馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

大祖国戦争中央博物館

Привет!

土曜日ですね!太陽が!!!出てきました!!!ということでお出かけにいきます!

その前に昨日の続きで、第二次世界大戦をテーマにした博物館のことを書こうと思います。入ってすぐは「対日本戦線」がテーマでしたが、そのあとは独ソ戦がテーマです。

ボロジノパノラマ博物館にもあったような、戦時中の様子を絵と模型で再現したコーナーがありました。 六つほどの小さな部屋に、それぞれロシア各地での戦いの様子がわかりやすく作られていました。写真はレニングラード(今のサンクト=ペテルブルク)。運河が多く、その分橋も多いこの街は見るとすぐにわかりました。これはレニングラード包囲戦の時のようです。後ろの絵の橋と、手前の模型がうまく繋がっていますね。

他にもモスクワや、ボルゴグラード(ここも戦時中かなりの被害を受けた街です)などがあり、その場にいるような感覚になります。 そのジオラマコーナーから、こんな大きな階段を上った先にあるのは、戦没者の名前を刻んだ、大きな円形の広間でした。

真っ白の壁一面に名前が刻まれています。天井についているのはCCCPと書かれたソ連のマークです。名前が刻まれている壁の上にはロシア各地の英雄都市の名前が。キエフもあり、ああこの時はソ連の一部だったのかと実感しました。

その広間の横に暗い煉瓦造りの街が再現されています。 なんと、当時のベルリンを1/1スケールで作られたもので、自分がその場を歩いているような錯覚に陥ります。
ソ連軍がベルリンを制圧した時のジオラマなので、元宮殿か元教会の柱の部分にロシア語で「ベルリンに着いたぞ」「私たちは今ベルリンだ」「45年5月11日」などの落書きとともに名前がこれでもかというくらい沢山書かれていました。これは…どういう気持ちで作ったんだろう。ファシズムに勝利したという喜び?それにしてはかなりひどく見えます。

そのまま歩き進めると、崩壊したベルリンの家屋に入ることができました。 この間まで使っていそうなおもちゃと壁に飾られた家族写真、止まった時計にピアノ…この家に住んでいた人たちはどこに行ったのか、そこまで想像してしまいます。そしてきわめつけは崩壊した壁の向こうに見える散らばった武器と鳴り止まない爆撃の音。ひたすら「怖い」という感情が心を占め、戦争をしたくない、あるいは「ここにいたくない」ということを強く感じました。悲惨な写真を見ると「戦争はひどい」と思いますが、自分が疑似体験すると他人事にはならなくなります。

そこを抜けると、先ほどのホールで何かの上演が始まっていたので、入って見ることにしました。 プロジェクションマッピングでソ連軍がどのようにファシズムと戦ってきたか、ドイツ軍はどんなに街を壊したか、そしてソ連は負けずに強かった、という内容が20分ほどフルCGで流されました。見終わったあと、周りでは拍手が起きていましたが、先ほどのベルリン市街を抜けた私と弟は拍手できませんでした。さっきから感情が揺れ動かされて、追いつけません。

このホールの周りには戦時中の武器や戦車、映像資料やプロパガンダポスターなど膨大な展示があります。そして端っこの方に日本との戦いのコーナーも。 ロシアの人たちはこの博物館へ来るとどんな気持ちになるのか、聞いて見たい気がしました。

この日は弟のロシア旅行最終日だったので、このあと空港へ送って行きました。時間が早かったのでケンタッキーで軽食を食べていると、おじいさん二人に相席をお願いされました。その人たちと色々と話していると、なんとそのうちの一人が中ソ戦で活躍した人だったようです。歴史に詳しい弟は聞いたことがあるという戦いの名前をあげていました。

当時はまだ生まれていませんが、実際こうやって経験した人から話が聞ける。歴史は立場によって語られ方が違いますが、だからこそ様々な立場からあの大きな戦争を、歴史を見てみることは大事なのではないかと強く思った日でした。

Пока!

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