モスクワ奮闘記

2016年7月末にモスクワに引っ越してきました。

カザン旅行記-歴史編

Привет!

一昨日からモスクワは冬将軍が猛威を振るっています(現在-28度)が、私はそんなモスクワを離れ、避寒地へ行ってきました。ザキさんご夫婦に誘っていただいて、モスクワから飛行機で1時間ちょっとのタタールスタン共和国の首都、カザンへ。現地の気温、あったかい時で-8度、寒い時で-18度です。凍えそうになるたびにモスクワの気温を見て心を落ち着かせていました。

モスクワからも近く、時差もなければ通貨も同じルーブルを使うこの街は、タタールスタン共和国とは言えどもロシア国内です。国の中に国!?と日本では考えられない状況に混乱したので、ちょっと予習してから行きました。実際に行ってみると歴史に基づいた興味深い街でした。今日はそんなカザンの歴史について書こうと思います。明日から旅行で訪れたところについて書きます! おなじみロシア語の教科書を扱う出版社Русский Языкにカザンについての本を発見したので、買ったまま前日まで忘れる私。行きの飛行機で旦那に読んでもらいました。その内容をかいつまんでお届けします。これから私もちょっとずつ読みます(遅い)。

中高の世界史で「タタールのくびき」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。「くびき」とは「自由を束縛するもの」という意味で、モンゴル、当時のハン国(タタール人)に支配されたブルガル人をはじめとする当時のロシアやウクライナにとって辛い時代のことを指します。このように、ブルガル人がもともと住んでいたこの街は様々な国の支配下におかれました。 歴史家によると、カザンができたのは1005年ごろ。「カザン」とは釜という意味です。様々な伝説がありますが、有名なものは「ブルガル人の男の子が釜をもって川に水を汲みに行ったところ、その釜を落としてダメにしてしまった。その時からその川をカザン川と呼ぶようになった」というものです。カザン川とボルガ川の合流地点にカザンという名前の要塞が建ち、その周りに街が発展しました(地図参照)。 2005年にカザンは1000周年を迎えました。その時にできた1000周年記念公園にあった、釜の銅像です。

13世紀にモンゴル・タタール人が南のキプチャク・ハン国から攻めてきたので、多くのブルガル人は要塞を持つカザンに逃げ込みました。14世紀にはキプチャク・ハン国にとって重要な貿易の中心地になり、15世紀半ばにはキプチャク・ハン国から独立したカザン・ハン国の首都になります。この間、イスラム教が広く信じられていました。

そして約100年後、1552年にカザンの歴史の新しい幕開けとなる事件が起きます。今度はイワン雷帝が攻めてきて街を占領してしまったのです。イスラム教の国を支配下に置くのは初めてだったので、この出来事はロシア側にとっても歴史的な事件でした。イワン雷帝はかつての要塞を破壊し、同じ場所にカザン・クレムリンを建設します。ロシアの一部になったので、ロシア正教が国家宗教になりましたが、エカチェリーナ2世の時代にはモスクの建設も許可されました。

そのあとはソ連の一部になったりもしていますが、1992年にタタールスタン共和国として主権宣言を行い、今ではロシア国内ではありますが、権限分割をしている「国」でもあります。ロシア国内のイスラム教徒の約半数がタタールスタン共和国に住んでいることもあり、アジアの要素、ロシアのようなヨーロッパの要素、イスラムの要素を持ち合わせた興味深い街です。

長々と歴史を話してしまいましたが、明日からは訪れたところをカテゴリー別に紹介したいと思います。乞うご期待!

Пока!

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