらった100スム硬貨がこの時に役に立ちました。ちなみに硬貨は後にも先にもこの一枚しか見ていません。

ぼーっと街並みを見ていると、町外れの住宅街でも壁に可愛い模様が書いてあったりします。 鹿ですね。

そしてこの住宅街で、何匹か魚が軒下に干されているのを目撃しました。この二重内陸国(国境を二回超えないと海に出ることができない国)において、魚をほとんど見ていなかったことを思い出します。そう思うと日本とは正反対の国ですね。

街中に帰ってきました。少しやり残したことがあったのでニギナさんとは次の日も会ってもらうことになっています。なので、この日最後にいいレストランを教えてもらって別れました。

それがここ。 レストラン「サマルカンド」です。エントランスがこんなに豪華。

ニギナさんから「レストランの一階はウズベキスタンがモチーフ、二階はロシアがモチーフになっている、ユニークなところですよ。安くて美味しいし」という情報を得て、ワクワクしながら足を踏み入れました。店員さんに「お二人ですか」と案内されたのが まさかのロシアモチーフの二階。なんかすごく見慣れた雰囲気です。この写真の反対側の壁には窓の絵が描いてあり、なぜか写真のおじいちゃんとおばあちゃん(ロシア人)がこちらを覗いていました。ちょっと怖かったので写真は撮っていません。若干モスクワでの日常を思い出しつつ、一階は席がいっぱいだったのかと自分たちを納得させました。

注文もロシア語で(多分店員さんもロシア人)、難なくこなせます。まずはサラダ。 山盛りのチーズと、キノコのスメタナ(サワークリーム)和え。旦那が食べたかったそうです。いやもうここロシアやん。

私がメインで頼んだのはチキンでした。 めちゃくちゃ美味しかったです!この国で食べるお肉は本当に美味しい気がします。そして写真を撮る直前で気付いたのはお皿の文字。おそらく「サマルカンド」と書いてあります。

かなり量が多くて、お腹がはちきれそうになったところで思い出しました。ニギナさんが「ウズベキスタンでは食事の量はかなり多いです。無理して全部食べる必要はありませんよ。ウズベキスタン人にとっても多いくらいですから」と言っていたことを。そういえば行きの飛行機(ウズベキスタン航空)での機内食も多かったな。

美味しい料理を食べながら旦那とこの数日間のウズベキスタン旅行を振り返りました。明日の朝にはもうサマルカンドをでます。寂しさを抱えつつ、お支払いを済まして階段を降りると

ショーの真っ最中でした。次来るときは絶対一階で食べることを心に決めます。

レストランからは少し離れていますが、レギスタン広場の夜がものすごく綺麗だったので何枚か写真を紹介してサマルカンド最後の夜を締めくくりたいと思います。 日が沈むところ。 ティラカリメドレセの中。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

サマルカンドペーパー

Привет!

楽しかったサマルカンドでの一日も次が最終目的地です。一番初めに訪れたアムール・ティムール廟で聞いたサマルカンドペーパーの工房へ連れて行ってもらいました。

普段サマルカンド市内のタクシーは一回一人3000スム(30円くらい)です。かなり近場であれば1000スムと書いてありますが、その辺りは運転手さんとの交渉次第です。さて、ウルグベク天文台の前でタクシーを拾い、ニギナさんが運転手さんと交渉してくれました。「少し遠いので一人5000スムだそうです。まけてくれませんでした!」とおっしゃっているので、どれくらい遠いのかなあと呑気の考えていると、どんどん市街地から離れていきます。一歩市内から出るとのどかな住宅地なのですが、悪路も悪路、交通量も少ないわけではなく「これ地元の人以外運転できないだろうな」というところを20分近く走ってくれました。これは5000スム要求するわ。

