馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

イヴァン・アイヴァゾフスキー

Привет!

この間、家賃を取りに来た時に「この部屋暑いわね…クーラー設置しようか?」と言っていた大家さんが、昨日は「寒い、早く暖房つかないかしら」と言っていました。時の流れは早いです。ちなみに明後日からついに最高気温も1桁になりそうなので、今から恐怖を感じています。冬は好きだけど!部屋の中があったかくなってから来てくれ!

さて、今日は久しぶりに画家のお話。
母が来た時には母の好きな画家、ビリービン(この人もイヴァンさんですね)との不思議な縁について書きましたが(こちら)、弟の訪露時にも同じようなことが起きました。

日本にいる時からロシア絵画を色々と見ていて、弟が一番惹かれたのは「イヴァン・アイヴァゾフスキー」という画家の絵でした。 彼は風景画の中でも海の絵を得意としています。この絵はトレチャコフ美術館に展示してあるもの。かなり大きく、何も知らずに行っても目をひきました。何より素晴らしいのは波の色合いと透明感です。

1817年、クリミア半島で貧しいアルメニア人夫婦のもとに生まれたイヴァン・アイヴァゾフスキーは、貧しい暮らしの中でもその才能のために補助金を受けてサンクトペテルブルクの美術アカデミーで教育を受ける機会を得ます。その学校で彼が選んだのは風景画コース。19歳の時、アカデミーの展示会で金賞をとり、ヨーロッパで勉強させてもらえることになります。しかし、まずクリミアで風景画の練習を重ね、満を辞してヨーロッパを回りました。サンクトペテルブルクへ戻った後はロシア海軍に付き添ってトルコやギリシャ、エジプトなどへも渡ります。今でも平均寿命が60歳前後のロシア人男性にしては珍しく、83歳まで生き抜いた彼は、6000点を超える作品を残しました。そのため(ウィキペディアによると)、ロシア画家の中で最も贋作が多いとも言われているそうです。

弟はそんなアイヴァゾフスキーの絵をトレチャコフ美術館で大いに楽しんだ後、その日の晩に夜行列車でノブゴロドへ行きました。
ノブゴロドでの彼の目的は歴史だったので、ノブゴロドクレムリン内にある歴史博物館へ行くと「海を愛した芸術」という特別展(ニュアンスは間違っているかもしれません)が行われていました。

あれ、この絵なんか知っている、と思いつつ、通常展示を見た後に特別展示へ。何を隠そう、アイヴァゾフスキー特集でした。他の画家の海の絵も飾ってあるのかと思いましたが、アイヴァゾフスキーさんの絵だけです。ここまでピンポイントで見たいものを見せてくれるのか!うちの家系は強運というか見たいものを引き寄せる力があるようです。 あまり大きくはない展示室でしたが、奥では映像でアイヴァゾフスキーの絵を見せてくれていました。彼の描くあまりにもリアルな絵から、額縁を超えて水が溢れ出してきたり、細かいところまで見せてくれるような映像です。また、彼の絵はかなり大きなものが多いイメージだったのですが、ここには小さな絵もありました。もう写真に見えてきます。

半日でノブゴロドを出て、サンクトペテルブルクに向かった私たちが次に目指すアイヴァゾフスキースポットは「ロシア美術館」です。さすが、彼が学んだ街だけあって、ロシア美術館にはアイヴァゾフスキーの部屋があります。 右に見切れているのが最も有名な「第九の波」という作品なので、是非その目で確かめに行ってみてください。写真で見るより臨場感もあり、前に置いてある椅子に座って一日中眺めていられると思いました。私には絵心がないので、こうやって目にしたものを、または記憶の中の波を、どの色を使って表せばいいのか見当もつきません。なのでこんな本物よりも本物らしい絵を描ける人を心から尊敬します。

来てくれた人のおかげでまた新しいロシアの魅力を知ることができました。アイヴァゾフスキーはロシア人にも人気の画家なので、いろんな美術館に置いてあります。いつかクリミアのアイヴァゾフスキー美術館にも行ってみたいです。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

Бункер-42③

Привет!

