モスクワ奮闘記

2016年7月末にモスクワに引っ越してきました。

Бункер-42(冷戦博物館)

Привет!

日本語のガイドブックには載っていない、冷戦時に核シェルターとして使われていた場所が博物館になっている場所があります。その名もバンカー42。 メトロのタガンスカヤ駅から歩いて10分も行くと、住宅街の中にひっそりとこんな入り口があります。この鉄のドア横にインターホンがあるので、そこを押して「博物館へ行きたい」と伝え、ドアを開けてもらうようになっています。博物館とは思えない厳しい警備です。

この博物館については、語学学校の放課後に組まれている遠足で案内が出ていたので知っていました。ただ、少し怖そうな冷戦というテーマと、値段の高さに躊躇していました。今回弟が来たのをいい機会だと思い、提案してみたところ興味を示してくれたので行ってみることに。公式ホームページの電話番号に電話するか(英語でも大丈夫だと思います)、reserveのフォームに書いて返事を待つかして予約を入れなければなりません。そうしないとツアーを開催している日が分からないのです。ちなみにホームページには色々なツアーの情報が載っていますが、外国人は「バンカー42」ツアーしか申し込めません。

予約時にロシア語か英語か聞かれたのでロシア語で、と伝えると3:30に始まるから10分前に来るよう言われました。初めての場所だったので3:10について中でチケットを買うと外国人は2200p(4400円)、学生は650p(1300円)でした。すごい差。そして入り口でツアーが始まるのを待ちます。3:20にかっこいいお兄さんが私たち(他にも五人くらいました)のところに来て言いました。"Hello, everyone“…めっちゃ英語やん。

予約ってなんだったのだろうか、というところから疑問は尽きません。おそらくですが、時間さえわかれば予約はいらない気がします。この時から3週間後に友人を連れて二人で月曜日に行きましたが、その時はお昼の1:30からでした。そしてこの時は学生が1300pに値上がりしていました。倍ですよ!外国人料金は2200pのままでした。

さあ、ツアーが始まります。 まず、こんな図を見ながら簡単にこのバンカーの説明がありました。ここは1950年から6年かけて作られ、86年まで使われており、90年代後半にやっと一般公開されたそうです。こういう話を聞くと、本当にソ連はこの間まで存在していたのだと実感します。また、メトロの駅と地下通路で繋がっており、ー18階に位置しています(写真の左上の緑色のものがこのバンカー、あとは地下鉄のタガンスカヤ駅です)。四つのブロックからなっていることと、モスクワに複数あった核シェルターの二つ目だという2つのことを「42」という数字で表しています。

そこまで説明を受けてから、やっと中に入りました。2トンもある2重ドアを抜け、そこからー18階分、なんと階段でおります(妊婦さんや高齢者はエレベーターを使います)。 はっきり言ってめっちゃ大変でした。いま何階にいるのか教えてくれますが、ー10階くらいで心が折れそうになります。螺旋階段なので目も回るし。

ようやく着きました。そこから赤いトンネルが奥まで続いています。まずは警備の人のデスクが置いてありました。 侵入者が入ってくると奥の銃を取り出し、ベルを鳴らすそうですが、ここは存在さえ知られていないところだったので、侵入者はついにいなかったそうです。また、そのデスクの前には水の自動販売機(ソ連時代に街中に普及していたもの)が置いてありました。 ここは地下で機械もたくさん置いてあるので一年中暑く、職員はいつでも無料でここから水を飲むことができました。今はそんなに暑くなかったです。

ここからしばらくトンネルを歩きます。壁には小さい四角いものが埋め込まれていました。1回目の説明では、これはこのバンカーの爆破用の爆弾だと聞いた気がしたのですが、2回目では地下水がどうしたこうしたみたいな(英語のリスニングができなくなってきています)説明を受けました。でもおそらく極秘の場所だったので、証拠隠滅するためのものではないかと思います。現にモスクワにあった他のバンカーは今はもうないのです。 ガイドのお兄さんとトンネル。

長くなったので続きます。
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グルジア料理レストラン

Привет!

