馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

そしてアスタナへ

Привет!

最近ずっと気持ちのいい天気が続いているアスタナですが、散歩する暇もなく、モスクワから持ってきた引越し荷物を片付けていると一日が終わっていてびっくりします。しかしこの作業もやっと終わりが見えてきました。今週末からいろいろと出かけられるといいなあと思っています。

カザフスタンに来ることを周りの人に話したとき、唯一好意的な反応を返してくれたのは格闘技をしている友達でした。「カザフスタンって格闘技めっちゃ強いねんで!いいやん!」と。…まさか、彼が言っていたことをこんなすぐに実感するとは思っていませんでした。そうです、北京-アスタナの機内では、カザフスタンのボクシングクラブの人たちに囲まれてしまったのです。前も後ろも横もお揃いのパーカーを着た人たちで、私の横に座ったお兄さんの眉のあたりの傷にはテープが貼ってありました。別に小柄な方ではないのですが、これまでで一番自分が非力に感じました(物理的に)。カザフスタンってこんな人ばかりなんだろうか…やっていけるだろうか…とどうしても不安になります。

離陸してしばらくしてから、話しかけてみました。カザフスタンの人と自然に話すいい機会だと思ったのです。とりあえず「あなたはボクサーですか?」という質問以外思いつかなかったので、見たらわかるやん…と自分で思いつつ聞いてみます。
「そうですよ。…え、ロシア語話せるんですか?中国人?」
「この前までモスクワに住んでたので話せますよ。あ、私は日本人なんです」
「日本人!え、もしかして日本とカザフスタンって直行便ないの!?(察しがいい人でした)日本のこと、聞いたことありますよ。殴り合いとかないんですよね?」

ボクサーの思う「殴り合い」と私が思うそれが同じものか少し自信はなかったのですが、一応「ありますよ」と答えました。
「え、じゃあ、汚い言葉は??日本では悪い言葉は使ってはいけないって本当ですか?」
「あー、そういえば汚い言葉のレパートリーがそんなにないですね。ロシア語は結構ありますよね?」と言うと彼は笑っていました。

「アスタナに何しに行くんですか?」と聞かれたので、これはチャンスだ!と思い、
「夫がアスタナで働いているので私も住み始めるんですよ。カザフスタンでは、ロシア語で生きていけますか?カザフ語も必要?」と聞きました。

彼は横に座っているもう一人のボクサーにカザフ語で少し相談した後「アスタナとアルマトイでは大丈夫ですよ。ただ、それ以外の都市ではカザフ語しか知らない人が多いと思いますよ」と教えてくれました。

それからは恒例の「◯◯って日本語で/カザフ語でなんて言うんですか?」大会です。一通り教えた後、カザフ語の「ありがとう」を聞いて驚きました。
「ラフマット」
「あ、それウズベク語と一緒?去年ウズベキスタン行ったの」と私が言うと、
「いや、ウズベク語は『ラフマット(ちょっとくぐもった感じで)』カザフ語は『ラフマット』…全然違うよ」
そういえばロシア人とカザフスタンの話をしている時、「カザフ人はウズベク人とは違うんだ、自分たちがより優れてるんだ、っていうプライドを持っている印象を受ける」と聞いたことがあります。まだアスタナに着いてもいないのに少しそんな部分に触れてしまいました。こういうことか。

その後も少し談笑をしていたのですが、彼が一度席を立ったかと思うと、帰ってくるなり「もしよかったらなんだけど、座席がとても狭いんだ。二つ前に1席空いているからそっちに移ってもらえる?」と聞かれました。典型的なボクサー体型の彼が、足を持て余していたのは見えていたので、今回だけは、と前へ移ることに。移った先で隣に座っていたのは彼らのトレーナーでした。

英語ができないらしい彼は食事の時も「チキン」と言ってから私に「チキンってкурицаのことですよね?」と確認したり、最終的には「砂糖入りの紅茶を頼んでもらえますか?」と言われたり、私はすっかり通訳になりました。中国国際航空だったのですが、東京-北京も北京-アスタナも機内放送は中国語と英語だけだったので驚きました。やたらとボクシングクラブの人と打ち解けてしまったので、飛行機を降りるときは荷物を取ってもらいながら「頑張ってね!」と言われて早くもこの国が好きになります。

空港まで迎えに着てくれた旦那と再会し、街へ出るとまた驚きました。ビルというビルが光っているのです。窓から部屋の明かりが漏れているのではなく、壁に電飾が張り巡らされているようです。 これはおとなしい方。ただ光っているだけではなく、あるビルでは文字が流れたり、絵が流れたり、とりあえず日本とは違う意味で視覚情報が多い街です。

これからこの街を味わい尽くしたいです。

Пока!