馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

10月革命100周年

Привет!

朝、いつものようにニュースをつけると スターリンが出てきてびっくりしました。ああ、10月革命からちょうど100年目だ。

ただ、よく聞いていると「赤の広場では1941年のパレードを再現します」と言っています。あれ、革命記念日じゃないのかな。またはニュースのロシア語を聞き間違えたか。そんな疑問を持ちながら学校へ行く途中にいつものようにメトロで新聞をもらいます。 「血塗られたモスクワの1917年10月」と下に書いてありました。電車の中でめくってみると、はじめの6面がもう革命の話一色です。

歴史家による何が起きたか、という話から、8歳から14歳の子達が当時書いた革命の絵(表紙もそのうちの一つ)、当時の写真から当時の街の様子(おしゃれな人も貧しい人も、子供もインテリも色々な人が集まってモスクワの目ぬき通りを行進した)、当時のスローガン集、 亡命先からレーニンがペトログラード(現サンクトペテルブルク)に牧師(!)のふりをして密かに帰還した時の話、レーニンの演説の様子、サンクトペテルブルクの冬宮(臨時政府があった場所)での暴動の話、「彼らがいなければ達成しなかった」という見出しでレーニン、スターリン、トロツキーなどのバイオグラフィー、という具合で革命についてはこれ一部を読めば大体分かるくらい、たくさんの記事が書かれていました。

もちろん、学校でも新聞記事を読んだり、革命についてみんなで話したりしました。全部の記事は読めないので、バイオグラフィーを読みます。全員本名ではないことは知っていましたが、スターリンとは「スチール」という意味の言葉で、力強さを演出するためにつけられたであろうこと、またグルジア出身の彼はロシア語がまだ上手ではなかったために10月革命ではそんなに活躍できなかったことなどを始めて知りました。若い時のスターリンがかなり格好良かったことも。 家に帰ってきて、気になったのでテレビをつけると、赤の広場で行われていたのが1941年に「10月革命24周年」としてスターリンが開いた軍事パレード(当時はドイツが攻めてきている中、国民を団結するために開いたのでしょう)を再現するもので、2003年から行われていることを知りました。あれ、去年あったっけ。「歴史的にモスクワを守ってきた人」をテーマにした寸劇が行われ、馬上で戦う人々や、第一次世界大戦で戦う人々、革命の指導者なども再現されたようです。

また、ロシア共産党はプーシキン広場から革命広場まで行進しました。 共産党の演説もニュース番組で中継されて、なかなか画面が赤いなあと思いながら見ました。それにしてもソ連が74年続いたのは長いと見るべきか、短いと見るべきか。革命でロシアが(ソビエトが)理想的な国家になると夢見たレーニンは、100年後に社会主義国家が崩壊していると知ったら何を思うのだろうか。

先生がクラスメイトに「革命はするべきだったか、過ちだったか」という質問を投げかけると、みんな口を揃えて「過ちだった」と答えました。そのまま先生に「ところで今のロシア人はどう思っているのか」と聞き返します。先生は「多分何も思っていない。あれは歴史の一部で、起こった事実として受け入れている。みんな今のことしか、自分のことしか考えていないわ。100年前のように『未来のこの国のために』ではなく、未来もこの国が発展するために、自国の農家や酪農家の作ったものを値上げします、といえば『ああ、私には高すぎて買えない』ってみんな言う。まず『私』が先に来るのよ。自分の今の生活について『あの革命のせいだ』とか『革命のおかげで良くなった』とか考えてはない」と答えていました。でも、と続きます。「でも、ソ連時代に、素晴らしい芸術家や学者たちが『労働』が一番のソ連の思想に合わないからと殺されたり迫害されたことに関しては、みんな後悔しているわね。みんな同じように考えるようになってしまって、飛び抜けた人がいなかったために、国の発展が遅れたのだと思う」

そのまま、私に「日本は大きな革命…国がひっくり返るような革命はなかったよね。だから良い国なんだとおもう?」と難しい質問をされました。たしかに革命はありませんでした。江戸から明治への移行は「理想的」だとして色々な国のリーダーがそこから学んでいるそうです。でも、今日本にいるわけではないのでニュースを聞きかじる程度ですが、学者や芸術などを蔑ろにはしていないかな、とふと思いました。また、国のこれからを考える余裕がないのも同じではないか、とも。今ロシア革命を見直して、そこから学べること、今すべきことは何かを考えることが必要な気がしています。一人では無力ですが、国の体制に不満を持つ人がたくさん集まり、その中から一人飛び抜けた人が出てくるだけでそれまでとは180度体制を変えることができた国にいると、問題意識を持つことは大事だし、良い方向に少しずつ変えることはできるのではないか、と思います。

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新しいラーメン屋さん

Привет!