今年もあと100日だそうです。これまでの265日中150日くらい記憶がありません。時間が経つのは早いなあ…このまま気がついたらセントラルヒーティング始まってないかなあ…(部屋が寒い)。

さて、モスクワには各国のレストランがあります。日本食はもちろんのこと(クオリティは置いておいて)、日本でもよく見かけるイタリア料理やアメリカのステーキハウスなどは本当によく見かけます。この間イタリア人のクラスメイトに「日本人やのに日本食レストランあんまり知らんの!?」と驚かれたので「そういうあなたはモスクワでイタリアンに行くのか」と聞くと「この街にイタリアンなんかない」と言われました。そういうことや。ただ、日本人にとってはここのイタリアンも美味しいです。

そして日本では見かけない、でもモスクワには溢れていると言えばグルジア料理です。正式名称はジョージアなのですが(グルジアというのはロシア語読みのため)、私が義務教育を受けた時はまだグルジアだったため、言い慣れません。ご了承ください。

街中でよく見かけるХинкалиная(ヒンカリナヤ)というチェーン店は間違いなく美味しく、メニューに写真も載っているので入りやすいですが、ここ以外にもモスクワ中心部で食べられる美味しいグルジア料理のレストランがあります。

まずはЭZO。 旧アルバート通りとボリショイ劇場に近いカメルゲルスキー横丁にあります。写真はカメルゲルスキーの方。他にももっとあるかもしれません。

席に着くと、綺麗なメニューが出てきます。写真も多く、聞き慣れない名前の多いグルジア料理を頼むときも安心です。 まずはハチャプリ。これを一口食べたとき、弟が感動していました。これはアジャリア風というもので、周りのパンをちぎって中のチーズと卵につけて食べます。他にもチーズハチャプリ(見た目はピザのようにまん丸で中にチーズが入っているもの)など色々な種類がありますが、このアジャリア風が最も「ハチャプリっぽく」て人気です。

もちろんこのお店にはヒンカリもあります。 画質が悪い上に小さく見えますが、思っていたよりも大きいものがきました。ここは一つから注文可能。餃子より少しぶ厚めの皮で包まれた中には豚・牛・羊(選べます)肉の肉汁をたっぷり吸った種が入っています。上が持ち手になっているので、そこを持って本体にかぶりつき、肉汁を先に吸ってから、皮と種を食べます。少し香辛料が効いていますが、一度食べると病みつきになる味です。

ここは観劇前の早い時間に行ったのでこれだけしか食べませんでしたが、大満足でした。

そしてお次は新アルバート通りにあるНе горюй!というお店。 暗い写真ですみません。新アルバート通りに「オクチャーブリ(10月)」という名前の映画館があるのですが、そのすぐ横にあります。写真に写っているのはテラス席ですが、お店自体は半地下です。

店名のНе горюй(ニェ・ゴリューイ)というのは「悲しみに暮れないで」という意味で、 店内もおしゃれです。真横にチェーン店のヒンカリナヤがあるので、グルジア料理を食べ比べるのもいいかもしれません。横にヒンカリナヤがあるせいか、いつも店内にお客さんが少なく、落ち着いて食事ができます。サービスも他のロシアのレストランに比べてかなりよく、料理も美味しいので大満足です。 めっちゃ美味しかったほうれん草入りミルクスープ。横にあるポン酢のようなものを入れていただきました。

このお店ももちろんヒンカリが置いてあり、三つから注文できます。私はこちらの方が少しピリ辛に感じました。

旦那の家庭教師の先生も「日本人ってグルジア料理好きよね」と言うくらい、日本人の舌に合うようです。ロシアに来たら是非!そしてне горюйの方はいいお店なのにお客さんがあまり入っておらず、いつも心配なので、モスクワ在住の方は是非足を運んでみてください!

