馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

アヤソフィア

Привет!

いよいよアヤソフィアへやってきました。 先に地下宮殿へ行っていたからか、チケットを買うまでに長蛇の列ができていました。ただ偶然にも前後に並んでいた人がロシア語を話していたので、話しかけようか逡巡しているうちにチケット売り場まで辿り着いてしまいました。ロシア人にとってトルコは人気のバカンス先です。

最近、観光地に行くとちゃんと知りたくて音声ガイドを借りることが多くなったのですが、ここでは日本語の音声ガイドがありました。 2人で聞くために、渡されたヘッドホンではなくて持参したイヤホンをつけると音が小さすぎてよく聞こえません。そしてしばらくは指示された番号を入れて大人しく聞いていたのですが、途中から様子がおかしくなってきました。なんとロシア語が流れ始めたのです。上の写真は日本語でテーマが表示されていますが、実は流れているのがロシア語です。そして最後の方は英語になりました。…なんだこの機械。

アヤソフィアというのはトルコ語読みです。もともと、かつてこの地が「コンスタンチノープル」と呼ばれていたビザンツ(東ローマ)帝国時代に、キリスト教の大聖堂として作られました。別名の「ハギアソフィア」というのは、ギリシャ語読みです。正教の大聖堂として使われていた時は、もちろん4方に立っている尖塔(ミナレット)は存在していませんでした。

このハギアソフィアを建てたのは、先日の地下宮殿を作ったユスティニアヌス皇帝。なんと537年です。よくこんな大きなものを作ったな…。そして1453年5月29日、時の皇帝コンスタンティヌス11世率いるビザンツ帝国は、オスマン帝国によって滅ぼされてしまいます。オスマン帝国はイスラム王朝だったので、イスタンブールにあった聖堂をほとんどイスラム寺院に作り変えました。

明治時代のイスタンブールを舞台にした小説『村田エフェンディ滞土録』では、そんなビザンツの末裔であると主張するある登場人物によってこんな説明がなされています。

-君はこの、丸屋根に尖塔のある建築様式を回教(イスラム教)に独特のものだと思うだろう。
(中略)
これはビザンツ様式の教会建築なのだ。元々は正教の教会を、征服後に彼らが回教寺院に作り変え、そしてその建築様式をそのまま模倣して自分たちのものとしていったのだ。それが結局回教寺院のスタイルになってしまった。

征服した場所の宗教が違った時に、もともとの宗教施設を壊さなかったのはオスマン帝国の皇帝、メフメト2世の英断だったと思います。あるいはただ一から寺院を作る手間を省いただけかもしれませんが。いずれにせよ、この判断のおかげで後世の一観光客である私は、偶像崇拝が禁止されているイスラム教寺院の壁に残された聖母子像が見られるので、感謝しかありません。

右上に聖母子像が、真ん中に見えているのがイスラム教の預言者ムハンマドの名前が書かれた円盤です。この円盤はメインのドームに均等に掲げられており、他には歴代カリフの名前やアッラーの名前が書かれています。

これまで正教の聖堂やイスラム教のモスクにはいくつか入ってきましたが、そのどれとも違う雰囲気で、思わず上を向いて見とれてしまいます。しかしドームの真ん中に立った時にふとさっき引用した本のフレーズが浮かんできました。そして、滅ぼされたビザンツの人たちはどう思ったのだろう、と考えてしまいました。これまで心の拠り所にしていた場所が壊されなくて嬉しかったのか。それとも見せしめのように残されて、上から異教の文字を書かれることに屈辱を感じたのか。私自身は特定の宗教の敬虔な信者ではありませんし、今となってはかつての人々の気持ちも聞くことができないので真意はわかりません。ただ、どこか寂しいような、でも「文化の融合」として見られて嬉しいような、複雑な感情になってしまいました。

こんな通路を通って二階にも上がれます。二階には正教会時代のモザイク画が多数残されていました。これまで見た征服された聖堂は大抵モザイク画の顔の部分だけ消されたり壊されたりしていましたが、ここはきちんと残っています。

修復したのだと思いますが、かなり保存状態が良かったです。音声ガイドをちゃんと聞かなかったことが悔やまれます。ここだけではなく、これくらい保存状態がいいモザイク画がたくさん残っており、中にはビザンツ最後の皇帝、コンスタンティヌス9世の顔もあるとか。

