馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

カフェВолконский

Привет!

少し前からちょっとした冗談で旦那に簡単なロシア語で話しかけているのですが、これまでは家でしかしていなかったのにやってしまいました。気を抜いていて、アルメニア食材のお店で「что это?(これは何?)」と彼にロシア語で聞いてしまったのです(お菓子だということは分かっていたのに)。私たちの横にいた親切なお客さんがすかさず「これはね、ぶどうをチョコレートでコーティングしたお菓子で美味しいのよ。こっちは別の味で…」と旦那が口を開く前に説明してくれました。いつも日本語だったので忘れがちなのですが、ロシア語で話せば通じてしまうんだった…と当たり前のことに気づく私たち。それにしても詳しすぎる説明に「お店の関係者か」とまで思うくらいです。結局その方のおすすめのお菓子を買い求めました。

この間、友達に「美味しいシュークリームを売っているお店がある」と聞いて連れて行ってもらいました。 新アルバート通りを歩いたところにあるこちらのお店は、ロシアとウクライナの伝統的なレシピを使ってパンやお菓子を焼いているそうです(HPではロシアとウクライナで初めての試み、と謳っています)。「ヴォルコンスキー」というロシア風の名前ですが、意外なことにパリのお菓子職人夫婦のガレズさんが2005年に作ったお店です。今ではモスクワだけでも26店舗、ロシア国内ではサンクトペテルブルクと二ジニーノブゴロド、ボロネジにもお店を出しているそうです。そう言われれば、サンクトペテルブルク郊外のツァールスコエ・セローであまりの暑さにスタンドのアイスクリームを買うことにした時、そこにはパンも売られていてよくスタンドを見るとこのお店のマークが描かれていました。

この日は時間がなかったのでとりあえず目当てのシュークリームを2つお持ち帰りにしましたが、クロワッサンやマカロンもかなり美味しそうでした。…ロシアの伝統的なレシピ? こちらがそのシュークリームです。ちなみにロシア語ではШу(シュー)と書いてあってそのままやん、と思いました。

もともと生クリームがあまり得意ではない私はシュークリームが苦手だったのですが、ある日父が買って帰って来てくれたビアードパパのシュークリームで開眼。それ以降はビアードパパ以外のシュークリームを受け付けない体になってしまいました。そういう理由もあり、ちょっと不安に思いつつも夕食後に紅茶を用意し、万全の態勢で挑みます。

一口食べた瞬間、これは当たりだ!と叫びそうになりました。外はパリッ、中はフワッとしているシュー生地に、甘すぎないカスタードクリーム。上にかかった粉砂糖の甘さが絶妙に効いています。160p(320円ほど)という少し高めの値段設定も特別感を出してくれていました。

というのが3月末の話。また行きたいなあ、でも少し遠いなあとおもいながらこの三ヶ月少しを過ごしていました。旦那が家を出る時間に合わせると学校前に一時間ほど余裕ができることに気づいたので、学校の近くのカフェへ行って見ることにしました。カフェで朝の時間を過ごすなんてなんておしゃれなんだろう!という憧れを実現する時が来たのです。ワクワクしながらそのカフェに入るときに気がつきました。ここもヴォルコンスキーではありませんか。

おしゃれすぎる内装。

こんなことなら朝ごはんを食べずにここでクロワッサンを頼んだのに…と思いつつも、ラテを注文。席にお持ちしますね、と言われたので窓際の席を確保し、本を用意して待ちます。

運ばれて来ました!こんな優雅な朝を過ごすことなんてもうないので、SNSで見栄えがする写真を撮るために並べようとラテを触ってびっくりしました。 こちらがその投稿した写真なのですが、このラテ、ホットだったのです。運ばれて来たときに、あれ私アイスを頼んだっけ?とは思ったのですが(何と言っても外気温は11度です。寒い)、注文は間違えていませんでした。ロシアではストローをホットドリンクに刺すらしい、という話は聞いていましたが、まさか遭遇するとは。ホットと言っても、火傷するほどではないのでストローが溶けはしないのですが、少し驚きました。

次こそは!クロワッサンを食べます!ちらっと見た限りではクロワッサンとアイスドリンクで199p(400円くらい)でした。ちなみに家まで配達もしてくれます。おそらく日本へは難しいと思うのですが、モスクワにお住いの方は是非(こちらから)。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

発見したもの

Привет!

