馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

カザン旅行記-二言語都市

Привет!

すっかり気温もマイナス一桁に落ち着いてしまい、かつての勢いを失っています。しかし布団をはたこうと窓を開けたら、家の中に大量の雪が落ちて来ました。桟のところに積もっていたようです。びっくりした。

他の観光地も紹介したいのですが、その前にカザンの雰囲気を知っておいていただこうと思います。その場所の歴史や文化を色濃く反映することになる言語ですが、ここカザンではかなり興味深いものがありました。

これは地下鉄の中の駅案内です。青色はロシア語、緑色はタタール語、ピンクは英語でそれぞれの駅名が記されています。

どこにいってもこの調子なのです。必ず、ロシア語とタタール語、英語の三言語が併記されています。ただ、街中で聞こえてくるのはロシア語のみ。観光客らしき人の英語も聞こえてきますが、タタール語が聞こえてきたのは電車内のアナウンスと空港のアナウンスのみ(誰に向けたアナウンスなのでしょうか…)。全く聞きなれない言葉が聞こえてきて初めて「あ、私はモスクワから離れてるんだ」と思い出すくらいでした。

これは電車の中の「ドアにもたれないでください」という表示です。上がロシア語、下はタタール語ですが、モスクワでは下のタタール語の代わりに英語が書いてあります。 ロシア語の方のはじめ二文字、НЕというのが「ニェ」と発音し「〜しない」という意味です。タタール語の方には一語で書いてあるのが気になりますが、全く読めません。

キリル文字のлがあるかと思えば、θやeが逆さを向いている文字など発音すらわからない文字も出てくるのが面白くて、少しタタール語の文字について調べて見ました(ほとんどウィキペディアより)。

なんともともとはアラビア文字を使って表記していたそうです。それも20世紀ごろまで。1927年にラテン文字のアルファベットが制定されるも、わずか12年でキリル文字による表記に改められます。もし私がこの時代にタタール語を使っていたら、大混乱だったに違いありません。1999年にタタールスタン共和国の国会で再びラテン文字を使うことに決まり、2001年より実行。しかし、慌てたのはロシア側です。2002年に「ロシア連邦内のすべての言語はキリル文字に基づくものでなければならない」という思い切りタタール語を意識した決定を下します。現在はそのギリギリのところでラテン文字とキリル文字を使っているようです。

博物館の入り口までこんな感じです。 書いてあるのは全部同じ内容。すごい労力です。

博物館の展示物の説明もロシア語とタタール語、親切なところは英語もあります。なまじロシア語をかじっただけに、なんとか発音してみようと読み進めると、知らない文字が出てきて「あ、これタタール語の方だったか!」となったことが何度もありました。ロシア語の文やアナウンスで「なんとなく何を書いてあるのか分かる」と安心するようになるとは思いませんでした。ロシアに来た時は英語が目に入るだけで感じていた安心感です。

モスクワでもお馴染みのホーム行き先案内看板。これも縦線で三つに区切ってありますが、内容は一緒です…一瞬どこを見ていいかわからず一度電車に乗り損ねました。

明日からはまた観光名所や博物館の紹介をしますが、こんな言語環境だったのか、と感じてもらえたら嬉しいです。

Пока!

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