他の部分の天井や壁はイスラム教らしい幾何学模様が描かれており、これもとても素敵です。 また二階から見ると、アヤソフィアのメインホールが客観的に見られるのでおススメです。今はドームが傾き始めたので一部改装中になっており、足場が組まれていますが、ほとんどの部分は問題なく見られました。

また、一階のある柱(通称:マリアの手形)には地下宮殿にもあったような親指1本分の穴が開いており、同じ言い伝えがあります。ここはみなさん列を作って柱に触れていました。

イスタンブールという街の地理的なユニークさ、立地の良さにさまざまな国が惹かれ、時代ごとに支配者が変わってきました。この歴史に翻弄された街の生き証人であるアヤソフィア。ここに一歩足を踏み入れると、大国の勃興と成熟、そして退廃の記憶に触れられます。この地で生きてきた人々と、その支配者たちに思いを馳せながら、ゆっくりと歩いて回りました。

地下宮殿

Привет!

突然気温が20度台を切って、もう戻ることがなさそうなので、もう秋も終わりそうな気配です。先々週くらいまで夏だったのになあ。

いよいよイスタンブールを観光します!ホテルがある通りをアヤソフィアに向かって歩いていると「メドゥーサの家」というレストランがあります。 なんでここでメドゥーサ?まあギリシャ近いけど…と思いながら少し先へ進むと、地下宮殿への入り口が見えました。私たちは朝一番にここへ着いたので、まだ列があまりできていませんでしたがお昼過ぎに前を通った時にはかなりの人がいました。

観光地自体は地下にあるので、あまり目立たない外観に少し驚きました。一見どこかの交番のようです。観光地によくある荷物検査と金属探知機を通り抜けて、チケットを買って55段の階段を下へと降りると、そこには息を飲むような光景が広がっていました。

いや、ふざけているわけではありません。実際こう見えるのですが、いかんせん私も旦那も撮影技術が追いつかず、どんな写真を撮っても真っ暗になってしまうのです。上の写真はパンフレットですが、どちらかというとロシア語版の写真の方が実際の色合いに近い気がします。

ここは、ビザンツの皇帝ユスティニアヌス(527-565)によって作られた地下貯水槽です。宮殿というのは水面から見える大理石でできた柱が数えられないほどあることから「まるで宮殿だ」と市井の人々にそう呼ばれただけで、ここに誰かが住んでいたわけではありません。トルコ語でも正式名称は「イェレバタン・サルヌジュ(地下貯水池)」となっており、英語でも「basilica cistern(バシリカの貯水池)」と書かれています。英語名に出てくるバシリカとはローマ時代に裁判や集会に用いた長方形の建物のことで、かつては貯水池の上にバシリカがあったそうです。

ここの面積は9800平方メートルで、高さも9mあるので10万トンもの水を貯めることができたそう。基本的に水を貯めるために作られたもので、美しさは求められていなかったため、古い建物に使われていた柱がここで第二の人生を送っています。336本ある柱のうち98本はコリント式、それ以外はドーリス式、というように統一すらされていないばかりか、柱の高さが足りないところはかつてなにかの建物の装飾として使われていたであろう石材が無造作に使われています。 メドゥーサ!こんなところで横倒しに使われて…この貯水池の最奥の柱の土台にこれと、上下逆さまで柱の下敷きになっているメデューサがいました。ん?ちょうどこの上ってあのレストランの場所じゃない?早い段階で謎が解けてよかったです。
メドゥーサの周りは少し堀のようになっており、かつては魚がいたそうなのですが、今はコインがたくさん投げ込まれていました。どこでも一緒だなあ。

色々な柱が使われているので、もちろんメドゥーサ以外にもいわくつきの柱があります。 左手前の柱にだけ模様がついていて、他と色も違いますよね。これは「泣いている柱」と呼ばれており、この柱だけ濡れているそうです。他の柱は通路から遠いので濡れているかどうかわからなかったのですが、確かにこの柱だけ苔が生えそうな色をしています。またこの柱には言い伝えがあり、この柱に指一本分あいている穴に親指を入れた時に指が濡れると視力が良くなる、子宝に恵まれる、さらに親指を入れたまま穴の周りをぐるりと円が書けたら願いが叶うそう。