というわけで、サマルカンドペーパーのコニギル・メロス工房に到着しました。

工房の脇には小川が流れており、たくさん白樺も生えていて全く違う国に来たような感覚になります。

そもそもサマルカンドペーパーとは、というところからお話ししますね。世界史を勉強した人は「タラス河畔の戦い」や「製紙法」という用語を聞いたことがあるのではないでしょうか。タラス河畔の戦いという、唐(現在の中国)とアッバース朝(イスラム帝国)が中央アジアの覇権を巡って争った戦争で、唐が負けたことにより中央アジアのイスラム化が広まりました。そして中国人の捕虜の中の製紙職人がいたことにより、ここサマルカンドに紙の作り方が伝わることになった戦いでもあります。

しかし当時、中国で文字を書くときに使われていたのは筆。対してイスラム世界では木の棒や羽根のような先の尖ったものが使われていました。そうすると中国のやり方で作られた紙を使うと破れてしまいます。そこで試行錯誤して独自の技術が発展し、完成したのがこのサマルカンドペーパーだそうです。ティムール廟のように壁の模様で使われたり、水を弾いたり、破れにくかったりとかなり強い紙です。

しかし19世紀には西洋の製紙技術が入って来たことによってこの技術はどんどん消えてしまい、最後の工房が営業を終えてしまいました。今回私たちが訪れたのは1998年にUNESCOの支援のもとにかつての技術を再興して作られた工房です。

私たちが訪れた時も、何人かの人が働いていました。 まず、写真のような釜で桑の枝を煮ます。そして柔らかくなって来たところで、一つずつ、人の手で硬い皮から柔らかい薄皮を剥がしていきます。

お姉さんはナイフを使ってどんどん剥がしていました。あまりにも速いので簡単そうに見えましたが、実際やってみたら手を怪我しそうです。

この薄皮をもう一度煮て、繊維をもっと柔らかくします。 そして次に工房横の小川と水車の出番です。

この建物へ伸びている木の棒が、水車が回るたびに上下して、建物の中で杵の役割をし、よく煮た薄皮の繊維をほぐすのです。

よくほぐれたら、水に溶かします(水を大量に使うので、小川があるのですね)。何か色をつける場合はこの時に。自然由来(果物や野菜など)の色だそうです。そして和紙制作のように、木枠ですきます。 十分水分を落とし、右側の作業台の上で重石を乗せて平らにし、壁や窓に貼り付けて乾燥させます。 乾いた紙を持つお兄さん。お兄さんの左横の板に、まだ乾いていない紙が貼り付けられています。

乾いてもまだでこぼこしているので、動物の角や石、貝殻などを使って一生懸命紙の表面を擦ります。 この作業は私たちもやらせてもらいました。かなり力を入れて擦らなければなりませんが、すでに擦ったところは目に見えてすべすべになるのでやりがいがあってものすごく楽しかったです。

これで完成。左がサマルカンドペーパー、右がコピー用紙です。サマルカンドペーパーはにじまないので、プリンターで印刷もできます。

工房の横にはお土産やさんもあって、本当にさまざまな紙製品が置かれています。ここで定番のノートやポストカードだけではなく、お財布やカードケースなどの小物や紙で作った人形、そしてなんと服まで売られていました!水でダメにならないので、洗濯もできるそうです。

服以外はそこまで単価も高くないので、お土産をたくさん購入。ついでにここで見学料も払いました。おみやげものやさんを出ると、なんとお茶とお菓子まで用意してあります。 景色もいいので、本当にいい気分になります。

ガイドのニギナさんは工房の人と親しく話していたので「お知り合いですか」と聞くと「昔ここでバイトしていたんです」とのこと。いい縁ですね。

さあ、市内へ帰ります。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

ウルグベク天文台

Привет!

朝起きたら本当に一面の銀世界でびっくりしました。雪が全て溶けてしまっていた昨日までは12月にあるまじき光景だったのに…。気温も-1度でそんなに寒くありません。有難い。

さて、サマルカンドで一番行きたかったシャーヒズンダ廟群を出た後は、近く(といっても車で5分くらい)にある「ウルグベク天文台」へ。 モザイクのモチーフはもちろん星です。

