馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

島の南へ

Привет!

モスクワはこの間-26度というこの冬の最低気温を記録したそうです。モスクワっ子から「バイカル湖を経験した後だったらこんな寒さへっちゃらでしょう?」と言われるのですが、寒いものは寒いです

でもやはりずっと-20度以下で氷の上にいると慣れるもので、ストゥーパを見た後すぐに車に戻らずに氷の上に積もった雪で遊んでいました。雪の上に字を書いてもよし、ちょっと雪を除けて吸い込まれるように深い青の氷を見つめてもよし。 氷の中に雪が閉じ込められており、かなり幻想的です。そして雪を除けて初めて「そういえば私は今氷の上に立っているんだ」と実感できました。

一緒に来れなかった共通の友人の名前をみんなで雪の上に書いていると、それを見たツアーのメンバーのイリーナが「何を書いているの?」と聞いてきました。正直に答えると「それはいいアイデアね!私も息子たちの名前を書くわ」といって書きはじめ、写真に撮って息子さんたちに送っていました。時々観光名所での落書きが問題になりますが、バイカル湖なら落書きし放題です。また雪が降れば消えてしまうし、そもそも春がきたら今立っている場所も湖に沈んでしまうのですから。

ちなみに氷の上に立っているとわかる写真をどうしても撮りたくて一生懸命手で雪を除けていると、ガイドのユーリャさんがブラシを持ってきてくれました。 そのブラシで撮影場所を作っている友達と邪魔をしているのか手伝っているのかわからない旦那。このブラシ以外にもわらで作った箒も準備されていて、ここに来る人の需要もしっかり押さえているのだなあと感心しました。みんなで大きなスペースを作り、そこに放射線状に寝転がって青春っぽい写真を撮ったり、楽しかったです。

車に戻ると、運転手さんが鉄でできた器にアルミに包まれたものを入れ、パンにチーズを乗せたものとともに回してくれました。噂のピクニックです。 アルミの中には茹でたじゃがいもと、白身魚のハンバーグらしきものが入っていました。運転手さんに「なんの魚ですか」と尋ねると「…オームリ」本当に!?数が減っているから禁止じゃなかったっけ?と思いながらも、それはもうかなり美味しかったのでパクパク食べました。食べ終わった頃に「紅茶いる人?」と前から熱い紅茶まで回ってきて、車内という狭いスペースではありましたが想像よりも快適なピクニックでした。

無事にみんな食事を終えると出発です。道中、運転手さんが色々とお話をしてくれていましたが、結構な騒音を立てて車が走るのであまり聞こえませんでした。一つだけ聞こえたのは「ロシア革命が起こった時、帝政時代の貴族や白軍の人たちがシベリアへ逃げてきた。厳しい行軍の最後に待っていたのはこのバイカル湖。冬だったから歩いて渡れたが、あまりの厳しい寒さに氷の上で25万人もの人が凍死した。春になって氷が溶け、彼らはバイカル湖の水底に沈んでしまった。この氷の下には彼らが眠っているんだよ」という話でした。噂では聞いたことがありましたが、本当だったのか…。

そうこうしているうちに着いたのは、オリホン島の南端、ホルゴイ岬でした。 緩やかな丘になっているので、またみんなで軽いトレッキングが始まりました。一番高いところで、ユーリャさんが説明を始めます。「ここは5世紀まで人が住んでいたと言われています。ただ、見ての通り何もない場所なので、どうやって暮らしていたのか何もわかっていません。時々学者が調査に来ますが、あまり興味を引くものが見つからないのか研究はそんなに進んでいません。ここで少し自由時間です。何か遺跡でも発見したら大手柄ですよ」…そんな簡単に見つかるかな。

ちょっと先へ進むと崖でした。 覗き込むと思ったより高さもあって少し緊張します。本当にここで人が暮らしていたとはなかなか信じがたい場所でした。

今日の予定はこれで終わり。ホテルに帰るまでにいくつか透き通った氷の撮影スポットで止まりながら、17:00前には部屋に帰れました。この日はイリーナさんの連絡先を交換することができたので、食事の時間なども彼女から教えてもらえるようになりました。こういう時人脈は大事ですね。

最後に氷の上にずっといた、綺麗な(おそらく)野良犬の写真を。 人間が来ても怖がりもせず、反対に懐きもしない、そんな生き方を少し見習いたくなりました。

Пока!

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