馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

ラーメンラボ

Привет!

ついに大晦日ですね。カザフスタンでは年越しを基本は家の中で過ごすそうなので、ご近所のお友達のお家へお邪魔しようと思っています。気が付けば日本で新年を迎えなくなって三年目になりました。来年こそは日本でこたつに入って紅白歌合戦を見たいです。

そんな日本が恋しくなってきた私たちに朗報が訪れました。モスクワやロンドンではいくつかあったラーメン屋さんがアスタナにはないのですが、アルマトイにはあるというのです。モスクワにまだラーメン屋さんが充実していなかったころ、サンクトペテルブルクのラーメン屋さんに行くためにメニューを覚えてしまうほど楽しみにしていた旦那です。アルマトイまで来てそのお店に行かないなんて考えられません。 店名はラーメンラボ。何となくモスクワにあったあまりおいしくないラーメン屋さんが想起されます。 mickymm.hatenablog.com ここですね。ラーメンラボのほうは看板のどことなく怪しげなカタカナが少し不安をあおります。

ラーメンラボへ行く前の日の晩、楽しみにしすぎた旦那はよせばいいのにインターネットで口コミを調べました。評価はあまり高くなく、ロシア語で書かれたものしか読めませんが、その多くが「脂っこい」や「味が濃い」「美味しかったのはお茶だけ」などというものでした。どんどん不安になってきます。

とりあえずドアを開けてみると、お客さんはだれもいませんでした。店の奥で映画『火垂るの墓』が上映されています。作品のチョイス、あえてそれなのか…。ほかの人が行ったときにも火垂るの墓が流れていたそうなので、店長が好きなのかもしれません。 店内はこんな感じ。窓にかけられた垂れ幕(?)の文字がいちいち気になります。「世の中を気にする」の後に続くのは「技」ですし、右から二つ目は「おなかへったな」です。この文字の下に描かれた侍(?)がいい味を出していました。何より物議をかもしたのは左側の文字。「呑」の間違いじゃないか、あるいは「杏」では?という意見がでましたが、結論は「おそらく『和』だろう」ということになりました。日本語の文字を知らない人が漢字をみると、どこまでが一文字か分からないそうなのです。 店内を別の角度からみた図。カウンターの上の「熱を感じ燃えさせ感覚を爆発させる」という文字に熱いメッセージが込められているように感じます。何より文法は間違えていないのですが、主語がないのでよくわからない文になっているのですね。

差し出されたメニューを眺めていると、突然目の前に小皿に乗った錠剤のようなものが置かれました。これは…と戸惑う私たちを横目に店員さんがその錠剤めがけてお湯を注ぎます。するとその錠剤がうねうねと膨張し、お手拭きになりました。 これが世の中を気にする技…?

よくわからないのでメニューに戻ります。豚肉を日常的に食べないこの国では、ラーメンを頼むときにまず肉の種類を選びます。牛か鶏。そしてスープを塩と醤油の二種類から選んで注文。ほかにも担々麺がありました。旦那は担々麺、私は辛いものが苦手なので鶏の醤油ラーメンを注文。サイドメニューも充実しており、餃子(エビか野菜か選びます)と唐揚げも一緒に注文しました。 一番初めに運ばれてきたのはラーメン。なぜかチップスのようなものも一緒にテーブルに置かれます。このチップスはお店からのサービスだったようですが、これが本当に美味しかったです。文字通り「やめられない、止まらない」でした。このままだとラーメンが伸びてしまう…と思い、決死の覚悟でチップスを運ぶ手を止めます。

鶏チャーシューは思ったよりもしっかりと作られていて、レシピを聞きたくなるほどでした。麺は少し太めでしたが、細い麺にこれまで出会ったことがないので及第点でしょう。担々麺もおいしかったようです。旦那も私も顔を見合わせて「全然脂っこくないやん」と思わず言い合うほどでした。やはりインターネットの情報は信用できない、と改めて思います(ということをインターネットに書いていますが)。あるいはカザフ人にラーメンは合わなかったか。 そしてやってきた唐揚げ。…うーん、これは唐揚げというよりフリッターのようでしたが、それでもカラッと仕上がっていて食べやすかったです。このあたりで二人ともお腹がいっぱいになってきたので餃子を頼んだことを後悔し始めましたが、やってきた餃子は羽付きでびっくりしてしまいました。驚いてもお腹は減らないので二人で頑張って食べきり、評判のお茶(これも問題なく美味しかったです)を飲んでいるところにお会計を持ってきた店員さんを捕まえて尋ねました。「美味しかったのだけれど、日本人シェフがいるのか」と。すると彼は「いえ、店長が日本に行ったときにラーメンと出会い、こちらでお店を開くべく修行をして持って帰ってきた技術です。来年には新メニューも出る予定なのでまた来てくださいね」と教えてくれました。やっぱりラーメンは美味しいですよね。

思っていたより美味しかったね、と店を出て2、3時間すると、旦那が突然「さっきのラーメンが胃もたれしてて…食べているときには気が付かなかったけどやっぱり結構脂濃かったかも…」と言い出しました。さっき店員さんに日本人からのお墨付きや!って豪語してたやん。それでも美味しかったことに変わりはないので、またアルマトイに行ったときはお店に行くと思います。

アルマトイの旅行記はあと二回の予定です。今年もしばらくお休みしていたにもかかわらず多くの方に来ていただきました。環境が大きく変わった一年でしたが、これからはカザフスタンがちょっと身近に感じられるようなお話を書いていきたいと思います。そして来年はカザフスタンの近隣諸国にも遊びに行きたいです。どうぞ来年もよろしくお願いします。

Пока!