この核シェルター(バンカー)のことも今日で書き終わる予定です。また今日はこのツアーで最大の見せ場だと思われる演出についても書くので、今後行く予定でネタバレを避けたい人は飛ばした方がいいかもしれません。

私たちがツアーで回ったのは四つブロックがあるうちの四つ目で、最も機密が詰まっているところです。他のブロックは食料庫(改装中)や地下水の管理など、生活できるような設備が整っています。そんなブロックなので時々写真撮影禁止のところがあるのですが、そこを抜けると このバンカーを作った時の様子が再現されていました。およそこんな工事をしているよりはランウェイを歩くモデルの方が似合いそうな綺麗な顔をしたマネキンですが、彼が首から提げているものは工事中にガスが出てきた時つけるマスクや応急手当てができる器具が入っているそうです。お昼ご飯かと思いました。それにしても、こんな「秘密・機密」いっぱいの場所を誰が作ったのでしょう?それについても説明がありました。KGB(!)の完全管理のもと、工事の施工会社は2ヶ月に一回変えられ、工事中は「地下鉄の技術部」を作っているという説明だったそうです。これが地下鉄につながる形でバンカーが作られた理由でした。また、この立地関係は完成してからも役に立ち、バンカーで働く職員は地下鉄の関係者の制服を着て、駅からバンカーの方に入っていたので一般人にもばれなかったのだとか。ちなみにバンカーでは常時600人ほど2週間は休みなしの泊まり込みで働いていました。

またトンネルの方に戻ります。トンネルの分かれ道で、ガイドのお兄さんは私たちに「こちらの道を奥まで進んでください」と言いました。言われた通りに薄明かりの中どんどん進んで行くと、突然トンネルの照明が落ちました。真っ暗です。2秒ほど間があって空襲警報が響くと同時にランプが赤く点滅し始めました。 ロシア語で「警告、警告!ただいま、モスクワ中心部に敵国から核爆弾が落とされました。モスクワはほぼ壊滅しました。これから報復攻撃を行います」というアナウンスが入ります。そして電気が点き、向こうの方からガイドさんが「大丈夫ですかー?」と迎えに来ました。「これは実際に攻撃を受けた時のシュミレーションです」と言って先ほどのアナウンスを英語訳してくれますが、1回目は心臓が止まりそうなほど驚いていた私はそれどころではありませんでした(写真は何が起こるかわかっていた2回目に撮ったものです)。そしてこの時に初めて本当ではないとわかっていても、恐怖や絶望を感じました。

2回目に行った時はここから入り口まで戻ってツアーが終了したのですが、1回目はもう少し続きがありました。 当時職員が寝泊まりしていた小部屋が公開されており、バンカーでの生活を感じられるようになっていました。 例えばこれは職員一人一人に支給された、日用品が入ったカバン。パジャマから食器、靴磨きのワックスまで入っていたようです。

また面白かったのは、職員一人一人が一日に口にする食事の量の表です。肉150g、魚100g、白パン400gに黒パン500g、じゃがいもは500gなのにキャベツは170g、人参に至っては40g、玉ねぎなんか30g(むしろじゃがいも500gって大変ですよね)、などと素材ごとに細かく決められていました。それに比べて少し偉い人の食事も展示してあったのですが、 二段目真ん中の赤いものはイクラです。普通の職員が頑張ってじゃがいもを消費している間に偉い人はイクラを食べていたのか。

