馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

気球への道

Привет!

インターネットで「カッパドキア」で画像検索をすると、二枚に一枚の確率で気球がたくさん浮かんでいるものが出てきます。気球に乗る機会もそれほどありふれているわけではありませんが、あれほどの気球を一気に見られると思うとそれだけでカッパドキアに行く理由になります。

どうしても乗りたかったので調べてみると、過去に何度か事故が起きているため、今はトルコ政府が毎朝気球を飛ばしてもいいかを厳しく判断しているそうです。その結果をアナウンスしてくれるホームページはこちら。トルコ語がわからなくても緑色の旗であれば飛行可能、赤色の旗であれば禁止、と視覚的にわかりやすいページとなっています。トルコに行く数日前から見ていたのですが、ずっと赤色の旗だったのであまり期待しないように努めていました。

友達に予約について聞いてみると「ホテルでチェックインするときに予約もしてもらおう」とのこと。気球の会社もかなりの数があり、もちろんそれぞれインターネットでも予約できるのですが、ツアーはホテルに迎えに来てもらうところから始まるので、ホテルと提携しているところの方が良さそうです。

私たちがチェックインしている横で、気球について友達が聞いてくれました。ホテルの人曰く「60分と90分があります。60分の方でいいですか?早い方の時間が空いているので、そちらにしますね。朝3:50にこのレセプション集合です。ラッキーですよ!1時間遅い方は日の出が見えないので。一人170ユーロです。予約する気球の会社はカッパドキアでも評価が高いところですよ」と流れるような説明をしてくれました。「モーニングコールはした方がいいですよね。3:30にかけますね!」…安心のサポート付き。前の晩にハマムに行った帰りに偶然レセプションの人と遭遇すると「明日は3:30に電話しますからね!」と念を押されました。顔を覚えられていたのもすごいけれど、気球に対する熱量もすごい。

前の日の夜遊びがたたって、2時間ほどしか寝られませんでしたが、私は楽しみでモーニングコールがかかってくる前に起きました。アドレナリンはかなりでています。用意を終えてレセプションに着くと、旦那と友達は早速そこのソファで寝始めました。約束の時間を過ぎて不安になってきた午前4時過ぎ、名前を呼ばれて振り向くと迎えの人が来ていました。私たちの他にも同じホテルから参加する人を乗せて、バンでオフィスに向かいます。 バンの天井にはカッパドキアの奇岩が描かれていました。外は真っ暗です。晴れているのかすら分かりません。雨が降っていると中止なのは明白なのですが、風が強くても飛行を禁止されるそうなので、ドキドキしながら車に揺られました。

こちらがオフィス。こんなに朝早いのに人で溢れています。今回私たちが乗ったのはRoyal Balloonという会社でした。リンクからホームページに飛べます。まず入ってすぐの受付で料金を支払い(もちろんカードでOK)、受付横の黒板上で自分の名前を探し、乗る気球とパイロット名、朝食の席番号を確認します。

支払いを終えた人から指定された席に着き、ビュッフェ形式の朝ごはんを取って食べられました。 旦那は半分くらい寝ながらでしたが、結構しっかり食べていました。飲み物もコーヒーや紅茶、ジュースまでなんでもあり、満足のいく朝ごはんでした。お手洗いは混むので出発直前には行かない方がいいかもしれません。

朝ごはん会場には、先程リンクを貼ったトルコ政府が発表している飛行状況のページの中継があります。 なんか真っ赤な旗が見えるんですが…。え、今日は無理ってことなのかな…あまり期待しないでおこう…と思っていたら友達が「今の瞬間はまだ暗いから飛んじゃダメってことじゃない?前に来た時は気球に乗って火をつけてから飛べないってわかったこともあったけど」と希望と絶望を同時に叩きつけてきました。その時まで分からないということのようです。