Пока!

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君の名は。感想

Привет!

朝起きたら、気温が一桁でした。もう冬が来るなあ…最近は周りがダウンを着ている中、無駄な抵抗をしようとパーカーで外に出ています。風邪を引く前に諦めると思います。

さて、題名を見て「え、今?」と思われた方も多いと思います。公開から1年経っていますしね。そうです、ついに劇場で見ることができました!
日本での公開開始直前に出国してしまった為に飛行機の中でも見られず、監督のファンで公開初日に観に行った弟に電話で「どうせ観られるの1年以上後やから忘れるやろ」とネタバレされてから早1年1ヶ月。あの時聞いたネタバレは全く記憶から消えることなく観に行くことになりました。ただ、ロシア語吹き替えで見るとき、物語を掴むのにはかなり役に立ったので、感謝こそすれ恨んではいません。

7月に行われたジャパンフェスの時に9月公開が発表されていたのですが、私は「そうは言っても一部の特殊な(外国のマイナー映画しか公開しない)映画館のみ、とか言うんだろうなあ」とどこか冷めた目で見ていました。ところが蓋を開けてみるとモスクワのほとんどの映画館で公開しているではありませんか!近くの映画館にも ポスターが貼られ、テンションが上がります。上には「時間の糸が運命を繋ぐ」という言葉が、そして監督については「新しい宮崎駿と言われている新海誠作品」と書かれています。このポスターを見た時、1番驚いたのは「名前」という単語(имя)って中性名詞だったんだ!ということでした。通常аとяで終わる単語は女性名詞なのです。

さて、映画自体の感想としては賞賛も批判も十分すぎるくらいインターネット上に溢れていると思いますので、私は「ロシアで見る日本映画」について書こうと思います。ちなみに私はすごく好きな映画でした。あの映像を大画面で見られたことに感謝です。一回見ても頭から離れず、2日後にもう一回見に行ってしまいました。

吹き替えということで、やっぱり気になるのは男女が入れ替わる時の声。YouTubeで特集された番組を見ていたので神木くんと上白石萌音ちゃんの二人という本家が素晴らしいことは知っていました。余計にロシア版は不安です。テレビで放送する映画は今でも時々男女一人ずつしか声優を用意していない時があるくらいなのです(つまり男性の登場人物全部同じ声)。主人公の滝くんの声を当てたロシアの声優さんがもともと高い声だったためか、あまり入れ替わっている時の声の調子に変化はありませんでした。仕草が女の子ぽくなるので映像に助けられていた印象です。でも決して下手ではなく、聞き取りやすい良い吹き替えでした。これはもう一人の主人公、三葉 ちゃんにも言えます。

何度か二人で声を合わせていうセリフがあるのですが、それはバラバラでした。別撮りしたのかもしれません。ちなみにあの有名な「入れ替わってるー!?」はロシア語で「поменялись телами:パメニャーリシ テラーミ(身体が入れ替わっている)」でした。これをRadwimpsの前前前世に合わせて言うのでめっちゃ早口になっていたのが面白かったです。

男女の入れ替わりといえば、日本語では分かりやすく「男言葉・女言葉」があり、一人称(私・俺など)があるので入れ替わっているのが分かりやすいですが、ロシア語ではどうするのか気になっていました。ロシア語で性別が分かりやすいのは「過去形」です。男性なら語尾が「л」で、女性なら「ла」で終わります。日本版では、三葉ちゃんが中身の時の滝くんが「私」と言ってしまって「わたくし、僕、俺」と周りの反応を見ながら言い換えるシーンで、ロシア語では過去形が来るような文脈に変えていました。周りの反応ともぴったり合っていたので、笑いも起きていました。ここ、英語であればどうなっているのか気になります。