こうしてお腹がすいてきたところで、ツアーは終了です。実はこのブロック4につながる形でブロック1があるのですが、ここは今レストランになっています。もしツアーの後にレストランに行きたいならそのまま行くことができました。
別の職員さんに連れられてトンネルを進むと、突然雰囲気が変わりました。 ここはレストランだけの利用もできるそうです。モスクワで1番「深い」レストランを味わいたければおすすめです。ガイドさんの話では「スターリンやその後の指導者が味わった料理も楽しめます」と言われたのですが、私たちはついに見つけられなかったのでレモネードを頼みました。それにしても店内はギンギラです。テレビではずっとソ連映画を流しているし、ステージもあります。 はじめに必死で-18階分降りた階段の横にエレベーターがあり、レストランから帰る時はそちらに案内されるのでご心配なく。2回目にツアーに参加した後はレストランに行かなかったのですが、他の帰る人たちと一緒にエレベーターに乗る気満々でいるとガイドさんに聞かれました。「足は大丈夫ですか?18階分階段を登れますか?」他の人たちが答えます。「おー!」…ちょっと待ってくれ。いやさすがに冗談だよ、と笑ってエレベーターに乗せてくれると思っていると、ガイドさんは一人エレベーターで上がってしまいました。

ここから本当の地獄を見ることになるとは思いませんでした。自己主張ははっきりしなければなりません。写真は半分まで来た嬉しさとまだ半分もあるのかという絶望でとった写真です。

今回、この博物館に行くことも、内容を詳しくブログ記事にすることも少し迷いましたが、今の時代だからこそ忘れて風化させずに、このバンカーを作らざるを得なかった意味を考えなければならないと思いました。ガイドさんは2回ともツアーの最後に言いました。「もう2度と、こんな施設が作られることも使われることもないように祈っています」

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

Бункер-42③

Привет!

この核シェルター(バンカー)のことも今日で書き終わる予定です。また今日はこのツアーで最大の見せ場だと思われる演出についても書くので、今後行く予定でネタバレを避けたい人は飛ばした方がいいかもしれません。

私たちがツアーで回ったのは四つブロックがあるうちの四つ目で、最も機密が詰まっているところです。他のブロックは食料庫(改装中)や地下水の管理など、生活できるような設備が整っています。そんなブロックなので時々写真撮影禁止のところがあるのですが、そこを抜けると このバンカーを作った時の様子が再現されていました。およそこんな工事をしているよりはランウェイを歩くモデルの方が似合いそうな綺麗な顔をしたマネキンですが、彼が首から提げているものは工事中にガスが出てきた時つけるマスクや応急手当てができる器具が入っているそうです。お昼ご飯かと思いました。それにしても、こんな「秘密・機密」いっぱいの場所を誰が作ったのでしょう?それについても説明がありました。KGB(!)の完全管理のもと、工事の施工会社は2ヶ月に一回変えられ、工事中は「地下鉄の技術部」を作っているという説明だったそうです。これが地下鉄につながる形でバンカーが作られた理由でした。また、この立地関係は完成してからも役に立ち、バンカーで働く職員は地下鉄の関係者の制服を着て、駅からバンカーの方に入っていたので一般人にもばれなかったのだとか。ちなみにバンカーでは常時600人ほど2週間は休みなしの泊まり込みで働いていました。

またトンネルの方に戻ります。向こうに見えているのはレストランです(後で言及します)。トンネルの分かれ道で、ガイドのお兄さんは私たちに「こちらの道を奥まで進んでください」と言いました。言われた通りに薄明かりの中どんどん進んで行くと、突然トンネルの照明が落ちました。真っ暗です。2秒ほど間があって空襲警報が響くと同時にランプが赤く点滅し始めました。 ロシア語で「注意してください!ただいま、モスクワ中心部に敵国から核爆弾が落とされました。モスクワはほぼ壊滅しました。これから報復攻撃を行います」というアナウンスが入ります。そして電気が点き、向こうの方からガイドさんが「大丈夫ですかー?」と迎えに着ました。「これは実際に攻撃を受けた時のシュミレーションです」と言って先ほどのアナウンスを英語訳してくれますが、1回目は心臓が止まりそうなほど驚いていた私はそれどころではありませんでした(写真は何が起こるかわかっていた2回目に撮ったものです)。そしてこの時に初めて本当ではないとわかっていても、恐怖や絶望を感じました。