もう何回も登場しているウルグベクですが、ここで改めて説明を。ティムールの孫として「偉大な指揮官」を意味する名前が付けられた彼は、10歳で結婚、15歳の時からサマルカンドの統治者になります。ただ彼はティムールのような為政者というよりは学者であり、天文学をはじめとしたさまざまな学問に通じ、芸術への造詣も深かったと言われています。しかし、宗教が全ての時代です。科学は神を冒涜するとして、ほかの指導者たちが彼の息子を騙し、父親であるウルグベクに刺客を向けさせました。わずか55年の人生でしたが、彼がこの世に残したものは計り知れません。

彼は観測した結果、一年は365日6時間10分8秒だと言いました。現代の技術では1年が365日6時間9分9.6秒だとわかっているそうで、ウルグベクの計算と1分も変わりません。彼が生きていたのは1400年前半。彼がその計算をした天文台がサマルカンドの何処かにあるという話だけが残っていました。

1908年にロシア人のアマチュア考古学者、ヴィヤトキンがさまざまな条件から考えて地面を掘って、見つけたのがこの天文台です。 これが地面に埋まっていた観測装置です。これだけ見たらなんのこっちゃな写真ですが、実はこう見えて深さが11mもあります。実際観るとあまりの大きさに一瞬足がひるみました。これを発見したヴィヤトキンは一躍有名になり、のちに亡くなった後彼のお墓はこの天文台がある丘に作られました。今も綺麗に残っています。

天文台自体はこの装置が全てですが、天文台の向かいに立っている博物館へ行くとここのこと、ウルグベクのことを知ることができます。 この立派な建物が博物館です。展示はシルクロードの説明やティムールの辿った道、サマルカンドで書かれた古書の展示など興味深いものがたくさんありました。 学問の博物館なので、タシケントで購入した書見台の正しい使い方が示されていて興奮する私たち。 そしていつも博物館では退屈そうな旦那も、ニギナさんの説明を受けながらだととても楽しそうだったので、やはりちゃんとした説明は大事だと実感します。 この博物館のメインである天文台については模型付きで詳しく展示されていました。上の写真はかつての姿の資料に基づいた想像だそうです。現代でもありそうな感じです。 そしてその横にはあの巨大な滑り台…ではなく観測器(六分儀)の使い方がわかる断面模型付き。資料では元々の高さは40m、弧長は63mだと残っていました。つまり、もともと地上にあった30m分は崩れてしまっていたのです(模型の人がいるあたりが今の入り口)。そりゃ考古学者たちがなかなか見つけられない訳です。使い方は、左上の小さな穴から差し込む太陽光が時間によって六分儀のどこに来るかを計測したそうです。ちゃんとこの模型の横には当時の様子を絵で描いてくれていたので、分かり易かったです。 まあこれを見ても、天文学はおろか数学とも小学生で喧嘩別れした私からすると一年の正確な時間の計算方法はわかりませんが、600年前に成し遂げていたウルグベクの偉大さがわかります。のちに彼の弟子によってヨーロッパ世界にこの技術が伝えられ、ウルグベクの名前は有名になりました。

こんな風に本で残っています。 こじんまりとはしていましたが、情報量が多く清潔で見やすい博物館でした。

出てきたら青い空に月が出ていて、この月をウルグベクはここから見上げたりしたのかなあ、と思うと少し涙が出そうになりました(サマルカンドでは涙腺が緩めです)。

さあ、そろそろ最後の目的地へ行きます。

Пока! にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

シャーヒズンダ廟群

Привет!

前回の記事にガイドさんのことをかなり書いたので(事前に承諾済みではありましたが)、記事を送ったところ「名前を出してもいいですよ」と言ってもらったので今回からお名前で書こうと思います。

お昼を食べた後、目指したのはシャーヒズンダ廟群!初めの打ち合わせ時に「どこか絶対行きたいところはありますか?」とガイドのNさんことニギナさんに聞かれ、答えたのがここ。 ティムールさんゆかりの人たちの廟が集まって街のようになっているのです。ここの写真をどこかでみて、絶対行ってみたいと思っていました。私の答えを聞いたニギナさんは「そこはレギュラーコースに入っていますよ」と笑顔で言ってくれました。