誰も写真を撮るばかりで柱に触ろうとしないので、禁止になったのかと思いましたが、他の観光客のガイドさんが勧めているのを見て私も挑戦してみました(ちょっと潔癖なところがある旦那は衛生面から断っていました)。正直、柱全体が濡れているので親指も自然に濡れ、円も全員が書けるのではないかという感じがしましたが、こういうのはやってみるのが大切です。

用途が違うので当たり前ですが、カッパドキアと同じ地下に作られたものとは言っても全く雰囲気が違うので驚きました。天井が高いのはいいですね。

入り口付近では、衣装がたくさん置かれており、アラジンに出てきそうなセットが作られていて「アリ王子なりきりコーナー」ができていたのが面白かったです。ちょうどこの近くにアヤソフィアがあり、そこから海辺へ緩やかな坂道になっているので、先日見た実写映画のアラジンの舞台、アグラバーにそっくりなのです。

ちなみに出口は入り口と違う通りにあるので注意してください。外へ出るとまず眩しくて驚きますが、目が慣れてくると知らない景色の中に立っているのでまた驚くことになります。

では、次は念願のアヤソフィアへ!

イスタンブールへ

Привет!

今日はカザフスタンの憲法の日で祝日です。というわけでみんなお休みなのですが、携帯電話に注意のメッセージが届くくらい風が強いのであまり外にひとけがありません。

さて、いよいよトルコの旅は後半戦、イスタンブールに入ります。アンカラの空港で友達と別れたのでここからは旦那と2人です。でもトルコはほとんど英語が通じるので、なんとかなりました。いつもその土地の簡単な挨拶は覚えるようにしていますが、トルコ語は「ありがとう」がとても苦労して印象に残っています。「こんにちは」は「メラバー」で、発音が可愛くてずっと言っていました。「さようなら」は「ギュレ(ギュレ)」です。これもすぐ覚えられますね。そして一番使う「ありがとう」は「テセキュール・エデリム」…なんでこんなに長いんだ。カッパドキアのホテルにあったスパのお姉さんに聞いたときは覚えられる気がしなかったので、書いてもらったものを写真に撮り、それから使いそうな時にその写真を呼び出してカンニングしていました。結局何も見ずに言えるようになったのは最終日。

閑話休題。イスタンブール国際空港は去年の10月に開港し、今年(2019年)の4月に以前使われていたアタテュルク空港から全ての旅客便を引き継いだばかりの新しい空港です。2030年には全施設が完成する予定で、そうなると世界最大の国際空港になるとか。その大きさは飛行機を降りた瞬間に感じました。歩いても歩いてもバゲージ・クレームに辿り着かない…。こんなことなら何分かかるか測っておけば良かったと後悔します。 あまり当てにならない私の体感では20分ほど歩いた頃、やっと荷物が出てくるベルトコンベアが見えてきました。なんかベルトコンベアが一つ一つ大きい気がします。

まだ空港と市内を結ぶ地下鉄や鉄道は完成していないため、ここからはバスかタクシーで向かいます。バスと書いてある標識に従って進むと、10台以上バスが並んでいる停留所に出ました。カザフスタンの空港があまり大きくないせいか、全てのスケールが大きく見えます。 空港の壁沿いにチケットを売っているらしきキオスクがいくつか立っていたので、そこでホテルの地図を見せながら「ここに行きたいんですが」と言ってみます。「ああ、このホテルならスルタンアフメットモスクのそばですね!モスクまで行くバスがあるので、それに乗ってください。17番に停まっていますよ。イスタンブールカードにお金をチャージすれば、市内のトランバイにも乗れます」と言ってカードにお金をチャージした状態で渡してくれました(2人でカード代も合わせて45リラ≒900円でした)。

キオスクが6番のところにあったので、17番のバスと聞いて少し足が重くなりましたが、前に進まないと市内へ行けません。バス自体は人が集まったら出る、バスが出たらすぐに次のバスが来る、というシステムのようで、待ち時間はそんなにありませんでした。バス自体もとても綺麗で、全座席に液晶が付いていたので、運が良ければ何か見られるかもしれません(この時はどのボタンを押してもうんともすんとも言いませんでしたが)。