今朝はたまたま旦那と同じ時間に家を出ることができました。二人でマンションの管理人さんの前を「おはようございまーす」と言いながら通ろうとすると「あ、そこのプランター運んでくれへん?」と突然お願いされました。確かに管理人室のドアのところにお花が植えてある細長いプランターが置いてあります。いつからこんなのあったっけ?と思いつつも頼まれたので持とうとしましたが、旦那はニコニコと手伝いもせずにこちらを見ているではありませんか。案の定、管理人のおばあちゃんに「こんな女の子にやらせんと!これ重いんやから、男の人がせな!」と怒られていました。女の子と言われたことが嬉しかったです。

こんな風にロシアの人と少し話すことが増えてきました。前にこちらの記事でご紹介したように、お米もスーパーで買えるので不便は感じていません。しかもこちらのメーカー、普段は89p(約180円)/900gなのですが、時々55p(110円)で売っている時があります。その時はここぞとばかりに買い込んで、ちょっとした業者のようになってしまいます。

その蓄えも底をつきそうになり、でもまだセール期間は来ないので他のメーカーのものを試してみることにしました。袋の一部が透明になっているものが多いので、見えているお米の形である程度判断します。これはいい感じ、というものを見つけました! しかも商品名を見ると「日本のお米(Рис Японский)」と書いてあるではありませんか!そしてなんとセール中!55p(110円)/800gということで100g少ないですが、これくらいは許容範囲です。とりあえず一袋買ってみて、食べ比べてみることに。

普段食べているのと遜色ありません。それどころか、名前を聞いたからかいつもよりちょっとふっくらした感じまであります。これは大当たりです!次の日、お買い物に行った時に一人で4袋もカゴに入れていました。レジにはいつもの顔見知りのおばさんではなく、お兄さん。お米をレジに通しながら「めっちゃ米買いますやん」と言われました。「ええ、日本人なので!見てください、これ日本のお米なんですよ」とテンションが上がりすぎて変な絡み方をしてしまいました。あとで恥ずかしくなってももう遅いです。自分の行動に動揺したままだと耳もちゃんと働かず、お兄さんの「お釣りの1ルーブル渡しますねー」という言葉をなぜか勘違いして1ルーブルを差し出すと爆笑しながら「いや、僕が渡すんですって」と言われました。もっと恥ずかしい。逃げるようにして帰ってきた家で炊いたご飯は美味しかったです。

スーパーでの発見といえば、サンクトペテルブルクでのことです。毎日たくさん歩いて足の爪が割れた旦那は絆創膏が欲しいと言い出しました。ホテル近くのスーパーに行っても、見当たりません。ついに店員さんに聞くと、申し訳なさそうに出してくれたのがこちら。 箱の方を見ていただくと、可愛らしいデザインで子供用だと思いますよね。私たちもそう思いましたが、これしかないのなら仕方がありません。Kid'sと書いてありますが購入しました。部屋に帰って箱を開けてびっくり!絆創膏に描かれていたのは、かなりリアルな動物だったのです。写真では馬ですが、しろくまだとか犬などもありました。おそらく写真を印刷しているようなのですが、普通絆創膏に印刷しちゃう…?そしてこれは本当に子供向けなのか、ロシアの子供は大人っぽいからこういうのが好みなのか、本物志向なのか…暫く考えてしまいました。

☆おまけ 最近ウクライナに行った友人からのお土産。 プーチンさんのトイレットペーパー。確かにロシア人のウクライナに対する心象は良くないようですし、その逆もまたしかり。憎い国のトップの顔でお尻を拭いてやろうということなのでしょうか。私たちが行っても絶対買わないので、お土産でもらえて新鮮な気持ちになれました。ありがとうございました!それにしてもこれは使えないな…どうしようかな…。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

ドストエフスキーの足跡を辿る②

Привет!