メデウでスケート

Привет!

計算を間違えて、年内にアルマトイの旅行記が終わらないという事実に気が付きました。ということで、もう年の瀬ですね。クリスマスからの一週間はいつも記憶がなく、気がつけば31日だったりします。

さて、アルマトイ二日目の目玉はメデウでした! ちょっとブレていてすみません。このフォトスポットの横に、例の本物の鷹を肩に乗せて写真を撮ってくれる人がおり、変に写真を撮っているとお金を取られそうだったからです。

メデウとは、アルマトイ市内から30分ほど車で山の方に行けば着くところで、ここにはスケートリンクがあります。タクシーで市内から10分も走るとともう、美しい山並みの中にいることに気がつきました。本当に山が近くていい街だな。

このスケートリンクの少し下にはスキー場へ行くためのゴンドラがあります。でも今回は装備もないしスキーはパスかな。ということで、とりあえず気軽に楽しめるスケートをすることにしました。 標高1691メートルに作られたこのスケートリンクは世界でも有数の高地にあり、空気抵抗が少ないためスピードスケートの世界記録が多数生まれたそうです。なのでリンクの壁にスピードスケートの絵が描かれているんですね。リンクへの入場料は1800テンゲ(600円)です。入り口のチケット売り場の料金表にレンタル靴の値段も書かれていたので、入場券とレンタルをお願いすると「中で借りるときに支払いもしてください」とのこと。…じゃあここに書かなくてもいいのに。

ファンタがスポンサーについているようで、なんと入り口のところで無料のファンタをもらえました。そのファンタを配っているゲートをくぐると、素晴らしい景色が目に飛び込んできます。 こんな絶景の中でスケートができるなんて!さっそくスケート靴を借りに行きます。リンクから見ると半地下になっているところに「レンタル」の文字を見つけ、たくさんの人でごった返す中をお支払いカウンターに向かって進みました。するとそこの人に「返却の時にお支払いください」といわれたのです。後払いシステム!時間制だったので延長したときに正しく請求できるからかもしれません。ただ、ここで何より驚いたのは自分の靴を預ける場所の位置でした。貸出カウンターで「脱いだ靴を預かってもらえる場所ってありますか?」と聞くと「ガルデロープが上にあるよ」とのこと。上? なんとここは二階に自分の靴を預けるので、預けた後はスケート靴で階段を上り下りするというリスクがあるのです。必死に手すりにしがみつきながら、何とか転ばずに靴を預けて回収することができました。これは確実に設計ミス…。その件のガルデロープにはお客さんが預けた靴以外にも多くのコートがかかっていました。え、みんな標高1700メートル(富士山でいうと2合目と3合目の間あたり)のスケートリンクでコート着ないの?

実際、リンク上には着ぐるみを着た人が多く(フリース生地の、つなぎのような形状のもの)、ピカチュウやトトロなど日本のキャラクターも見かけました。それでも寒いと思うなあ。なかにはタンクトップで滑っている人までいます。リンクの真ん中にはステージが組まれ、DJがフロアを沸かしていました。スケートをしながらクラブにいる気分です。周りに若い人が多いのも納得でした。2時間もスケート靴を借りましたが、久しぶりだったので体力が持たず、一時間弱でやめることに。でも氷の質も高く、リンク周りにはたくさんのカフェがお店を出しているのでスケート靴のまま食事もできますし、とてもいい環境でした。

さて、ここまで来たのにこれだけで帰ってしまっては勿体ないと思いました。旅の友である『地球の歩き方』によれば「リンク裏にはダムがあり、長い階段を上り詰めるとさらに美しい山あいの自然が見られる」とのこと。それは行ってみるしかない!ということでDJの音楽を聴きながらリンク裏へ回ります。 階段へと続く長い緩やかな坂道の傍には小川が流れており、どこか日本の温泉街を思い出します。

その坂道をいくら進んでも階段が見えてきません。もともと疲れたからスケートをやめたのに、これではあまり意味がありません。 ここまで上がってきました。奥に見えているのがスケートリンクです。

すると突然目の前に階段が現れました。木々に隠れていたようです。下から見上げると、階段がどこまで続いているのか分かりません。また運が悪いことに霧が立ち込めてきました。階段のスタート地点にはロシア語とカザフ語と英語で書かれた看板が立っています。そこには「自分の健康状態がいいことを確認してください。靴はしっかりしていますか?」という文から始まる注意事項と禁止事項がずらっと書かれていました。え、そんな危ないところなの? さあ、のぼりはじめましょう。記録のために旦那と二人で数え始めます。300段くらいまで声に出して数えたところで息が切れてきました。早くも降りたくなってきましたが、ここまで来たので「美しい山あいの自然」が見たいです。 野生のリスもいました。500段あたりで、何とも間の悪いことに雪が降ってきました。急速に積もっていきます。私たちだけなら不安で引き返していたかもしれませんが、前後にも何人か一緒に上っていたので言葉は交わさなくてもどことなく一体感が生まれてきました。600段付近では簡易のカフェがあり、暖かいお茶やシャシリク(バーベキュー)なども注文できますが、何かを食べる気にはなりませんでした。いや、そもそも何段あるんだろう。

