モスクワ奮闘記

2016年7月末にモスクワに引っ越してきました。

ちょといい市場

Привет!

家の周りはそんなに市街地ではないのですが、一番近いキオスクのあたりに大きな車がたくさん停まっていました。その周りではスタッフらしき人々がおそらくドラマか映画の撮影の準備をしています。ドアが開いている車があったので横を通り過ぎる時にちらっと見てみると、中はメイク室のようでした。周りに有名人いないかなーというミーハー心が一気に出てきます。最近ではテレビCMを見ていても、よく見る番組の司会者だったり知っている女優さんが出てくるのが分かるようになりました。それにしても、今朝のはなんの撮影だったのかなあ。ドラマにしろ映画にしろ私がその作品に出会える可能性はほとんど0に近いですが、いつかうちの近くをテレビで見られたら面白いです。

そしてそんな大きな車がたくさん停まっているのに、すぐ横ではおばあちゃんがビニールシートを広げて果物やジャムなどを普段通りに売っているところがロシアっぽいなあと感じました。別にいいけど、おばあちゃん達車に気をつけてね。そこ退いて!とか言われなかったんですね。心が広いというか、細かいことは気にしないというか…。ただ、ちょうど昨日私もそこでチェリーを買ったところだったので普段より気にかけてしまいます。あ、チェリーはめちゃくちゃ美味しかったです!

初めはこういうところで買うのはなかなか勇気が必要で、買えるようになったのは最近です。それまではスーパーで売っていないような野菜を買うときは"рынок(市場)“と書いてあるところへ行っていました。そのうちの1つがこちらです。

Усачевский рынок(ウサチェフスキー ルイノック)は最近できた(リノベーションされた?)市場で、メトロ赤線スポルティーブナヤ(Спортивная)駅から歩いて10分かかりません。фрузинская駅からだと20分近くかかりました。

母のロシア最終日、来る前に聞いていた「食べたいものリスト」はほとんど制覇していました。ただ1つ、ウズベキスタン料理「プロフ」を除いて。この市場には、入り口の反対側の壁際にフードコートがあります。そこでプロフも、そろそろロシアとその周辺国の料理にも飽きてきた旦那のための料理も食べられるはずだ!と思いついて二人を連れて行きました。角の奥まったところにプロフ屋さんがあります。 「平日のプロフ」と「祝日のプロフ」の二種類があって、それぞれ300pちょっと。母と二人で1つずつ頼みました。プロフとは、野菜とお肉をお米と一緒に炊いたもの。香辛料が少し入っているピラフみたいなものです。この「プロフ・ドット・コム」というお店は美味しいし、お皿も可愛いしで、母も満足してくれました。これでリスト完全制覇!

また、フードコートのうちの1つのお店では「普通の」お寿司が食べられるということでいつも日本人だと思われる方がいらっしゃいます。旦那は寿司5貫と味噌汁を頼んだのですが、お寿司が出てくるのが少し遅くてお味噌汁を先に飲み終わってしまっていました。味は日本のお寿司そのもので美味しいそうなのですが、その量で1000p(2000円)をくだらないのでやはり日本食は高いなあと感じました。

元々この市場に友達が初めて連れてきてくれた時に行ったのはグルジア料理屋さん。これ入り口入ってすぐ、右手にあります。 ランチセットを頼むとイートインコーナーで食べられました。奥の椅子は天井からつられているので、ブランコに乗りながらご飯を食べるという貴重な体験ができます。

メニューはほとんどグルジア語の単語だと思うのですが、発音ができてもどんなものか分かりません。ただ、レジ横の画面で写真とともに紹介してくれます。それを見ながら気になったものを頼みました。 これで250p(500円)!そして各テーブルにロシアでは本当に珍しいことに、無料のお水が!お店の端には手を洗える水道まであります!感激してしまいました。

お友達によると、ここのハチャプリ(チーズや卵がのっているパン)も美味しいらしいので、今度お持ち帰りしたいと思います。

Пока!

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ダンチェンコ劇場

Привет!