最近スロバキア人の女の子がやって来ました。休み時間に携帯電話でアニメをみて爆笑しているので「何をみてるの?」と聞くと「進撃の巨人」とのこと。しかも日本語音声、スロバキア語字幕だそうです。アニメが好きらしく、私が日本人だと聞いて喜んでいました。私も日本人で良かったよ。スロバキア語はロシア語と似ているので、同じ単語もあったりして少し楽だそうです。やっぱりスロバキア人でも良かったかもしれません。

さて、ロシア人のドストエフスキーが、服役を終えてサンクトペテルブルクに戻って来てからは長編をたくさん発表したところまで前回記事で書きましたね。その中には「虐げられた人々」や「死の家の記録」などシベリア時代の経験が多大な影響を与えた作品もあります。そんな作品を発表しつつも、愛人関係にあった女性と昔から憧れていた欧州旅行に出かけたりしています。

その3年後に妻が病死。ついで最愛の兄を亡くして悲嘆に暮れますが、ヨーロッパで賭け事にハマり、常に常にお金がなかった彼に休んでいる暇はありません。自身の欧州旅行の経験をもとに「賭博者」という作品を口述筆記で書き上げます。それと同時にあの有名な「罪と罰」の連載を書いたアパートがサンクトペテルブルクにありました。 そのアパートには「ここであのドストエフスキーが1864年から1867年まで住んで「罪と罰」を書いてんで」という石標が残っていました。常に火の車だった彼は、時々家賃が払えずにアパートを点々としていたそうです。 このアパートはメトロСадовая(サドーバヤ)駅から1つ運河を渡ったところにあります。近くには「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフのアパートも。

その翌年には小説「賭博者」で口述筆記をしてくれた24歳下のアンナと結婚。そこから二人で4年ほどヨーロッパを回りながら暮らすようになりました。

そして帰国してから住んだ家は、今はドストエフスキー文学記念博物館として展示されています。 半地下にある入り口には、訪れた前日が臨時休館日だったと書いてありました。危ないところでした。予定を詰めすぎてこの日以外来る時間がなかったので、空いていて良かったです。

この博物館があるのは、やっぱりメトロДостоевская(ドストエフスカヤ)駅。 駅から伸びるクズネーチヌィ横丁にあるのですが、博物館の周りの雰囲気もとても素敵でした。 玄関の様子。

モスクワのドストエフスキーの家博物館が冗談だったのかと思うくらい、この博物館は活気があふれていました。チケット売り場のおばあさんも、クロークのおじいさんも、各部屋に立っているおばあさんたちも、みんな親切に話しかけてくれます。そしてこちらが心配にならない程度にお客さんも来るし、やはりドストエフスキーの本拠地はサンクトペテルブルクだと思い知りました。当時の首都ですからね。

この家も外の壁に石標がありました。ここに書いてあるように、この家で彼は最後の大作「カラマーゾフの兄弟」を書きます。…なんでモスクワにカラマーゾフの兄弟を書いた紙とペンがあったんでしょうね。深まる謎。

1877年から構想を始め、晩年の1880年まで連載していた「カラマーゾフの兄弟」は、当初二部作の予定でしたが、一作目を書きあげた80日後にドストエフスキーは病気のために書斎で急逝してしまいます。それがこの部屋。 右にある時計は彼の亡くなった時間で止まっていると言われているそうです。 子供部屋などもあり、ヨーロッパ旅行から帰ってきてからは賭博をやめ、子供達と楽しく過ごした部屋をみて回れます。

また、部屋の展示が終わると、彼の写真や自筆の原稿など資料を集めた資料部屋もあります。ここで彼と関係のあった人々の写真とともに彼が歩んできた人生を知ることができました。 突然モダンな感じでびっくりしました。

おみやげ物屋さんもちゃんとあり、モスクワとの差が歴然としていました。ここでドストエフスキーのサインが入ったボールペンを買い求めるミーハーな私。今必死で「カラマーゾフの兄弟」を読んでいますが本当に面白いです。いくつか訳本があるので、興味がある方は見比べてみて、読みやすい本で読んでみてくださいね。

ある人の人生をたどっていくのがこんなに面白いとは思いませんでした。今度サンクトペテルブルクに行った時はドストエフスキーのお墓と、他の作家の家にも行ってみたいです。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

ドストエフスキーの足跡を辿る①

Привет!

