モスクワ奮闘記

2016年7月末にモスクワに引っ越してきました。

革命の暗号展・続き

Привет!

今学校では科学をテーマにロシア語を勉強しているのですが、その中で「アインシュタインは『私たち』という言葉を使いたがらなかった」という話を聞きました。すると先生が「ちなみに人前で自分一人のことを『私たち』と呼んだら、ニコライ2世か、って突っ込むのよ」と言ったのです。これはこの前の展示でよく見かけた勅令に書いてあった「私たち、ニコライ二世は」という文言ではありませんか。先生曰く皇帝で「私たち」という言葉を使っていたのが彼だけだったからだそうです。

そんな皇帝ニコライ二世が二月革命によって退位させられた後のロシアについて今日は書こうと思います。 「おおきなかぶ」がロシアのお話だと最近知ったのですが、あのお話になぞらえて帝政打倒を描いた当時の漫画。

こうやって革命を成功させた臨時政府でしたが、彼らはドイツを敵として第一次世界大戦を続けることを決定します。もう戦争が嫌になっていた民衆や兵士は社会革命党(エス・エル)が指導権を握るソビエト(ロシア語で「会議」を意味する言葉で、権力機関のこと)に集まりました。この時点で臨時政府とソビエトの二重権力状態になっています。そこへ1917年4月、臨時政府に捕まらないようにスイスへ亡命していたかのレーニンが密かに帰国し、全ての権力はソビエトに移すべきだという四月テーゼを発表。戦争の中で国中が混乱に陥ったまま、10月に入って臨時政府に対する蜂起を準備し始めました。

そして10月25日(今の日付では11月8日)、第2回全国ソビエト大会に合わせて蜂起します。ところがこの前に軍の各部隊がソビエトに支持することを表明していたので、臨時政府のあったサンクト=ペテルブルクのエルミタージュ冬宮に部隊が侵入しますが、抵抗はなくほとんど無血開城になります。当時の臨時政府の実権を握っていたケレンスキーは国外逃亡。これが10月革命です。その後直ちにソビエト大会が権力の掌握を宣言、レーニンを議長とする人民委員会議を設立して世界初の社会主義権力が誕生しました。

モスクワでも軍がクレムリンに攻撃し、その写真も飾ってあります。 ちなみに、この横に「革命における人と人格」という説明が書いてありました。 「革命のシンボルは人民(この場においては労働者と農民)でした。この人民の力というものを彼らの代表たるエリート層は恐れていました。しかし一方で、知的階級の人たちは、人民が『将来的にためになること』を到底理解できない、と思いがちです。また彼らは歴史において『革命』は英雄的なものだと捉えていました。革命を起こすためには人民の力を自分たちに集中させねばなりません。そんな状況において、倫理観とカリスマ性は最も重要な役割を果たします。レーニンは『私たちに革命を起こす力をください-そうすればロシアをひっくり返します』と言ったと残っています」人々が生活が全く変わるのだと思ったのも無理はありません。

ちょうど革命の直後の新聞記事の見出しもまとめられていて面白かったです。 10月27日の記事は「ソビエト革命政府、こんにちは!労働者、兵士、農民、全員がこの人民の権力のもとでは一人の人間です(プラブダ新聞)」これが革命2日後に出たとは、本当に行動が早かったようです。

革命後、新しい社会システムを浸透させるには、前時代の全てを否定しなければならなかった、という説明もありました。プロパガンダがたくさん作られます。 宗教は弾圧され、身分制は廃止、結果的に良かったとも悪かったとも言えますが、こうせざるを得なかった、というのはひしひしと伝わってきました。この展示の初めに書いてあった「他の方法はなかったのか」と質問に対しては見ていくうちに「やりすぎな気がするけど、これ以外は無理だろう」という私なりの答えは出たと思います。日露戦争と第一次世界大戦という2つの戦争がこの国の運命を決めてしまったのだなあ、としみじみと思いました。

なかなか有意義なこの展示は11月17日までです。

Пока!

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