馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

トビリシ町歩き

Привет!

トビリシ観光について書こうと思います。出発前に一緒に行く友人から「地球の歩き方 ロシア編にジョージアも載ってる!」と教えてもらい、慌てて見てみました。トビリシとその近郊についてしか載っていませんが、トビリシ観光にはぴったりです。というわけで、4日目はガイドブックの基本コースに従って行くことにしました。

メトロ、ルスタヴィリ駅から東に向かって伸びているルスタヴィリ大通りを歩きます。メトロはモスクワのトロイカのようなプリペイドカードを窓口で購入して、そこに乗車回数分を入れてもらう形式。メトロ自体はロシアのものともウズベキスタンのものともとても似ていました。駅自体は古いイメージ。

街を縦断している大通りなので、近代的な建物が並んでいました。国旗も可愛いな。ひたすらモスクワでは浴びなかった日光を浴びて、ビタミンを体内で生成します。青空が眩しい!

ぶらぶらとその通りを歩いていると「ソ連による占領の歴史」という垂れ幕が目に入りました。ちょっと避けては通れない展示です。3人とも気になったので、入ることにしたのですが、後から調べると、偶然にも国立博物館でした。由緒ある博物館ですが2011年にリニューアルオープンしたそうで、かなり綺麗で見やすかったです。平日の昼間だからか人もほとんどおらず、ゆっくり楽しめました。 なんかおしゃれな骸骨の展示。やはりどこの博物館も初めは石器の展示ですね。ここは大量の宝飾品コレクションがありました。小さな石に掘られている魚や動物の模様が横に大きく見やすく写生するなどの工夫もされていました。そこからイコンの展示を挟んで3階に上がると突然雰囲気が変わります。

さっきまであんなに明るかった展示室は黒が基調になりました。展示を見る前からここが「ソ連時代の占領の歴史」の展示であることが感じられます。

ジョージアはロシア帝国(1917年の革命前ですね)に併合され、色々と問題はあったもののまだ友好的な関係を築いていました。ロシア革命後の1918年、ジョージア民主共和国はロシアからの独立を果たしますが、1921年に赤軍がトビリシに侵攻。ソ連の構成国になります。この展示では1921年から91年のソ連崩壊まで何人が暗殺され、どんな人が政治犯として捕まり、どんな法律がロシア語とジョージア語で作られたか、という資料がひたすら並べられていました。博物館自体、展示は全て英語とジョージア語で説明が書かれていますが、ここで資料としてロシア語を目にし、なんとなく馴染みがあって安心する一方でジョージアのロシアに対する複雑な思いを感じました。 しかし、何よりあのスターリンはジョージア出身なのです(なので初めは彼もロシア語が苦手だったそう)。お土産物屋さんでもスターリンをモチーフにしたものを見かける度に「ソ連は嫌だけどスターリンの出身地だということは出していくのか」と少し驚きます。今モスクワに住んでいる者としては少し重い話でしたが、歴史は多方向から見るべきだなと強く思いました。

近くにはカシュヴェティ教会もあります。

ここからほんの少し歩くと、1日目に空港からのバスが着いた自由広場に出ます。この辺りにはいろんなカフェやレストランがあるので少し休憩。イタリアンワッフル屋さんがあったので入ってみたのですがあまり美味しくなかったです。ジョージアではジョージア料理を食べろということかな。

この自由広場から歩いて10分もかからないところに平和橋という目を引くデザインの橋があります。 他は大抵石橋で、屋根もないのでこの橋はかなりユニークです。観光客も他よりは多いイメージでした。みんな気になるよね。なので観光客目当ての鳥や猿を連れた人(一緒に写真を撮るサービス)も2、3人いました。

橋の上からみたデザインも面白いです。 橋を渡ったところは公園になっています。いいお散歩コースでした。対岸にある山の中腹には「ジョージアの母の像」はどーんと立っているのがここからだととてもよく見えます。

片手に持った剣で敵に立ち向かうことを、もう片手に持った盃で同胞には葡萄酒でもてなすことを表しているそうです。ジョージアにきて早3日、すでにジョージア人には「お酒で客をもてなす」精神がしっかりと受け継がれていることを実感していました。

この公園から、私の行きたかった「ナリカラ要塞」までケーブルカーが出ています。どうやって乗るのかと思っていたら、なんとメトロに乗るときに買ったプリペイドカードにお金をチャージして使うようでした。 大体の公共交通機関に使えるそうです。便利!

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