朝、ニュースを見ていたら安倍首相が出て来てびっくりしました。北朝鮮のロケット発射のことが大きなニュースになっており、日本の排他的経済水域を超えたということで安倍さんの声明が動画で流れていたのです。ニュースの同時通訳のロシア語音声が速すぎて、安倍さんがロシア語を話しているように聞こえるのが新鮮でした。

そういえば、「罪と罰」の書き出しに「7月頭のとても暑いある夕暮れ時」とあるので、この前の土曜日はこの作者のドストエフスキーの日とされています。サンクトペテルブルクで行われたお祭りでは、なぜかドストエフスキーやゴーゴリ(「鼻」の作者です)が踊っていました。

またまた母の話になりますが、この前の旅行へ向けてロシア文学の有名どころは大体読んでいました。その中で母が一番気に入ったのはドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でした。私は「罪と罰」の重苦しさに全然ページが進まなかったので少し驚きました。母によるとあれだけロシア人に評価が高いプーシキンは肌に合わなかったそうです。ということで、今回の旅行ではモスクワとサンクトペテルブルクでドストエフスキーゆかりの地へ足を運びました。

まず始めはモスクワから。 モスクワにはドストエフスカヤ(Достоевская)という駅があります。地上へ上がるエスカレーターの前にはこれでもかとドストエフスキーさんの絵が書いてあり、駅構内にも彼の作品「白痴」をテーマに壁に絵が描かれていました。

この駅には、ドストエフスキーの生家があります。1821年、11月11日医師の家に生まれた彼の家の横にはかつては病院が、今はどこかの大学の医学部がありました。 ロシアではいろんな著名人の家が博物館としては公開されているのですが、ここもそのうちの1つです。それにしても一瞬見落としそうな看板。

中で上着と荷物をクロークに預け、チケット売り場に行きました。平日ということもあるかもしれませんが、お客さんはいないし、スタッフのおじいさんおばあさんのやる気がびっくりするくらいありません。不安にはなりますが、ゆっくり見学できるので良かったです。

ここがリビング。子供の頃のおもちゃなども置いてありました。

ドストエフスキーの父親は医者で、かなり厳しく育てられました。母は優しく、信心深い正教徒で、兄弟はたくさんいたそうです。そんな彼が子供時代過ごした部屋を通りながら、彼の一生をみることができます。

モスクワの学校にしばらく通った後は厳しかった父から離れて、サンクトペテルブルクの陸軍中央工兵学校に通ったドストエフスキー。形式的な学校の生活が苦痛だった彼は文学にのめり込むようになります。そして学校を卒業後、就職はしましたが、作家を志して辞めました。

翌年には「貧しき人々」という処女作出して絶賛されます。「第二のゴーゴリが現れた!」ともてはやされるものの、次に出した何作かは酷評されました。そんな中でも作家同士の付き合いがあり、社会主義のサークルに顔を出していたところ、突然サークルの会員全員とともに逮捕、投獄されます。しかも裁判の判決は死刑。あと数分で銃殺される、というところで皇帝の勅命が届いたので死刑は免れました(これは皇帝の寛大さをアピールするために逮捕から仕組まれたと言われています)。ただ、この時の死の恐怖があまりにも強い体験だったようで、それからの作品にも影響は及ぼしているそうです。

死刑は免れたものの、シベリア送りになったドストエフスキーはそれからの4年間をシベリアのオムスクで過ごしました。この過酷な時に心の支えになったと言われているのが聖書。 これも展示してありました。そこからロシア正教について深く考えるようになったようです。

そのあとも服役しつつ、人妻と恋に落ちたり、その人と結婚したりということもありました。そしてやっと10年ぶりにサンクトペテルブルクに帰ることを許された彼は、どんどん長編小説を発表しました。このあとのことについては次の記事で書こうと思います。

このモスクワの博物館には、彼が敬愛していたというプーシキンの当時の本なども保管されていました。博物館とは言っても普通のお家なので、あっという間に見終わると、最後はちょっとしたホールになっていました。ここで朗読会などが行われるそうです。そうやって使うのね。 そしてそのホールを出ると、上の写真のような白い廊下に出ます。奥ではスタッフの食堂があるらしく、賑やかな話し声や食器の音などが聞こえてきました。 出口がわからないので、その音がする方に向かって歩きます。

と、突然おばあさんがそちらから出てきました。思わず出口の場所を聞くと教えてくれましたが、ついでのように「あ、その奥にあるのが彼が『カラマーゾフの兄弟』を書いた紙とペンよ」と言い残して去って行きました。びっくりして母と二人して駆け寄りました。 どこにもそんな説明書いてないけどほんまに…?

こんな風にモスクワにあるドストエフスキーの家博物館の見学を終えました。次に目指すは彼の本拠地ともいうべきサンクトペテルブルクです!