同じクラスにいるフランス育ちのイギリス人Rくんはあるロシア人女性に恋しているそうです。毎週金曜日になるとモスクワ中のレストランを知っているんじゃないかというくらい詳しい先生におすすめのレストランを紹介してもらい、週末に彼女を連れて行くようなのですが、毎週月曜日にデートの印象を聞くとその女性の掌の上で転がされている感じが伝わって来て、聞いている他のクラスメイトたちは少し心配しています。クラスの中で唯一の女性だからか、彼女の行動について時々相談を受けるのですが、聴けば聞くほど「文化が違うし、人による」という感想しか出て来ません。スキンシップの意味なんて私よりフランスで育ったあなたの方が詳しいと思うよ、とR君に毎回伝えるしかできないのがつらいところです。

恋や愛はいつでも人を悩まします。だからこそ様々な作品の題材になっているのですよね。昨日ご紹介した「ジゼル」なんてそのものです。今日はこのジゼルをみた劇場について書きますね。 「スタニラフスキー・ネミローヴィッチ・ダンチェンコ劇場」という名前が長すぎて初めから覚える気がなかったのですが、周りの人に話すたびに「もしかしてそれダンチェンコで見た?」と聞かれたことで通称がダンチェンコ劇場だと知りました。旦那の家庭教師の先生によれば「ボリショイ劇場は観光客でいっぱいでしょ。同じクオリティのものがダンチェンコでも見れるから私はこっちの方が好き」だそうです。この前あなたがボリショイ劇場に行ったのをインスタで見たけどな。でも確かに、ボリショイ劇場の一階席で見ようと思えば30000pはすると聞きます。10分の1の値段であのクオリティのものが見れるなら大満足です。

場所はプーシキン広場(メトロのプーシキンスカヤ、チェーホフスカヤ、トベルスカヤ駅)から徒歩5分くらいという立地の良さも魅力的です。2005年に火事で劇場は閉鎖したものの、また最近リニューアルオープンしたのでとても綺麗です。休憩時間の飲食スペースもこんなに広々としています。

また、博物館のような展示スペースもあり、様々なバレエやオペラなどの舞台芸術もミニチュアで再現してあったりしました。知らない演目でも舞台セットだけで見たくなります。実は創立されてから100年もの長い歴史を持つこの劇場所属のバレエ団は、調べてみるとボリショイ劇場に次ぐレベルだと言われており、また新しいことにも挑戦する劇団ということで有名だそうです。そして、バレエに関してはただ舞うだけではなく、演劇的要素を取り入れることも大きな特徴だとか。だからジゼルの演技があそこまで真に迫っていたのですね。 そんな彼らの衣装もたくさん飾ってあります。そして1つ1つ見ていると突然着物が!ソ連時代のバレリーナ、リディア・ザハレンコさんが日本のバレエコンクールで特別賞をもらったことを記念した展示でした。びっくりした。

こちらの劇場、入ってすぐがクロークになっており、これらの展示や舞台は二階にあります。お手洗いはクローク前にしかないので早めに行っておいてくださいね(休憩時間終了間際にお手洗いの場所を聞くと、丁寧に教えてくれた後「時間がないから急いで!」と言われました)。

先ほどの飲食スペースの前には大きな、印象に残る絵も飾ってあります。

さてここで問題です。この絵の題名はなんでしょう?

よく見てくださいね。

答えの準備はいいですか?

…「3つのオレンジへの恋」だそうです。思わず二度見してしまいました。そう言われたら真ん中にオレンジ3つあるな…。

帰り際に同名のオペラの案内を見かけ、慌てて調べてみました。なんと有名なオペラで、日本語のウィキぺディアまであります。

ソ連になった時にアメリカへ亡命した劇作家プロコフィエフさんはその道中でイタリアの童話「3つのオレンジへの恋」を題材にしたオペラを思いつきます。そしてシカゴで初演。ただ当時はアメリカ人にとってロシア語は敵の言葉なので、フランス語で上演されたそうです。その後ロシアに逆輸入され、人気のオペラの1つになったとか。あらすじはざっくりいうと、うつ病の王子が悪い魔女に「3つのオレンジに恋をする」という呪いをかけられ、オレンジを探しに行くという話です。それ以降は先ほどのリンク先を見てください。ちょっとぶっ飛びすぎててよくわかりませんでした。機会があれば見てみたいと思います。ついでにこの名前で検索するとなかなか面白い画像が出てくるので是非。

Пока!