この廟群は旧市街のはずれ、アフラシャブの丘にあります。アフラシャブの丘は今ではこんな 草も生えていない土地ですが、かつてチンギスハンに滅ぼされる前のサマルカンドの中心地だと言われているところです。現在はシャーヒズンダ廟群のとなりにソ連時代から使われている墓地が広がっています。

入り口はこんな感じ。左に見えているドームは、シャーヒズンダ廟群入ってすぐの階段途中にある15世紀に作られた廟です。誰の廟かは諸説あります。

入り口のアーチのところで入場料を払いました。チケット売り場の向かいの壁には、イスラム教の礼拝の時間が書かれています。一日5回。すこし緩いウズベキスタンでは、5回のお祈りを1、2回にまとめてしまう人も多いそうです。人生色々ありますよね。

そしてすぐに階段が伸びています。 この階段、段数を数えながら登り降りし、行きと帰りで同じ数だったら幸せな人生になるそうです。もし違ったら、と怖々尋ねると「もし段数が違ったら、その人は悪い人です」…まさかの人格から否定されるみたいです。ニギナさんは笑いながら「私はいつも合わないので数えるのをやめました」と笑っていたので、あまり深刻に捉える必要は無いと思います(ニギナさんはすごくいい人ですし)。ここでは段数は言いませんが、大事なのは「合っていること」だそうです。それが35段でも40段でも。

私も旦那もぶつぶつ段数を数えながら登ります。 登りきると綺麗な景色が広がっていたので、危うく数字を忘れるところでした。 ここから現代の墓地がよく見えます。ロシア正教の人には墓石があり、イスラム教の人には墓石ではなく木の棒を目印にしていたのが印象的でした。

ここも全て修復したので、今の美しさを堪能することができています。手前の廟はティムールの部下のもので、有名な人だったのでかつての姿が資料で残っていましたが、奥の廟は誰のものかわからず、またかつての姿もわかっていないのでそのままだそうです。

中ももちろん美しいのですが、面白かったのはかなりシンプルな内装のものと、反対にとても凝った装飾がされているものがあったことでした。主にシンプルなものは男性の、凝ったものは女性のものだそうです。中でも本当に美しかったのは(確か)ティムールの妹を祀った廟。 白を基調としていて、これまで見たものとはすこし違っていたのが良かったのかもしれません。

天井も本当こ美しくて、口を開けてずっと見上げていました。

また、サマルカンドらしい青一色の(でもちゃんと模様が書かれている)廟もありました。 おそらくティムールの妃を祀った廟です。なぜ彼女たちがアムール・ティムール廟に入っていないかというと、男女でお墓は分けていたからだそう。やはりそこは厳しいですね。

壁も綺麗でした。

この廟群を抜けると、シャーヒズンダのメインストリートに出ます。そもそもシャーヒズンダとは「生ける王」という意味です。墓地につける名前としては面白いですね。

こちらがメインストリート。今通ってきた道を撮影しました。この後ろにもまだ廟とモスクがあります。

もう廟の美しいタイルの虜になっている私にとっては天国のような場所でした。

すこし奥まったところに、モスクがあります。ちょうど私たちが訪れた時は3回目の礼拝の時間だったようで、沢山のイスラム教徒の人たちが入ってきました。そのうちの一人がお祈りの言葉を朗々と唱えるのを私たちも一緒になって聞きます。後からニギナさんが教えてくれたのは「普段は僧がいて、その人に何か心配事を告げてお祈りをしてもらいますが、今みたいにいない時でもみんな言葉を覚えているので、誰かが率先して唱えるのです」ということでした。

そのお祈りの部屋の壁はこんなに鮮やかでした。また、ここから格子越しに預言者ムハンマドの従兄弟、クサム・イブン・アッバースの墓石が置かれています。その横に白い壁の部屋がありました。そこはかつては武器庫として使われていたそうですが、今はお祈りを終えた信者の人たちがそこへ入り、お金を置いて行っていました。

また、途中の廊下に半開きになっているドアがあります。奥は真っ暗ですこし怖いのですが、厳格なイスラム教徒の人は40日間ほど誰とも触れ合わずに、このドアの向こうで一日中お祈りをしたそうです。今はそれぞれの自宅で、家族以外の人と会わずにこの儀式をするようになっています。

素敵な写真もいっぱいとって、満喫したのでそろそろここを出ることにします。帰りの階段も必死に段数を数えて…無事旦那と私の二人とも行きと同じ段数になりました。

さあ、次の目的地へ向かいます。

Пока! にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

サムサを食べながら

Привет!