10段ごとにちょっと休憩しながら、なんとかてっぺんにつきました!二人の結論は838段だったのですが、先ほどスタート地点にあった看板の写真を見返していると842段だと書いてあるのを発見しました。やっぱり数え間違えたか。さあ、絶景が目の前に― 雪が降っていたのです。標高にして1750m、雲の中にたどり着くことは想像できたはずでした。必死で上は見ていませんでしたが。みんなはここで記念撮影をしていましたが、背景が真っ白なだけだと思ったので私たちはとっていません。そしてここにきて帰りが怖くなりました。ずっと私たちの上を並行してゴンドラが通っていたので階段の先に乗り場があって帰りはゴンドラで帰って来られるのではないかという淡い希望があったのです。写真で見てわかるようにゴンドラは私たちの頭上を悠々と通り過ぎていきました。ということは、今上ってきた階段を降りるしかないのか…。しかも、今は雪が積もっています。一部の段は凍っていました。足を滑らすと確実にけがをします。

一段一段の幅も違えば高さも違うこの階段を安全に降りるために、手すりにしがみつきながら一段ずつ足を運びました。スケートリンクでもここでも手すりにしがみついてばっかりです。 登りよりもはるかに緊張しながら、なんとか降りてこられました。階段前の広場では乗馬体験ができるのか、なぜか馬が立っていたので山を背景に写真を撮らせてもらいました。かっこよかったです。

無事にスケートリンクまで戻ってきました。市内までバスで行こうと思いましたが、満員だったのでタクシーアプリを起動してみます。こんな山奥にタクシーは待っていないか…と思いながら呼んでみると、一台だけヒットするではありませんか。その車に乗せてもらい、市内まで行ってもらいます。運転手さんは「じつは子供たちが今スケートで遊んでいるんです。あなたたちも滑りました?あのリンク良いですよね」と話してくれます。タクシーというか家族を送り迎えするお父さんだったの…!それより、市内までは30分かかります。往復で1時間。大丈夫なのかな…と心配していると、案の定途中で電話がかかってきました。「あなた今どこ!?」と聞こうとしなくても聞こえてきます。ああ、ごめんなさい…いや、私たちは悪くないけれど。無事目的地で降ろしてもらい、彼が家族に怒られないよう祈りながら別れました。

Пока!

牡蠣を求めて

Привет!

氷点下30度が日常になってきたので、寒さ自慢のようにSNSに気温をアップしていたら、モスクワにいるロシア語の先生たちから「その調子!!」や「あともうちょっとで夏だから耐えて!」など多種多様なコメントが届きました。この調子で夏まで寒さが続くのは勘弁してほしいです。それに冬の次は春だよ、先生。

さて、アスタナより日本人が多いアルマトイには日本食レストランもいくつかあると聞いていたので、楽しみの一つにしていました。2年前にアルマトイに住んでいた方のブログに「スシダイ 寿司&オイスターバー」というお店がなかなかのクオリティだと書いてあり、一日目の夕食は生牡蠣パーティーを開催することに旦那が勝手に決めます。なにかとお店の入れ替わりは激しい国なのですが、二年前にできたばっかりなら大丈夫でしょう。一日目の観光を終えて中央バザールのあたりでタクシーを呼んで、行先のところに「スシダイ」と入れると二つ候補が出てきました。5㎞先と12㎞先。ブログに載っていた5㎞先のほうを迷わず選びます。

