馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

地下都市で迷子

Привет!

これまでも3時間ほど車に乗って目的地へ向かう、ということはありましたが(直近では5月のアルマティ→チャリンキャニオンでしょうか)、やはりカザフスタンの風景とトルコの風景は全く違いました。ヌルスルタンの周りは本当に見渡す限り山どころか丘、むしろ起伏すらなく、遊びに来た友人曰く「感動するレベル」ですしアルマティの周りは遠くの方に山がそびえており、そこまで平らな草原が続いています。

アンカラを出る時から少し下り坂になっていて、遠くの方まで緩やかな起伏が続いているのが新鮮でした。アンカラを出てすぐは「アルマティに近いなあ」とぼんやり考えながら窓の外を眺めていましたが、しばらくするとやはり起伏が始まるのです。さまざまな濃さの緑で織られたパッチワークのようでした。 見ていて飽きません。

ナビ役の旦那が言ったように、「94km道なりに進んで、左折、70km進む」の左折のところまで来ました。この左折の手前になって、それまで1時間ほどだんまりを決め込んでいた携帯電話のナビアプリが突然「500m先、左折です」と喋ったのには車内全員が心底驚きました。誰も音声ナビ機能を切っていたと思っていたからです。 ちょうどこのオブジェの周りを回るように左折。よくみると、模様が全てカッパドキアの奇岩の形でできているんですね。奇岩の形なんて何通りもあるはずなのに、カッパドキアの文脈でこの形をみると「ああ、奇岩の形か」とわかるデザインは流石です。

最後の70km。車の数が少し減って、道の状態が少し悪くなり、それでも景色は雄大なままでした。カッパドキアまであと10kmというところまで来ても、緑の風景はあまり変わりません。よく写真で見ていた奇岩が並ぶ茶色い風景にそんなにすぐに変わるのだろうか、と不安になりながら進んでいくと、突然景色が拓けました。 塩湖を出てから早2時間ほどです。ようやくたどり着けました。

とりあえずホテルにチェックインして遅めのお昼ご飯を食べます。この日の宿に関してはちょっと奮発したのでまた別の記事で詳しく書く予定です。お楽しみに。あまりにも良いところだったのでここでゆっくりしていると、気がつけば17:30になっていました。ほとんどの観光地は19:00にしまるそうで、慌てて車に飛び乗ります。向かった先は車で30分ほどのところにある地下都市「カイマクル」です。

のどかな田舎道を爆走する車。幸運なことに対向車も後続車もいなかったので、とても気持ちよく走れました。途中から奇岩もない、日本の田舎の村のようなところにどんどん車が入っていくので少し不安になってきました。本当にここにあるのかな? 最後の角を曲がると、小さなロータリーのような広場の前に二、三軒のお土産物屋さんがあったかと思えばその奥に博物館らしき建物が目に飛びこんできました。 車を広場に停めると、近くを歩いていたおじさんに「今何時?」と聞かれました。「18:15だよ」と返すと「博物館に来たんだろう?19:00までだから早く入りなさい!ほら、走って!」と突然アドバイスされ、びっくりしながらもとりあえずみんなで走ります。お土産物屋さんでは10人くらいの観光客がそれぞれ楽しそうに商品を選んでいました。楽しそうだなあ、混ざりたい。

チケット売り場でチケットを受け取った瞬間、窓口が閉められました。ほんまにギリギリや。 カッパドキアで公開されている地下都市はここ「カイマクル」と「デリンクユ」の二つだそうです。火山灰でできたカッパドキアの岩質は柔らかいため、紀元前にはすでに地下都市が作られていたと言いますが、詳しいことはまだまだわかっていません。4世紀ごろ、アラブ人たちがこの地域に入ってきたときにキリスト教徒がここや奇岩の中で暮らしていたそうです。そしてこの地下都市は4000人もの人が暮らしていたとか。

事前情報はそれくらいしか仕入れていなかったのですが、この地下都市に足を踏み入れた途端その知識を疑ってしまいました。ここに4000人?そんなことができるのか?行った時間がまずかったかもしれません。閉館間際のこの地下都市にはほとんど人がいなかったので、想像が全くできなかったのです。想像していたより空気は全く悪くなく、うまくどこかで排気できているのでしょう。

はじめこそ後世に作られたと思わしきしっかりしたコンクリートの階段がありました。その階段を降りるとこんな部屋にでます。 ここに立った時に確信しました。…気をぬくと迷子になる。写真にも写っていますが、申し訳程度に順路の矢印があります。しかしこの矢印をたどっていくと出口にたどり着く訳ではないことはしばらく従ったところで分かりました。途中で矢印がなくなった時には見捨てられた気分になりました。

壁画がある訳でもないので、各部屋の特徴は素人目には全くわかりません。ここから来たはずだ、と3人で相談しながら戻ったつもりでも大抵初めての部屋と出会えます。 また通路もこれほど細く、緩やかに下降したり上昇したりしているんのですが、かなり足を滑らしそうになります。写真に写っているのは身長157cmの、なぜか先行隊に選ばれた私ですが、それでも膝を折らないと頭をぶつけてしまいます(あとで旦那が撮ったこの写真を見て、彼にはそんな余裕があったのかと驚きました)。階段があるところも、真ん中がかなりすり減ってしまっていて滑り台のようになっていました。端的にいうととても歩きにくいので、スニーカーで行くのをお勧めします。あとスカートは本当にやめたほうがいいです。今回の旅行には写真映えを狙ってロングワンピースばかりを持ってきていたのですが、最後の最後でショートパンツを荷物に入れた自分に心から感謝しました。