午前4:50頃「それぞれのテーブルと同じ番号のバンに乗って!」とアナウンスがかかります。いよいよです!かなりデコボコした道を通って、オフィスから5分もしないうちに草原の真ん中でバンから降ろされました。目の前には気球! 幼少期に一度北海道で気球に乗ったことがあるのですが、その時の記憶よりかなり大きく感じられました。
外から見ていると、ちょっとずつ火をつけてバルーン部分を膨らませています。すぐに思い描いているような気球の形になりました。そこでようやく、バルーンの下のバスケット部分に脚立を使って乗り込みます。バスケットにはドアとかないんですね。バスケットは真ん中がパイロットとガスボンベの場所になっており、その周りが4つに分けられています。一つのセクションに4人乗れるので、16人とパイロット1人が乗り込む形になっていました。

ここから「やっぱり飛べない」となったら落ち込むだろうなあ…と思いながら必死で飛べますように!と何かに祈りました。

長くなってきたので次回に続きます。

Пока!

カヤカピ・プレミアム・ケーブス

Привет!

旅行に行く時にいつも浮上するのがホテル問題。私は寝るだけやからどこでもいいやん派なのですが、旦那はホテルでもテンションを上げたい派です。この3年間で一緒にいろいろなところへ行くようになり、やっと私も彼の主張が分かってきました。たしかに綺麗でその土地に合わせたテーマのホテルは、観光を終えて帰るのも楽しみになります。

隠れキリシタンが地下都市を作ったり、岩の中をくり抜いて教会や住居にしていた歴史を持つカッパドキアで泊まるとなればやっぱり「洞窟ホテル」でしょう。早速いつも使っているホテルの検索サイトで条件を入力して調べてみると、ほとんどのホテルに「ケーブ」や「ストーン」などの名前が入っていて途方に暮れてしまいました。やっぱり基本的にそれが売りなのでしょう。私たちだけでは選べないと思ったので、これまでカッパドキアに3回も行ったことがあるという友達に「泊まってみたいホテルない?」と聞いてみると一番はじめに名前が出てきたのがこのカヤカピでした。

カッパドキアでの観光の中心地となるのはギョレメという町ですが、そのギョレメから車で10分ほどのところにある町、ユルギュップにこのホテルはあります。 ユルギュップには丘があり、その丘の斜面に沿うように部屋が並んでいる光景がとても新鮮でした。そのような構造だと、レセプションとレストランとお部屋が結構離れたりします。ホテルに着くとすぐにポーターさんが荷物を預かってくれ、チェックインをしている間に部屋までゴルフカーのような車で運んでくれていました。チェックインが終わると部屋まで徒歩で案内されながら「あなたたちのお部屋からレストランに行くのであれば、このトンネルを通った方が近いですよ」などの心踊るアドバイスをされます。 そのトンネルがこれ。旦那がおもむろに天井を触って「なんか剥がれ落ちてきた!」と慌てていました。壊さないでくれ。

一番はじめの写真が私たちの部屋の入り口でした。これだけでテンションが上がっていたのですが、扉を開けて思わず小さく叫んでしまいました。少し写真が続きます。 ここにして良かった。カヤカピという名前が可愛いと旦那と言い合っていたら、友達がその意味を教えてくれました。「カヤ」は「岩」、「カピ」は「扉」でつまり「岩の扉」という意味だそう。ロシア語にしてみても単語が長くてあまり可愛くなりませんでした。

お風呂もトルコ式のハマムとシャワーだったのですが、レストランのところにもっと大きなハマムがあると聞いてみんなでそちらに行くことに。通常ハマムは男女別で水着着用が原則ですが、ホテルの簡易なものだったので男女共用でした。
この際なので贅沢を尽くすことにした私たちはここでマッサージもお願いすることに。ところが施術師が二人しかいなかったため、マッサージをホテルで受けたことのない旦那と友達に譲りました。お陰でハマムは独り占めです。 このホテルは本当に雰囲気が抜群です。真ん中の台に私のためのタオルとシャンプーや石鹸などを用意してくれました。

ハマムの使い方が初めはよく分からず、誰かに聞こうにも係りの人は二人ともマッサージをしに行っています。私なりに適当にやってみたのですが、あとで旦那たちに説明しているのを聞いて正解だったとわかったのでご紹介します。先ほどの写真の壁際にいくつか蛇口と白い台が置かれていますよね。この大理石でできた台は中がくり抜かれており、上にあるお湯と水の蛇口をひねってその穴にお湯を溜め、自分好みの温度にしておきます。あとは体を洗ってこの中のお湯を使って流すだけ。台の上に小さな洗面器のようなものが置かれているのでそれを使って流していきます。部屋の中が温度の低いサウナのように暖められているので、とても居心地が良かったです。次にトルコに行った時は街中のハマムにも行ってみたいです。