吹き替えということで、Radwimpsが好きな旦那が1番心配していたのが「劇中歌は日本語なのか」ということでした。結果からいうと、きちんと日本語が流れ、ロシア語字幕がつくという形になっていました。ただ、キャラクターたちが話すセリフが多くなって来ると字幕は消えます。また、画面に日本語が映ると(名簿の名前や、本の題名など)、低い男性の声が棒読みで訳すので、その度に笑いそうになってしまいました。かなりシリアスな場面で、民宿に書かれた「牛肉弁当」の文字をロシア語で訳した時は「空気読んで…」というなんともいえない気持ちになります。字幕にできないのかな。

また、物語の中で重要なキーワードである「口噛み酒」をそのまま「クチカミザケ」と言っているのは仕方がないとして、「センセイ」や「センパイ」も吹き替えで入ってきた時には観客が理解できるのか少し心配になりました。

色々と言いましたが、それでも日本映画が普通に映画館で見られたことに感謝しかありませんでした。ああ、このためにロシア語を勉強していたのかと思うほどでした。また何か来ないかなあ。

Пока!

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今回のホテルと雑記

Привет!

とりあえず今回のサンクトペテルブルクについては今日で終わりです。書きたいことがたくさんあるので、明日からはモスクワに帰ってきますよー!

前2回ほどサンクトペテルブルクに来た時は旦那もいたのでリビングルームもあるような、ちょっとリッチなところに泊まっていたのですが、今回は弟と二人旅です。小さい部屋でも良いから立地のいいところ、と探してこちらのホテルに泊まりました。 Aglaya hotel&courtyardです。
画像は公式ホームページからお借りしました。

バスのターミナルからも、モスクワ駅(サプサンが出る駅です。モスクワへ行くのでこんな名前になっています)からも、タクシーで100p(200円)以内で行けるという立地の良さ。メトロの駅からも歩いて5分くらい、目抜き通りであるネフスキー通りへもなんとバスで一本でいけちゃいます。むしろ歩けます。

部屋は期待していなかったのですが 窮屈すぎもせず、洗面所やシャワールームも清潔で、備品も良かったです。綿棒がありました(そしてやっぱり言わないと出てこない歯ブラシセット)。

エルミタージュのチケットなど、プリントアウトしたい時は書類を添付してメールで送らないといけないのが少し面倒ですが、それでも無料で印刷してくれました。USBにしか入っていない場合は駅前にプリントアウト屋さんもありましたよ。

ここはレストランがとにかく可愛くて、毎朝起きるのが楽しみでした。 朝ごはんのメニューはカーシャ(おかゆ)やブリヌイなどザ・ロシアの朝ごはんが楽しめます。チェックインの時にこのレストランで使える紅茶orコーヒー一杯無料券と晩御飯10%off券が貰えます。

窓際にいた可愛いぬいぐるみの写真も載せてますね。こんなのが店中にいます。 料理に使う測りの文字盤が時計になっているおしゃれアイテムもありました。あれ欲しい。

こうやって朝ごはんもついて、一部屋1泊8000円ほどです。WI-FIも無料でした。

最寄りではありませんが、メトロのドストエフスキー駅まで歩くこともできます。そちらの道は、いかにもヨーロッパという感じでした。

さて、前回は5月末に、そして今回9月頭に行ったサンクトペテルブルクですが、わずか3ヶ月で色々と変わっていました。まず、メトロの回数券が一人一枚買わなければいけないようになっていたのです(前回は1枚を三人で使っていました)。最低でも10回からしか買えなかったので、必死で3日かけて一人10回乗りました。一回券(コイン)と回数券を考えると一度で20p(40円)は変わってくるので、回数券を買って色々なところに出かける方がお得なのかなあと思います。

また、ツァールスコエ・セローのエカテリーナ宮殿には広大なお庭があるのですが(ネットで買うと宮殿と同じチケットで入れます)、その出口が変わっていました。つい3ヶ月ほど前には宮殿の近いところから出ることができたのに、かなりかなり歩かなければ出られませんでした。 ちなみに今なら宮殿横の特別展示で1917年(ロシア革命)当時のエカテリーナ宮殿特集が開かれています。ちょうど100年なんですね。処刑されたニコライ2世やその家族の映像は初めて見ました。