空港からは渋滞状況にもよりますが、1時間から1時間半ほどかかります。夜のイスタンブールはライトアップが綺麗なので、窓の外を眺めているだけで楽しかったです。

イスタンブールでの私たちの宿は「Kybele hotel」というところでした。アヤソフィアからは歩いて5分という立地の良さ。 外観も青くて素敵でしたが、特筆すべきはホテル内のトルコランプの多さ!入ってすぐのレセプションから、部屋に入るまであまりのトルコランプの数に圧倒されて上ばかり見ていました。 これはレセプションですが、部屋の天井は面積があったので写真に収まりきりませんでした。友達の助言もあり、最上階に部屋をお願いしたのですが、広いバルコニーがあってイスタンブールの楽しい夜を上から眺めるのにぴったりです。4階まで階段で登るのは少し大変でしたが、いい運動になりました。

次の日、迷いながら朝ごはん会場(半地下にあります)へ足を踏み入れると、あまりに多いランプにおののいてしまいました。 バイキング形式だったのですが、ランプに驚いてバイキングの写真を撮り忘れています。このホテルはどこを切り取っても雰囲気がよく、ホテルの前の道に椅子と机を並べたレストランもあるので、夜に着いても晩御飯を食べられました。おススメです。

いよいよ明日から街に繰り出すぞー!

Пока!

カッパドキアでのごはん

Привет!

少し時間が空いてしまいましたが、今日はカッパドキア編の最終回!世界三大料理といえば、中華料理、フランス料理、そしてトルコ料理です。でもこの中であればトルコ料理だけぱっとイメージが掴みにくかったのですが、実際食べてみると三大料理に入った理由は説明されなくても納得できる美味しさ。あまり日本食を食べられない場所に住んでいるからか、他の国に行くと必ず日本食レストランの視察に行く旦那も、トルコでは一度も日本食を食べたいと言い出さなかったことがいちばんの驚きでした。

そんなトルコでは食べた美味しいものたちを紹介したいと思います。とりあえず旅が始まってからイスタンブールに移動するまででまとめました。

①スィミット 胡麻パンです。もちもちしていて、食べ応えがありました。何より胡麻を愛している私にとっては幸せの塊のようなパン!これは乗り継ぎのイスタンブール空港で食べたもので少し高かったのですが、カッパドキアでもイスタンブールでもとても安く売られていました。国民食なのかもしれません。イスタンブールの海沿いにはこのスィミットを売り買いしている人の銅像も。 よく見ると銅像のスィミットの間にほんもの本物のスィミットが置かれていて笑ってしまいました。木を隠すなら森の精神なのでしょうか。

②ギョズレメ 薄いパンにほうれん草やチーズ(写真はチーズのみ)などを挟んだもの。この日はお昼ご飯を食べてなかったので、お腹が空いているしなんか軽そうだから大丈夫だろう!と思って注文したら半分も食べられずにホテルの部屋へ持って帰ってワインのアテになりました。ボリュームが見た目の三倍くらいあります。パンだと思っていたけれどクレープのような生地なのかもしれません。生地自体はモチモチではなくサクッとした食感なのですが。旦那はチーズとチリが中身のものにしていました。思ったより辛かったそうです。

③ケバブ盛り合わせ ケバブとは「焼いた肉」全般を指すそうで、種類が沢山あります。日本でも有名な回っているお肉の塊から削ぎ落とすのは「ドネルケバブ」と言いますが、今回頼んだのはそれ以外の焼いたお肉。例えば串に刺さっているのは「シシケバブ」で、牛や羊が選べました。写真にある骨つきのお肉はタイムを食べて育った羊肉で「クユケバブ」。左端のハンバーグのようなものはミンチを固めて焼いた「キョフテ」です。キョフテも調理法によって色々な名前があるようです。お肉たちの真ん中にあるのはサワークリームのような酸っぱい乳製品でしたが、何もつけなくても十分美味しかったです。

④テスティケバブ カッパドキアに来たらこれは食べなきゃ!と言われた「テスティケバブ」は注文すると壺が運ばれてきました。店員さんに「誰か壺を割りたい人はいる?」と聞かれて意気揚々と立ち上がる旦那。写真は店員さんに教えてもらいながら蓋をナイフで叩いて落としている旦那です。 結構勢いよく叩かないと開かないようで、二度挑戦していました。
このカッパドキア名物のケバブは、壺の中でトマトや玉ねぎと一緒に味付けした肉を入れて蒸し焼きにし、机の上に置かれた熱したお皿に壺の中身を開けて食べるというものです。旦那が割った壺から提供されたケバブがこちら。 味付けが絶妙で、店員さんがちょっとこぼしたものも食べたいと思ってしまうほどでした。ケバブの中ではこれが一番好きかもしれません。

