馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

アムール・ティムール廟①

Привет!

今年の12月はこれまでで一番暖かい冬だそうです。気温が高くて喜んでいるイタリア人を横目に、他のクラスメイトと先生で「気温はすごく低くて良いから青空と太陽が見たい」という結論に至りました(良い天気の日ほど気温は低い)。現実逃避も兼ねて、晴れ渡ったサマルカンドの1日を順に書いていこうと思います。いい天気で本当に良かった!

朝、ホテルまでガイドのNさんが来てくれて顔合わせとちょっとした打ち合わせをしました。前日行ったところを伝えて、あとは定番サマルカンド観光コースをお願いします。

Nさんが初めに案内してくれたのはかのティムールのお墓、アムール・ティムール(グリ・アミール)廟です。 ここはもともとティムールの孫のムハンマドが亡くなった時に、彼をかなり可愛がって次の皇帝にと教育していたティムールが悲しみのあまり作ったお墓だそうです。かなり立派なお墓だったので、ムハンマドの一年後、中国遠征の途中に亡くなったティムールもここに葬られました。本人の希望は生まれ故郷の村に葬られることだったのですが、彼を慕っていた民衆は当時の首都、ティムールが再興したサマルカンドに葬られるべきだとしたそうです。

入り口の門からめちゃくちゃ大きくて、圧倒されました。 まあ、これはティムールの思う壺で、できるだけすべてのものを巨大に作って、自分の権力を示したのだとか。610年以上経ってもその効果は続いています。

門のすぐ横にあるチケット売り場で入場券を買います。この先、どの観光地でもプロのガイドさんは無料でした。しかもNさんは長年ガイドさんをされているので彼女と一緒の私たちは入り口でチケットの確認もされませんでした。さすがの信用です。

入り口すぐの右横には一見ただの石が置いてあります。 実はこの近くにかつて「青の宮殿」と呼ばれたお城があり(今は跡形もありません)、そこから運ばれてきたものだそうです。奥は玉座で、手前は巨大な鍋のようになっています。どちらにも細かく模様が彫られていました。

鍋の方は「遠征に行く前に兵士が石をここに一人一つずつ入れていき、帰ってきたら一つずつ取る。そうして残った石の数で、何人戦死したかを数えていた」という説をはじめ、使われ方にはいくつかの説があるそうです。この鍋を覗き込むと 何か書いてあります!古代ウズベク語かしらと期待しながらNさんに尋ねると「ここにお金を入れないでください」と書いてあるんですよ、と教えてくれました。やっぱりこういうところを見たらお金を入れたくなるのは世界共通なのですね。中の文字がかなり削れているのが気になります。

さて、いよいよ本堂へ行きます。入り口から本堂までの一本道の両端は、メドレセ(神学校)とハヌカ(宿)の跡が残っていました。そして道の中心にはビビハニム廟にもあった神聖そうな四角。いい機会なのでガイドさんに何のための四角か聞いてみると「雨水を貯めるんですよ」と返ってきました。あ、じゃあ別に踏んでも大丈夫だったのか。

ちなみにここは「八角形の廟」とも呼ばれており、それは後ろから見るとよくわかります。 こんな風に実はカクカクしているのです。こうやって曲線と直線をうまく使い分けているのが美しさの理由でしょうか。

元々の入り口は今は締め切られていて、少し左に新しく入り口が作られています。やはり直接お墓があるお堂に入るのはあまり良くないということで、この新しい入り口から入ると真っ白い壁に囲まれた廊下が伸びていました。そこにティムールの絵が飾られています。 1941年、ソ連時代に学者たちによってこの廟の墓が開けられ、その骨を元にロシア人画家が描いたものだそうです。この時その骨からいろいろな身体的特徴がわかりました。この絵の下にはティムールがどこまでどう征服したか、という地図も置かれています。

さあ、この廊下の途中を右に曲がると本堂です。 続きはまた明日。

Пока!

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