馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

カザフ語とロシア語

Привет!

モスクワでタクシーやバスに乗っているときも「皆さん運転が荒いなあ」と思っていたのですが、アスタナも運転の荒さに関してはモスクワといい勝負です。タクシーに乗っているときは車体が小さいせいか車に振り回されている感覚はありませんが、バスは曲がり角や赤信号の度にどこかにつかまっていないと足の踏ん張りがききません。そんなある日、あまりにも急ブレーキが多いバスに乗り合わせてしまいました。バーや吊革につかまっているのに、バスが止まると立っている乗客全員が前に押し寄せます。さすがに乗客の一人から「もっと穏やかに止まれないか」と運転手にロシア語でクレームが入りました。すると運転手が何かを怒鳴り返したのですが、私には理解できません。カザフ語だったのです。さきほどクレームを入れた乗客は「カザフ語はわからないからロシア語で言ってくれ!」と怒鳴ります。すかさず、運転手の横に陣取って運転手と談笑していた男性が「バスはこういうものなんだ、って言ってるよ」とロシア語で訳してくれました。そこからは乗客が「毎日バスに乗っているけどこんなの初めてだ」とか「そんな古いバスだったら早く新しいものに変えなよ」と口々に文句を言いますが、運転手は聞こえないふりをしていました。運転手が友達らしき男性と談笑しながら運転していたことにも、クレームに言い返したことにも驚きましたが、私は「国家語がカザフ語で公用語がロシア語とはこういうことなのか」と実感していました。これまで住んだ日本もロシア(モスクワ)もほとんど国語=公用語だったので、このような状況に遭遇したことがありませんでした。

2016年時点で、カザフ人は人口の66%、ロシア人は21%を占めています(Wikipediaのカザフスタンのページより)。一方で、少し古い情報ですが2007年時点、カザフ語普及率は74%、ロシア語普及率は84%だそうです(参照:Языки Казахстана)。カザフスタンはソ連が崩壊して独立した国なので、ソ連時代はソビエト政権の「ロシア語化政策」の影響もあり多くの人がロシア語で話していました。ペレストロイカ以降は民族意識の高揚がおこり、母語が見直されています。そして今、カザフスタン政府はカザフ語の普及を図るため、学校で使われる教科書をカザフ語にしたり、キリル文字からラテン文字に移行しようとしています(文字に関しては2025年までに完了目標)。ただ、私の個人的な感覚では、同じような状況であったウズベキスタンよりロシア語は多く残っているような気がします。ウズベキスタンの人たちよりも発音がロシア人に近いのです。ロシア系住民がロシア本国に次いで多いのも一因だと思います。

街中の人々はほとんどがバイリンガルのようです。今日もバザールで私に対してはロシア語で接客し、次のお客さんにはカザフ語で接客しているお店がありました。あれだけぱっと使用言語を切り替えられるのを聞くたびに、私は心の中で舌を巻きますが、こちらの人には普通のようです。なかなかその感覚になれません。

もちろん、カザフ語ができない住民も多くいます。実はソ連時代、シベリアには多くの朝鮮系の人々が農民として暮らしていましたが、スターリンの時代に中央アジアへ強制移住されているのです。カザフスタンにはその時からこの地に住む朝鮮系の人々が少なからずいて、この間乗ったタクシーの運転手さんのご両親が偶然その移住した人たちでした。彼に聞いてみると「ロシア語しか話せないよ。カザフ語は全く分からないし、家族とも朝鮮語では話さないなあ…僕は少し知っているけど、孫たちは全く話せないね」と言っていました。

ちなみに、カザフ語とロシア語は全く違います。カザフ語はトルコ系でロシア語はスラブ系…と言われてもよくわからないですが、音を聞いている限りは全く違う印象を受けます。カザフ語は語彙が少ないらしく、ロシア語からたくさんの単語が入っていると聞いたのですが、ほとんど聞き取れません。文字もキリル文字を使っているのですが、ロシア語では使わない文字もあって発音できません。 例えばこの看板の中の四角に書かれている文字、はじめ2行はカザフ語、下2行はロシア語です。四角の上に書かれているものも、上の行はカザフ語、下の行はロシア語です。文字の量も違いますね。これが全部ラテン文字に変えるとなると国民からの反発が出ないか心配です。二つの言語を持つ街で暮らすと興味深い経験が多いです。できれば少しカザフ語も覚えたいですが、その前にロシア語をもう少しちゃんとしなきゃ…と思う日々なのでした。

Пока!