題名を書いたら、私の携帯は「さむさ」を「寒さ」としか変換してくれませんでした。いや、今年めっちゃ暖かいで。

さて、サマルカンドでスザニ(刺繍)工房を出るとちょうどお昼時でした(ガイドさんと朝あったときに「お昼は何時くらいがいいですか?」と聞いてくれていたのです)。ガイドのNさんのオススメレストランに!とお願いすると「ウズベキスタン料理でまだ食べていないものはありますか?」と聞かれました。うーん、ラグマン(うどんみたいなの)はタシケントのバザールで食べたし、プロフは次に行く街、ブハラが美味しいって聞いているし、サマルカンド・ナンはいろんなお店で付け合わせとして出て来ているし…というところで思いつきました。「サムサ!サムサが食べたいです!」

レギスタン広場の前でタクシーを捕まえ、オススメのサムサ屋さんに行く途中で「サムサも実は街によって少し違うんですよ。基本的にサマルカンドのものは小麦粉と水で作る生地を薄く伸ばして、それを何枚も重ねて、中にお肉を入れるんですが、タシケントやブハラではもう少し分厚い一枚の生地だったりもするんです。なので他の街でも食べてみてくださいね」…タシケントでも食べれば良かった!

そうこうしているうちに着きました。 見るからにサムサとシャシリクの専門店です。

中に入るとすぐ右手が厨房になっており、左手に食事をするホールのような場所があります。そこで食事を楽しんでいるのは明らかに地元の人ばかりです。Nさんが厨房に声をかけてくれて、なんとサムサを焼いているところを見せてもらえることになりました。 小麦粉と、中に肉と一緒に入っている玉ねぎ(シャシリクの付け合わせにもなります)。

そして奥の釜の蓋をあけると…(集合体恐怖症の方は閲覧注意です) サムサがいっぱい!ナンと同じで釜の壁に貼り付けて焼いています。思わず「これ取るとき落ちないんですか…?」と聞いてしまって笑われました。

ホールの方に行って適当な空いている席に着くと、もちろんメニューはなく、若いお兄ちゃんが「どうします?」と聞いて来ました。Nさんは私たちに尋ねながら、サムサとシャシリクを頼んでくれます。落ち着いたので、机の上に置いてあったペプシのペットボトルに入った水らしき液体を飲もうとコップに注ぎかけたところで「それ、お酢ですよ」とNさんに止められました。いや、うん、日本じゃあるまいし水が用意されてるなんて珍しいなって思ったんです。

先ほどのお兄さんがまたやって来ました。 サラダがもし欲しければここから取るのだそうです。サムサとシャシリク以外は現物で回ってくるからメニューがなかったのか。ほとんどがビーツとマヨネーズを使っていて、ロシアの前菜を思い出しました。

ここでやっとNさんと私たちでお互いのことについて話しました。今まで書いてきたNさんのセリフは、ほとんど実際話されていたのと変わりません。本当に流暢な日本語でガイドをしてくれるのです。また、ちょっと言葉に詰まった時も「なんでしたっけ…」と日本語で場を繋ぎます。また私たちからの突発的な質問にも的確に答えてくれるので、今ロシア語を勉強している身からするとこれまでの努力が見えるようで、本当に尊敬しかありません。しかも聞くところによると日本に留学したことはなく、旅行で行ったことがあるだけとのこと(来年、国費での留学の試験に合格されて日本に来られるそうです)。