先日「この世界の片隅に」が二回限定で モスクワで公開されるとの情報をなぜか日本にいる父から教えてもらったので、行く気満々で予定を立てていました。20:00からだったので、行ってみたかったレストランに行ったあとで映画館へ向かおうと思っていた夕方。旦那に「チケット全部売り切れてるで…」と言われます。私たちが行こうとしていたのは2回目だったので、結局見れずじまいでした。ツイッターで検索するとロシア人が絶賛していたので、日本語でも見られる私たちではなく、ロシア語でしか見られない人たちに少しでも見てもらえて良かったのかな、と今では思っています。でも評判が良くて追加上映されたら絶対に行きます。

というわけで、昨日は元々の予定にあったレストランへ行ってきました。モスクワ在住の日本人はほとんど行ったのではないか、というくらい誰かと会うたびに話題に上がっていたラーメン屋さん、KU(クウ)です。 ラーメン好きの旦那はずっと行きたいと言っていたのですが、タイミングがやっと合って、オープンから約1ヶ月後に行くことができました。

スモーレンスカヤ駅からアルバート通りとは反対方向に5分ほど歩いたところにあるアズミットホテルの一階に入っています。オープン当初はラーメンに飢えているモスクワ在住の日本人でいっぱいだという話を聞いていたのですが、私たちが行った時は日本人はほとんどいませんでした。そういえばグルメな私のロシア語の先生に「新しいラーメン屋さん行った??」と聞かれたので、ロシア人の間でも話題なのかも知れません。私が「まだ行ってない。先生は?」と答えると「行ったとも行ってないとも言えるわね。私は二回以上行って2品以上食べないとそのレストランに行ったことにはならないと思ってるの」と言われてしまいました。

「ラーメン・イザカヤ(Изакаяとそのまま書いてあります)」という名前からは思いつかないくらいおしゃれで現代的な店内。カウンター席や、大テーブルが多い印象でした。窓際のカウンター席にはコンセントまで付いています。席に着いた瞬間に日本語メニューが出されました。喜んだのと同時に「私たちが中国人ならどうするんだろう」という思いが一瞬よぎりましたが、それでも日本語を見るだけで嬉しくなります。

まず前菜で頼んだのが2品。 蒸し鶏のネギ油ソース、という名前だったので「油淋鶏では!?」と思い頼みましたが、少し味が薄かったです。でも大丈夫。テーブルにある醤油をつけて食べるとちょうどいい味になりました。

キムチ豚チャーハンは辛すぎもせず、味がしっかり付いていて美味しかったです。卵が乗っていていい感じでした。

そして、本命のラーメン!旦那は豚骨(味玉追加)を、私はつけ麺を頼みました。豚骨は味もちゃんと豚骨で(モスクワで食べるラーメンは味が薄いのが多いのです)、スープはものすごく美味しかったです。麺は少し太めかな、と思いました。

そして私のつけ麺は こんな感じでした。食べて思ったのですが、私はこれまでつけ麺を食べたことがなかったようです。初つけ麺でした。ということで、比べることができなかったのですが、めちゃくちゃ美味しかったです。つけ麺好きの旦那曰く、スープもちゃんとつけ麺用で日本のものと遜色ないとのことでした。

替え玉までした旦那はテンションが上がって、デザートも頼むことに。 奥が抹茶ティラミス、手前がプリンです。抹茶ティラミスはどちらかというと抹茶ケーキという感じでしたが、これを食べるためにもう一度来られるレベルでした。

こんなに日本人が待ち望んでいたようなラーメン屋さんなので、日本人が開いたレストランかと思ったのですが、ノボシビルスクの実業家、デニス・イヴァノフさんがオープンしたところでした。店内では東京の街並みがひたすらビデオで流れているし、オシャレだし、オススメのレストランです。 日本語のメニューはこんな感じでした。

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民族統一の日

Привет!

