馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

ペトロパブロフスク要塞①

Привет!

今週末はモスクワの日のお祝いです。去年と違って今年は騙されませんでした。今日と明日は赤の広場前の目抜き通り、トベルスカヤが歩行者天国になって町中でイベントが行われます。別の用事でモスクワ中心部に出かけたのですが、人が多すぎて諦めざるを得ませんでした。今年のモスクワの日の様子は週明けに書く予定なので、今回はサンクトペテルブルクについて引き続き書きます。

うさぎ島にあるペトロパブロフスク要塞は、ピョートル大帝が1703年に建設し始めたもので、ここからサンクトペテルブルクの街が作られたのは前回書いた通り。要塞とはいうものの、主に政治犯収容所として有名です。現在では造幣局になっている建物もこの要塞の中にあります。

私たちが最初に向かったのはこちら。 ペトロパブロフスク聖堂です。鐘楼の高さは123m。エルミタージュの方からもこの金色の尖塔を見ることができました。敷地の中でも中心に建てられているこの聖堂は、ピョートル大帝以降ニコライ二世までの歴代皇帝が眠る場所でもあります。チケットを見せるゲートを抜けると、ロシア正教らしからぬパステルカラーで可愛い内装でした。 そして中央の祭壇の右手に棺が並んでいました。それぞれに名前がちゃんと書いてあるのですぐにわかるのですが、真横においてある看板でも確認できます。その中でもやはりピョートル大帝の棺には彼の胸像が置かれているのですぐにわかりました(手前右)。そして彼の棺の上にはサンクトペテルブルクの街◯周年記念コインがいくつか置かれています。 すこし見えにくいですが、奥にも3つ棺が並んでおり、その左端にあるのがエカテリーナ2世の棺だそうです。

私たちは見られませんでしたが、ロシア最後の皇帝、ニコライ二世とその家族が葬られているのは違う部屋だそうです。革命が起きたのは1917年でしたが(今年100年目です)、彼らの遺体が埋葬されたのは1998年、ソ連崩壊後だったそう。その埋葬時の様子は写真で長い廊下に展示されていました。そこにはニコライ二世についてだけではなく、ピョートル大帝から歴代の皇帝の肖像画や写真、遺品なども展示してありました。 この聖堂は10:00から開いています(日曜日は11:00)。

次に向かったのは司令官の館。入り口は地味ですが、前の記事に載せた、五匹のうさぎが助け合っている(?)像が目印です。ここは11:00からだったらしく、10:45くらいに入ろうとしたらすごい剣幕で怒られました。
司令官の館は、サンクトペテルブルクの歴史博物館として見学することができます。ただ、企画展だったのか入った瞬間の展示が こんな感じでした。よく見ると、壁にソ連のプロパガンダポスターが所狭しと貼ってあるのです。しかも1917-25年くらいのもの。つまり革命直後の「敵は王政である」とか「生活様式を全く変えなければならない」というようなメッセージが色濃く出ているものばかりです。皇帝一家のお墓を見た直後だけに、ギャップで心の整理が追いつきませんでした。そりゃ、これまでエルミタージュに代表される豪華絢爛さから一転、こういうプロパガンダポスターが街中に貼られるようになったら芸術家も亡命するわ、と納得させられる展示でした。 ポスターの一例。

二階にも展示は続きます。二階ではこの地域が原始時代どうだったか、そこにピョートル大帝がどのように街を作っていったか、などが模型や絵などで分かりやすく示されていました。これまで訪れた博物館の中で一、二を争う充実した内容です。 そして各時代の人々の暮らしがどんな風だったかを、部屋を作ったりミニチュアを置いたりすることで、自分があたかもそこで暮らしているかのように見せてくれます。もちろん部屋だけではなく、お店に何が売られていたか、街中にどんな車が走っていたか、娯楽はどうだったか、など多岐に渡ります。 浴室。

これだけで350pは安いような気がしていますが、まだ入れる場所が3つもあります。それらは次に。

Пока!

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