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バレエ「ジゼル」

Привет!

本当に安定しない天気で、今日も学校帰りに激しい雨に降られました。iPhoneの天気予報は降水確率30パーセントだったのに…とぼやくと、先生が「多分雨が降るって伝えてあなたを悲しませたくなかったのよ」と言ってくれました。何それ素敵。今度誰かに使おう。でも傘を持って出かけずに雨に降られる方が悲しいんやけどな。

6月末なんてまだまだ先だと思っていると、もう今週末に迫っていることに気がつきました。次の観劇の前に前回見たものをお伝えしないとどんどん溜まってしまうので、今日は有名なバレエ「ジゼル」のお話です。 やっぱりロシアに行くならバレエの1つでも見ておかねば、という母の要望を聞いてインターネットで探し始めました。チャイコフスキー3部作(くるみ割り人形、眠れる森の美女、白鳥の湖)はいつでもやってるのですがなかなか日が合いません。そんな時チャイコフスキーと並んで有名なバレエ「ジゼル」のチケットを見つけました。3000p(6000円)と少し高かったのですが、日本で買うよりは安い!という母の言葉で買うことにしました。

語学学校の近くのチケットブースに行って「5/15のジゼルのチケットってありますか?」と聞くとすぐに席を選ばせてくれました。購入手続きをしている途中で「ところであなたはロシア語上手ですね。全部理解できますよ」と言われ(こう言われる時点でどう見ても外国人だということなのですが)、すっかり気をよくした私は「日本から母が遊びに来るので、バレエを見せてあげたくて」ということまで話しました。「それならこのチケットはぴったりですね。良い劇場ですし、良い演目だわ」なんと暖かい言葉!まだ見ていないのにこの言葉だけで一人3000p出したことをすっかり忘れました。 そんなチケット売り場のおばさんおすすめの劇場はここ。スタニスラフスキー・ネミローヴィッチ・ダンチェンコ劇場です。びっくりするほど下手に取れた上の写真は劇場外にあった「本日の演目」を紹介する液晶画面です。写真って難しいなあ。劇場自体も面白いので、次の記事でご紹介しますね。

バレエ「ジゼル」はもともと1841年にフランスで初演されましたが、翌年にはロシアのサンクトペテルブルクで上演され、それ以降、演出家がロシアで作品に磨きをかけました。そして今ではもうフランスでの上演はなくなり、ロシアで生き残った、ロシアを代表する作品となっています。 上演前の様子。

それではどんなお話か、私の感想を交えながらご紹介しますね(人物名はパンフレットに載っている表記で書きます)。

第一幕 アルバート伯爵は村娘のジゼルに恋をし、自らの高貴な身分を隠して彼女に近づきました。そんなことは露とも知らないジゼルもアルバートのことを好きになります。一方、村で貴族たちの狩りの番人として働いているハンスも、ジゼルのことを愛していました(観客にもジゼルの可憐さが伝わって来ました。めっちゃ可愛かったです)。ハンスは嫉妬にかられてアルバートの狩りの道具を置いている小屋に忍び込み、貴族の証である剣を見つけ出します。彼は証拠としてその剣を持ちさりました。このバレエはこれまで見た中でも一二を争うくらい舞台芸術が素晴らしく、このシーンでも小屋の窓から恐る恐る出入りするハンスに容易に感情移入ができました。