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

Black Star Burger

Привет!

暑い日が続くようですが、みなさまお元気ですか?モスクワでは雨の日が多く、思わず先生に「ロシアって梅雨あるの?」と聞いてしまいました。ないそうです。風も強いので、台風のような感じです。ツイッターでは、そんな強い風によって地面を滑る工事現場にあるような移動式トイレから人々が逃げ惑う動画が流れて来ました。

今日のミニクイズ!世界で一番有名な三角はなんでしょう?

答えをもう言ってもいいですか?

「バミューダトライアングル」だそうです!今日の授業で出て来ました。私以外すごく納得していたのですが、私はあまり腑に落ちていません。

図形といえば、ハンバーガーの形は普通丸ですが、軍事大国ロシアのバーガーキングでは「戦車(タンク)バーガー」の販売が始まったそうです。なんと黒い四角のバンズでパテを挟んでいます。食べにくくないのかなあ。角から食べるか辺から食べるかで性格が出そうですね。私なら多分角から食べます。

近頃ハンバーガーが大人気のモスクワですが、その中でも一番並んでいるのではないかと思われるお店に行って来ました! あまりにも人が並んでいたために正面の写真が撮れなかったので、SNSの公式ページから写真をお借りしました。 この記事でも名前を出していたBlack Star Burgerです。新アルバート通りに用事があった友達と、列に並んでみます。

学校帰りに行ったので、時間はもう2:30。お昼ご飯には少し遅いくらいです。それでもお店の前には若者がこれでもかと並んでいました。しかし、よく見るとこの列の先にあるのはお店の外で販売しているアイスクリームのようです。それに気づいたのと同時くらいに、店員さんが「ハンバーガーを買いに来た人はこちらへ!」と呼んでいるではありませんか。その人に声をかけて、店内に連れて行ってもらいました。それでも店内も人があふれています。

そんなに広くない店内の入り口にレジがあり、背後の壁にはメニューが貼ってありました。 これも公式ホームページからお借りしたものですが、こんな風に中身が分かりやすく絵に書いてあり、バーガー名も数字なので注文は楽です。そしてなぜか全商品割引中です。

注文ができると、店の奥で受け取るためにまた並びます。店内もテラス席もほとんど埋まっているので、この間に席の目星をつけておかなければ座るところがなくなるかもしれません。ただ、新アルバート通りにはベンチも多いので、晴れていれば持ち帰りにするという手もあります。

できました!ちょっと上から撮ったのであまりそうは見えないかもしれませんが、受け取った時の感想は「思ってたより大きいな…」でした。ポテトは別で頼んだのですが、レジで適当に「はいはい」言っていたらチーズがかかっていました。美味しかったです。

ここのハンバーガーは、アメリカンサイズという目新しさの他に食べ方にも特徴があります。 黒いゴム手袋をして食べるのです。1つずつ手袋が付いてきます。こちらのハンバーガーはソースなどがすぐ溢れて手がベタベタになるのでこのサービスは画期的だと思いました。全部のハンバーガー屋さんが導入したらいいのに。あ、味も美味しかったです。きのこソースなどもあり、色々試せそうでした。ちなみに公式ホームページによると、豚肉を一切使用していないそうなので、宗教上の理由で豚が食べられない人も安心です。

あまりにもアメリカぽいので調べてみたら、ロシアで去年できた会社だそうです。しかもなんとこの新アルバート通りが第一号店でした。オープンから10ヶ月近くたってもこの人の入り具合はすごいです。ちなみに先生によると、二号店のцветной бульвар(ツヴェットノイ・ブリバル)駅にある二号店の方が空いているそうです。

そして店頭で販売していたアイスクリームですが、 こんな感じで、これを食べている人も黒い手袋をしていました(写真は公式ホームページからお借りしました)。他にもピンクや青色などもあり、ロシア人のインスタグラムではよく見かけます。今度はこれに挑戦したいな!お昼ご飯を抜いて!

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
<a href=“//overseas.blogmura.com/russia/ranking.html” target=“_b

バラライカ

Привет!

