モスクワ奮闘記

2016年7月末にモスクワに引っ越してきました。

ボロジノ戦闘パノラマ館

Привет!

昨日からiPhoneの言語設定をロシア語に変えました。旦那にはなんで自分を追い詰めるのかと聞かれたのですが、授業中に出てくる言葉が携帯電話のアプリや設定でよく使う単語だったりすることが増えてきたからです。すると、ツイッターまでロシア語になってしまいました。例えば「リツイートしました」は「ретвитнул(-а)」=リトビートヌル(ラ)と書いてあり、そのままやんと思う反面、動作をした人の性別で過去形が変わる不便さが表れていて面白いです。リツイートした人が男性なら「л(ル)」で終わり、女性なら「ла(ラ)」で終わるのです。ほら、文法ややこしくするからこうなるんやん。

6月24日の記事に「大祖国戦争が始まった日」だと書きました。ロシアにはこの「祖国戦争」という名前がついている戦争は2つあります。この前書いた1941年から1945年のナチスドイツが攻めてきて、迎え撃った戦争は実は2つ目です。1つ目は1812年に起きた、フランスのナポレオン軍が攻めてきた戦争を指します。

フランス軍とロシア軍が対峙したのは1812年9月7日、モスクワ西部のボロジノでした。現在、当時の戦場をパノラマで再現した博物館があります。 どーん。パノラマなのでちゃんと丸いですね。場所はメトロКутузовская(クトゥーゾフスカヤ)駅から大通り沿いに歩いて10分ほどのところです。

クトゥーゾフというのは、この戦いで大活躍した総司令官の名前です。外交官としても人気が高かった彼は、フランス軍に押されていたロシア軍の総司令官に着任しました。もちろ博物館前にはクトゥーゾフさんの銅像があります。

博物館ではパノラマへ行く前に当時の兵士の服装や、当時の新聞などを用いてナポレオンの評判などが展示されています。

一通りそれらの展示を見終わると、階段を登ってパノラマへ。壁を一周する形で当時の戦場を再現した絵が書いてあり、その絵との境界がわからなくなるほど巧妙にジオラマが作られていました。また小型のパソコンが置いてあり、絵の中に描かれている人をタッチすると名前が分かる、という工夫も。必死でクトゥーゾフとナポレオンを探しました。 ジオラマと絵の境界がみえるでしょうか。ジオラマの方には犠牲者などは置かれていないので安心してください。

実はこのボロジノの戦いではロシア、フランスともに決定的な勝利を得ることはできませんでした。両軍ともに甚大な被害を出し、ロシア軍は退却を余儀なくされます。クトゥーゾフはモスクワをフランスに明け渡すことを決定しました(その場面の絵画も飾ってあります)。しかし、彼には秘策がありました。征服した土地での略奪によって食料や衣料を補給することで有名だったナポレオンがこれ以上力をつけないように、モスクワを焼いてしまうことにしたのです。 これはモスクワの地図です。この中で黒くなっている部分が計画上焼き払う部分だったそうで、実際計画通りモスクワのほとんどが火の海になりました。

もちろん、27万人もいたモスクワ市民は焼く前に疎開しました。博物館では、パノラマが終わった後も展示は続きます。火事のところでは聴覚と視覚で感じられるような演出がなされていました。

ナポレオン軍はモスクワに無血入場した際にはもう遅く、略奪できるものは全て燃えてしまっていました。クトゥーゾフは南方からモスクワを包囲して、ナポレオンの糧道を断ちます。そこへ冬将軍がやってきました。ここはロシアです。10月に入れば雪が降ります。

飢えと寒さ、そしてクトゥーゾフ軍の攻撃に耐えかねたナポレオン軍は、やむなく退却を始めました。そんなナポレオン軍にクトゥーゾフ軍は追撃をかけます。始め13万から19万ほどいたと言われるフランス軍はロシアを出る頃には3万ほどになっていました。

この戦いがそれまで飛ぶ鳥を落とす勢いだったナポレオンの転換点となりました。また、トルストイの有名な作品「戦争と平和」はこのボロジノの戦いがクライマックスになっているそうです(いつか読みます)。

他の博物館とは少し違った、珍しい博物館はほとんどがロシア語ですがかなり興味深かったです!

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