そんな時、公爵とその娘バティルダが狩りをしに村にやって来ました。このバティルダは実はアルバートの許嫁でした。アルバート最低ですね。何も知らないバティルダはジゼルの美しさに魅了され、彼女にネックレスを贈ります。バティルダがその場を去った後、アルバートの前で彼の剣をジゼルに見せ、正体を暴くハンス。混乱するジゼルをアルバートがなだめようとしたところにバティルダとその父である公爵が帰って来ました。さすがに公爵の前でバティルダを無視することはできず、彼女の手に口づけをするアルバート。それを見て理解したジゼルは、発狂しました。このシーンでのジゼルの踊りが凄まじかったです。ある時は怒りに顔を歪め、またある時は天を仰いで微笑み、髪を振り乱し、もらったネックレスを引きちぎりながら踊り続けます。あまりの痛々しさに目を背けたくなりますが、目が離せません。素晴らしい演技でした。こんなにも感情のこもったバレエは初めてです。そうしているうちに、ジゼルはショックのあまり死んでしまいました。第一幕はここまでです。

第二幕 幕が上がると、第一幕の舞台であった村の小屋の明るい雰囲気とは打って変わって、夜の森の墓場が舞台になっていました。実はこのバレエはオーストリア地方の伝説で、結婚を前に亡くなった若い娘の亡霊はウィリと呼ばれ、夜中に森に迷い込んで来た男性を死ぬまで踊らせるという話を題材としています。第一幕で亡くなったジゼルもウィリとして他の娘たちと踊っているところから第二幕が始まります。

そこへハンスがジゼルの墓へやって来ました。彼がジゼルを思って泣いていると、ウィリの女王に連れられてやって来たウィリたちに捕らえられてしまいました。そこから彼は休むことを許されず踊らされます。バレエってすごいですね。もう踊りたくない、休みたいと思っているのに踊らされているというのが観客に伝わるような踊り方ができるんですね。目から鱗でした。彼が命乞いをしてもウォリたちは踊らし続け、ついにハンスは死んでしまいます。

次の夜、アルバートがジゼルを失った悲しみに暮れながら墓までやって来ました(一日何しててん)。例に漏れず、アルバートも捕らえられ踊らされます。彼がもう力尽きようとしている時、まだアルバートを愛している(とパンフレットに書いてある)ジゼルがアルバートを解放してくれるよう女王に頼みました。そのうちに夜が明け、力を失ったウィリたちは墓へ帰っていきます。生き延びたアルバートはジゼルの魂に最後の別れを告げました。

終わり。 カーテンコールの時は写真を撮ってもいいのだと経験上理解しました。

普通のバレエと違ってスカートも長く、衣装が可愛かったです!普段着にできそう!そして申し訳ないのですが、アルバートに全く感情移入できず、ハンスばかり応援していました。

これまでの中で一番感情を動かされた素晴らしい舞台でした。ジゼル、おすすめです!!

Пока!

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ビリービンのお話

Привет!

曇っているからか低気圧だからか、この時期はロシアの人も頭痛に悩まされるようです。この間、授業が始まった時は晴れていたので元気だった先生が、太陽が雲に隠れた瞬間に「頭痛い…」と言い始めたので太陽の力を思い知りました。少し影響するのが早すぎるのではないかと思っています。

今回のように日本から来てくれた家族や友人を案内していると、私が一人で町歩きをしているだけであれば見落としていたものに出会え、違う角度から街を見ることができます。今回の場合は、それが「ビリービン」でした。

モスクワに来た次の日、本屋が好きな母をトベルスカヤ通りの本屋(霧の中のハリネズミを買ったお店です)に連れて行きました。きちんと来る前にロシアのことを予習して来た母は「地元の図書館でロシアの民話を借りてんけど、本当に綺麗な挿絵が付いていて、その本の原書があれば欲しい」とのことでした。「画家の名前は?」と聞くと「ど忘れしたけど見たらわかる」とのことだったので、とりあえず民話コーナーへ。こちらは民話はсказка(スカースカ)と言って広く読まれており、どこの本屋さんでも民話コーナーは必ず設けられています。この本屋さんでは棚3つ分でしたが、この中から一冊を探すとなるとかなり骨が折れそうです。とりあえず一冊出してみました。これじゃなさそうです。手がかりがないので勘で二冊目を出してみます。「これ!この絵!」…そんな早く見つかる!?運命じゃない?と二人で喜びながら買いました。 この挿絵を描いている画家こそ、ビリービンさんだったのです。