そんなNさんに「日本語を勉強しようと思ったきっかけは?」と聞いてみました。彼女が通っていた大学で日本人の先生の日本語の授業が面白いと聞いて履修してみたのが始まりでした。それまで日本にも日本語にも興味はなかったそうですが、その先生の授業を取って行くうちに「日本語で食べていきたい」と思ったのだとか。その先生はかなり厳しくも本当に熱心で、はじめ何百人かいた履修生は終了時には20人ほどになっていたそう。しかし、その先生曰く「ウズベク人がウズベキスタンで日本語を使える一番の道はガイド」ということで、はじめは道行く日本人に声をかけて無料でガイドをし、その観光客と先生でフィードバックをしてもらって練習を積んだ、という話を聞かせてもらいました。その先生に習ったNさんを含めた生徒さんたちは、今ガイドとして第一線で活躍しているそうです。

サムサが来ました。上に穴を開けて、左下のスパイシーなソースを入れたり、右上に写っているお酢をつけて食べます。…一言で言えばミートパイなのですが、これがもう本当に美味しかった!少し表面は硬いけど、中はサクサクの皮に、中のミンチが本当に合うのです。焼きたてということもあって熱いですが、思わず「幸せ…」という声が出るくらい堪能しました。モスクワにもサムサはありますが、この質のものはここでしか食べられないんだろうなあ。

食べながらも話は続きます。Nさんは本当に素晴らしいガイドさんで、これまで経験をたくさん積まれて来たんだろうな、と思いました。少し手違いでトラブルが起きた時もさまざまな方法できちんと解決し、私たちの反応をしっかりみて何を説明してどこを観光するかも決めておられるようでした。これまで旅行していて、これほど安心して観光できたのは初めてです。

シャシリクも来ました。これも付け合わせの玉ねぎが全く辛くなく(時々めちゃくちゃ辛いものがあります)、シャシリクの味を引き立てていました。

お腹もいっぱいになって、いろんなお話で心もいっぱいになって、次の目的地へ行きます。

Пока! にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

スザニ体験

Привет!

せっかく積もった雪が溶けてきて、地面が見えています。今12月だよね!?去年と違いすぎて戸惑う毎日@モスクワです。

ウズベキスタンでは、至る所でスザ二と呼ばれる刺繍のお店を見かけました。 こちらが現地で買ったスザニのクッションカバーです。これは二色ですが、お店の壁一面にかけてあったり、棚に山と積まれていたりするスザニはカラフルで、とても見ていて楽しかったです。

例にもれず、レギスタン広場の各メドレセでも一つの部屋丸々スザニで埋め尽くされている、ということがざらにありました。一応お店なので買ったところ以外では写真を撮らないようにしていたのが仇となって、そんなお店の様子を写真に撮り忘れていたことに今気がつきました。ぜひ現地で見てください。

不器用で細かい手作業は苦手なくせに、こんな美しい刺繍を見たら挑戦してみたくなります。そして私の小さな「やってみたい…」というつぶやきを聞き逃すガイドさんではありません。「この近くのタシケント通りに、私の知り合いのスザニ工房があるので、行ってみましょうか。運良く奥さんがいれば教えてくれますよ」と連れて行ってもらいました。

工房が集まっている建物。ここの二階にお知り合いのスザニ工房があります。

ちょうどこの建物の入り口で、お昼ご飯を食べに出ようとしているお店のご主人とすれ違いました。慌ててガイドのNさんが「この人たちがスザニをしたいそうです、お店に奥さんはいらっしゃいますか」というようなこと(多分)をウズベク語で尋ねてくれます。ご主人はその場でお家にいたであろう奥さんに電話をかけていました。ああ、なんか私たちのためにすみません。

奥さんを待つ間、お店の中を見せてもらいました(今から思うとこの時に写真を撮らせて貰えば良かったのです)。とりあえずお土産で買って帰るクッションカバーを選んだところで、奥さんがお店に到着しました。

店の隅にあるチャイハナのような靴を脱いで上がるスペースに、糸と布が置かれています。 奥さんはそこに座って私を呼び、カバンの中から何枚か図案が鉛筆で描かれている布を並べて、好きなのを選ぶよう言いました。