ちなみにこのハマムもあるレストランはこんな感じ。 レストランの真ん中にプールがあり、カッパドキアの絶景も味わえるという素晴らしい立地です。カザフから来た私と旦那は「これが…リゾート…」とよく分からない敗北感を味わっていました。

この素晴らしいホテルにすっかり気分が良くなった私たちは、ルームサービスでワインを頼むという所業に出ました。実はカッパドキアにはワイナリーがあり、土地のワインを作っていると聞いたからです。 このワインも3000円程でそんなに高くはなく、テラスでカッパドキアの夜景を見ながら飲むのはとてもいい気分でした。ですがこんな贅沢ばかりはしていられません。最も心配すべきは他のところにあります。次の日は気球に乗る予定のため朝3時半に起床予定でしたが、結局1時過ぎまで夜を楽しんでしまいました。…2時間で起きられるのか…?

続く。
Пока!

ラクダ岩

Привет!

ついにヌルスルタンの気温が日本と並びました。暑いけれど、湿気がないのでまだ過ごしやすいです。風は冷たいくらいですし。ロシア語の先生がこの気温を指して「本当に蒸し暑いね。ちょっと歩いただけで体がびしょ濡れよ」と言っているので「今すぐ日本で夏を体験してきてください」と言うところでした。海もないこの国で「蒸し暑い」だなんて!

さて、幾分か涼しかったトルコ旅行の続きです。場所はカッパドキア。地下都市博物館を閉館ギリギリでなんとか脱出した私たちは、時間があるうちに行けるところに行こうという話になりました。8:30ごろまで明るいので、入場する必要のない奇岩などは見に行ける時間だったのです。

向かった先は「ラクダ岩」があるデブレント渓谷。そこへナビの行き先を設定し、車に乗り込みました。カイマクルの地下都市からは1時間ほどの道のりでした。カッパドキアは観光地が点在しているので、レンタカーを借りるか、ツアーに参加するのがいいと思います。 カイマクルを出てすぐこそ市街地の中を走っていましたが、すぐに景色は拓けました。夕日の時間なので、なんとも言えない幻想的な雰囲気です。

長時間のドライブで友達が好きなCDは大方聞き切ってしまいました。いつも聞いていないCDで気分を変えようと、CDラックから旦那が引っ張り出してきたのは小田和正の「自己ベスト」です。はじめこそは「なんでカッパドキアで小田和正…」と思っていたのですが、これがまた夕日に向かって大自然の中を進む車のBGMとしてはぴったりでした。「愛を止めないで」など泣きそうになりながら聞いていました。意外とオススメです。

地下都市博物館を出た時も人が全くおらず、なんとも落ち着かない気分になった私たちでしたが、デブレント渓谷も時間のせいか観光地のはずなのに誰もいませんでした。 ここまでの道のりでもほとんど車とすれ違わなかったので、いよいよ地球上から人類が消えてしまったような、不思議な感覚に陥ります。奇妙な形の大きな岩の大群を前にすると、そもそもここが地球だったのか疑問に思えてきました。まさか1時間のドライブで火星にでもきてしまったのではないか。

これまたシャッターを下ろしている蒸しトウモロコシの屋台とお土産屋さんの前に車を停めるスペースがあったので、そこからラクダ岩まで 少し歩きました。岩の間に手をつきながら、谷をよじ登ると突然ラクダ岩が現れます。 たしかにこれはまごうこと無くラクダだ。火星人が削ったのではないかとさえ思えてくるほど、綺麗なラクダの形をしていました。この岩の周りだけ柵が作られていたのですが、ちょっと倒れ気味だったのが気になります。