イワン・ビリービン(日本語表記はビリビンのところもあります)は、1876年生まれ。あの「イワン雷帝とその息子」を描いたレーピンに師事しました。ビリービンを一躍有名にしたのは1899年に発表したロシアのおとぎ話の挿絵でした。そのあと1902年から2年ほどロシア北方を旅し、木造建築やロシアの伝承に魅了され、多くの民話の挿絵を残しています。北方や木造建築といえば、この間訪れたキジ島の辺りでしょう。 親近感を感じます。

その後の彼は、1917年に起きたロシア革命(ソ連になった革命ですね)に相容れないものを感じて、カイロやパリへ脱出しますが、そこでもロシア正教会の内部の装飾やソ連大使館の模様替えなどを担当し、やはり故郷への憧れを諦めきれず1936年に帰国。ソ連アカデミーなどで教えた後、生まれ故郷のサンクトペテルブルク(当時はレニングラード)で暮らしていましたが、そこで大祖国戦争が勃発。ナチスドイツにレニングラードが2年以上包囲された「レニングラード攻防戦(レニングラード包囲)」に巻き込まれ、1942年に道半ばで亡くなりました。彼は浮世絵からも影響を受けており、また彼の絵は宮崎駿監督にも影響を与えたようです。三鷹の森でビリービンの特別展を開催したこともあったそう。

母が来た2週間でビリービンとの繋がりはこの絵本の発見だけに留まりませんでした。2日後に、晴れていたので素敵な宮殿を見せようとツァーリツィノ公園へ母といったときのことです。宮殿の中の博物館へ足を運ぶことにしました。入り口のお姉さんに特別展からみていってね、と言われたのでその部屋へ入ると、 まさかのビリービン展。彼の作品はもちろんのこと、参考にした民族衣装や、彼が使っていたカメラ、絵の具セットなども展示してありました。大興奮の母と私。

通常展ももちろんみましたが、まさかの出会いにしばらくビリービンが頭から離れませんでした。本以外のグッズも売っていて、ここぞとばかりに買い込む母がすごかったです。 トートバッグなのですが、布や縫製もしっかりしているし、持ち手も可愛いし、最高でした。

そして、キジ島へ行くべくペトロザボーツクの船着場で時間をつぶしていたときのことです。お土産物屋さんにふらっと入り、あとで何を買おうか考えながら広くはない店内をぶらぶらしていた母が、あっと声をあげました。 売り物ではなく、飾りとして置かれていた木箱にビリービンの絵が書いてあったのです。ここでも出会うとは!彼は北方を旅していたこともあるのでゆかりがないわけではありませんが、予想だにしていなくて驚きました。

その後に訪れたサンクトペテルブルクでは、路上で売っている本の中にたまたまビリービンが描いた挿絵も入ったプーシキンの民話を見つけ、購入。

さすがにノブゴロドでは出会いませんでしたが、モスクワへ帰って来た2日後にhttp://mickymm.hatenablog.com/entry/2016/08/27/225717:title=ジェツキーミールへたまたま立ち寄りました。真ん中に吹き抜けになっている大きなホールがあるのですが、何の気なしに母に「いつもはここで大きなイベントをやってんねんで。クリスマスの時なんてこんな背の高いクリスマスツリーが…」と言いながら見上げたところで、天井付近にビリービンの絵を発見しました。 ここでも会うか!?また二人で大興奮。その場にあったフロアガイドを見ると、このお店のこだわりの1つとして「ビリービンの世界観を子供達に味わってもらいたくて天井に描きました」というようなことが書いてありました。国民的な画家なのですね。

最後に私が一番好きな絵を。 カエルの王女という作品です。ある国の3人の王子が、弓を射った先にいた女性を結婚相手にするよう言われます。上二人はいいのですが、一番下の王子の矢が着いた先にいたのはカエルでした。この絵はそのときの王子の「え、結婚相手カエルなん…?」という表情が描かれていて、見るたびに笑ってしまいます。このお話はまた時間があるときに訳してご紹介しますね!

Пока!