ギョレメ野外博物館のカフェでこのケバブが美味しいお店として教えてもらったところがここだったので、やはりこのケバブはみんな注文するようで、はじめの写真にも他のテーブルですでに開けられた壺が写っています。

⑤アイラン 塩を入れた飲むヨーグルトです。やはり脂っこい肉料理が多いので、口の中を爽やかにするために好まれているのだとか。飲むヨーグルトだよ、という友達の説明を聞いてカレー屋さんで飲むラッシーを想像していた私は、しょっぱくて酸っぱいのでちょっと驚いてしまいました。でも夏にはぴったりです。テスティケバブとも相性がバッチリでした。

ギョレメからは車で10分ほど行ったところにあるレストランはこちら

⑤パン どちらのお店でもはじめにパンが出てくるのですが、これが絶品!カザフスタンの噛みごたえがある、水分が少なめのパンに慣れているせいか、トルコのパンが本当に美味しく感じられました。また、パンにつけるものも3種類ほど出てきます。 黄色いのは卵ではなくチーズです。茶色い粉はシナモンパウダー。こちらは丸いパンでしたが、テスティケバブを食べたレストランは細長いパンでした。これも美味しかったです。 手前の白い液体は酸っぱいヨーグルトのようなもの。奥の赤いものはトマトベースでした。

トルコは美味しい物で溢れています!そしていよいよイスタンブールへ。

Пока!

ギョレメ野外博物館

Привет!

私たちが通ってきた、アンカラとカッパドキアの間にはアナトリア高原があります。今は高い山は見えませんでしたが、かつてはそこに火山があったそうです。そこの火山の度重なる噴火によって火山灰が積もってできたのがカッパドキア。以前も書きましたが、火山灰が固まってできた地質はとても柔らかく、掘りやすいものでした。4世紀ごろから初期のキリスト教徒がそこに目をつけ、地下に都市を作って住み始めます。
9世紀ごろから少しずつイスラム教徒が入ってきて、キリスト教徒を弾圧し始めました。そこでキリスト教徒たちは岩の中に洞窟を作って教会を作ったのです。その中心地がここ、ギョレメでした。一時期は300以上もの教会があったそうですが、今は30ほどが野外博物館としてまとまって公開されています。1985年には世界遺産にも登録されました。 エントランスと奥にそびえる岩窟教会。

教会の中にはフレスコ画が描かれていますが、保存のために撮影は禁止されています。 リンゴや蛇など色々なテーマを持った教会があったのですが、どれも入り口はとても狭くなっていて、人とすれ違えないほどでした。中に入ると少し広くなっていますが、4、5人が入るので精一杯です。上を見上げるとロシア正教会で見たように、天井一面にフラスコ画が描かれていました。どの辺りが「リンゴ」だったり「蛇」だったりするのかはよくわかりませんでしたが、教会によって保存状態はかなり差がありました。エントランスから奥に行けば行くほど色彩が残っていた印象です。綺麗に残っているものでもキリストや聖人の顔の部分だけ剥がされているものも多く、イスラム教徒に見つかったのかな…など考えてしまいました。

このようにすれ違えない階段を登って見に行く教会もいくつかあるので、動きやすい靴がオススメです。前日からは考えられないくらい観光客が集まっている場所でした。

エントランスから入って少し歩いたところで、やたらと白い岩窟教会がありました。いくら火山灰の岩が白いとはいえ、周りと比べても少し浮いています。 写真の右手のものです。入り口はブルーシートで塞がれていました。近づいてみると…

なんだか、岩を掘っているというよりレンガのようなものを積み上げている気がします…見なかったことにしよう。うまく風化するといいですね。

別料金で入る「暗闇の教会」もあります。時間がなかったのと、友達が「中が暗闇やから…」と言っていたのでなんとなく雰囲気が分かって入りませんでしたが、入り口はインディ・ジョーンズに出てきそうでした。 もちろん教会以外もあります。前日に地下都市で説明を受けていたお陰で、なんとなく何に使われた部屋か推測ができました。