このような宮殿は少し入場料が高いのですが、昨日書いたレニングラード包囲の博物館は、なんと学生証を見せると60p(120円)でした。弟は間違えて日本の運転免許証を出してしまったのですが、それでもなぜか学生料金にしてくれました(他のところではちゃんと日本の学生証を見せていましたよ)。

サンクトペテルブルクもですが、モスクワも短期間で驚くほど変化しています。これから紹介して行きますね。

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レニングラード包囲と防衛博物館

Привет!

この5日ほど友人が日本から遊びに来てくれ、モスクワを歩き回っていました。新しくオープンしたスポットなどにも行ったのですが、とりあえずサンクトペテルブルクの話を書き終えてしまおうと思います。

弟のサンクトペテルブルクでの予定はロシアの歴史を順に追っていくスタイルだったようで、ピョートル大帝がこの街を作る足掛けにしたペトロパブロフスク要塞から始まったこの旅の最終日はレニングラード包囲と防衛博物館に行きました。 ピョートル大帝の夏の庭園にほとんど隣接したこの博物館のテーマはその名の通りレニングラード包囲戦です。ロシア(当時はソ連)にとって第二次世界大戦は対ドイツ(ファシズム)戦争という意味を持ちます。その中でも一般人を巻き込んだ、特に悲惨な戦いがありました。1941年9月から約900日間もの間、レニングラード(現サンクトペテルブルク)がドイツ軍によって完全に包囲されたのです。 ドイツ軍の侵攻は早かったので、疎開する余裕もなく、市民300万人が取り残されました。写真の緑の部分が封鎖されたところです。フィンランド湾とラドガ湖に囲まれたこの地で、陸路も水路も閉ざされると食料が入って来ません。人々はわずか125gのパン(それも純粋に小麦粉だけではなく、色々な屑を混ぜて作られたそうです)をもらうために配給券をもって並びました。 当時使われていた重さを図る道具と配給券(奥に貼ってあるもの)です。手前にあるのが125gの黒パン。

もちろんこれだけでは足りるはずもなく、人々はベルトや動物なども食べ、ついには人肉も食べたと言われます。流石にこのあたりのはっきりとした展示はありませんでしたが、当時の教室を再現したスペースに貼られていた子供の書いた絵が当時の惨状を物語っていました。また、病院を再現したコーナーもあり、そこにはやせ細った子供が診察を受けている写真もありました。

武器を作る工場の電力を優先したため、街中では電気が止められました。 部屋は常に薄暗く、夜になると暗闇です。そこに迫り来るナポレオンをも撃退した冬将軍。しかもモスクワより北なので寒さも尋常ではありません。人々は飢えと寒さで倒れていきました。ただ、冬になるとラドガ湖が凍ります。そこに鉄道が作られ、物資の支給と人々の避難に大いに役立ちました。しかし、常にドイツ軍に攻撃されるため、安全ではありません。この鉄道は「命の道」とも「死の道」とも呼ばれるようになりました。

そんな中、作曲家ショスタコーヴィッチが「レニングラード交響曲」を作り、民衆を鼓舞するために演奏をします。 その時のポスターも貼られていました。

1943年1月にはイスクラ作戦によりレニングラードへの陸路が確保され、翌年1月にはソ連軍が完全にドイツ軍を負かし、包囲が解かれます。その時に使われた武器や軍服、模型なども多く展示されていました。

この900日の間に亡くなった数は60万とも、80万とも、100万とも言われています。画家のビリービンもこの時に亡くなりました。この展示室に入る前に、当時の街の様子が描かれた絵がたくさん飾ってあり、その横に様々な人々の日記や記録から引用された文が書かれているホールがありました。

綺麗な街、だけではない様々な歴史に翻弄されたサンクトペテルブルク。ロシアに来て良かったと思うのは、日本にいるとあまり見えてこない、別の視点から歴史を見ることができる時です。誰が悪い、誰が良い、だけではなく、何が起きたのかきちんと見ることが大事なのだと思いました。

久々の更新が重くてすみません。
Пока!