高層ビルが並んだビジネス街にあるという記述通り、アスタナでよく見るようなビルが並んだ場所でタクシーを下ろされました。オフィスビルなので土曜日の夜にはほとんど明かりがついていませんが、いくつかカフェやレストランが見えます。しかし…地図が指し示す場所に目指していたお店はありませんでした。人影もまばらなビルの間をひたすら探して歩きます。たまにすれ違う人を捕まえて「スシダイってどこにあるかご存知ですか」と聞くと、その人は「スシ」だけを聞き取ったらしく「あそこだよ」と教えてくれたのですが、違う寿司屋さんでした。生牡蠣が食べたかったのでそこには入らず、角を曲がるとクラブらしきものがあり、高校生くらいに見える若者が店の外まで騒いでいたのでここで探すのはあきらめることに。もしかしたら移転したのかもしれないと、そこから7㎞先のほうへ行きます。タクシーで走ること20分、今度は真っ暗な町はずれに来てしまいました。民家の中にどんどん入っていく車。電灯もついていない道で運転手さんは目的地に到着したと告げます。さすがにここにレストランはないだろうという場所でしたが、とりあえずタクシーを降りて周辺を探してみました。お店らしきものといえば怪しげなマッサージ屋さんが一軒だけ。あまりにも不安になってきたのでタクシーをもう一度呼びます。目的地をどうする?と旦那に聞いてみると、どうしても牡蠣を食べたくなっていた彼は「どこでもいいからオイスターバーに行きたい」と言いました。地図で検索してみると一軒だけ、しかもホテルに比較的近いところでヒットするではありませんか。これもなかったら諦める、とのことだったのでとりあえずここへ。 ちゃんとお店が存在していました!!半地下にある店内へ降りていくと、ドアを開けた瞬間に牡蠣が入った水槽が目に飛び込んできます。 これは正解を選んだのではないか。店内はそんなに広くなく、4人掛けの席が3つあるだけでした。驚くほど物腰が柔らかい店員さんに案内されて席へ着きます。メニューに生牡蠣が載っていなかったので尋ねてみると水槽の前に案内されて、それぞれの特徴を説明してくれ、選ばせてくれました。若い生牡蠣からよく成長した生牡蠣まで何種類もあります。すべてフランスから輸入しているとのこと。 白ワインも注文して、かなり大人の雰囲気が漂う夕食になりました。運ばれてきた生牡蠣は通常のレモンだけではなく、タバスコや玉ねぎ酢などいくつかの味で楽しめるようになっています。フランスパンとガーリックバターにピロシキはサービスです。この小さいピロシキが持って帰りたいほどの絶品でした!もちろん牡蠣も新鮮でおいしく、二人とも当たらずに楽しめました。旦那は相当気に入ったのか二つ牡蠣を追加。アスタナで食べられるようなレストランを知らないので、今食べないと!という気持ちだったのかもしれません。 私はかぼちゃスープ(まさかのカムチャッカ産蟹肉入り)とサーモンの照り焼きサラダ(写真)を追加。図らずも海産物を堪能します。アスタナもアルマトイも海からは遠いのになあ。はじめはどうなることかと思った一日目の晩も、店員さんの気持ちがいい接客と美味しい料理の数々で幸せなひと時になりました。ある意味思い出深い出来事でした。しばらく前のネットの情報はよく吟味ください!

Пока!

アルマトイ市街散策

Привет!

外気温は氷点下25度なのに、部屋の中が熱すぎるので窓を開けて温度調整しています。案の定、朝起きたらのどが痛くなっていました。そういえば、今日はクリスマスイブですね!こちらではクリスマス自体は1/7ですがプレゼントなどは新年が開けるときにツリーの下から出して交換するので、あまりクリスマス感はありません。ただ街中のツリーは見つけた時に写真に収めているので、いつかお見せできたらと思います。

ということで、今日はアルマトイの街中にある観光地をご紹介します!

まずは「28人のバンティロフ戦士公園」 入るところを間違えて、そこには何も表示がなかったので不安なまま歩いていたのですが、出るときに振り返るとこの表示がありました。ここは大祖国戦争(ソ連の対ドイツ戦:1941-1945)でカザフスタンからモスクワに出征し、戦死したバンティロフ将軍と28人の兵士をたたえるために作られた公園です。思っていたより広い園内で、どこかに「消えない火」をたたえた無名戦士の墓があるそうなのですが見つけられませんでした。 おそらくこの人がバンティロフ将軍。彼の横には大砲が二基置かれていました。また、公園の中心部にはゼンコフ正教教会もあります。ただ、今は絶賛改装中だったので、横に仮設で小さな教会が造られており、そこから讃美歌が聞こえてきていました。ちなみにこの教会は宗教禁止のソ連時代には博物館として使用されていたそうです。ソ連時代にすべての教会を潰してしまわなくて本当に良かったです。 この色合いを久しぶりに見てモスクワが懐かしくなります。それにしても、アルマトイの街中が旧ソ連圏の他の街(例えばイルクーツクとかタシケントとか)と変わらない風景で、自分が今ロシアにいるのかカザフにいるのか少し混乱してしまいました。そういう意味でもやはりアスタナは新しい街なのだと実感します。

この公園から少し歩くと中央バザールにつきます。通称はグリーンバザールというそうです。グーグルマップの地図でもgreen bazaarと出てきました。 建物の外にも屋台のような形でたくさんのお店が出ています。この時期だからか、多くの屋台でツリーの装飾品が売られていました。それらの屋台を見ながら建物の周りをぐるっと回るのですが建物に入る場所が見つかりません。進めば進むほど屋台で売られているものが専門的になってきました。ありとあらゆるネジが所狭しと並べられていたり、壁一面にいろいろな形の蛇口が展示されていたり、ここで見つからないものはないのではないのか、というくらいありとあらゆるものが置かれています。かなり広いので日用品のコーナーだけで迷子になりそうでした。なんとかそこを抜け出し、建物の入り口を見つけて衣料品コーナーや食料品コーナーへ行きましたが、時間が遅かったこともあってほとんどのお店が閉まっています。キムチコーナーはまだ盛況でした。 こんな風にお店が並んでいます。アルマトイに住んでいたら毎日のお買い物に通いつめそうですが、旅行者としていくと買うものがあまり見つからないかもしれません。もしかしたらあの巨大な建物のどこかにお土産屋さんなどもあったかもしれませんが…。朝一番で体力があるときにまた行ってみたいです。

