馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

カムチャッカ13-歴史博物館と街並み-

Привет!

いい季節だからか、学校に来ないクラスメイトが増えて来ました。来ても早退したり。自由やな!かく言う私も来週から弟が来るので、一旦学校はお休みします。

カムチャッカもあと残すところ2回で(終わればいいなと思っていま)す!最後のクルーズを終えて午後の早い時間に港で解散となったので、港のお土産物屋さんへ立ち寄りました。もちろんお土産を買うことも目的の1つでしたが、ここで少し暇そうにしていた店員さんに聞きたかったのは「カムチャッカ史博物館」の場所です。

おばちゃんに「博物館の場所知っていますか?」と聞くと「どの?」と。名前を忘れていたので「大黒屋光太夫について書かれているらしいんですが、あ大黒屋光太夫ってご存知ですか?日本人で、漂流してロシアに流れ着いた人で…」というところまで話したところで、さっきまで問題なく取れていたコミュニケーションが崩れてしまい、おばちゃんの言うことが分からなくなってしまいました。とりあえず笑顔で頷いてみると、横で静観していた旦那が慌てて止めに入り、説明し始めました。するとおばちゃんは「ああ、歴史博物館ね!そっち行ってちょっと曲がったところよ」と教えてくれ、事なきを得ました。 これがその博物館の看板。

後でなにが起こっていたのか旦那に聞くと「突然君が大黒屋光太夫と友達で、お家に遊びに行くことになったから焦ってん」と言われました。そんなことになっていたのか。

200pで入ると、まずは先住民とロシア人たちの文化の衝突を当時の住居を再現することで視覚的にわかりやすく展示してあります。 こちらが先住民のお家。狩りで手に入れた動物の体の一部をうまく活用してあります。

一方でロシア人の家は このように布と金属を多用しています。ただ、時が進むにつれてこれらの特徴が混じりあったと書かれていました。

そこからカムチャッカに生息している動物と植物の展示(動物は剥製です)が続きます。 あ、この鳥はさっきクルーズ中に見かけて「ペンギンおるで!」って船長さんに騙されたやつや。こんなところに!?と二人して騒いでいたら爆笑しながら「嘘やで。鳥やで」って言われたのでした。ここに書かれている表示をそのまま訳すと「細いくちばしのウミガラス」だそうです。そのままや。

もちろん熊や火山などカムチャッカを代表するような自然についての展示を見た後は、歴史についてです。ロシア以外にも色々なところから探検家が来たのだなあ…と思いながら見ていると、突然本命が現れました。 大黒屋光太夫についての記述です。この小さな博物館でも本当に一部でしたが、日本の小銭やエカテリーナ2世へのラスクマンの手紙(多分コピー)なども展示してありました。

中国や他のヨーロッパとの関係、日露戦争時にここからロシアの船が出ていたことなども書かれていました。個人的には、ロシア人の前にこの地に住んでいた 民族を示したこちらの絵が面白かったです。 アイヌの人や朝鮮の人もいます。

小さくてあっという間に見終わってしまいますが、情報量は多かったです。また、帰って来てから知ったのですが、3ヶ月前に火山博物館がこの街にオープンしたのだそうです!行けばよかった!

街中を歩いていると、それはもうたくさんの銅像やに出会いました。ほとんどは近づいても知らない人だったのですが(調べても出てこないことも)、この人はすぐに分かりました。 レーニン広場にいたレーニンさん。この人はほんまにロシア国内どこにでもいます。 人間だけではありません。よく集合場所になっていたアバチャホテルの前には戦車の銅像(?)もありました。

最近ロシア国内を旅すると必ず目にするものがあったのですが、このカムチャッカの地では見かけず、ロシアの都市らしくないと少し寂しく思っていました。ですが、ないはずがありません。一度タクシーで横を通った時に発見したので。最終日の朝に行ってみました。 そう、ロシア正教の教会です。スカートを持って来ていなかったので(入り口にスカートとスカーフが必須だと書いてありました)、中には入らなかったのですが、おそらく内部も隙間なく宗教画が描かれているはずです。

町並みとしては、やはりソ連時代の雰囲気が色濃く残っていました。同じような建物に、小売店が並んでいます。ただ、ここがモスクワの外れと違うのはどこからでも山が見えること。 常に神戸の六甲山を見ながら育った私にとっては懐かしい景色でした。

さて、明日はカムチャッカと日本が通じるところを書いて、この旅行記を締めくくりたいと思います。

Пока!

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