馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

Храм Христа Спасителя

Привет!

学校がお休みに入る前に、改修工事によって授業時間が夕方からに変わってしまったのでしばらくお休みしています。やはり日常で使う言葉や文法は限られてくるので、ロシア語能力の著しい低下を実感しています…なんとか勉強せねば。

同時に少し時間もできたので、今日はがっつり観光に行ってきました! 「救世主ハリストス聖堂」です。今日のブログタイトルはこの聖堂のロシア名。ちなみに旅行者のバイブル「地球の歩き方」には「救世主キリスト聖堂」という名前で出ていますが、ハリストスとはロシア語でキリストのことなので同じものです。ХристаというのがХристос(ハリストス)の格変化したものになります。そんな偉大な固有名詞まで変えてしまうのね。

こちらの聖堂は、メトロКропоткинская (クロポトキンスカヤ)駅を出ると目の前に見えますよ!圧巻です。そして、ものすごく綺麗に見えますが、それもそのはず、2000年に建ったばかりです。しかし、その背景には面白い歴史があります。

もともと、1812年の12月25日にナポレオン軍がロシアを去ったこと(ナポレオン戦争に勝利したこと)を記念して当時の皇帝、アレクサンドル1世がモスクワに建てることを決めました。もともとはモスクワ大学のある、雀が丘(Воробьёвы горы)に建てられる予定でしたが、取りやめに。表向きの理由は土が足りなかったからだそうです(表向きの理由って)。結局クレムリンからも歩いてすぐの今の土地に1838年に着工されました。この時には皇帝はもう変わっていて、ニコライ1世です。かなり凝った作りだったため、完成したのは1883年。50年近くかかっています。当時の皇帝、アレクサンドル三世も戴冠式に成聖されました。

無事に完成したと安心するのはまだ早く、1917年のロシア革命からロシア正教会は当時の政府に脅威とみなされました。この聖堂も宗教弾圧から逃れられず、1931年、スターリンによって聖堂全体が爆破されます。かなり大きな聖堂なので、瓦礫を片付けるのには1年以上かかったそうです。跡地には「ソビエト宮殿」が建てられる予定でしたが、独ソ戦の勃発により未完成のまま、第二次世界大戦が終わりを迎えました。結局このスペースには屋外プール「モスクワ」が作られます(ネーミングがそのまますぎて笑ってしまいました)。

ソ連崩壊後、1992年にエリツィン大統領が「モスクワ再創造基金」設立法に署名。その一環として、大聖堂の再建築が決定しました。ようやく1994年には着工され、無事2000年完成。今では私たちも無料で入れます。

中は撮影禁止だったので写真は全くありませんが、内部は本当に荘厳です。一万人収容できるのだとか。そして中を見学していると、ひっそりと地下へ続く階段が現れます。「礼拝堂への階段」と銘打ってあるこの階段をひたすら降りていくと、天井の低い、厳かな雰囲気の部屋に入ることができます。静かな空気に心を落ち着かせて見学していると、礼拝堂の扉の奥から電話の鳴る音が。しかも鳴り止みません。誰か早く電話に出てあげて、と祈りつつ、雰囲気をぶち壊されたので出口へと向かっていると、突然お土産物やさんが。商売根性がすごいです。 そのお土産物屋さんに「博物館のチケットはこちら!」と書いてあったので、行ってみることにしました。

150p(300円ほど)のチケットはプラスチック製で、入り口のゲートにかざして入ります。入るとすぐに、先ほど書いたこの聖堂の歴史が英語とロシア語で書いてありました。ロシアの博物館にしては珍しく、全てに英語訳が付いています!エリツィンの大聖堂再建への署名も展示してありました。ただ、場所がわかりにくいからかお客さんがあまりいませんでした。

出口も入り口と同じゲートで、チケットを機械に入れることで開くようになっています。私たちと同じタイミングで入った家族連れのお父さんがチケットをなくしたらしく、必死で探していました。

博物館も面白いですが、この大聖堂の中は一見の価値ありです!とても綺麗でした。 クリスマスツリーと大聖堂。

Пока!

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