昨日(11/4)は民族統一の日という祝日でした。何かやっているだろうと、イベントの時はおなじみになっている赤の広場〜トベルスカヤ通りへ繰り出します。 やっぱり。大きな舞台が組まれていました。この時パフォーマンスをしていたアカペラグループ「monkey folk group」がめちゃくちゃ上手くて、楽しかったです。 そもそもこの民族統一の日とは、と書こうとして、去年も書いていたことを思い出しました。こちら。ここでも書きましたが、ポーランドを1612年に追い出したことを記念した祝日として、2005年にできました。今年は土曜日なので、月曜日が振替休日としておやすみなのですが、うちの学校は振替休日も授業をする方針なのでお休みではないそうです。残念。ただ、はじめに「月曜日がお休み」だと聞いた時は振替休日だとは思いもしませんでした。「月曜日…ということは11月7日…あ、革命が起きた日じゃないか!」と思ったのです。

実際、ソビエト時代は11月7日に革命記念日として祝われていましたが、ソビエト崩壊とともにこの祝日もなくなります。その代わりとして2005年にプーチンさんが制定したのがこの11月4日の民族統一の日だったのです。しかしこれが歴史の面白いところで、10月革命でロマノフ王朝に変わってソビエト連邦ができました。このロマノフ王朝初代皇帝、ミハイル・ロマノフは、民族統一の日が祝っている「ポーランドをロシアから追い出し」て国が落ち着いたからこそ、新皇帝に選ばれたのです。ポーランド王がロシア皇帝の座を狙っていたので、まずは彼らを追い出すしかなかったのです。

ロマノフ王朝滅亡から100年目に、この日を祝うのもなかなか面白いなあ、と思いながら赤の広場…は入れなかったので(軍隊が行進中でした)、マネージ広場を歩いていました。 様々なところに、ロシアの色々な地方の特色をまとめた看板が立っています。これはオムスク地方ですね。

民族衣装を着た人たちが行き交う中、寒かったのでСтарорусскийというホットドリンクを飲みました。英語名はHot Russianと書いてあります。お湯にはちみつとジャムを溶かしたような甘いものでした。ロシア語の説明には蜂蜜と書いてあったのに、英語の説明には蜂蜜が一回も出てこなかったので不思議です。

トベルスカヤ広場(モスクワを建てたドルゴルーキーさんの像が立っているところ)では、極東・シベリア地方の楽器や毛皮製品が売られていました。その土地に代々伝わる遊びなども民族衣装を着た人たちが教えてくれます。 銅像の周りには色々な民族の模様だと思われる旗が立てられていて、見ていて楽しかったです。

様々な文化が混じり合って一つの国を形成しているロシア、知れば知るほど魅力的な国だと思えます。

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朝ごはんのレストラン

Привет!

昨日、自分のケータイで気温を確認していたクラスメイトが急に大きな声を出しました。「今モスクワ30度とか書いてある!寒すぎてケータイ壊れたかも!」そこでしばらくみんなで大笑いしていたのですが、もしかして摂氏と華氏の違いなのではないかと気づきました。華氏制度はアメリカやカナダだけなのですね。単位って大事だと深く思いました。距離計算(メートルとマイルなど)もなかなか困ります。ロシアが摂氏やメートルを使う国で良かった。

先日、友人に誘われて前から行ってみたかったレストランへ行ってきました。その名もCook’kareku。24時間、世界中の朝食が食べられるお店として人気です。 お店を入ったところにあるATMも、このレストランのマークが付いていました。お店自体の外見はピンクの一軒家で、マヤコフスカヤ駅からサドーバヤ通り沿いに進むと徒歩20分ほどで着きます。

学校帰りに行ったので、私がお店に着いた時には14:30でした。早めに着いていた友人によると、お客さんの出入りが激しかったそうですが、私たちが入った時には少し落ち着いていました。あまり広くない店内ですが、こだわりが見られて可愛いです。 テーブルクロスになっている紙にも世界の都市の時間帯を表すマークが付いていて、テンションが上がります。聞くところによると「注文した時に、ちょうど朝を迎えている都市のメニューは30パーセントoff」というルールがあったので、必死にこの時計を読み解こうとしましたが、根っからの文系人間のわたしには難しかったです。