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国立民族学博物館

Привет!

最近は空の色が薄くて、秋だなあという感じだったのですが、久しぶりに色の濃い青空を見ました!今日雨の予報なんですけどね!

さて、モスクワにもたくさんの博物館がありますが、サンクト=ペテルブルクにもモスクワに負けず劣らず数多くの博物館があります。毎回、過去に入ったことのない博物館を組み込むのですがまだまだ全部は回れません。というかおそらく全部行くのは不可能な気がしてきました。モスクワでも無理なのに。

特にサンクト=ペテルブルクは好奇心旺盛なピョートル大帝が建てた街だということもあり、世界中から色々なものが集まってきます。特に彼が作ったロシア最古の博物館だと言われているクンストカメラ(人類学民族博物館)は有名ですが、世界中の希少なものを集めているということもあって見るに耐えない展示物もあると聞いてから行けずにいます。今回行ったのはそちらではなく、ロシア美術館に隣接している国立民族学博物館です。 入り口のドアを開けると大ホールがありました。めっちゃ立派。9/1に行ったので、ここでどこかの学校の入学式が行われていました。みんな軍服を着ていたのでそういう学校だと思います。

重いドアを開けると左手奥にチケットブースがあるのですが、そこでチケットをお願いします、というと「ロシア美術館の?」と聞かれました。なぜかその質問に思わず「はい」と言ってしまったために「それならここじゃないわ。1つ横の入り口よ」と心のシャッターを閉められた音が聞こえます。慌てて「あ、違います!違いました!私たちは民族学のものが見たいんです!」と必死に主張するとおばさんはニコッと笑ってチケットを売ってくれました。間違える人が多いんでしょうね。後で地図を見てわかったのですが、この2つは同じ宮殿内にあるのです。入り口も別で中でも通じていないので気がついたら別の方にいた!ということにはなりませんが、ややこしい立地関係です。

やっぱりロシアって広いですね。1895年に建てられたこの博物館はロシアとその近隣地域の民族や文化に関するものが集められています。

横にも広いのですが、縦にも長めなので、最北端と最南端ではやはり衣服や住居も全く違います。それが一目でわかる博物館でした。展示はまず北極圏からです。 展示してある道具や住居も動物の牙や骨、毛皮など屈指して作られていました。白を基調とした部屋なので余計に寒く感じました。

そこから上への階段があり、のぼると中央アジアです。 先ほどとは違い、鮮やかな色遣いが印象的です。中央アジアの模様や衣装が好みの私にとっては常にときめく展示室でした。実物大で住居が再現されていたり、実際の写真も展示されてあったり、衣服だけではないので見ていて飽きません。今年中に中央アジアへ行きたいなあ。 二階には他にもウクライナやベラルーシなどの民族衣装も展示されていました。

そこから降りて、初めの写真のホール前を通り過ぎると、ヨーロッパの方になります。 雰囲気が突然変わりました。こういうヨーロッパの中世の服も可愛いなあー欲しいなあと見ていると突然儀式用のお面が飾ってあり、驚きました。変にリアルだからかちょっと怖いです。横で弟も少し緊張しているのが伝わってきました。幼少期に大阪の民博(国立民族学博物館)でお面を見て大泣きしていた弟が、まさかその後民族学にも興味を持ち、ロシアの民族学博物館に来たがるとは当時思ってもいませんでした。

ここも二階があったので登ってみると、 入れ替え中(?)でした。なんで入れるようにしてあるんや。監視員もいて、近所のスーパーのチラシを必死でめくっていたのですが、彼らは何を監視しているのでしょうか。物価かしら。

ただ、その横の企画展では中国における15世紀の皇帝のコレクションを展示していました。 写真が上手くないのは承知なのですが、それよりも左奥をご覧ください。電球を交換しています。開館前に!確認して!と思いながら、彼らが展示物を壊さないか余計な心配をしつつ、なんともロシアだなあと笑えるようになりました。

後半少しずっこけましたが、全体的にはかなり見応えのある博物館だったので是非!ここも日本の学生証が使えました。

Пока!