炎天下で思ったよりアップダウンが激しく、少し疲れてきました。ちょっと休憩したいね、と話しているとカフェの看板を発見!いいところにあります。しかもその看板には「カッパドキアの砂で作ったトルココーヒーあり」と書かれていました。トルココーヒーを飲んでみたかった旦那は大喜びで入って行きました。私は少しコーヒーが苦手なので、違うところが引っかかりました。「砂で作ったコーヒー?」

トルコティ(チャイ)もそうなのですが、こちらの飲み物はかなり濃く煮出しますね。トルココーヒーはエスプレッソのような小さなカップに粉状のコーヒー豆が残ったまま注がれるので、上澄みだけを飲みます。観光地でしかもカッパドキアの砂を使っているということで法外な値段ではないかと一瞬身構えましたが、14リラ(280円程でした)。お店のお兄さんにお願いして作るところを見せてもらった時、どこに砂が使われているかが判明します。 コーヒーを煮るのが熱した砂の中だったのです。良かった、コーヒー豆に混じって砂もカップの底に沈んでいるのかと思った…。それをみて安心した私は追加で自分のために注文しました。するとお兄さんは「やってみる?」と聞いてくれます。こうしてコーヒーを砂の中で回すという経験を得ました。3、4分もしないうちに手鍋(ジェズヴェ)の中のコーヒーが煮立ってくるのですね。

コーヒー自体はかなり濃いので、トルコ名物のお菓子、ターキッシュディライトを添えて。ターキッシュディライトは果物で作った立方体のグミです。ここで食べたものがとても美味しかったのでお土産としてイスタンブールで3箱も買ってしまいました。

カフェそのものが洞窟の中にあり、地面に絨毯をひき、その上に足の短い机とクッションで作られた座席はとても雰囲気がありました。中からカフェ内を撮ろうとした図。

お兄さんにオススメのレストランもおしえてもらえたので、野外博物館を出ます。迫害されても、岩の中に教会を作って信仰を貫いた人々の精神の強さを思わずにはいられない場所でした。

Пока!

ラクダに乗って

Привет!

気球体験を終えてホテルに帰ってくるとまだ7時前だったので一眠りすることに。外はすっかり明るくなっていたのですが、洞窟ホテルは気球帰りに爆睡できる為かと思うくらい、外の光が入ってこないのでゆっくり寝られました。…寝すぎました。なんとか9:30に体を起こしてチェックアウトします。

そこから車で向かったのは中心の街ギョレメにある屋外博物館。20分足らずで到着です。駐車場から博物館までの道すがら、ラクダが3頭座っていました。そういえばユルギュップ(ホテルのあった街)の展望台の前を通った時にもラクダがいたな、観光資源なんだろうな、と思いながら、乗らないかと勧誘してくるアラブ系のお兄さん達に断りを入れていると、旦那と友達が「いくらくらい?」と聞いていました。旦那はこれまでこういう勧誘には警戒心露わに断るタイプだったので、私は驚いてしまいました。お兄さん達はその質問に「10」とだけ、答えました。

ご存知のようにトルコの通貨、リラはちょうど一年前に大暴落しました。私が持っていた少し古いガイドブックでは一リラおよそ40円となっていたのですが、現在は20円足らずになっています。ということは、ラクダに乗るのに200円しないの!?それなら別にいいか、と私も乗る気になってきます。

立っている馬に飛び乗るのとは違って、背が高いラクダに乗るのは座っている状態の時です。ラクダは後ろ足から立ち上がるのですが、その時にかなり前のめりになるのが15年前乗った時にとても怖かった覚えがあり、今回も少し躊躇していました。実際には思ったほどではなかったのですが、旦那と友達はその高さに少し驚いたようです。そんな私たちに、ラクダ係のお兄さん達は石油王のような布を頭に被せました。

一列になって進む様子。携帯電話は「写真撮影してあげるから貸して!」と取られてしまいましたが、手持ちのデジカメで撮影したものです。ラクダが待機していた場所からゆっくり歩いて5分くらい坂道を登ったり降りたり(正直そこが一番怖かったです)しながら進むと、少し開けた場所に出ました。そこで1人ずつシャッターを切られます。後で写真を見返してみると、かなりのいい景色でした。天気が良かったのもラッキーです。 そのあとは3人並べて記念撮影。後でカメラロールを見返してみると、50枚くらい撮られていました。しかも連写なのでほとんど同じ写真が10枚ずつくらいあります。