スザニの柄としては、いくつか決まったモチーフがあります。草木や花、月や星などもよく使われますが、一番よく目にしたのはザクロ。1枚目の写真のスザニにも、水色のザクロが描かれています。ザクロが象徴するのは子宝(中に粒がたくさん入っているからですね)。そしてサマルカンドの次に訪れたブハラでよく見かけたのはアーモンドでした。これは富を象徴します。

そもそもスザニは嫁入り道具の一つとして、娘が生まれた時からお母さんが縫い始めるのだそうです。もちろん結婚前は娘本人も刺繍をします。なので子宝や富といったモチーフがよく使われるのです。

今ではこの奥さんの元に何人も女性が集まって、一緒に商品を作っているそうです。サマルカンドの少し郊外にあるご主人の実家が大きな工房なのだそう。そしてここでもJICAのSさんのお名前が!彼女もそのお家に通い、何ヶ月もかけて作品を作っているそう。

私が一枚の図面を選ぶと、奥さんが実際に見せながら手順を教えてくれました。この刺繍をする布は、ある村で伝統的に目の不自由な人たちが作っているものです。木綿とシルクの二種類がありますが今回は木綿でした。また使用する糸も木綿とシルクがあり、どちらも手染めでこんな鮮やかな色をつけているそうです。今回は体験なのでこれも木綿で。

奥さんが昔作った、同じ図案のもの。お手本です。 線の部分はチェーンステッチになっています。この作業はかつて高校の家庭科でやった気がしますが、思うように手が動きません。私が一針縫っているうちに、横で奥さんが10針くらい進めていました。面の部分は、上から下に長く糸を通し、そこに巻きつけるようにして縫う感じです。細かい部分は全て奥さんがやってくれたので、忘れないようにビデオを撮らせてもらいました。

そうこうしているうちに彼女の息子さん(小学校中学年くらい)が家の鍵を取りに工房にやってきました。彼も刺繍ができるそうで「ここら辺のは僕が縫ったんだよ」と教えてくれます。そしてちらっと私の縫っているのを見て、何か言いました。ウズベク語で私は分からなかったのですが、それを聞いたNさんは大笑い、奥さんも苦笑いしています。なんて言ったのか尋ねると「初めてにしては上手いね」と一丁前に褒めてくれたのでした。ありがとう、あなたには敵わないけどね!

そろそろ次の場所に行かなければならないので、やりかけでしたが辞めなければなりません。奥さんが「帰っても続けて!」と、その布と針、そしてモスクワではこの糸は売っていないだろうからとこの布に使う分だけを丸めて持たせてくれました。 奥さんはロシア語が話せなかったので、ずっとNさんに通訳してもらいましたが、ウズベク語も勉強したくなりました。

私が体験している後ろではご主人とうちの旦那がロシア語でずっと話していました。曰く、インターネットショップもあって、よく日本にも輸出しているのだそうです。でも値段がかなり高いので、ここまできた方がお得だよ、とのことでした。

すごく素敵な家族で、伝統手芸も体験させてもらって、本当にいい時間になりました。またサマルカンドへ行った時は会いに行きたいです。

Пока! にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

ウルグベク・メドレセ@サマルカンド

Привет!

雨か雪かわからないものが降っているモスクワからお届けします。気温高いなあ…これなら年越し赤の広場でもいいかもしれません。

さて、話はウズベキスタンの古都、サマルカンドに戻ります。前回紹介したレギスタン広場にある3つのメドレセの中で詳しく紹介しなかった、ウルグベク・メドレセについて。 ティムールの孫、天文学者のウルグベクがこの広場に最初に作ったこちらのメドレセは、入り口のアーチに青い星をモチーフにしたタイル細工が施されています。さすが天文学者です。

そして本当にアーチが巨大。思わず口を開けて見上げてしまいます。アムール・ティムール廟のところでも書きましたが、こうやって権力を誇示していたのだなあと思っていると「ウルグベクはあまり権力に興味がなかったので、実用性からだと思いますよ」とガイドさんに教えてもらいました。ちなみに彼のおじいさんのティムールの廟の入り口にはアラビア語でこんなことが書かれているそうです。「世界に見放されて死ぬより、世界を見放して死んだ方が幸せだ」つまり自分から行動を起こさず何かが起きるのを待つより、ティムールのようにしたいことをどんどんやって人生を謳歌した方がいいよ、ということだそうです。流石に今から民衆の先頭に立って領土を広げようとは思いませんが、印象に残る言葉でした。