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ボロジノ戦闘パノラマ館

Привет!

昨日からiPhoneの言語設定をロシア語に変えました。旦那にはなんで自分を追い詰めるのかと聞かれたのですが、授業中に出てくる言葉が携帯電話のアプリや設定でよく使う単語だったりすることが増えてきたからです。すると、ツイッターまでロシア語になってしまいました。例えば「リツイートしました」は「ретвитнул(-а)」=リトビートヌル(ラ)と書いてあり、そのままやんと思う反面、動作をした人の性別で過去形が変わる不便さが表れていて面白いです。リツイートした人が男性なら「л(ル)」で終わり、女性なら「ла(ラ)」で終わるのです。ほら、文法ややこしくするからこうなるんやん。

6月24日の記事に「大祖国戦争が始まった日」だと書きました。ロシアにはこの「祖国戦争」という名前がついている戦争は2つあります。この前書いた1941年から1945年のナチスドイツが攻めてきて、迎え撃った戦争は実は2つ目です。1つ目は1812年に起きた、フランスのナポレオン軍が攻めてきた戦争を指します。

フランス軍とロシア軍が対峙したのは1812年9月7日、モスクワ西部のボロジノでした。現在、当時の戦場をパノラマで再現した博物館があります。 どーん。パノラマなのでちゃんと丸いですね。場所はメトロКутузовская(クトゥーゾフスカヤ)駅から大通り沿いに歩いて10分ほどのところです。

クトゥーゾフというのは、この戦いで大活躍した総司令官の名前です。外交官としても人気が高かった彼は、フランス軍に押されていたロシア軍の総司令官に着任しました。もちろ博物館前にはクトゥーゾフさんの銅像があります。

博物館ではパノラマへ行く前に当時の兵士の服装や、当時の新聞などを用いてナポレオンの評判などが展示されています。

一通りそれらの展示を見終わると、階段を登ってパノラマへ。壁を一周する形で当時の戦場を再現した絵が書いてあり、その絵との境界がわからなくなるほど巧妙にジオラマが作られていました。また小型のパソコンが置いてあり、絵の中に描かれている人をタッチすると名前が分かる、という工夫も。必死でクトゥーゾフとナポレオンを探しました。 ジオラマと絵の境界がみえるでしょうか。ジオラマの方には犠牲者などは置かれていないので安心してください。

実はこのボロジノの戦いではロシア、フランスともに決定的な勝利を得ることはできませんでした。両軍ともに甚大な被害を出し、ロシア軍は退却を余儀なくされます。クトゥーゾフはモスクワをフランスに明け渡すことを決定しました(その場面の絵画も飾ってあります)。しかし、彼には秘策がありました。征服した土地での略奪によって食料や衣料を補給することで有名だったナポレオンがこれ以上力をつけないように、モスクワを焼いてしまうことにしたのです。 これはモスクワの地図です。この中で黒くなっている部分が計画上焼き払う部分だったそうで、実際計画通りモスクワのほとんどが火の海になりました。

もちろん、27万人もいたモスクワ市民は焼く前に疎開しました。博物館では、パノラマが終わった後も展示は続きます。火事のところでは聴覚と視覚で感じられるような演出がなされていました。

ナポレオン軍はモスクワに無血入場した際にはもう遅く、略奪できるものは全て燃えてしまっていました。クトゥーゾフは南方からモスクワを包囲して、ナポレオンの糧道を断ちます。そこへ冬将軍がやってきました。ここはロシアです。10月に入れば雪が降ります。

飢えと寒さ、そしてクトゥーゾフ軍の攻撃に耐えかねたナポレオン軍は、やむなく退却を始めました。そんなナポレオン軍にクトゥーゾフ軍は追撃をかけます。始め13万から19万ほどいたと言われるフランス軍はロシアを出る頃には3万ほどになっていました。

この戦いがそれまで飛ぶ鳥を落とす勢いだったナポレオンの転換点となりました。また、トルストイの有名な作品「戦争と平和」はこのボロジノの戦いがクライマックスになっているそうです(いつか読みます)。

他の博物館とは少し違った、珍しい博物館はほとんどがロシア語ですがかなり興味深かったです!