もう一か所、私たちが行ったのは国立中央博物館。 堂々としたたたずまい。アスタナのものより建物が小さく感じたのですが、中はアルマトイのほうが充実していました。やはり歴史の長さが違います。この土地に生活が根付いた時期に始まり、ソ連から独立するまでの人々の様子をしっかり見ることができました。私が好きな民族衣装のコーナーもかなり展示物が多かったのでその部屋だけでも入場料500テンゲ(160円ちょっと)の価値はありました。ちなみにカザフ人は入場料が300テンゲだそうですが、外国人は500テンゲです。それでも安いですが。 また、カザフ人だけでなく、ソ連時代にカザフに移住させられたいろんな民族の生活を見せてくれる部屋もあります。ほとんどの部屋が撮影禁止なのが残念なところです。 通常はエントランスはがらんと空いていて、国の地図や黄金人間(紀元前5世紀のスキタイ戦士の墓から発掘された黄金でできた鎧)のレプリカなどが飾ってあるそうですが、ちょうど私たちが行ったときはクリスマスバザーの真っ最中でした。ちなみに上の写真はその黄金人間の60cmくらいのレプリカです。エントランスのレプリカは等身大だとか。 およそ国立博物館のエントランスとは思えないポップさ。ロシアやウクライナ、ウズベキスタンにもちろんカザフスタンの手作り工芸品が売られていました。

アルマトイとは「りんごの里」という意味で(アルマが「りんご」だそうです)、街中を歩いているとりんごの銅像(?)がいくつか見うけられました。 こちらはカザフスタンホテルのエントランス前にいた女性とりんご。 こちらはコクトベにあったりんご。

そもそもりんごの起源がカザフスタン、特にアルマトイ近辺で、昔はアルマトイにはりんご林があったことからこの名前がついたそうです。今はりんご林は見られなくなってしまいました。

ついでに、地下道の入り口の屋根にいたカタツムリ。 ここ以外にも二ヶ所で確認されています。

アスタナよりも暖かくて、この時期でも散歩が楽しめるアルマトイ。ぜひ街中をぶらぶらしてみてください。

Пока!

コクトベ

Привет!

朝から携帯の通知が多いので何事かとのぞいてみたら、当局から「今日は‐30度まで下がるので厳戒態勢を!」というお知らせでした。朝は実際に‐30度だったそうなのですが、私がお昼に天気アプリを見たときは‐28度でした。そのままお買い物をしに外へ出ると、鼻で呼吸をするだけで体の内側が凍る感覚を久しぶりに味わいます。この空気がこちらに刃を向けてくるような気温は「寒い」を通り越して「痛い」のですが、きりりと身が引き締まる感じがするので一度体験すると癖になります。

さて、こんな気温が嘘のようなアルマトイ旅行のお話です。今回アルマトイで宿泊した「ホテル・カザフスタン」の近くに丘へと続くロープウェイ乗り場がありました。 行きつく先は標高1070mの丘、コクトベ。聞くところによると上には展望台だけでなく遊園地や動物園もあるとか。楽しみになってきました。ロープウェイは往復で2000テンゲ(660円ほど)でした。登りに使ったチケットを下りにも使うので、なくさないようにしてくださいね。 到着!山を背にしているので、こう見ると平地が広がっていますね。それにしても結構上りました。丘の上は空気がとても綺麗で、こんなに違うものかと少し驚くほどでした。ロープウェイを降りたところは広場になっていて、そこには気になるものがいろいろとあるのですが、とりあえず奥へと進みます。お土産屋さんを通り過ぎ、しばらく歩くと突然どこからともなくビートルズの歌が聞こえてきました。音が大きくなるほうへ歩いていくと、少しだけ大きめに作られたメンバーの銅像が! カザフ人の大家族がこの像と写真を撮り終えるのを待って、私たちも撮影。横の看板にはビートルズの軌跡が書かれていたので読んだのですが、別にアルマトイに来たことがあるわけじゃないんですね。ビートルズのファンの会(?)がここを「待ち合わせ場所にできるように」作ったそうです。え、こんな丘の奥まったところで待ち合わせる人いる?

ビートルズに別れを告げて、奥へと進みます。「鏡の部屋」と書かれた小屋や、的あての屋台、「バイキング」という小さめのアトラクション(船型の乗り物が前後に揺れるもの)などが森の中に点在しており、どことなくさびれた遊園地が想起されます。一昔前のひらかたパークのような。「コクトベ兄さん」とか作って宣伝したほうがいいんじゃないかな。中でも白鳥の形をした乗り物が音楽に合わせてメリーゴーランドのように回る、というアトラクションがあったのですが、子供がロシア語で歌うマイナー調の曲を流しながら誰も乗っていないのに回り続けているのが不気味でした。サスペンスのにおいがするね、という旦那と足早にそこを離れます。その遊園地の右手には小さな動物園がありました。入り口のあたりで紙コップに入った生野菜が200テンゲ(66円ほど)で売られていますが、別に餌付けをしに来たわけではないし、と何も持たずに園内に入りました。入ってすぐはアルパカです。 カメラ目線をいただきました。なんだ、野菜を買わなくても自分の敷地内に草があるのか、と安心して次へと足を進めた時です。ロバと目が合いました。 このつぶらな瞳とかわいさに思わず野菜を買わなければ、という使命感にかられます。入り口まで戻るか、と顔を上げると、そこには狙ったかのように野菜が販売されているではありませんか。ああ、私たちは運営側の思惑通りの良いカモなんだろうな。 ロバが思ったよりも勢いよくニンジンを食むのを見届け、つぎの鹿へと足を進めます。鹿にも野菜を差し出すと、取り合いが始まってしまいました。争いの種をまいてごめん。そこからは怒涛の鳥コーナーです。いろんな種類の鶏に雉、クジャクや鷹、アヒルまで多種多様な鳥を観察することができます。モスクワ動物園も鳥ばっかりでしたが旧ソ連圏は鳥が好きなのかな。