さあ、ウルグベク・メドレセの中に入りますよ! 中の広場には木が植えられていて、素敵な空間でした。夏には大統領が国賓をここに招いてお食事会をすることもあるそうです。

ここはウルグベクのメドレセなので、通常読み書きと神学だけを教える他のメドレセとは違って、天文学や数学など他の教科も教えていたのだそうです。入学は難関で、試験は面接でした。面接官は先生だけではなく今すでにここで勉強をしている学生や、時にはウルグベク自身だったそうです。学生は一人又は二人で各部屋で生活していました。先生も同じところに住んでいます。多い時には100人以上も学生がここで暮らして学んでいたというのですから、建物が大きいことも、それに合うような入り口のアーチが 大きいことも納得できました。

奥には礼拝堂があり、現在でも見学することができます。靴を脱いで入りました。 ミヘラブと呼ばれるこの壁のくぼみはメッカ(聖地)の方向を表しており、ここに僧が立って訓戒するそうです。

周りはお土産物屋さんがたくさんありますが、このミヘラブの右側にまだ少し建物が続いていました。 そちらの天井には、星座が描かれていました。修復後に新しく作られたものですが、ロマンチックです。その下には月のクレーターの写真が。なんとウルグベクさんの名前がついたクレーターが複数あるそうです。

そしてやっぱり肖像画もありました。 これもティムール廟から出てきた遺骨を元に、ロシアの画家が描いたものです。ティムールの肖像画と同じ画家さんの作品ですね。周りには彼がどれほど聡明で、ヨーロッパにまでその名前が知られていたことを表す絵や本の展示もあります。

それらを説明を聞きながら見ていると、奥からお土産物屋さんのおばちゃんに「見て行って!」と声をかけられました。店の奥には細い階段があり、登っていいよ、という言葉に甘えて行ってみると どこかの居間のようなスペースがあります。後から来たガイドのNさんに写真を撮ってもらったりしてひとしきり楽しみました。

それにしてもここの美しいタイルには本当に目を奪われます。そんな私たちを見て、Nさんは「タイル工房に行きましょうか」と連れて行ってくれました。なんとこのウルグベク・メドレセの一部屋にその工房はあったのです。 日本語!!!!聞くところによると、昨晩晩御飯をご一緒したJICAのSさんが制作されたものだそうです。

中に入るとものすごいタイルの数!何かお土産として欲しいなあと一つ一つ眺めていると、奥から職人さんが出てきました。ガイドのNさんと顔なじみらしく、なんと実際にタイル細工の工程を教えてくれるというのです! まず一口にタイルといっても、ただ線を描いているだけのもの(一番右)、それに色をつけたもの(右から2番目)、彫ったもの(右から3、4番目)、そして色々な色のタイルを組み合わせたもの(一番左)など色々あるのだそうです。そして一番難しいのが一番左のもの。これは四角いタイルを合わせていますが、もちろん色々な形のタイルを組み合わせているものも一般的です。 まず作りたい模様を色ごとに紙に書き出し、型紙を作ります。

その型紙に合わせてタイルを割っていきます。この時はトンカチで。やってみるかと聞かれましたが、粉々にしそうなので遠慮しました。

そしてそれを型紙に合わせてヤスリで削って形を整えます。 ここで形が変わってしまうと最後に合わないので、型紙から過不足なく削らなければなりません。…ずれないのがすごい。

各パーツを並べて(左に置いてある茶色いものがそれです)、石膏で固めたら完成。この作業を、何回積み重ねてあの巨大なアーチを修復したのでしょうか。気が遠くなりそうです。これ以降タイル細工を見る目が変わりました。そして入り口の看板を作ったSさんはこの職人さんのところに通ってタイル細工に取り組んでいるそうです。

お土産になりそうな小さなタイル細工を一つ購入し、工房を後にしました。いいものを見せてくれてありがとうございました!

Пока! にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村