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肉まん屋さん

Привет!

やっと金曜日です!母が来ていた2週間は語学学校をお休みしていたのですが、戻って来ると違う先生になっていました。前から顔も名前も知っている先生だったのですが、先生も一年近くいる私のことを知っていたようで、自己紹介を求められませんでした。そんな先生がこの前「悲しいニュース。今年はモスクワに夏が来ないんやって。最高でも25度で、それ以上は上がらないらしい。ウラル山脈より東は暑くて、シベリアなんか40度近くあるらしいわ」と教えてくれました。シベリア40度って。イメージめっちゃ変わるやん。

そろそろブログの名前を変えた方が良いのではないか、と思われるくらいモスクワから離れていましたが、今日からしばらくはモスクワのことを書きますよ!レストラン情報と観光地情報、ロシア語や文化の話などをバランスよく書きたいと思っているので、またお付き合いよろしくお願いします。

さて、そんなモスクワに帰って来た第一回目の更新は、肉まん(豚まん?)の話です!全然ロシアっぽくないですね! 実はモスクワ在住の方の間では有名なのだそうです。お店の名前はПян-се(ピャンセ)。ロシア語で何か意味があるのかと思ったのですが、調べても出て来ません。ちなみに店名の横に書いてあるハングルを韓国語が話せる友達に読んでもらうと「ピョンス」とのことでした。思わず「意味は?肉まん?」と訪ねたのですが、返事は「こんな単語はない。おそらくこのロシア語の音だけを聞いた当て字ではないか」とのことだったので、調べてみました。エヴェン語(ヤクーツクやオホーツク海沿岸、カムチャッカに住む少数民族の言葉)を語源とする、韓国語のサハリン(樺太)方言だそうです。…少し私には情報量が多すぎた気がします。

噂はよく聞いていたのですが、たまたま母と前を通りかかったので立ち寄ってもらうことにしました。赤線библиотека и.м. Ленина(ビブリオテーカ・イメニ・レーニナ)駅を出たところ、駅の名前にもなっているレーニン図書館の向かいです。大通りに面していますが、入り口が小さいので見落としがちになります。気をつけてくださいね。

様々なセットもありましたが、小腹が空いているくらいだったのでオーソドックスなものを注文します。クラシーチェスキー(クラシック、という意味です)には豚肉、牛肉、キャベツが入っていました。ちなみに他には「キムチ味」…キャベツの代わりにキムチが入っているもの。「鮭入り」…鮭とマッシュルーム入り。「ベジタリアン用」…アスパラガス、人参、キャベツ、果皮(?)入りのもの、の種類があります。ちょっと鮭入りが気になりました。

店内には蒸篭がたくさん積んであって、それぞれに一種類ずつ入っているようでした。注文するとお兄さんが蒸篭から出して包んでくれます。 二人で1つにしましたが、小腹が空いているくらいの私たちには十分でした。片手を広げたくらいあるのです。想像していたよりも大きくて、満足でした。これで200p。肝心の味は、本当に素晴らしかったです!外の皮はふわふわ、中の具も味がしっかりついていて食べ終わるのが勿体無いくらいでした。

店内はそれほど広くないどころか2席しかありませんが、これからの季節、少し肌寒い時などに食べながら歩いても良いかもしれません。リピート決定です。

つい先日も旦那と出かけた時にたまたま別店舗の前を通りかかりました。緑線のкузнецкий мост(クズネツキー・モスト)駅を出て、左手の高架下です。 旦那にその美味しさを必死でプレゼンし、買うことに。彼は初めてだったのでまたクラシックの肉まんです。ここも店内には椅子が3つしかありませんでした。一口食べた旦那いわく、551の蓬莱を思い出すくらい美味しい!とのことでした。

今度は彼はキムチに、私はサーモン入りに挑戦したいです!

Пока!

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さらばノブゴロド

Привет!