スタート地点まで戻ってくると、お支払いの段に。お兄さんに10リラを渡すと「違うよ!10ユーロ」と言われます。…え??話が違いませんか?でもそう言われれば単位は聞かなかった気がします。しかもよくみるとラクダに乗った場所に立っている看板には「10ユーロ」とはっきり書いてあるではありませんか。これは詐欺ではなく、確認しなかった私たちが悪い。リラ暴落の影響か、気球をはじめ色々なところでユーロ払いを求められました。これからはしっかり単位まで確認しようと心に決め、でもユーロは持っていなかったので相当分のリラを計算して手渡しました。

旦那は「でもよく考えたらラクダに初めて乗るのに1200円はお得かもしれない」と前向きな発言。次の目的地へ行こうとする私たちに、先程とった写真を印刷して写真立てに入れたものを、お兄さん達はちゃっかり売ろうとしてきたので「流石に買わないです」というと「じゃあ中身だけあげます」と言ってその場で写真立てから出して渡してくれました。…10ユーロは高くないな。

そこから緩やかな階段を登ると、見えてきました! ギョレメ屋外博物館。ギョレメは谷間にある街の名前ですが、この谷には岩窟教会がたくさんあり、それを保存して公開しているのがここ。大きな公園のようになっており、教会が点在しています。屋外博物館はここの他にゼルヴェにもあるそうですが、ここは町からも近いのでかなりの人で賑わっていました。54リラ(1080円程)のチケットを買い、エントランス横の売店で水を買うと(観光地価格で通常の六倍ほどの値段でした)、いざ、入場!

つづく。

Пока!

空中散歩

Привет!

気球のお話です。前回はこちら。 mickymm.hatenablog.com

気球に乗り込むと、パイロットのお兄さんが英語で説明を始めました。「皆さん、ようこそ僕の初めてのフライトへ!冗談です、実は5年目です。まずは3点、お話ししたいことがあります。まず一つ目。なんとこの気球にはWi-Fiがあります!パスワードは聞いてください」…めちゃくちゃ近代的!一瞬繋ごうかと思いましたが、設定している間も景色から目を離すのが嫌だったので繋ぎませんでした。「二つ目。着陸するときは全員こちらの方向を向いて、出来るだけ腰を落としてください。バスケットの中に座り込む感じです。練習してみましょうか。いいですね」友達によると前回は着陸する時にバスケットが横倒しになったそうです。気球って結構危険なのでは。「そして三つ目。これが一番大切なことなのでよく聞いてください。…僕の名前はトルガです。パイロットの名前を忘れていたらどんな質問にも答えませんからね。では空の旅を楽しんでください」

このトルガさんはずっとこんな調子で冗談交じりに話していました。彼の話に笑っていると、気がつけばバスケットが浮かんでいるではありませんか!飛ぶかどうか、あれだけドキドキしていたので気球が浮く瞬間は感動すると思っていたのに案外あっさりと飛んでしまいました。でも、今日は飛べるんだ!! なんて神秘的な景色でしょう。もう先に浮き始めた気球と、地上で火を入れ始めた気球と、夜明け前の赤く染まる空。気球は高度800メートルまでしか上がってはいけないそうです。パイロットのところに高度計が積んであるようで「今400m」など時々アナウンスしてくれます。火を入れるとバルーン内の空気が温められて浮かぶという原理ですが、トルガさんはガスボンベを開ける時にリズムをつけます。私はそのガスボンベの真下だったので熱を感じました。

高度が上がるにつれて空が明るくなってきます。脳内BGMにアラジンの「A whole new world」を流して浸っていると、トルガさんが話し始めました。「空の上はとても静かで、平和で…夫や妻のことなんて忘れられますよね。あ、今一緒にいる場合はここから相手を突き落としたら忘れられますよ」…毒舌な空飛ぶ絨毯に乗ってしまったようです。 こんな景色を見ているのに。