2回目に行った時はここから入り口まで戻ってツアーが終了したのですが、1回目はもう少し続きがありました。 当時職員が寝泊まりしていた小部屋が公開されており、バンカーでの生活を感じられるようになっていました。 例えばこれは職員一人一人に支給された、日用品が入ったカバン。パジャマから食器、靴磨きのワックスまで入っていたようです。

また面白かったのは、職員一人一人が一日に口にする食事の量の表です。肉150g、魚100g、白パン400gに黒パン500g、じゃがいもは500gなのにキャベツは170g、人参に至っては40g、玉ねぎなんか30g(むしろじゃがいも500gって大変ですよね)、などと素材ごとに細かく決められていました。それに比べて少し偉い人の食事も展示してあったのですが、 二段目真ん中の赤いものはイクラです。普通の職員が頑張ってじゃがいもを消費している間に偉い人はイクラを食べていたのか。

こうしてお腹がすいてきたところで、ツアーは終了です。実はこのブロック4につながる形でブロック1があるのですが、ここは今レストランになっています。もしツアーの後にレストランに行きたいならそのまま行くことができました。
別の職員さんに連れられてトンネルを進むと、突然雰囲気が変わりました。 ここはレストランだけの利用もできるそうです。モスクワで1番「深い」レストランを味わいたければおすすめです。ガイドさんの話では「スターリンやその後の指導者が味わった料理も楽しめます」と言われたのですが、私たちはついに見つけられなかったのでレモネードを頼みました。それにしても店内はギンギラです。テレビではずっとソ連映画を流しているし、ステージもあります。 はじめに必死で-18階分降りた階段の横にエレベーターがあり、レストランから帰る時はそちらに案内されるのでご心配なく。2回目にツアーに参加した後はレストランに行かなかったのですが、他の帰る人たちと一緒にエレベーターに乗る気満々でいるとガイドさんに聞かれました。「足は大丈夫ですか?18階分階段を登れますか?」他の人たちが答えます。「おー!」…ちょっと待ってくれ。いやさすがに冗談だよ、と笑ってエレベーターに乗せてくれると思っていると、ガイドさんは一人エレベーターで上がってしまいました。

ここから本当の地獄を見ることになるとは思いませんでした。自己主張ははっきりしなければなりません。写真は半分まで来た嬉しさとまだ半分もあるのかという絶望でとった写真です。

今回、この博物館に行くことも、内容を詳しくブログ記事にすることも少し迷いましたが、今の時代だからこそ忘れて風化させずに、このバンカーを作らざるを得なかった意味を考えなければならないと思いました。ガイドさんは2回ともツアーの最後に言いました。「もう2度と、こんな施設が作られることも使われることもないように祈っています」

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

Бункер-42②

Привет!

昨日(http://mickymm.hatenablog.com/entry/2017/09/24/185609少し写真が違っていたので直します)の続きです。 長いトンネルを歩き、何度か曲がると小部屋につきました。 通信班の部屋だそうです。写真のように、いたるところにマネキンが置いてあり、当時を再現していました。興味深かったのは、女性のマネキンもいたこと。ソ連時代、共産主義なので男女関係なく働いていたということを違和感なく見せていました。このことは戦争博物館に行っても女性用の軍服が展示してあるので実感します。

この博物館は基本的に薄暗かったので写真が上手に撮れていませんが、ご了承ください(言い訳終わり)。もう1つ、この部屋で説明があった中で面白かったのは、このバンカーの中の階段は全てメトロのエスカレーターを埋め込んであるということでした。 動きません。実際使われていた時は普通の鉄製のものもあったようですが、博物館として公開するために改装中に全てエスカレーターにしたそうです。ガイドのお兄さん曰く「こちらの方が快適でしょう?」

