馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

タシケント日本人墓地

Привет!

ウズベキスタン2日目。首都タシケントにいます。

まずは先輩に顔を見せに行こうと、初めてタクシーを止めてみました。先述したように白い軽自動車が止まり、住所(あるいは行き先)を伝えて頷いてもらえると乗り込むことができます。自信満々に頷くので乗り込むと、途中から分からなくなったようで時々車を止めて道行く人々に聞いていました。時には赤信号で止まった時にたまたま横に並んだタクシー運転手に聞くことも!ナビはないんだね…!

降りる時に「いくらですか?」とロシア語で聞いたら「10」と返ってきました。え、10スム???日本円にすると0.1円程です。昨日両替した中で一番小さいお金は500スム。旦那がドヤ顔で「お釣りは要りません」と言いながら渡すと明らかに戸惑っています。そりゃ50倍のお金が来たからなあ、と思っているところに迎えに出て来てくれた先輩が登場。運転手が先輩に何か訴えると、先輩は笑って「10っていうのは10000のことだよ。単位が大きいから1000(ロシア語でтысяч)を省略しているの」と教えてくれました。つまり20分の1の金額でドヤ顔していたのです。恥ずかしくなって慌てて10000スム払いました。インフレって大変やな…。

一息つくと、あまり時間がないので早速観光へ出発です。先輩が前もって予約してくれていた「日本人墓地」と博物館へ行くことになりました。

そこらへんでタクシーを捕まえて日本人墓地へ、とお願いすると乗せてくれます。乗った瞬間に「どこから来たん?あ、日本人墓地行くから日本か」と言われました。それに反応すると「ロシア語できるんか!それはいい!」と言ってそこから怒涛のように話し始めました。気の良さそうな兄ちゃんです。

またいろんな人に道を尋ねながら、少し町外れにある日本人墓地にたどり着きました。 ここはウズベク人だけでなく、アゼルバイジャン人や他にも世界各国の人が眠っています。そして第二次世界大戦でソ連軍の捕虜になって連行され、強制労働した人たちも。抑留者といえばシベリアのイメージが強いですが、中央アジアやコーカサスにもいます。ウズベキスタンには2万三千もの人が連行されて来て、悪い環境の中で強制労働に従事し、日ソ間の国交が回復して抑留者の帰国が決まった1956年までに884名も亡くなりました。

掃除婦の人に「ここが日本人の区画やで」と教えてもらってタクシーを降りると、87名の墓石といくつかの碑が並んでいました。旦那も私も黙って手を合わせます。顔を上げた瞬間に「ここになんて書いてあるん?」と声がかかりました。タクシーの運転手です。 「横にロシア語書いてあるで」というと、彼は一生懸命読んでいました。写真では見にくいですが「永遠の平和と友好の誓いの碑」と書いてあります。第二次世界大戦終結50周年の時に建てられたそうです。彼は「写真とってもいいで。あ、墓石はあんまりよくないかもしれないけど」ってあなたはこのお墓の管理者か。お言葉に甘えて碑を撮らせてもらいました。

すぐ横にはどこの町で何人なくなったかということを記した石碑も立っていました。 この石碑一つ一つに町の名前と、そこで亡くなった方の人数が書かれています。ゆっくり歩く私たちの後ろから一つずつ読み上げる運転手さん。静かに見せてくれ。

気持ちだけですがお参りが終わると、横にあったドイツ人墓地にも少し行きました。

墓地の向かいには、ジャリル・スルタノフさんというある映画監督が集めた証言や資料を公開している「日本人抑留者記念館」があります。彼の息子さんのお家の一部屋がこの記念館になっており、事前に連絡しておくと無料で中を見せてもらえます。スルタノフさんがいる時は彼の作った抑留者の生活を描いたドキュメンタリーも見せてもらえるそうで(私たちの時は残念ながらお会いできませんでした)、平成27年には外務大臣表彰も受けています。

中は撮影禁止でしたが、本当にたくさんの写真や記録、贈呈品などが所狭しと置かれており、なかなか知ることができない当時の生活を見ることができる貴重な空間でした。

相変わらずタクシーの運転手さんは「ここで俺だけ帰ってもいいけど、ここでタクシー捕まえるの難しいと思うし、俺もこの記念館見たことないから興味あるし、一緒に行くわ」とついて来ます。そしてどこからか持ってきた指し棒であっちを見ろ、こっちを見ろと言ってくるのが面白かったです。線香を見ては「なにこれ?」と聞いてきて、横のライターで火をつけるんだよ、と言ったら実践しかけたので慌てて止めました。

この抑留者たちが建てた劇場がタシケント市内にあります。 ナヴォイ劇場です。私たちは中に入りませんでしたが、ウズベキスタンの色々な都市をテーマにしたホールがあるそうで、内装も素晴らしいとか。

また、ウズベキスタンにも地震がありますが、その時でも倒れなかったので、さすが日本人が建てた劇場だと言われています。今は夜のライトアップでも1分に一回色が変わります。

異国で必死に生きた日本人に想いを馳せる本当にいい機会になりました。もしタシケントに行く機会があればぜひ。

Пока!

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