馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

はじめての経験

Привет!

今週は25度以上の日が続き、もうすっかり夏です。ですが友人が来ている時にも21度あった日の翌日に吹雪いたので、どうしても上着を着ていないと心細くてたまりません。変なトラウマができてしまいました。友人も「1週間の旅行でどれだけの可能性を考えて準備しなきゃあかんの!?」と驚いていました。全く同感です。また今週は-1度の日があるようなのですが、これから私は南国へ旅行に行く予定なので、暖かさをしっかり楽しんでこようと思います。

さて、その友人がヌルスルタンに来る日のことです。午前中車で出かけた旦那と私は、夜に友人を迎えに行くことを考えて地下の契約している駐車場ではなく、地上の誰でも停められる駐車場に車を置いていました。さあ、いざ空港へ向かおうと車にキーを挿すと
ガリッ
と嫌な音がしました。挿し直そうとしても、キーは抜きも挿しもできず、エンジンまでかからなくなってしまいました。これはなにかしらのロックがかかっているなということは分かったのですが、原因が全くわかりません。説明書をめくっても分からず、友人が空港に着く時間は迫っていたので、結局私だけタクシーで空港へ向かいました。

無事に友人と合流して、またタクシーで帰ってきても旦那は一生懸命原因を究明しようとしています。その日は諦めて、翌日(月曜日)旦那が同僚の方に車修理について聞くことにしました。私も一応メーカーの国内流通会社に電話して修理工を頼んでみましたが「動かないんだったらレッカーして持ってきてください」と言われてしまいました。そしてせっかく遊びに来てくれた友人を待たせていたので、彼女を連れて観光に出ました。

前回の記事で書いたバイテレクの前に着いた頃、旦那から電話が。「やっぱり紹介してもらった修理のところもレッカーで持ってきたら見ると言われた。だからレッカーの予約もしたよ。明日朝8時に来るらしいんだけど付いていける?」とのこと。友人も快くレッカー車に乗ることを了承してくれたので、友人共々人生初のレッカーをカザフスタンで経験することになりました。

次の朝、7:45。まあカザフだし時間ぴったりには来ないだろうとゆっくり準備をしていると、突然電話がありました。「こんにちは、レッカーにきました。車は地上?地下?地上か、あ、まだ早いから急がなくて大丈夫。本当にゆっくりでいいから」という内容。優しそうな人で安心しました。でもやはり急いで準備をして、8時に家を出ます。最近思うのですが、結構皆さん時間に忠実です。どうせ遅れると思ってゆっくりしていると、自分が最後だったということも結構あります。

とにかく、初めて会ったレッカーの人は、大柄で寡黙そうな、いかにも技術者、というような40代の男性でした。電話の人と同一人物とは思えません。彼は私に車を確認すると、そこから黙々と作業を始めました。 やはり動かないので、電気を流してハンドルだけ操作できるようにします。車がレッカー車の方に向くようにハンドルを回すと、レッカー車からロープを引っ張ってきて車に繋ぎました。そこからはモーターが引っ張ってくれます。少しずつハンドルを動かしながら、レッカー車に乗るように持って行ってくれました。さすがです。 珍しいことなのか、駐車場に来る人々がみんな立ち止まって写真を撮ったり、興味深そうに見ていったり、どうしたん?と声をかけにきたりしました。どうしたんって見たらわかるやん。

無事に車をレッカー車に乗せると、おじさんは「俺と一緒にくるか」とターミネーターのようなことを言いました。「行きます。彼女も一緒に行きたいのですが大丈夫ですか」と聞くと、レッカー車の運転席の横に2つ席を作ってくれました。

予約していた修理工場が旧市街地の方にあったので、前日に新市街地しか行っていなかった友人には面白かったようです。写真を撮りながら景色を見ているので、何か説明したほうがいいかと思い、運転するおじさんに「彼女今日がカザフスタン2日目で。旧市街地は初めてなんです」と伝えました。すると先程までほとんど話さなかったおじさんが、突然話し出しました。 「そうなんだ。アスタナ-あ、ヌルスルタンか、まあこの街はイシム川で右と左に分かれている。左岸は新市街、右岸は今いる旧市街だ。あ、そこのアパートが見える?あの辺りはソ連時代の名残が残っているな。ああ、そこ見える銅像は女性がお椀を持っているだろう?カザフ人はお客さんを招くのが好きなんだ。お椀の中身は水、牛乳、馬乳とお客さんの立場によって変わるよ。女性は母なる大地、母国を表しているんだ」とガイドを始めてくれたのです。さすが客を招くのが好きなカザフ人!適度に私が通訳する間を開けてくれるのもポイントが高いです。

「おばあちゃんの代からこのアスタナに住んでいる。その間に名前が3回も変わった…ヌルスルタンにはまだ慣れないけど、そのうち慣れるだろう。俺が生まれた時はまだソ連だったな」というので「ソ連時代と何か変わった?」と聞いてみました。「そりゃ国が変わっているから、色々違うけど…日本は高度経済成長をしただろう。カザフもソ連崩壊後、日本のようになることを夢見てたんだ。でも成功したとは言えない。そういう経緯を見ていると、ソ連時代のままでも良かったんじゃないかと思っている人は結構多いよ。俺の親世代は特に」との答えでした。私が日本人だということは、前の日に電話した旦那から聞いたそうです。「彼のロシア語はすごくうまかったんだが、言葉の端に少しアクセントを感じたから聞いてみたんだ。ところでなんで君達はドイツ車に乗っているの?日本人なのに。カザフでは日本車が一番だよ。この車(レッカー車)も日産だし、母は運転を怖がっていたけど日産を勧めたら今は自由に乗れているし、周りを見てもトヨタが多いだろう。あ、あれはホンダだな」とも言われました。

「あの大学が見えるか?俺はあそこで経済学を修めたんだ。でも結局父がエンジニアだったから俺もそれに従った。そういう時代だったんだ。でもうちは祖母も母も大学に行ったんだよ」「ところでそこの彼女は馬は食べたのか??今日食べる?馬を食べていなければカザフ人は滅んでいたかもしれない。だってあんな何もない草原の真ん中で、他に何を食べる?牛や鳥は食べてもすぐに力にならない。早くて3〜4時間後だ。でも馬は40分後には力になる。遊牧生活はどれだけ早く力を得るかが重要なんだ」

そんな話を聞いているうちに、工場に着いてしまいました。おそらくご本人は何の気なしに話したことだったかもしれませんが、思いがけずご好意で実際のカザフ人から話を聞けた私たちは大感激してしまいました。ありがとう、本当に色々とありがとう、と伝えても、おじさんは「もしレッカーしなきゃいけなくなったらここに電話しておいで。じゃあ」と名刺をくれてレッカー代を受け取ると、あっさりと帰って行きます。なんともカザフ人らしい人でした。

こういうことがあるから飽きないんだよなあ、と改めて思った日でした。

Пока!