そんなエスカレーター型の階段を登って(故障しているエスカレーターを使ったことがある方はわかると思うのですが、エスカレーターが動かないと少し脳が混乱します)、たどり着いたのは司令官の部屋。 スターリンのマネキンが座っています。 ただ、1953年に亡くなっているスターリンは56年のバンカー完成を見ていないはずなので、これは「空想の再現」だそうです。後ろには世界中の有名なバンカーの場所が世界地図で示されていました。残っているのはこことサマラにあるものだけだそうです。

そこから次に向かうのは会議室。 キューバ危機(危機を起こしたのはソ連側ですが)の時に最もアメリカとの緊張が高まり、ここを使っていたそうです。説明では、当時アメリカが8時間で着く核兵器を持っていたのに対し、ソ連は12時間もかかるものしかなかった、その差を埋めたのがキューバだったそうです。こんなにも世界史を感じることになるとは。お兄さんは机上の飛行機(爆撃機)の特徴と、ソ連での名前、そしてアメリカでどう呼ばれていたかも1つずつ教えてくれました。

次の部屋には核兵器の実物大の模型がありました。アメリカではスーパージェットエンジンと呼ばれていたようです。 そして横には管制塔にあるようなパソコンとキーボードが。 お兄さんはここで二人のボランティアを募りました。立候補した二人を写真のようにパソコンの前に座らせ「それでは今から核爆弾を撃つシュミレーションをします」というではありませんか。ここからは撮影禁止でした。シュミレーションをしない後の人たちは、壁に映される映像を見ておくように言われます。初めに説明が入りました。「ここは地球上のどこでもない国の、空想上の街です。決して特定の場所ではありません。ここからソ連は攻撃を受けました」…めっちゃ見たことある街並みなんですが。スパイダーマンがそこらへんのビルにいそうです。そして緊張感のある映像が続いた後、お兄さんが二人に指示を出しました「鍵を回して!次はこの数字を入力して!カウントが0になったらそのボタンを押して!…10、9…3、2、1、0!」映像内でもミサイルが撃たれ、どこかの街に落ちてこれまでの生活が一変するところまで見せられました。「ミッションコンプリート」の声を聞きながら、私は絶句するしかできません。お兄さんは「フォトショップで作った映像です、本物ではありません」と言っていましたが、実際見せられた衝撃は思っていたより酷かったです。50年前から世界があまり変わっていないこともショックでした。

それでもまだツアーは続きます。次の部屋も暗号解読の大きな機械などが置いてあり、撮影禁止でした。この機械、どこかで見たことがあるとおもったら、映画「イミテーション・ゲーム」に出てきたものとそっくりです。映画は第二次世界大戦中のイギリスがドイツの暗号を解くためにパソコンを開発するものでしたが、どこの国でも同じようなことをやっていたのですね。この部屋には他にもプロパガンダポスターや、メトロの駅とバンカーの四つのブロックの位置関係などが模型で作られているもの、時代ごとの軍服などが置いてありました。

次で終わります。
Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

Бункер-42(冷戦博物館)

Привет!

日本語のガイドブックには載っていない、冷戦時に核シェルターとして使われていた場所が博物館になっている場所があります。その名もバンカー42。 メトロのタガンスカヤ駅から歩いて10分も行くと、住宅街の中にひっそりとこんな入り口があります。この鉄のドア横にインターホンがあるので、そこを押して「博物館へ行きたい」と伝え、ドアを開けてもらうようになっています。博物館とは思えない厳しい警備です。

この博物館については、語学学校の放課後に組まれている遠足で案内が出ていたので知っていました。ただ、少し怖そうな冷戦というテーマと、値段の高さに躊躇していました。今回弟が来たのをいい機会だと思い、提案してみたところ興味を示してくれたので行ってみることに。公式ホームページの電話番号に電話するか(英語でも大丈夫だと思います)、reserveのフォームに書いて返事を待つかして予約を入れなければなりません。そうしないとツアーを開催している日が分からないのです。ちなみにホームページには色々なツアーの情報が載っていますが、外国人は「バンカー42」ツアーしか申し込めません。