メニュー自体もこんな感じ。 わざわざ読み解かなくても、都市の横にモスクワ時間が書いてあります。〜13時(イギリス)と16:00〜(アメリカ)は見つけましたが、ちょうど14:30に朝を迎えている都市が見つかりません。注文を取りに来たお兄さんに聞いてみると「ああ、ちょうど30%offの時間外なんです。すみません」と言われました。だから私たちが入る前に混んでたのか。

こうなったら全部同じなので、食べたことのなさそうな国のメニューを頼むことに。アゼルバイジャンなんかちょうど良さそうです。 メニューには(英語とロシア語が表裏でした)「卵のKyu Kyuと5種類の葉野菜、白いチーズに乾燥トマト」という説明が付いていました。 Kyu Kyuとは何か分かりませんが、とりあえず頼んでみました。来たのが写真のもの。調べてみると「きゅーきゅー」とはベジタリアン料理で、ざっくり言うとオムレツのことです。

友人は「今食べたいから」とスペインの朝ごはんを頼んでいました。 そんな予想はしていました。スパニッシュオムレツ。「色違いだね」と笑いあえたので良かったです。

この国別朝ごはんには値段が書いていないのですが、おそらく全て480p(960円)です。日本は京都の朝ごはんでした。うなぎと「たまごエッグ(卵焼き?)」、ご飯、いくらだそうです。豪華な朝ごはんやな!カムチャッカ(これは+220p)もありました。スカンジナビアやシンガポールなど、気になる国がまだまだあるので、また行ってみたいです。ドリンクも多彩でした。

内装も可愛い!下の方に少しだけ写っている店員さんの制服が可愛かったです。シャツに黄色と黒の可愛い鶏柄でした。あのシャツ欲しいなあ。バイトの募集していないかな。

そして毎回恒例、レシート入れのコーナー。 たまごでした。ひたすら卵(あるいは鶏)というテーマを貫いていて好感が持てます。

学校からも近いので、また絶対行きます。知らない国の朝ごはん全制覇が目標です。

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ロシアの迷信

Привет!

なかなか雪が積もりません。寒いのに。クラスメイトと太陽が恋しいという話をしている時に、北アイルランド出身のLちゃんに「あなたも故郷が恋しくない?」と話を振ると「いや、モスクワの方が太陽多いから、あんまり帰りたくない」という衝撃の話を聞きました。彼女の弟が小さい時(3歳くらい)に「海の色は?人参の色は?」と聞くゲームをしていたところ「空の色は?」と聞くと「灰色」と言われたそうです。たしかにモスクワは青空の日もあるのに文句ばっかり言っていてごめんなさい…。 大雨の後の綺麗な夕焼け。

昨日も書きましたが、宗教というテーマで色々なルーツを持つ人と話していると面白いのですが、本当に戦争になりかねません。私も発言にかなり気を使いながら話していたのですが、そろそろきつくなってきたなあ…と思っていたところ、話題が少しずつずれてきて「迷信」の話になりました。こういう話なら「不思議の国ニッポン」(だとクラスメイトによく言われる)出身の私の得意分野です。「夜に爪を切るな」などを嬉々として披露しました。

日本人も迷信を信じやすいと思いますが、ロシア人もよく信じるらしく「やってはいけない(あるいはしなければいけない)」ことがたくさんあるそうです。いくつか聞いたものをご紹介しますね。

まずよくある「黒猫が横切った道を通ってはいけない」…これは世界中にあるようですね。こんなに猫が好きなロシア人も言ってるのかと少しびっくりしました。かつて受験会場へ向かう道で目の前を黒猫が横切ったのですが、その試験には合格したので私は反対に黒猫が前を通るとラッキーだと思っています。

また、日本にも似たようなものがあるなあと思ったのは「家で口笛を吹くとその家にお金がなくなる」というもの。うちでは口笛を吹くと泥棒/蛇がくるとよく言われていましたが、北アイルランドでは「おばけがでる」と言われているそうです。マレーシアでは「死ぬ」…そんな重い話になるの…?このような「迷信、俗信」というのは何かしら理由や根拠があると思います。つまるところ、家で口笛を吹くと近所迷惑になるのは世界共通のようです。

もう一つ、精神性が日本と似ているなあと思ったのは「部屋の敷居越しに挨拶をしたり、握手をしたりしてはいけない」というもの。お寺の敷居や部屋の敷居は踏んではいけない、という日本のものも紹介しました。他の国(ヨーロッパ)は「初めて聞いた」と言っていたので、アジアの方特有なのかな。