小さい動物園の上に種類が偏っていましたが、かなり癒されました。さらに奥に進むと山側の展望台になっています。 さあ、広場まで戻りましょう。広場では民族衣装を着て写真を撮らせてくれる(そしておそらく高い値段をとられる)コーナーがありました。この後ほかの観光地でもこのようなコーナーを見かけるのですが、そのすべてで狩猟用の鷹(本物)を肩に置かれるのです。時々羽ばたいていてものすごい迫力でした。

広場にもアトラクションが3つほど並んでいます。一つは観覧車。各地の観覧車に乗るのが趣味なのでチケットを買おうかと思ったのですが、よく見たら観覧車の一つ一つの箱がさっき乗ってきたロープウェイの箱と同じものだったので今回は見送りました。もうすでに高いところにいることですし。観覧車の真横にはひっくり返った家があるので一瞬びっくりします。 これはトリックアートのような写真が中の各部屋でも撮れるようで、この丘で一番の人気でした。行列があったので私たちは入っていませんが「カザフスタンで初めて!」という看板がチケット売り場に貼られています。

私たちが一番気になったのはジェットコースター。先にコースを見せますね。 丘の斜面を利用してコースが作られているようで、頼りない線路がうねうねと木々の間を縫って設置されているのが見えます。写真で見るとあんまりですが、実際見ると結構な傾斜がある上に一歩間違えると丘から放り出されそうで結構怖いのです。同じ不安はその場にいた全員が持っていたのか、みんな遠巻きにして乗り場を見つめています。と、その時勇気ある二人組の女性がその乗り場へ一歩踏み出しました。乗り場で待機していた係員のおじいさんに説明を受けながらシートベルト(車についているもの)を締めます。 これがその乗り物。一つに二人乗りで、一台ずつ発進します。彼女たちが叫び声をあげながらも無事に帰還したのを見て、勇気が足りなかった人たちが一斉にチケット売り場へ向かいました。私たちもそれに倣います。

少し並んで、私たちの番が来ました。二人のうち体が大きい方が自動的に後ろに座らされ、私は旦那の前に座って乗り物の前についている取っ手を握るように指示されます。係り員のおじいさんは旦那に「英語がいい?ロシア語分かるん!それはよかった。じゃあこのレバーを握って。前に倒したらアクセル、後ろに倒したらブレーキ。自分で速さは調整してな。コース見える?あのあたり(といってコースの終わりのほうのカーブを指さす)でブレーキを引いてスピードを落とすんやで。分かった?じゃあ行ってらっしゃい!」といって勢いよく押されました。え、アクセルがあるジェットコースターなの!私たちの命は全てレバーを握っている彼に一任されています。これ相当信頼関係がないと危険なのでは。実際走り出してみるとかなりのスピードが出て、カーブのたびに目の前にアルマトイの街が広がります。そして何度かカーブを曲がっていると、先ほどおじいさんがどこでスピードを落とせといったのか分からなくなりました。そういえばさっき列に並んでいるときに後ろの男の子が「もし僕たちが死んだら」とか言ってたな、と思っていると「スピードを落として!」という看板がありました。確かにあの説明を受けていなかったら見逃していたかもしれないような看板です。ああ、助かった。

無事丘の上まで引き上げられ、なんとか帰ってこられました。スリル満点で面白かったです。降り口のところで、いつ撮られたのかジェットコースターを楽しんでいる私たちを正面からとらえた写真を展示していました。私が恐怖と興奮でひどい顔をしていたので笑って通り過ぎようとしたのですが、旦那が「いくらですか?1000テンゲ(330円ほど)?買います」といって買っていました。こういうところで写真を買わない人だと思っていたので理由を尋ねると「俺がいい顔をしてたから」とのこと。そうですか。

園内に流れている音楽や、アトラクションの雰囲気が2000年代前半を思い出させるような、良い遊園地でした。晴れた日に是非どうぞ!

Пока!

アルマトイへ

Привет!

