馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

アムール・ティムール廟②

Привет!

サマルカンドはティムール廟の中にいます。

白い廊下をティムールの話を聞いたり質問しながら歩いていると、本堂の入り口に来ました。中に一歩入った途端、目に入った景色に言葉を失います。 何だここは。青を基調とした壁に、合計3キロもの金が使われています。わずかな照明を金箔が反射して、何とも言えない荘厳な空間になっていました。こんな美しい場所ではもう立ち尽くすしかありません。美しいとは聞いていましたが、百聞は一見に如かず。朝一番に想像以上の景色に出会い、何故だか涙が出てきました。ガイドのNさんに「写真を撮ってもいいですよ」と言われて、はじめて我にかえります。

シーズンオフだからか、私たち以外誰もいませんでした。こんなことは珍しい、運がいいとNさんに言ってもらいながら散々写真撮影を一通りして、やっと説明を受けられる状態になりました。

まずはこのお墓。真ん中にあるのがティムールで、周りには彼の孫のムハンマドや天文学者のウルグベク、息子たちの墓が並んでいます。また彼は頭の位置に自分の師匠のお墓を置きたいと言っていたので、ティムールの上には先生のお墓があります。そして小さい墓石は赤ちゃんのものだそう。そしてこれらはただ墓石をおいているだけで、中に遺体は入っていません。イスラム教では「復活の日」にすぐ土から出て(土葬です)、エルサレムを目指すので、もっと地下に遺体を埋めるそうです。墓石はその地下での位置を示しています。

そして見事な壁の模様。

パピエマッシ(耳で聞いたのでもしかしたら表記が間違っているかもしれません)というこの壁の模様は、紙で作られているそうです。サマルカンド・ペーパーと呼ばれるこの紙に興味を持った私たちをみて、ガイドさんはあとで工房に連れて行ってくれました。ということで、詳しい説明はその時に。そしてこの四角の中に書かれているものは、なんと文字だそうです!アッラーとムハンマドの名前が繰り返されていると聞いてから、さまざまな模様を見る目が変わりました。

このように所々修復前のタイルの姿もわざと残してあります。これを見た時に「今これだけ綺麗に見えているのは全て修復されたものだったのか」という事実に思い当たって気が遠くなる思いになりました。どれだけの時間と技術と手間がかかっているのでしょう。

あの廟を見ることができただけでサマルカンドに来てよかった、と思える場所でした。でもまだ一つ目です。ここから、サマルカンドの象徴ともいうべきレギスタン広場までは歩いていくことができます。

「王の道」と呼ばれる道を歩きながら、かつてここに「青の宮殿」があったこと、また左に見えるこの建物も 廟で、あの(ティムールの孫ではなく)預言者ムハンマドが亡くなったときに彼の頭髪を何本か授かったという伝説が残っているイスラム教の高僧のものだそうです。

そして右手にはだだっ広い草地が広がっています。 もともとここはソ連時代ビール工場だったそうで、ソ連崩壊後しばらくしてから壊されました。やはりたくさん労働者もいたので、すぐには壊せなかったのですね。

ここで一つ気になったことが。イスラム教はお酒が禁止されていると聞いたことがある気がするのですが、大丈夫なのですか?と尋ねてみたところ「ここは中央アジアのイスラム教国なので、かなり緩いんですよ。やはりソ連時代の宗教禁止を経験していることもあって、若いうちはたくさん遊んでお酒も飲んだけど、年老いてから厳格なイスラム教徒になる人も多いんですよ」とのことでした。

確かに10年ほど前に行ったエジプトとは同じイスラム教国のはずですが全く雰囲気が違います。自分の目で色々な国を見るのは大事だと思わされる話でした。

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