しかしここはラクダ岩だけが見事なのではありません。この岩の向こうに見える景色が息を飲むほど美しかったのでした。 夕焼けがとても綺麗に見えるローズバレーという場所もあるそうなのですが、カッパドキアの奇岩群はどこもこんな風なので、他の人に邪魔されないこの場所はとても良かったです。

180度ほど奇岩に囲まれているので、少し視線をずらすだけでまた違った景色を見られるのも嬉しい驚きでした。

ちょっとした岩に3人で思い思いの方向を向いて腰掛けながら、暮れなずむ景色を見ていたこの時間は今思い出しても大切な宝物のようです。
どれくらいの間そんな風にしていたか、誰からともなく立ち上がって日が沈む前にホテルに帰ることにしました。ちょうど女の子たちがオープンカーでやってきて、シートを倒すと、ワインを片手に好きな音楽を流して夕日を眺め始めました。ああ、あれも最高の時間の楽しみ方だな。おそらくここではどんな過ごし方をしても忘れられない思い出になると思います。

Пока!

おじさんとの遭遇

Привет!

前回のあらすじ
地下都市で迷子になった私たち。やっと出られると思った瞬間、謎のおじさんとぶつかりそうになり、そのまま来た道を引き返すよう指示を受ける。

私たちは仕方がないのでその場で回れ右をして戻りました。おじさんが後ろから追い立てて来ている訳ではないのですが、狭い道なのでどうしても圧迫感を感じてしまいます。すぐに少し大きめの部屋にでました。 するとおじさんが一言「ここはリビングだった」と言いました。もしかして解説をしてくれている??よく見ると、彼はここの関係者らしきIDを首から下げています。学芸員の人でしたか!でもなぜ出口付近で出会ったの?普通は中にいるか、外で待っているかじゃない?時間をオーバーしそうな観光客を早く出しこそすれ、まして奥へと追い込むようなことをするか?疑問に思っている間にも、彼はこの部屋から伸びるいくつかの通路の中から一つを選び、私たちに着いてくるように伝えてからどんどん歩き始めました。それがまた先ほど通った下り坂の、足を滑らしそうな道だったのですが、彼はその体格に似つかわしくない速さでどんどんと進んでいきます。私たちがおっかなびっくり足を前に進めていると、彼は途中で立ち止まって私たちを待ちながら、暗い脇道に向かって叫びました。「CLOSING TIME!」

ああ、この人は閉館前に取り残されている人がいないか、見回っているのか。25分ほど前に入っていった日本人と会ったから、また迷子になって出てこれなくならないように見てくれているのか。解説もしてくれるなんて親切だな。

その後も彼は時々立ち止まっては説明をしてくれます。3人でさまよっているときは目に入らなかったものや、使い方が分からず仮説を立てて終わっていたものが、みるみるうちに真実が明らかになるので面白かったです。おじさんは英語が堪能ではないのか、ジェスチャーをふんだんに使いながら簡単な英語で説明してくれました。そして時折挟まれる「閉館時間です!」のアナウンス。 しばらく歩くとこんなものがありました。おじさんは指さしながら言います。「敵が来ると」石を押すジェスチャー。「通路を塞ぎます」なるほど。私たちが写真を撮るのを少し待ってくれ、準備ができたとわかるとまた驚くようなスピードで先に歩いて行き「閉館時間です!」…そしてその場で歩みが遅い私たちを待ってくれます。特に普段は全く坂がない街に暮らしている私と旦那にはかなりこたえました。この地下都市での道を照らす唯一の光のようなおじさんに追いつこうと必死で息を切らしている私たちを見ながら、友達は「運動不足やな」と一笑に付します。

小走りでおじさんの後をついて行きながら「これを毎日?」と聞いてみました。「ええ、毎日この時間に回っています。閉館時間です!」この迷路で観光客が取り残されたらこの人の責任になってしまうのか。その重責を思って気が遠くなっていると、突然おじさんが立ち止まりました。「ここはワイナリーです」 一見、ここの壁は他の部屋と同じように穴が開いているだけだと思いましたが、おじさんは写真の左にある平べったい穴をさしながら言います。「ここにブドウを並べて、ワインを作ります」そして一生懸命足踏みするジェスチャー。ワインを作っているのか。「するとここの穴を通って(写真では真ん中にある一際オレンジ色に輝いているところ)下の穴にワインが溜まります」とのこと。よく考えられているなあ。