12月16日、17日はカザフスタンの独立記念日です。今年は16日が日曜日だったので、18日の火曜日が振替休日となり4連休でした。せっかくの連休をアスタナで過ごすのはもったいない、ということでカザフスタン第二の都市、アルマトイへ行ってきました! アルマトイは空気汚染がひどいらしく、確かに飛行機から見ても茶色いのが分かります。ちなみにアスタナを出るときも帰ってきたときもまだ太陽が昇り切っておらず、空からどんな風に見えるのかはわかりません。

第二の都市と言ってもアスタナに20年前に遷都するまではアルマトイがソ連を構成するカザフ社会主義共和国の首都だったので、町の規模としてはアスタナの数倍あり、今でもカザフスタン最大の都市はアルマトイです。行くことになってから「地球の歩き方」を開いて驚きました。アルマトイの地図ページにある情報量が、アスタナのそれよりかなり多いのです。アルマトイには9ページ割かれており(ホテルやレストラン情報除く)、アスタナには4ページしか割かれていません。…これは、アスタナだけを見てカザフスタンを知った気になってはいけないな。旅行を決めたのが直前だったので、とりあえず2泊3日で飛行機とホテルを予約してアスタナを飛び立ちました。

アスタナからは飛行機で1時間40分の距離。エア・アスタナという国一番の航空会社では一日に数本、朝と夜に飛行機が出ています。9時ごろに出てお昼前につくような便でしたが、結構がっつりとした機内食が出てきて驚きました。おいしかったのですが、時間にしては量が多すぎたように思います。

そんなこんなで街の規模からすると小ぶりな空港に到着。空港を出て第一声は「あったかい!」でした。出発時、アスタナは氷点下10度前後でしたが、アルマトイは0度前後だったのです。10度も気温が上がるとむしろ「暑い」とまで感じてしまいます。コートはもう一段階薄くてよかったし、マフラーはいらなかったな…と一瞬考えてしまいましたが、よく考えると0度前後でも十分寒いはずです。もう一つ感動したのは3000m級の山脈が見えること!山で感動したのはカムチャッカ以来です。つくづく、私には山のある生活圏があってるのだと実感します。どうしてモスクワもアスタナにも山がないのでしょうか。

タクシーで30分ほども走ると市内に出ます。途中に建設途中の橋のあたりで大渋滞に巻き込まれたので、運転手さんと少し話すと「アルマトイは渋滞がひどいかって?車が多いから、そうだね。とくにあの橋はずっと工事していて、この辺りはお昼時になるとひどい渋滞になる。もう5年ほど工事しているけど全然進んでいないね。ここは上海じゃないから、中国人とは違ってカザフ人は仕事がゆっくりなんだよ」と言われました。そう思うと20年で完成していないとはいえ、きちんと「街」になっているアスタナは凄いですね。

アルマトイにはメトロがあるのですが、まだ建設途中のため街の大きさに比べて守備範囲が狭く、まだ一本しかなく、9駅ほどしかありません。 メトロの入り口です。メトロは今年でできてから7年目だそうですが、聞いたところによるとはじめは駅の名前を世界の大都市(ニューヨークやパリ、東京など)にしようとして住民の大反対にあったそうです。そりゃそうだ、訳が分からなくなりますよね。結局、今は駅がある通りの名前がついています。そんな豆知識を旦那に披露しながら、入り口の荷物検査を過ぎて改札を通り、ホームへ降りると、そこには「モスクワ行き」の文字が。え、このメトロってモスクワまで伸びてるの!?それは大ニュースだ…と思っていると、どうやらそのホームに来る電車が進む方向の終着駅の名前がモスクワというようです。大都市の名前は付けないんじゃなかったのか。その駅がある通りがモスクワかどうかは確かめていません。 ホームへのエスカレーターはロシアの地下鉄を彷彿とさせます。ただ、エレベーターを降りてからホームまでの通路の雰囲気はロンドンの地下鉄に似ていました。彼らもそれを意識しているのか、ところどころの広告コーナーに二階建てバスやビックベン、赤いテレフォンボックスの絵が描いてあります。ここはアルマトイやで。ちなみに乗車は一回80テンゲ(25円ほど)。改札前の切符売り場で80テンゲを出すと黄色いプラスチックのコインがもらえるので、それを改札に投入します。そして車内はモスクワの一番古い赤線よりも綺麗で、静かで、座席には阪急電車のシート生地のような、毛足の短い毛皮が張られていました。ちょっとした高級感。将来的にはメトロの線を増やし、延ばし、守備範囲を広げるようです。もっと便利になりますね。 ホームの様子。電車は10分に一本ほどでした。

一方バスは150テンゲ(50円)で、運転手さんに支払うとチケットがもらえる仕組みです。バス自体はアスタナとほとんど変わりませんでした。また、地球の歩き方にはトランバイが運行停止中と書いてあったのですが、再開していました。一般車両とぶつかって何台も巻き込む大きな事故になっていたそうです。

こんな風に市内の公共交通機関は発達していたのですが、アスタナでタクシーを呼ぶことに慣れてしまっていたため、タクシーも常時活用していました。アスタナよりもタクシーの運転手さんが話しかけてくることが少なかったです。一度、博物館まで行ってもらうときに「博物館ってことは旅行者?あ、日本から来たんだ!ということは『おしん』知ってる?『おしん』だよ、ドラマの!そうそう、あれで何人のカザフ人が涙したか…」と突然『おしん』について語り始められたくらいです。カザフでも放送してたんですね。

次から実際に行った観光地を紹介していきます!お楽しみに。

Пока!

お魚屋さん

Привет!