モスクワも一気に暑くなって、日中は窓を開けて風を部屋に入れないと辛くなって来ました。扇風機の購入は検討中です。そんな暑い中「バラライカ、はじめました(旦那が)」。

もともと、週末や旅行では私の「ここ行きたい!」というわがままに付き合ってくれる旦那はあまり自分から「〜がしたい」と言いません。そんなある土曜日、彼が突然言ったのです。バラライカを買いに行こう、と。

バラライカとは、ロシアの伝統楽器です。 こんなので、胴の部分が三角形というのが一番の特徴です。民話などでも時々登場人物が弾いていたりします。

そう言われれば、何かのイベントでお土産物の屋台の中にバラライカがあれば「弾けたら楽しいだろうね」という話はしていました。そこから彼が少しずつ調べていたことも。そんなに興味があったのか!と驚きましたが、面白そうなのでその日に買いに行くことにしました。せっかくなので楽器屋さんでちゃんとしたものを買うことにします。

ボリショイ劇場横にあるЦУМ(ツム)百貨店の、劇場とは反対側の道沿いに楽器屋さんが二店舗あります。そのうちの一店舗は道沿いのショーウィンドウにヴァイオリンやギターが飾ってあるので分かりやすいです。恐る恐る扉をくぐって、バラライカを探します。 ありました!

この下に座っていたおじさんに声をかけて、バラライカを探しているんですが…と言ってみました。「お土産用?それともちゃんと弾くためのもの?」「ちゃんと弾きたいんです。その7500p(15000円)と9000p(18000円)の違いはなんですか?」とやりとりの後、面白い事実を知りました(お店には他にも12000pの共鳴胴に綺麗な装飾がされている飾り用、30000pのプロ用もありました)。

「安い方はお土産用ですよ。ほら、ネックの根元の長さが違うでしょう?バラライカの特徴である3本の弦は一緒ですが、フレット(ネックについている、音階を出すために押さえる線のこと)の数がお土産なら18本、演奏用なら23本あるんですよ」 ここのことです。お土産用はよく見ると、共鳴胴の三角形にネックが入るところでフレットが終わっていました。先ほどのお店の写真の中にある唯一のバラライカはお土産用なので、拡大して見てみてください。

ついでにおじさんは他にも色々な説明をしてくれました。3弦のうち、2本はナイロンでどこも押さえずに鳴らす(開放弦)と、どちらもミの音が出ること。もう1本は金属弦で、開放弦はラが出ること。音としてはかなり制限されているはずです。ここで9000pのバラライカを買うことに決めると、おじさんが「まだ作られて間もないから」と目の前で弾くことによって弦を慣らし、デモンストレーションをしてくれました。音が制限されているとは思えない、幻想的な響きに惚れ惚れします。 多彩な音色です。ちなみに替えの弦は二種類どちらも入って120p(240円)でした。このお店で変えてくれるそうです。

帰り道、大満足の旦那は電車の中でバラライカを教えてくれるスクールに連絡して、次の日から通いはじめました。先生はジョン・レノン似だそうです。完全に趣味なので毎回楽しいと通っています。私もさせてもらいましたが、ピックではなく指で弾くので痛いものの、小さめの手の私にはギターより押さえやすくてちょっとやる気が出ました。ただ本当に抑える場所によって音の響き方も変わってくるので、動画のように速く引けるまで時間がかかりそうです。

ちなみに旦那はジョン(似の先生)に、第一回目の授業でバラライカではなく、マンドリンにしたら?と言われました。日本ではそっちの方が有名でしょう?と。いやいや、バラライカ買っちゃったし、こっちがしたいねん、と説得したようですが、そんなことがあるのかと少しびっくりしました。

音楽っていいですね! Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村

「魚はありません」

Привет!

昨日は少し帰りが遅くなったので久しぶりにタクシーを使いました。今回の運転手さんはあまり話さない人なんだなあと思いながらゆったりとした気持ちで乗っていると「音楽が聞きたいですか?」と突然声をかけられました。どっちでも大丈夫ですよ、音楽は好きなので、と返してから、せっかくなのでお話ししたくなったのでこちらから話題を振ってみました。私にとって初めてロシアで迎える夏なのですが、この寒さは普通ですか?と。それから運転手さんは堰を切ったようにロシアのこと、モスクワのこと、人々の暮らしについてなど話し始め、私は必死でリスニングをする羽目に。しかも時々意見を求められるので気が抜けません。面白い経験ができましたが、無理に話しかけるのも考えものだと学びました。