「この部屋はキッチンです。天井が黒くなっているところは、その下で火を使った証拠です」ほうほう。この石は?水を貯めるの? これは調理台だそうです。「ここに食材を置いて」と穴の一つを指さします。そして(文字通り)胡麻をするような、何かをすりつぶしているジェスチャー。ああ、食材は切るんじゃなくて、すりつぶすのか。

少し行った先には井戸がありました。ちょうど人が一人すっぽりはまりそうな穴でした。覗き込むように言われます。 後ろから押されたら落ちるな、と嫌な想像をしながら覗きこむと、あまりの深さに足がすくみました。「だいたい100mほどの深さです」それにしてもよくそこまで掘ったな。

結局取り残されていた観光客には遭遇せず、無事に地上に戻ってこられました。少しだけ緊張感が取れたおじさんに「だいたいどれくらいの深さまで人が暮らしてたんですか?」と聞いてみると「40から50mくらいですよ」という答えをもらいました。お礼を言って博物館を後にします。

外の世界の眩しさに目が慣れてくると、博物館前のお土産物屋さんの異変に気がつきました。 ほんの小一時間前までお店の人と商品とお客さんで賑わっていたのに、今はシャッターが閉められ人っ子一人おらず、静けさに包まれていたのです。さながら並行世界に来てしまったようでした。3人で「トンネルの向こうは不思議の街でした」と映画『千と千尋の神隠し』のキャッチコピーを言いながら、狐につままれたような気持ちで車に向かって歩きます。それにしても不思議な世界でした。

Пока!

地下都市で迷子

Привет!

これまでも3時間ほど車に乗って目的地へ向かう、ということはありましたが(直近では5月のアルマティ→チャリンキャニオンでしょうか)、やはりカザフスタンの風景とトルコの風景は全く違いました。ヌルスルタンの周りは本当に見渡す限り山どころか丘、むしろ起伏すらなく、遊びに来た友人曰く「感動するレベル」ですしアルマティの周りは遠くの方に山がそびえており、そこまで平らな草原が続いています。

アンカラを出る時から少し下り坂になっていて、遠くの方まで緩やかな起伏が続いているのが新鮮でした。アンカラを出てすぐは「アルマティに近いなあ」とぼんやり考えながら窓の外を眺めていましたが、しばらくするとやはり起伏が始まるのです。さまざまな濃さの緑で織られたパッチワークのようでした。 見ていて飽きません。

ナビ役の旦那が言ったように、「94km道なりに進んで、左折、70km進む」の左折のところまで来ました。この左折の手前になって、それまで1時間ほどだんまりを決め込んでいた携帯電話のナビアプリが突然「500m先、左折です」と喋ったのには車内全員が心底驚きました。誰も音声ナビ機能を切っていたと思っていたからです。 ちょうどこのオブジェの周りを回るように左折。よくみると、模様が全てカッパドキアの奇岩の形でできているんですね。奇岩の形なんて何通りもあるはずなのに、カッパドキアの文脈でこの形をみると「ああ、奇岩の形か」とわかるデザインは流石です。

最後の70km。車の数が少し減って、道の状態が少し悪くなり、それでも景色は雄大なままでした。カッパドキアまであと10kmというところまで来ても、緑の風景はあまり変わりません。よく写真で見ていた奇岩が並ぶ茶色い風景にそんなにすぐに変わるのだろうか、と不安になりながら進んでいくと、突然景色が拓けました。 塩湖を出てから早2時間ほどです。ようやくたどり着けました。

とりあえずホテルにチェックインして遅めのお昼ご飯を食べます。この日の宿に関してはちょっと奮発したのでまた別の記事で詳しく書く予定です。お楽しみに。あまりにも良いところだったのでここでゆっくりしていると、気がつけば17:30になっていました。ほとんどの観光地は19:00にしまるそうで、慌てて車に飛び乗ります。向かった先は車で30分ほどのところにある地下都市「カイマクル」です。