すぐ下に目を向けると、奇岩の中に沢山の気球がこれから上がろうとしていました。トルガさんの持つ無線はずっと何かしらをトルコ語で発信しています。トルガさんに「そうそう、この気球の名前はTC-bomです。もし無線からこの名前と『何してる!どこに行くんだ!』などの言葉が聞こえてきたら教えてください」と言われ、少し不安になります。 一度、ほかの気球のすぐ上を通過したのですが、そのときは無線で「今上を通過中だから上がってくるな」と伝えていたとトルコ語を解する友達に教えてもらいました。これだけの気球の名前を覚えるのは大変だろうなあ。

しばらくして、彼は言います。「さっき、この気球の名前はTC-bomだと言いましたが、実はほかのニックネームもあります。タイタニックです。さあみなさん衝撃に備えて!」慌てて彼が指差す方向を向くと、山肌が目の前に迫ってきていました。 あわや衝突か、と思ったとき、ガスボンベが唸り、気球はふわっと浮きました。
気球は上下の調節は簡単だけれど、横移動は風まかせな部分が大きいようです。そんな説明をしながらも「さあ、ここからイスタンブールまで飛んでいきましょうか!」と冗談を飛ばすトルガさん。「この気球体験をSNSに投稿するときはハッシュタグでクレイジーなパイロットって書いてね!」

朝日が昇ってきました。 なんと神々しい。今回は1時間コースをお願いしたのですが、空にいると時間の感覚が消えます。まだ5分だと言われればそんな気もしますし、もう2時間くらいこの景色を見ている気もするのです。また、上空は寒いと聞いていましたが、カザフで鍛えたお陰か、上着を忘れてしまった私と旦那でも意外と平気でした。友達はウィンドブレーカーを着ていたので、それが正解かと思います。

少しずつ地面が近づく瞬間が多くなり、かと思えば離れるので、着陸のタイミングがあまりつかめません。 地面を見ながら「比較的色の濃い土は掘りにくくて、白い土のところが掘りやすいので、人々が住んだのも白いところなんですよ」と教えてもらいます。一生懸命ホテルを探そうとしましたが、方向が違うのか見つかりませんでした。

「ところで、着陸はスリル満点なものと、安全だけど退屈なものとどちらがいいですか?」全員、少し考えます。「僕はスリルが好きなんですが、どうしてもという人がいれば退屈な方にしますよ」誰も反対しなかったので(肯定もしなかったのですが)、トルガさんは心を決めたようです。私は結局どちらになったのだろうと考えながら、着陸の合図を待ちました。

突然、トルガさんが「さあ、初めに練習した着陸のポーズを!」と言います。冗談ばかり言っていたので初めこそこれも引っ掛けなのかと思いましたが、みんなと同じ方向を向き、バスケットの中に座り込むように腰を落としました。もう周りは何も見えません。すると、バスケットが地面をガガガッとする音が聞こえ、かなり大きく揺れた後、しっかりと地面に着きました。その瞬間、トルガさんはバルーンから出ている紐を掴んで、バスケットの外に飛び出し、私たちにバルーンが落ちてこないよう遠くへ走ります。そこへトラックが二台やってきたかと思うと、トロイの木馬のように中から人が飛び出してきてトルガさんを手伝います。バスケットの方に帰ってきたトルガさんは「スリルのある着陸はどうでした?あそこの木を倒そうと思っていたのに狙いが外れちゃった」と笑っていました。

全員また脚立を使ってバスケットから出ると、そこにはシャンパンが用意されていました。 ロマンチックにしておきますね、と言いながらバラの花びらをテーブルに振りまくトルガさん。「昨日の晩寝ずにこのクッキーを焼いたんですよ」とクッキーとシャンパンを配ってくれました。私の前では「IDある?本当に成人しているの?ジュースにしない?」とまた冗談を言われました。チョコがけのイチゴとクッキーを頬張り、シャンパンを飲み干すと、まだ飛んでいる気球がたくさんあったので写真を撮りに走ります。 朝靄のなんとも言えない空気と、草原と、気球のステキな写真が撮れます。自分のバスケットのところへ帰ってくると、一人一人トルガさんから記念メダルを首にかけてもらいました。ここからはトラックに乗ってホテルまで送ってもらいます。

これまで見た中でも1、2を争う絶景でした。一生忘れられない景色です。何か辛いことがあっても、この朝を思い出すと乗り越えられそうな気がしています。

Пока!