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ペテルブルクの街中

Привет!

最近は少し暖かい日が続いていたのですが(なんと20度越え!)、来週からは最高気温は16、7度が続くようです。もうここからは気温上がらないだろうなあ…。昨日は帰宅途中に黄色い落ち葉が風に舞っている幻想的なところを見ました。秋が来たようです。

今日はサンクトペテルブルクの街中で見つけたものを紹介しようと思います。

まずは、地下鉄で見つけた表示です。サンクトペテルブルクの地下鉄はモスクワのそれより駅数が少なく、単純なのですが、唯一3線(オレンジ、青、紫)が合流している駅があります。今回はそこで乗り換えることが多く、そこの通路にあったのがこちら。 これはこの街の名前の変遷が書かれています。つまり、1703年にこの街ができた時は「サンクト=ペテルブルク」、そして1914年に第一次世界大戦が勃発した時にはドイツ語読みの「ブルク」をロシア語読みにした「ペトログラード」へ、そのあと1924年には時の指導者レーニンが死去したので、ピョートル(ペテル)大帝の名前をレーニンに変えて「レーニングラード」に、そしてソ連が崩壊した1991年に「サンクト=ペテルブルク」に戻す、という歴史に翻弄され続けたこの美しい街の1つの側面が見えてきます。

そんな歴史的な表示を持つСенная площадь(センナヤ広場)駅ですが、地上にはこんなものがありました。 左にあるのはただのプレハブじゃないかと思った方、よく見てください。プレハブの上に十字架が付いています。そしてその下にはXB(Харистеас воскресенье=キリストの復活)の文字がありますよね。そう、簡易的に教会が作られていたのです。おそらく右奥にある教会の改修工事か何かで一時的なものだとは思うのですが、こんな感じでもいいんだ!と驚きました。キリスト教徒ではないので中には入りませんでしたが、イコン画とお祈りする台、聖書などを売るところもありました。外側にはここがちゃんと祝福されている場面の写真も飾ってあります。お寺や神社が突然プレハブになったらかなり面食らいそうなのですが、この土地の人々はびっくりしなかったのでしょうか。

続いては、街中で見つけた可愛い看板2選です。 バーの看板なんですが、恐竜が豚の散歩をしています。この写真を撮っていたら、なぜか周りの若者も立ち止まって写真撮影を始めました。

次はカニレストラン。 丸だけでカニってわかるもんなんですね。ハサミの部分がかなり頑張ってくれているからかな。

また、今回は時間が足りないように思ったので朝から夜まで歩き回っていたのですが、そのおかげで夜の観光名所も撮ることができました。これはカザン大聖堂です。相変わらず気後れして中には入っていませんが、夜でもその堂々とした佇まいがかっこよかったです。 サンクト=ペテルブルクといえば跳ね橋が有名なのですが、交通の関係上夜しか上がりません。見に行こうかかなり悩んだのですが、ツアーが深夜1:30から始まるので次の日に支障が出ると思い、ついに見ることはかないませんでした。その時間から始まって、ツアー終了後にどうやって帰るんや、という心配があったせいもあります(タクシーを呼ぶという手もあったと今思いつきました)。いつかこのためだけに来たいです。

最後の日の夕方、横断歩道を渡っているとそれはもう綺麗な夕焼けが見えました。 私たちは道を渡ってから撮ったんですが、周りの人々もみんなこの夕焼けに見とれていて、中には横断歩道の真ん中で撮影を始める人もいて、車に轢かれないか少し心配になるくらいでした。

今日はこの辺で。 Пока!

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