のどかな田舎道を爆走する車。幸運なことに対向車も後続車もいなかったので、とても気持ちよく走れました。途中から奇岩もない、日本の田舎の村のようなところにどんどん車が入っていくので少し不安になってきました。本当にここにあるのかな? 最後の角を曲がると、小さなロータリーのような広場の前に二、三軒のお土産物屋さんがあったかと思えばその奥に博物館らしき建物が目に飛びこんできました。 車を広場に停めると、近くを歩いていたおじさんに「今何時?」と聞かれました。「18:15だよ」と返すと「博物館に来たんだろう?19:00までだから早く入りなさい!ほら、走って!」と突然アドバイスされ、びっくりしながらもとりあえずみんなで走ります。お土産物屋さんでは10人くらいの観光客がそれぞれ楽しそうに商品を選んでいました。楽しそうだなあ、混ざりたい。

チケット売り場でチケットを受け取った瞬間、窓口が閉められました。ほんまにギリギリや。 カッパドキアで公開されている地下都市はここ「カイマクル」と「デリンクユ」の二つだそうです。火山灰でできたカッパドキアの岩質は柔らかいため、紀元前にはすでに地下都市が作られていたと言いますが、詳しいことはまだまだわかっていません。4世紀ごろ、アラブ人たちがこの地域に入ってきたときにキリスト教徒がここや奇岩の中で暮らしていたそうです。そしてこの地下都市は4000人もの人が暮らしていたとか。

事前情報はそれくらいしか仕入れていなかったのですが、この地下都市に足を踏み入れた途端その知識を疑ってしまいました。ここに4000人?そんなことができるのか?行った時間がまずかったかもしれません。閉館間際のこの地下都市にはほとんど人がいなかったので、想像が全くできなかったのです。想像していたより空気は全く悪くなく、うまくどこかで排気できているのでしょう。

はじめこそ後世に作られたと思わしきしっかりしたコンクリートの階段がありました。その階段を降りるとこんな部屋にでます。 ここに立った時に確信しました。…気をぬくと迷子になる。写真にも写っていますが、申し訳程度に順路の矢印があります。しかしこの矢印をたどっていくと出口にたどり着く訳ではないことはしばらく従ったところで分かりました。途中で矢印がなくなった時には見捨てられた気分になりました。

壁画がある訳でもないので、各部屋の特徴は素人目には全くわかりません。ここから来たはずだ、と3人で相談しながら戻ったつもりでも大抵初めての部屋と出会えます。 また通路もこれほど細く、緩やかに下降したり上昇したりしているんのですが、かなり足を滑らしそうになります。写真に写っているのは身長157cmの、なぜか先行隊に選ばれた私ですが、それでも膝を折らないと頭をぶつけてしまいます(あとで旦那が撮ったこの写真を見て、彼にはそんな余裕があったのかと驚きました)。階段があるところも、真ん中がかなりすり減ってしまっていて滑り台のようになっていました。端的にいうととても歩きにくいので、スニーカーで行くのをお勧めします。あとスカートは本当にやめたほうがいいです。今回の旅行には写真映えを狙ってロングワンピースばかりを持ってきていたのですが、最後の最後でショートパンツを荷物に入れた自分に心から感謝しました。

アリの巣を体験したい人にはここは本当にオススメです。はじめは閉館時間までに45分もあれば十分だろうと思っていたのですが、20分ほど立ったところで「今日はここで一夜を過ごすことになるのではないか」という気になってきました。今はライトが点いていて明るいけれど、夜になったら真っ暗になるのかな。期せずして1700年前の生活を体験できるのか!それは絶対に嫌だ。

地上への執着心が勝ったのか、あと10分で閉館するという時になってようやく、この角を曲がれば出口への階段があるはず!というところまでたどり着けました。良かった。3人でお互いを称え合いながら角を曲がった瞬間、人にぶつかりそうになりました。「すみません!」と思わずロシア語で言うと、その人はびっくりしたようにこちらを見たあと、私たちの後ろを指さしました。…振り返っても元来た道があるだけです。えっと、出たいのですが…と英語で言っても、彼は後ろを示し続けます。「戻れってこと?」この狭い通路で、どちらかといえば体格のいいおじさんとすれ違うこともできず、私たちは後退しました。おじさんの後ろに階段が見えていたのに。

さて、無事に時間内にでられるのか!?そもそもこのおじさんは誰だ!?