予約時にロシア語か英語か聞かれたのでロシア語で、と伝えると3:30に始まるから10分前に来るよう言われました。初めての場所だったので3:10について中でチケットを買うと外国人は2200p(4400円)、学生は650p(1300円)でした。すごい差。そして入り口でツアーが始まるのを待ちます。3:20にかっこいいお兄さんが私たち(他にも五人くらいました)のところに来て言いました。"Hello, everyone“…めっちゃ英語やん。

予約ってなんだったのだろうか、というところから疑問は尽きません。おそらくですが、時間さえわかれば予約はいらない気がします。この時から3週間後に友人を連れて二人で月曜日に行きましたが、その時はお昼の1:30からでした。そしてこの時は学生が1300pに値上がりしていました。倍ですよ!外国人料金は2200pのままでした。

さあ、ツアーが始まります。 まず、こんな図を見ながら簡単にこのバンカーの説明がありました。ここは1950年から6年かけて作られ、86年まで使われており、90年代後半にやっと一般公開されたそうです。こういう話を聞くと、本当にソ連はこの間まで存在していたのだと実感します。また、メトロの駅と地下通路で繋がっており、ー18階に位置しています(写真の左上の緑色のものがこのバンカー、あとは地下鉄のタガンスカヤ駅です)。四つのブロックからなっていることと、モスクワに複数あった核シェルターの二つ目だという2つのことを「42」という数字で表しています。

そこまで説明を受けてから、やっと中に入りました。2トンもある2重ドアを抜け、そこからー18階分、なんと階段でおります(妊婦さんや高齢者はエレベーターを使います)。 はっきり言ってめっちゃ大変でした。いま何階にいるのか教えてくれますが、ー10階くらいで心が折れそうになります。螺旋階段なので目も回るし。

ようやく着きました。そこから赤いトンネルが奥まで続いています。まずは警備の人のデスクが置いてありました。 侵入者が入ってくると奥の銃を取り出し、ベルを鳴らすそうですが、ここは存在さえ知られていないところだったので、侵入者はついにいなかったそうです。また、そのデスクの前には水の自動販売機(ソ連時代に街中に普及していたもの)が置いてありました。 ここは地下で機械もたくさん置いてあるので一年中暑く、職員はいつでも無料でここから水を飲むことができました。今はそんなに暑くなかったです。

ここからしばらくトンネルを歩きます。壁には小さい四角いものが埋め込まれていました。1回目の説明では、これはこのバンカーの爆破用の爆弾だと聞いた気がしたのですが、2回目では地下水がどうしたこうしたみたいな(英語のリスニングができなくなってきています)説明を受けました。でもおそらく極秘の場所だったので、証拠隠滅するためのものではないかと思います。現にモスクワにあった他のバンカーは今はもうないのです。 ガイドのお兄さんとトンネル。

長くなったので続きます。
Пока! にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

グルジア料理レストラン

Привет!

今年もあと100日だそうです。これまでの265日中150日くらい記憶がありません。時間が経つのは早いなあ…このまま気がついたらセントラルヒーティング始まってないかなあ…(部屋が寒い)。

さて、モスクワには各国のレストランがあります。日本食はもちろんのこと(クオリティは置いておいて)、日本でもよく見かけるイタリア料理やアメリカのステーキハウスなどは本当によく見かけます。この間イタリア人のクラスメイトに「日本人やのに日本食レストランあんまり知らんの!?」と驚かれたので「そういうあなたはモスクワでイタリアンに行くのか」と聞くと「この街にイタリアンなんかない」と言われました。そういうことや。ただ、日本人にとってはここのイタリアンも美味しいです。