その運転手さんはモスクワはどんどん人が入ってきて、住民の性格もきつくなったと嘆いていましたが、私は滞在期間と比例して人々の優しさも感じ取れるように思います。レストランの店員さんが居心地が悪くないかマメに声をかけてくれるところも増えてきました。

最近行ったレストランも接客が良すぎて帰り道に思わずスキップをするほどでした。それがこちら。 Рыбы нет(ルィーヴィ・ニェット)、「魚はありません」という名前がついたこちらのお店は、ロシア国産牛専門のレストランです。長年モスクワに住んでおられたりすりすさんの記事を読んでからずっと行こうと決めていたレストランでした。

このネーミングセンスの良さもさることながら、入った瞬間から雰囲気がいいのです。一回目は旦那と一緒に行きました。その前に遅めのお昼ご飯を食べていたので、メインだけ頼むことに。あまりお酒が強くない私たちのお肉のお供は、ワインではなくベリーのジュース、モルスです。 メインだけお願いすると、注文を取ってくれたお兄さんは一度奥へ帰ったものの、すぐまた戻ってきました。「ほんまにメインだけでいいん?バケットいらん?サービスするで?」と。なのでテーブルの真ん中にバケットがあります。横に添えられているナイフが、お肉を切るのと同じもので怖かったです。でもこういうことをされると嬉しくなりました。

私の頼んだものは「お肉のサンドイッチ」だったのですが(正式名称を忘れてしまいました)、パンには本当にお肉だけしか挟まれていませんでした。サンドイッチというなら!レタスを入れてくれ! どーん。

旦那のステーキも本当に美味しくて、リピート決定。セントレジストホテルに隣接しているのでお手洗いがめちゃくちゃ綺麗だったそうです。

店内の雰囲気も素敵でした。バーカウンターもあれば、椅子や机もたくさん並んでいて、そしてお客さんが途切れずにやってきます。下の写真をみてもらうと、チェックのシャツを着ている店員さんがみんな立派なあごひげを生やしていました。 あまりにも気になったので、そのあごひげは必須なのか聞こうとすると「恥ずかしいから」と旦那に止められてしまいました。でも気になる。

ということで、第2回は母と二人で行ってきました!この時、テーブルを担当してくれたお兄さんは英語で全部説明してくれました。もしかしたらみんな英語が話せるのかもしれません。

まず頼んだのはシーザーサラダ。間も無く運ばれてきたものを見ると、ボールにレタスが盛られているだけ…?戸惑いつつも旅先の食事なのでカメラに収める母。そこへ担当のお兄さんが「調理をしてもいいですか?」と笑いながら訪ねてきます。調理??お願いすると、先ほどのバケットについていたようなナイフで突然ザクザクとレタスを刻み始めたのです!下からチーズやらチキンやら出てくる出てくる。最後に横のテーブルに置いてあったナイフとフォークを使って混ぜ、それぞれのお皿に乗せてくれました。 感動。

私はグリャーシュと呼ばれる、ハンガリーのシチューを注文。母は前回の旦那と同じステーキを注文していました。 グリャーシュは少し辛めにブロッコリーとお肉を煮込んだものです。 シチュー?でも思っていたより辛かったので、水分が少なめでよかったかもしれません。お肉はほろほろしていて、食べやすく、わたあめでも食べているのかと思いました(誇張表現)。

食後にコーヒーと紅茶を頼んで、気持ちを落ち着かせてからいざ質問。最近やっているロシア語の文法で「行く」という意味を表すいくつかの単語の中に「似合う」「(服などを)着る、(ヒゲなどを)生やす」という意味を持っているものがあると習ったばかりだったので、ロシア語で「あなたのあごひげはとてもよくお似合いですね。このお店ではヒゲを生やさないといけないんですか?」と聞いてみました。するとお兄さんは照れたように笑いながら「全員、そうなんです」と答えてくれました。やっぱりそうなのか!謎が解けてスッキリしました。それにしてもおのお店の店員さんたちはカッコいい上に接客も気持ちがいいので、何度来ても癒されます。

街の中心部のメトロ赤線ルビャンカ駅から徒歩1分ほどと近いので、是非!!本当にオススメです。 この記事で書いたハンバーガー屋さん、фаршもここの系列店です。

Пока!

にほんブログ村 海外生活ブログ ロシア情報へ
にほんブログ村