長くなったのでこの辺りで。
Пока!

塩湖

トルコに行く前はヌルスルタンの方が暑く、カッパドキアで風邪を引かないかな(と言っても24、5度)と思っていましたが、ヌルスルタンに帰ってきたら思った以上に肌寒くなっていました。この5日で何があったんだ。

ヌルスルタンからイスタンブールで乗り換えて、アンカラ空港に着くと友達が迎えに来てくれていました。この空港、飛行機から降りた瞬間に「荷物を預けている人はこっち、預けていない人はこっち」と分けられます。そしておそらくバゲージのターンテーブルは国際線にしかないようで、パスポートコントロールを横目に順路に沿って進んでいきます。ということは、荷物を預けているか否かで出口が違うのです。もし今後アンカラで待ち合わせをすることがあれば、気をつけてくださいね。友達は全て承知の上で国際線の出口で待っていてくれました。普段は二人で旅行するときに荷物を預けないのですが、今回は預けていてよかった…。

彼の車に乗ってとりあえず市内へ。アルマティより知名度や人気が下がるヌルスルタンと、やはり首都なのにイスタンブールより少し影の薄いアンカラはなんとなく似たところがあるのではないかと思っていましたが、とても大きな街でした。有名な観光地はないけれど、最近できたという遊園地や、大きなアウトレット、小さな商店が集まる通りなどがあり住みやすそうです。街路樹も青々としていて、夏だからかたくさんあるカフェはテラス席を出していて、トルコ人のおじさんたちが楽しそうにお茶をしています。私たちも彼らに倣ってお茶をした後、いよいよカッパドキアへ向かうことにしました。

友達は出発する時に「直接カッパドキアまで行ってもいいけど、途中で塩湖によるのはどう?」と提案してくれたので、旦那と二人で嬉々として乗ります。曰く「ウユニ塩湖のように水が張っていて水面が鏡のようになっている」とのこと。カザフにもそういう塩湖はあるらしいのですが、道が整備されていないと聞いて行くのは諦めていたのでここで行けるのは嬉しいサプライズでした。

アンカラを出てから1時間ほど経った頃、噂の塩湖が見えてきました。 ガードレール上の白い部分が塩です。
見える範囲が全て真っ白なので、かなり広いことがわかります。アンカラから伸びる、穴などない整備された道を飛ばしながら湖を見ていると突然そのほとりに駐車場とちょっとした建物が現れました。たくさんの人々がそこに集まっているのも見えます。

とりあえず駐車場に車を停めて、建物の中を通って湖へ。 湖へ向かう道もちゃんと作られていました。この湖の名前はトゥズ・ギュル、トルコ語でトゥズは塩、ギュルは湖なので、そのまま「塩湖」という名前です。建物の中はお土産物屋さんになっていたのですが、日本でいうと「道の駅」そっくりでテンションが上がってしまいました。そしてやはり売られているのは塩。ここの塩は甘くて美味しいそうです(食べてはいませんが)。

湖に着くと、一面の白い世界でした。人々が裸足で歩いています。しかしそれもこの建物の周りだけで、少し歩いてカメラを脇へ向けると誰もいない風景を写真に収めることができました。
これだけの塩の世界を見た私と旦那はそれだけで感嘆の声をあげていたのですが、先週もドライブで来たという友達はこの光景を見ると「水がなくなっている!」と驚いています。先週は水に入らないと歩けないくらい、岸まで水が張っていたそうです。確かにここに薄く水が張ったら、風景を反射して綺麗なんだろうなあ。奥の方まで行けば水がありそうなのでひたすら前に進んでいたのですが、進んでも進んでも人が少なくなる以外の変化がなかったので、途中で引き返すことにしました。後で調べてみると、この湖は琵琶湖の二倍もの面積があるそうです。琵琶湖でさえ海に見えるのに…。