今朝から細かい雪が降っていて、地面の茶色くなった雪をうっすらと白く覆っていきました。風景としてはとてもきれいなのですが、この新しい雪は氷におおわれている地面も隠してしまいます。なので日中私も一度綺麗に滑ってしりもちをつきましたし、歩道には何人もの滑った跡が残っていました。打ちどころによっては骨折もするので、本当に気を付けたいと思います。

さて、先日タクシーの運転手さんとおいしい魚がないと盛り上がったばかりですが、スーパーでも魚が置いているときもあります。ただ、種類が少ないのです。鮭しかないときもあります。先日、お友達から家の近くの魚屋さんで鰤が手に入ると聞き、早速行ってみることにしました。そもそもこの国に魚屋さんがあったなんて驚きです。やはり内陸国なので、魚より野菜より、肉を食べると聞いていました。

魚屋さんに向かうことにした日は、偶然にも吹雪の日。魚屋さんの位置はおおよその目印しか聞いていなかったので、迷いに迷いました。同じところを行ったり来たり、でも往復するたびに自分の足跡が消えていくことに少し恐怖を覚えます。吹きつける雪に耐えられず、目の前にあったお肉屋さんに入りました。売っているものが正反対のお店で「お魚屋さんはどこですか」と聞くことには少し罪悪感を覚えましたが、店員さんのほうから「どうしたんですか!?」と悲鳴にも似た声をかけられました。それほど私の姿はボロボロだったようです。「あの…魚を買いたくて…」私はお肉屋さんで何を言っているんだ。「あ、魚屋さんならこの道をまっすぐに行ったところにありますよ!上に「魚屋」って書いてあるからちゃんと見ながら歩いてね!この道ですよ。ところで肉を買いませんか」と店員さんは道を教えてくれたり商品を勧めてきたりしながら店の外まで見送ってくれました。ありがとう…あなたのご好意を無駄にしないようにちゃんと魚を買って帰ります。

お肉屋さんに言われた通り上の看板を見ながら歩き続けました。すると、先ほど何度も前を通ったはずのところに突然看板が現れたのです(おそらく吹雪で視界が狭まっていただけ)。 その時は写真を撮る余裕がなかったので、後日撮った写真です。入り口は一見ビール屋さんでした。よく見れば入り口の横に魚の写真と共に「私のお魚ちゃん(Рыбка мая)」という店名が書いてありました。お店を見つけただけで嬉しくて泣きそうになりながら、ビール屋さんの奥にある魚屋さんへと進みます。 魚屋さんの入り口。ロシア語とカザフ語で「魚」と書いてあります。文字の上にある金魚が何とも言えない表情をしていますね。それにしても、この入り口からうかがえる中の様子が、私の知っている魚屋さんとは少し異なります。中に入ってみると、スーパーにある冷凍食品コーナーのようなクーラーボックスが壁に沿って5つ並べられており、計りが乗ったレジらしきテーブルをはさんで、ケーキ屋さんのようなショーケースが置かれていました。クーラーボックスを上から覗き込むと、凍った魚がこっちを見上げています。ちょっとびっくりして後ずさりそうになった私に、店員さんが「何が欲しいですか?」と聞いてくれました。

とりあえず目についたサンマ(Сайра)とブリ(Лакедра)があるか聞いてみると、ありますよ、と言って凍ったサンマを選ばせてくれます。日本で見るものより少し小ぶりでしたが、3匹買っても180テンゲ(60円)と非常に安価でした。では次にブリを、と店員さんが呼ぶほうへ行ってみると、彼女はクーラーボックスから丸々のブリを出してきました。「これでいい?」と店員さん。「え?これブリなんですか?」と切り身しか見たことがなかった私。「そもそもこれどうやって捌くんですか?」ときくと、魚のお腹のあたりにナイフを入れるジェスチャーをしながら「シャッてここを切って、内臓を出せばいいのよ」と言われました。気が付くとそのブリをビニール袋に入れて持って帰るために包んでくれています。いまさら要らないと言い出せず、店員さんがそんな簡単そうに言うなら、ととりあえず買ってみました。一匹で2700テンゲ(900円)ほど。安くはない買い物です。

私の指の先から肘までの長さがあるブリはかちんこちんに凍っており、それとこれまた凍った小ぶりのサンマ3匹、そしてブリ大根にしようとスーパーで買ってきた大根を持って帰途につきながら、ちゃんと食べられるか分からないけれどとりあえず魚も大根も棍棒にできるので武器は手に入ったな、などと考えていました。 家について改めてブリを眺めながら途方に暮れます。思わず実家に電話してしまいました。母のアドバイスに従い、とりあえずその日はサンマの塩焼きにし、家に帰ってきた旦那に冷蔵庫で解凍中のブリを見せました。たじろぐかと思いましたが、彼は子供のころに出刃包丁を持って釣った魚を捌いていたらしく「週末にブリパーティーするか」と言ってくれました。なんと頼もしい。しかし「うちって出刃包丁あったっけ?」と聞かれたので家にある包丁を全部見せると少し困った顔をしていました。 週末お友達を二人家に呼んで、ブリを捌く旦那をみんなで見守ります。写真は三枚におろして粗を鍋にするために食べやすく切っているところ。三枚におろしたほうは照り焼きにしてくれました。捌いている間は「もうしばらくしたくない」とぼやいていた旦那ですが、食べ終わるころには「楽しかったから一か月に一回くらいならしてもいい」と言ってくれました。また我が家の食卓に魚が並ぶ日が来るかはわかりませんが、少し我が家の食卓が豊かになりました。 Пока!