今日はロシアにとって大事な日だそうです。先生に「なんの日かわかる?」と聞かれたのですがクラスメイトは誰もわからず。第二次世界大戦、というより大祖国戦争(ロシアとドイツの戦争)が76年前の今日、ドイツがロシアに攻めてきたことによって始まりました。なんと朝の4時だったそうで、クレムリン前の戦争犠牲者を追悼するモニュメントの前には同時刻に人々が集まって花を供えているニュース映像を見ました。また、今日はいろいろな都市で小さい蝋燭とカーネーションを1418個並べます。これは戦争が続いた日数を表しています。ボルゴグラード(旧スターリングラード)もロシアにいるうちに行かなきゃなあ。

さて、ノブゴロドで見るところはほとんど見終わったので、少し早めの晩御飯として、前日ホテルで教えてもらったレストラン「イルメニ」へ行きました。このレストランの名前は、クルーズをしたヴォルホフ川と合流していた川の名前ですね。ホテルからもクレムリンからも徒歩10分かからないところにあります。ちなみに地球の歩き方にも載っていました。

内装はこんな感じ。テラス席のような、自然の光だけで明るさを保っています。外には公園があって、子供達が物珍しそうにこちらを見てきました。

この頃には天気も回復し、暑くなってきたのに加えて、一日中歩き回っていたので、私と旦那はクラフトビールを注文。まだ晩御飯の時間ではないからと、そのビールに合いそうなおつまみプレートを注文しました。 この他にもう一種類、同じようなプレートを注文。700p(1400円)ほどでしたが、とても美味しかったです。

味は全体的に良かったのですが、あまり店員さんがテラスの方まで出てこない、お料理が少し遅い、というのはありました。店員さんによるかもしれませんが。これだけでは晩御飯の代わりには足りないと思った我々は、プレートを食べ終わる直前にシャシリク(カフカス料理で、いろんな動物の肉をBBQ風に焼き上げたもの)詰め合わせを頼みました。

おつまみプレートを食べ終わる直前、ナイフを落とす私。店員さんにお願いして新しいものを持ってきてもらったのですが、その時はナイフの出番がなく、メインが来た時に使おうと新しいまま自分の取り分け用のお皿の上に待機させていました。いよいよメインが来る前、全員のお皿が下げられるのと同時に新品のナイフまでもって行かれてしまいました。ちょっと悲しくなりながらメインを待っていると、新しい取り分け皿とカトラリーが配られました…が、ナイフが一本足りません。これは…私にナイフを渡しても使われへんと思ったな?子供のように母に切り分けてもらってシャシリクを楽しみました。ただ、出て来るのがゆっくりなので、フランスのコース料理よろしく途中でお腹は膨れて来ます。まさか旅行先で「お持ち帰り」するとは思いませんでしたが、余ったシャシリクは包んでもらいました。

さて、いい時間になって来たので、預けていた荷物をホテルで受け取ってから、駅へ向かいます。 8:30でこんな綺麗な空の色でした。ちなみにこの駅にも荷物を預けるロッカーがあります。

帰りの夜行列車を予約した時は仕事の関係で旦那がノブゴロドに来れるか分からなかったので、母と私は女性専用部屋にしていました。車両は一緒ですが、寝台のある部屋は女性しか使えません。ペトロザボーツクへ向かった時とは違い、クールビューティなお姉さんと初めて一人旅をするのかな、というおばあさんと同室だったので、今回は他の人との交流はありませんでした。21:00に乗り込んで明け方5:00にモスクワに着く、という短時間だったこともあるかもしれません。

後から予約した旦那の方は反対に男性専用部屋になったらしく、同室のロシア人のお兄さんにウォッカを飲まないかと誘われたそうです。結局車内販売のウォッカは高すぎて諦めたらしいですが。人懐っこいロシア人も、無口なロシア人もいるんだと改めておもいました。ロシア人との濃厚な交流をしたい人は夜行列車がオススメです。

さあ、やっとモスクワに帰って来ました!初めての3都市訪問で、忘れられない旅になりました。長かった(ほとんど一ヶ月かかっていましたね)旅行記もこれで終わりです。明日からはモスクワの今をお届けします!

Пока!

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