トルコではずっと日照りが厳しかったのですが、特にここは地面が白いので照り返しが激しく、かなり熱くなってきました。建物の手前にあったアイスクリームの屋台で(トルコアイスではない)普通のアイスを購入。建物の中にあったカフェのテラス席に座って外を眺めながらアイスを堪能していると、結婚式の写真撮影に来たカップルと遭遇しました。こんな素敵な撮影スポットが近くにあるといいなあ。
湖のほとりには観光地によくある地名が書かれた撮影スポットも置かれています(上の写真)。トゥズとギュルの間にフラミンコがいるので友達に聞いてみると「この湖は野生のフラミンゴでも有名なんだよ」とのこと。こんな塩分の多い水辺に!

一通り堪能したので、いよいよカッパドキアへ向かいます。友達もここからのドライブは初めてとのことで、助手席に座った旦那がナビ役を買って出ました。地図アプリを立ち上げた旦那が言います。「道は簡単だよ。ここから94km道なりに進んで、左折、そこから70km進んだら到着」

…これまで聞いたことのない距離の道案内です。思わず聞き返してしまいました。「9.4じゃなくて?94?」何度見直しても距離は縮まりません。友達が運転に飽きないか心配ですが、とりあえず出発!

Пока!

憧れのトルコへ

イスタンブール。 古くはコンスタンチノープルと呼ばれ、ヨーロッパとアジアの二大陸をつなぐ街。 ♪昔コンスタンチノープル
今はイスタンブール
名前の変わったわけは誰にも分からない
トルコの人にしか
ちゃん♪
この一風変わった歌を幼少期からよく聞いていたからか、イスタンブールはトルコにあるということは知っていました(ちなみに名前が変わったわけは統治者が変わったからです)。メロディーが気になる方は「コンスタンチノープル、イスタンブール」で検索してみてください。

イスタンブール、ひいてはトルコに憧れを抱いたのはいつ頃だったか、もう覚えていません。小学生の高学年で映画「トロイ」をみてあの戦いに熱狂した頃か、はたまた中学生の頃に「村田エフェンディ滞土録」を読んだ頃か。この私の生涯ベスト本については以前少しだけ紹介しましたね。 mickymm.hatenablog.com もちろん持っていって読み返しました。

いつからかトルコにはなかなかいけないし、憧れは憧れのままで置いておこうと思い始めていたのですが、ここ一年でトルコに住んでいる人と仲良くなったり、かつてトルコに住んでいた人たちとこちらで知り合ったりするうちに「いや、やっぱり行きたい」という思いがまた出てきました。旦那にはサブリミナル効果を狙って事あるごとにトルコの話をし続けていたからか、彼が夏休みをもぎ取れた時、すぐにメッセージを送ってくれました。「夏休み取れたよ!トルコ行く?」

トルコ、と一口に言っても日本の二倍もある国土には見所がたくさん詰まっています。イスタンブールに行くのは決定で、友達が住んでいる首都アンカラにも行きたいし、奇岩がたくさんあるカッパドキアも見たいし、トロイにも行ってみたいけれど、この調子だと5日では足りないな…。そんな折、友達が「アンカラに来てくれたらカッパドキアまで車を出すよ!」と行ってくれました。その一言でヌルスルタン→アンカラ→カッパドキア→イスタンブールという旅程が決まりました。 ヌルスルタンからアンカラまでは直行便はありませんが、イスタンブールを経由するとあまり乗り継ぎ時間も長くはなくスムーズに行けます。なぜかイスタンブールへの往復の飛行機は早朝発着なので、深夜1時にヌルスルタンの空港へ行ってみて驚きました。普段は心配になるくらい人がいないナザルバエフ空港ですが、この時間は人で溢れていたのです。昼間にはめぼしい便が発着していないのかな。ヌルスルタンを早朝3時20分に出ると、アンカラには現地時間9時20分につくという寸法でした。これでこの日は一日観光できます。

さあ、いよいよ念願のトルコ旅行の始まりです。しばらくカザフ情報はお休みして、トルコで出会った色々なこと、もの、人についてしばらく書こうと思います。期待値を最大限に上げていったのに、その期待を超えてくれる国でした。お付き合いいただけると幸いです。