反対にヨーロッパの人たちが「知ってる!」と言っていたのは「誰かが塩を机にこぼしたら、近々友達と喧嘩をするということ」。塩限定だそうです。そう思うとやはりロシアはアジアもヨーロッパもどちらの要素も持っているんだなあと興味深く聞いていました。

ほとんどのロシア人が信じているのは「左手が痒くなったらお金がやってくるということ、右手が痒くなったら近しい人と偶然に出会うということ」というもの。左手はお金を受け渡しする時に使い、右手は握手する時に使うので、もうすぐ使うことになるよーと手がアピールするのだそう。自分の手が可愛く思えてきます。これを聞いてイタリア人が一生懸命左手を掻いていました。

また「家を出てから忘れ物に気がついても家に帰ってはならない。その後悪いことが起きる」というものもあります。先生は完璧に信じているそうです。「だって前忘れ物したから戻ったら、約束に遅れちゃったの!大事な約束だったのに。悪いことが起きるって本当だった」…いやそれは一回家に戻ったから時間がなくなったのでは…と思いましたが黙っていました。ちなみにこの迷信には逃げ道があるそうで「家に戻った時、鏡を見て笑顔を作ると、悪いことは起きない」そうで、ほとんどのロシア人はしているのだとか。プーチンさんがしているところを考えると、なんだか優しい気持ちになれます。

また「女性にハンカチや真珠のネックレスはあげてはいけない。もらった人が泣くことになる」というのもありました。 これを全部考えながら生活するのは大変ですが、ちょっと気をつけてみてもいいかもしれない、と思いました。

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кафе насущный

Привет!

今日は太陽が顔を出していました!それだけで嬉しくなるので、幸せだと感じるボーダーが日に日に下がっている気がします。今週の授業のテーマは「宗教」なのですが、クラスメイトが少しずつ信じているものが違い、今にも小さな宗教戦争が起きるのではないかと毎日ドキドキしながら授業を受けていました。日本にいるとあまり宗教の話にならないというか、初対面の人に「どの宗教を信じていますか」などと聞こうとも思わなかったので、カトリックの教会で言っていることが正しいかどうかで熱く議論しているクラスメイトを見ていると、一歩間違えると争いに発展するのも不思議ではないと思えます。ところで、ローマをロシア語では「Рима(リマ)」というのがまだ慣れません。

ロシアにはいくつかカフェがありますが、その中でも街中でよく見かけるカフェがこちら。 これは赤の広場横、1812年祖国戦争博物館の奥の小道にある店舗です。前を通る度にこじんまりとした可愛さが気になっていたのですが、ある時2時間ほど時間を潰さなければいけなくなったので入ってみました。

Кафе насущный(カフェ・ナスーシュヌイ)とは「日々のカフェ」という意味。「毎日になくてはならない」を意味するнасущныйという単語が店名になっているのはなんだか素敵です。あまりにもこじんまりとしていたので個人経営の店かと思っていましたが、一度他のところでこのロゴを見かけたと思ったら、いろんな駅前で見るようになりました。チェーン店だったようです。 中に入ると、映画のワンシーンにでもなってそうなくらいおしゃれでした。パンやお菓子、ケーキなどがたくさんショーウィンドウに並んでいます。

赤の広場脇のこのお店では、コーヒーと特定のパンのセットなどが用意されていました。時間つぶしが目的だったので、本を読みながらコーヒーとドーナッツ(ロシア語ではпончики:ポンチキ)で110pのセットを頼みます。 この店舗に限らず、どこでも机や内装が可愛いのです。黒板に手書きの文字っていいですよね。

この前行った時には秋のメニューが出ていました。そこに大好物のかぼちゃラテを発見して注文!一緒に行った友人は抹茶ラテを頼んでいました。どちらも270pほど。 かぼちゃラテには一瞬見えませんが、明らかに抹茶ラテではない方です。お味は…あまり甘くなくて、ちょっと思っていたのと違いましたが美味しかったです。そういえば、ロシアのかぼちゃってあんまり甘くないということを昨秋学んだのに忘れていました。抹茶ラテの方は、ロシア特有の甘すぎる抹茶ではなく、日本の抹茶に近かったです。…もしかしてこのお店全体的に甘さ控えめなんだろうか。

そしてお会計をお願いすると、まさかのキッズメニューに挟まれてレシートが運ばれてきました。 たまたまレシート入れを切らしていたのか、この店舗の方針なのかは分かりませんが、少し面白かったです。最近の趣味はレストランによって違うレシート入れの写真を集めることです。

おしゃれで手軽に入れるカフェ、おススメです。

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ノヴォデヴィチ墓地

Привет!