そして日本では見かけない、でもモスクワには溢れていると言えばグルジア料理です。正式名称はジョージアなのですが(グルジアというのはロシア語読みのため)、私が義務教育を受けた時はまだグルジアだったため、言い慣れません。ご了承ください。

街中でよく見かけるХинкалиная(ヒンカリナヤ)というチェーン店は間違いなく美味しく、メニューに写真も載っているので入りやすいですが、ここ以外にもモスクワ中心部で食べられる美味しいグルジア料理のレストランがあります。

まずはЭZO。 旧アルバート通りとボリショイ劇場に近いカメルゲルスキー横丁にあります。写真はカメルゲルスキーの方。他にももっとあるかもしれません。

席に着くと、綺麗なメニューが出てきます。写真も多く、聞き慣れない名前の多いグルジア料理を頼むときも安心です。 まずはハチャプリ。これを一口食べたとき、弟が感動していました。これはアジャリア風というもので、周りのパンをちぎって中のチーズと卵につけて食べます。他にもチーズハチャプリ(見た目はピザのようにまん丸で中にチーズが入っているもの)など色々な種類がありますが、このアジャリア風が最も「ハチャプリっぽく」て人気です。

もちろんこのお店にはヒンカリもあります。 画質が悪い上に小さく見えますが、思っていたよりも大きいものがきました。ここは一つから注文可能。餃子より少しぶ厚めの皮で包まれた中には豚・牛・羊(選べます)肉の肉汁をたっぷり吸った種が入っています。上が持ち手になっているので、そこを持って本体にかぶりつき、肉汁を先に吸ってから、皮と種を食べます。少し香辛料が効いていますが、一度食べると病みつきになる味です。

ここは観劇前の早い時間に行ったのでこれだけしか食べませんでしたが、大満足でした。

そしてお次は新アルバート通りにあるНе горюй!というお店。 暗い写真ですみません。新アルバート通りに「オクチャーブリ(10月)」という名前の映画館があるのですが、そのすぐ横にあります。写真に写っているのはテラス席ですが、お店自体は半地下です。

店名のНе горюй(ニェ・ゴリューイ)というのは「悲しみに暮れないで」という意味で、 店内もおしゃれです。真横にチェーン店のヒンカリナヤがあるので、グルジア料理を食べ比べるのもいいかもしれません。横にヒンカリナヤがあるせいか、いつも店内にお客さんが少なく、落ち着いて食事ができます。サービスも他のロシアのレストランに比べてかなりよく、料理も美味しいので大満足です。 めっちゃ美味しかったほうれん草入りミルクスープ。横にあるポン酢のようなものを入れていただきました。

このお店ももちろんヒンカリが置いてあり、三つから注文できます。私はこちらの方が少しピリ辛に感じました。

旦那の家庭教師の先生も「日本人ってグルジア料理好きよね」と言うくらい、日本人の舌に合うようです。ロシアに来たら是非!そしてне горюйの方はいいお店なのにお客さんがあまり入っておらず、いつも心配なので、モスクワ在住の方は是非足を運んでみてください!

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

君の名は。感想

Привет!

朝起きたら、気温が一桁でした。もう冬が来るなあ…最近は周りがダウンを着ている中、無駄な抵抗をしようとパーカーで外に出ています。風邪を引く前に諦めると思います。

さて、題名を見て「え、今?」と思われた方も多いと思います。公開から1年経っていますしね。そうです、ついに劇場で見ることができました!
日本での公開開始直前に出国してしまった為に飛行機の中でも見られず、監督のファンで公開初日に観に行った弟に電話で「どうせ観られるの1年以上後やから忘れるやろ」とネタバレされてから早1年1ヶ月。あの時聞いたネタバレは全く記憶から消えることなく観に行くことになりました。ただ、ロシア語吹き替えで見るとき、物語を掴むのにはかなり役に立ったので、感謝こそすれ恨んではいません。

