馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

血の上の救世主教会

Привет!

サンクトペテルブルクの旅、続きです。帝政ロシア時代は首都が置かれたこの街は、1703年にピョートル大帝が、なにもない沼地から「ヨーロッパへの窓」として作り上げました。モスクワよりもヨーロッパのような街並みが広がり、ヴェネチアのような(行ったことはありませんが)運河が流れています。ただ、私たちが行ったのは3月前半だったので全ての運河が凍っていました。ネヴァ川というかなり大きな川が凍っているのを見た時に友人がいい反応をしてくれました。寒いロシアを体験しに来たのに例年になく暖かい三月だったので、彼女は少し落ち込んでいたのです。

ロシアに来る前に、雰囲気でも味わおうと見ていた「テレビでロシア語」という番組では、サンクトペテルブルクが舞台になっていました。その中で私が最も心惹かれたのは「血の上の救世主教会」です。 なので、ここには絶対に行こうと思っていました。玉ねぎドームがたくさん付いているので、モスクワのワシリー寺院と混同されがちですが、こちらの方が全体的に痛そうなのと、ドームの下が四角いので見分けています。

サンクトペテルブルクは思ったより小さな町で、歩こうと思えば結構歩けます。ただ、ここには着いたばかりに行ったので、ホテルから満員のバスに揺られて(あまりにも満員で、進むのが遅いのと道が悪いために、歩いた方がマシなのではと何百回か思いました)、やっとつきました。入場料は250p、国際学生証(ISIC)があれば150pです。

こちらが入り口。ドキドキしながら入ります。

どうしてこんなに血なまぐさい名前が付いているのかというと、1881年に時の皇帝、アレクサンドル2世が暗殺された場所に息子が建てたことにちなみます。それなので、実はこの教会はまだできて110年(ちょうど今年が110年目です)と新しいのです。その比較的新しい時代の最新技術が使われているため、外見とは裏腹に中は こんなに美しく、広いところです。それにしてもモザイク画の多さは半端ではありません。

中心となる位置に一応マークが付いているので、そこに立って上を見上げると、天井からキリストがこちらを見下ろしています。写真は載せないので是非ご自身で確かめに来てください。

そしてやっぱりありました。アレクサンドル2世が暗殺された場所です。 (ここのものは全てが大きくてレンズに収まりきりませんでした。)ちなみにロシア語でもここの名前はそのまま、Спас на Кровиです。日本語名は直訳でした。

他にも「イコン画の保管所」と書いてあるこんなものもありました。 名称は本当にそれでいいんですか。 ロシアに来てからありとあらゆる聖堂や教会を見て来ましたが、私の中で一、二を争うほど好きな内装でした。

出口のすぐ脇に運河が流れています。この運河沿いにお散歩するのもオススメです。

Пока!

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