先日、やっと私のiPhone5SもiOSのアップデートをせよとのお達しが来たので実行しました。それが10月29日。アップデートが完了してから、また色々と変わったなあ、慣れないなあと思いながら使っていると気づきました。あれ、simカードでの通信ができていません。つまり、Wi-FiがないところではLTEも4Gも3Gでさえ通じていないらしいのです。…困った。もしかして通信制限だろうか?それなら11月に入るまであと3日ほどの我慢だし、家でも地下鉄でも学校でもWi-Fiはあるからいいか、と思っていた日曜日(29日)の夜、家のWi-Fiの調子がおかしくなって通じなくなりました。結局、そこから2日ほど地下鉄に乗った時と学校にいる5時間ほどしか通信ができなくなったのです(それで月曜日にブログが更新できませんでした)。流石に不便で、31日の学校帰りになんとかならないかと携帯ショップに寄ってみたのです。インターネットが通じなくなった、と言ってケータイを渡すと、店員さんはものの3分ほどで「直りましたよ」と返してくれました。感謝を伝えて意気揚々とお店を出た時に、原因を聞き忘れたことに気がつきましたが、まあいいやとコントロールパネル(下の写真)を立ち上げて、使わない機能をいつもの癖で消しました。…通信が切れます。 この緑のマークが意味するところをわからずに消してしまったのですが、慌てて検索してみると、これが通信のオンオフボタンだと知りました。つまりこれを消してしまっていたのでこの2日間不便な思いをしていたようです。これくらいのことで渡された店員さんも呆れただろうなあ。普通に通信したい人はこのボタンを絶対押さないでくださいね!

さて今日は、書き忘れていたノヴォデヴィチ修道院の墓地へ行った時のことを書こうと思います。前回はまだ4月、今のような0度近い時に行ったので寒くてすぐ帰ってきてしまったのですが、今回は8月、弟が来ていた時にリベンジしました。

修道院の方はメインの建物が2020年まで改装中だということで(5月までという話はどうなったんや)、有名人のお墓を探しに墓地にだけ行きます。弟と一緒に入り口の名簿と地図で知っている人を探し(それだけで一苦労です)、大体の位置を押さえました。

まずは二クーリン。二クーリンサーカスの創始者です。 犬もいたり、楽しそうな雰囲気が伝わってきます。お花もたくさん供えてあり、人気の高さも伺えました。

入り口がある敷地と赤レンガの塀を隔てて同じくらいの面積の墓地がもう一つあります。真ん中のほうで塀がなくなる部分があり、そこを通らないと行き来ができないようになっています。沢山の有名な人たちのお墓がその塀の向こう側にあるということがわかりました。二クーリンのお墓の前からそちらへ行こうとした途端、おじいさんに話しかけられます。曰く「300p(600円)で有名人の墓の場所を教えてあげるよ」とのこと。たしかに地図をどれだけ頭に入れても迷う敷地の広さです。ただ、頼むのもどこか気が引けて、断って自分たちで探すことにしました。私たちの後ろにいたヨーロッパから来たと思われるお兄さんはガイドをお願いしていました。

第二の墓地で一番目立っている、ガラス張りの小屋の中にあるのがチャイコフスキーのお墓。 小屋の中には入れなかったのでガラス越しです。

そこからは本当に迷いました。一つ一つのお墓が特徴的で、それぞれの墓石に書かれている名前を読んでは「んー、知らない人だ」という感じだったのですが、その人たちも立派に生きたのに一介の日本人二人が知らないだけで通り過ぎるのも失礼だと思い始めました。そう思うと知識が少ない私は一部の作家と作曲家くらいしか知りませんでしたが、医者や俳優、コメディアン、研究者、そしてたくさんの軍人がそれぞれの時代で生きたということに思いを馳せるとあっという間に時間が経ちました。 チェーホフのお墓。

別に恐ろしいところではなく、さまざまなことを考え込んでしまう場所でした。考え事をするにはぴったりの場所かもしれません。

Пока!

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