7月に行われたジャパンフェスの時に9月公開が発表されていたのですが、私は「そうは言っても一部の特殊な(外国のマイナー映画しか公開しない)映画館のみ、とか言うんだろうなあ」とどこか冷めた目で見ていました。ところが蓋を開けてみるとモスクワのほとんどの映画館で公開しているではありませんか!近くの映画館にも ポスターが貼られ、テンションが上がります。上には「時間の糸が運命を繋ぐ」という言葉が、そして監督については「新しい宮崎駿と言われている新海誠作品」と書かれています。このポスターを見た時、1番驚いたのは「名前」という単語(имя)って中性名詞だったんだ!ということでした。通常аとяで終わる単語は女性名詞なのです。

さて、映画自体の感想としては賞賛も批判も十分すぎるくらいインターネット上に溢れていると思いますので、私は「ロシアで見る日本映画」について書こうと思います。ちなみに私はすごく好きな映画でした。あの映像を大画面で見られたことに感謝です。一回見ても頭から離れず、2日後にもう一回見に行ってしまいました。

吹き替えということで、やっぱり気になるのは男女が入れ替わる時の声。YouTubeで特集された番組を見ていたので神木くんと上白石萌音ちゃんの二人という本家が素晴らしいことは知っていました。余計にロシア版は不安です。テレビで放送する映画は今でも時々男女一人ずつしか声優を用意していない時があるくらいなのです(つまり男性の登場人物全部同じ声)。主人公の滝くんの声を当てたロシアの声優さんがもともと高い声だったためか、あまり入れ替わっている時の声の調子に変化はありませんでした。仕草が女の子ぽくなるので映像に助けられていた印象です。でも決して下手ではなく、聞き取りやすい良い吹き替えでした。これはもう一人の主人公、三葉 ちゃんにも言えます。

何度か二人で声を合わせていうセリフがあるのですが、それはバラバラでした。別撮りしたのかもしれません。ちなみにあの有名な「入れ替わってるー!?」はロシア語で「поменялись телами:パメニャーリシ テラーミ(身体が入れ替わっている)」でした。これをRadwimpsの前前前世に合わせて言うのでめっちゃ早口になっていたのが面白かったです。

男女の入れ替わりといえば、日本語では分かりやすく「男言葉・女言葉」があり、一人称(私・俺など)があるので入れ替わっているのが分かりやすいですが、ロシア語ではどうするのか気になっていました。ロシア語で性別が分かりやすいのは「過去形」です。男性なら語尾が「л」で、女性なら「ла」で終わります。日本版では、三葉ちゃんが中身の時の滝くんが「私」と言ってしまって「わたくし、僕、俺」と周りの反応を見ながら言い換えるシーンで、ロシア語では過去形が来るような文脈に変えていました。周りの反応ともぴったり合っていたので、笑いも起きていました。ここ、英語であればどうなっているのか気になります。

吹き替えということで、Radwimpsが好きな旦那が1番心配していたのが「劇中歌は日本語なのか」ということでした。結果からいうと、きちんと日本語が流れ、ロシア語字幕がつくという形になっていました。ただ、キャラクターたちが話すセリフが多くなって来ると字幕は消えます。また、画面に日本語が映ると(名簿の名前や、本の題名など)、低い男性の声が棒読みで訳すので、その度に笑いそうになってしまいました。かなりシリアスな場面で、民宿に書かれた「牛肉弁当」の文字をロシア語で訳した時は「空気読んで…」というなんともいえない気持ちになります。字幕にできないのかな。

また、物語の中で重要なキーワードである「口噛み酒」をそのまま「クチカミザケ」と言っているのは仕方がないとして、「センセイ」や「センパイ」も吹き替えで入ってきた時には観客が理解できるのか少し心配になりました。

色々と言いましたが、それでも日本映画が普通に映画館で見られたことに感謝しかありませんでした。ああ、このためにロシア語を勉強していたのかと思うほどでした。また何か来ないかなあ。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村