馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

ドストエフスキーの足跡を辿る①

Привет!

朝、ニュースを見ていたら安倍首相が出て来てびっくりしました。北朝鮮のロケット発射のことが大きなニュースになっており、日本の排他的経済水域を超えたということで安倍さんの声明が動画で流れていたのです。ニュースの同時通訳のロシア語音声が速すぎて、安倍さんがロシア語を話しているように聞こえるのが新鮮でした。

そういえば、「罪と罰」の書き出しに「7月頭のとても暑いある夕暮れ時」とあるので、この前の土曜日はこの作者のドストエフスキーの日とされています。サンクトペテルブルクで行われたお祭りでは、なぜかドストエフスキーやゴーゴリ(「鼻」の作者です)が踊っていました。

またまた母の話になりますが、この前の旅行へ向けてロシア文学の有名どころは大体読んでいました。その中で母が一番気に入ったのはドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」でした。私は「罪と罰」の重苦しさに全然ページが進まなかったので少し驚きました。母によるとあれだけロシア人に評価が高いプーシキンは肌に合わなかったそうです。ということで、今回の旅行ではモスクワとサンクトペテルブルクでドストエフスキーゆかりの地へ足を運びました。

まず始めはモスクワから。 モスクワにはドストエフスカヤ(Достоевская)という駅があります。地上へ上がるエスカレーターの前にはこれでもかとドストエフスキーさんの絵が書いてあり、駅構内にも彼の作品「白痴」をテーマに壁に絵が描かれていました。

この駅には、ドストエフスキーの生家があります。1821年、11月11日医師の家に生まれた彼の家の横にはかつては病院が、今はどこかの大学の医学部がありました。 ロシアではいろんな著名人の家が博物館としては公開されているのですが、ここもそのうちの1つです。それにしても一瞬見落としそうな看板。

中で上着と荷物をクロークに預け、チケット売り場に行きました。平日ということもあるかもしれませんが、お客さんはいないし、スタッフのおじいさんおばあさんのやる気がびっくりするくらいありません。不安にはなりますが、ゆっくり見学できるので良かったです。

ここがリビング。子供の頃のおもちゃなども置いてありました。

ドストエフスキーの父親は医者で、かなり厳しく育てられました。母は優しく、信心深い正教徒で、兄弟はたくさんいたそうです。そんな彼が子供時代過ごした部屋を通りながら、彼の一生をみることができます。

モスクワの学校にしばらく通った後は厳しかった父から離れて、サンクトペテルブルクの陸軍中央工兵学校に通ったドストエフスキー。形式的な学校の生活が苦痛だった彼は文学にのめり込むようになります。そして学校を卒業後、就職はしましたが、作家を志して辞めました。

翌年には「貧しき人々」という処女作出して絶賛されます。「第二のゴーゴリが現れた!」ともてはやされるものの、次に出した何作かは酷評されました。そんな中でも作家同士の付き合いがあり、社会主義のサークルに顔を出していたところ、突然サークルの会員全員とともに逮捕、投獄されます。しかも裁判の判決は死刑。あと数分で銃殺される、というところで皇帝の勅命が届いたので死刑は免れました(これは皇帝の寛大さをアピールするために逮捕から仕組まれたと言われています)。ただ、この時の死の恐怖があまりにも強い体験だったようで、それからの作品にも影響は及ぼしているそうです。

死刑は免れたものの、シベリア送りになったドストエフスキーはそれからの4年間をシベリアのオムスクで過ごしました。この過酷な時に心の支えになったと言われているのが聖書。 これも展示してありました。そこからロシア正教について深く考えるようになったようです。

そのあとも服役しつつ、人妻と恋に落ちたり、その人と結婚したりということもありました。そしてやっと10年ぶりにサンクトペテルブルクに帰ることを許された彼は、どんどん長編小説を発表しました。このあとのことについては次の記事で書こうと思います。

このモスクワの博物館には、彼が敬愛していたというプーシキンの当時の本なども保管されていました。博物館とは言っても普通のお家なので、あっという間に見終わると、最後はちょっとしたホールになっていました。ここで朗読会などが行われるそうです。そうやって使うのね。 そしてそのホールを出ると、上の写真のような白い廊下に出ます。奥ではスタッフの食堂があるらしく、賑やかな話し声や食器の音などが聞こえてきました。 出口がわからないので、その音がする方に向かって歩きます。

と、突然おばあさんがそちらから出てきました。思わず出口の場所を聞くと教えてくれましたが、ついでのように「あ、その奥にあるのが彼が『カラマーゾフの兄弟』を書いた紙とペンよ」と言い残して去って行きました。びっくりして母と二人して駆け寄りました。 どこにもそんな説明書いてないけどほんまに…?

こんな風にモスクワにあるドストエフスキーの家博物館の見学を終えました。次に目指すは彼の本拠地ともいうべきサンクトペテルブルクです!

Пока!

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