アリの巣を体験したい人にはここは本当にオススメです。はじめは閉館時間までに45分もあれば十分だろうと思っていたのですが、20分ほど立ったところで「今日はここで一夜を過ごすことになるのではないか」という気になってきました。今はライトが点いていて明るいけれど、夜になったら真っ暗になるのかな。期せずして1700年前の生活を体験できるのか!それは絶対に嫌だ。

地上への執着心が勝ったのか、あと10分で閉館するという時になってようやく、この角を曲がれば出口への階段があるはず!というところまでたどり着けました。良かった。3人でお互いを称え合いながら角を曲がった瞬間、人にぶつかりそうになりました。「すみません!」と思わずロシア語で言うと、その人はびっくりしたようにこちらを見たあと、私たちの後ろを指さしました。…振り返っても元来た道があるだけです。えっと、出たいのですが…と英語で言っても、彼は後ろを示し続けます。「戻れってこと?」この狭い通路で、どちらかといえば体格のいいおじさんとすれ違うこともできず、私たちは後退しました。おじさんの後ろに階段が見えていたのに。

さて、無事に時間内にでられるのか!?そもそもこのおじさんは誰だ!?

長くなったのでこの辺りで。
Пока!

塩湖

トルコに行く前はヌルスルタンの方が暑く、カッパドキアで風邪を引かないかな(と言っても24、5度)と思っていましたが、ヌルスルタンに帰ってきたら思った以上に肌寒くなっていました。この5日で何があったんだ。

ヌルスルタンからイスタンブールで乗り換えて、アンカラ空港に着くと友達が迎えに来てくれていました。この空港、飛行機から降りた瞬間に「荷物を預けている人はこっち、預けていない人はこっち」と分けられます。そしておそらくバゲージのターンテーブルは国際線にしかないようで、パスポートコントロールを横目に順路に沿って進んでいきます。ということは、荷物を預けているか否かで出口が違うのです。もし今後アンカラで待ち合わせをすることがあれば、気をつけてくださいね。友達は全て承知の上で国際線の出口で待っていてくれました。普段は二人で旅行するときに荷物を預けないのですが、今回は預けていてよかった…。

彼の車に乗ってとりあえず市内へ。アルマティより知名度や人気が下がるヌルスルタンと、やはり首都なのにイスタンブールより少し影の薄いアンカラはなんとなく似たところがあるのではないかと思っていましたが、とても大きな街でした。有名な観光地はないけれど、最近できたという遊園地や、大きなアウトレット、小さな商店が集まる通りなどがあり住みやすそうです。街路樹も青々としていて、夏だからかたくさんあるカフェはテラス席を出していて、トルコ人のおじさんたちが楽しそうにお茶をしています。私たちも彼らに倣ってお茶をした後、いよいよカッパドキアへ向かうことにしました。

友達は出発する時に「直接カッパドキアまで行ってもいいけど、途中で塩湖によるのはどう?」と提案してくれたので、旦那と二人で嬉々として乗ります。曰く「ウユニ塩湖のように水が張っていて水面が鏡のようになっている」とのこと。カザフにもそういう塩湖はあるらしいのですが、道が整備されていないと聞いて行くのは諦めていたのでここで行けるのは嬉しいサプライズでした。

アンカラを出てから1時間ほど経った頃、噂の塩湖が見えてきました。 ガードレール上の白い部分が塩です。
見える範囲が全て真っ白なので、かなり広いことがわかります。アンカラから伸びる、穴などない整備された道を飛ばしながら湖を見ていると突然そのほとりに駐車場とちょっとした建物が現れました。たくさんの人々がそこに集まっているのも見えます。

とりあえず駐車場に車を停めて、建物の中を通って湖へ。 湖へ向かう道もちゃんと作られていました。この湖の名前はトゥズ・ギュル、トルコ語でトゥズは塩、ギュルは湖なので、そのまま「塩湖」という名前です。建物の中はお土産物屋さんになっていたのですが、日本でいうと「道の駅」そっくりでテンションが上がってしまいました。そしてやはり売られているのは塩。ここの塩は甘くて美味しいそうです(食べてはいませんが)。

湖に着くと、一面の白い世界でした。人々が裸足で歩いています。しかしそれもこの建物の周りだけで、少し歩いてカメラを脇へ向けると誰もいない風景を写真に収めることができました。
これだけの塩の世界を見た私と旦那はそれだけで感嘆の声をあげていたのですが、先週もドライブで来たという友達はこの光景を見ると「水がなくなっている!」と驚いています。先週は水に入らないと歩けないくらい、岸まで水が張っていたそうです。確かにここに薄く水が張ったら、風景を反射して綺麗なんだろうなあ。奥の方まで行けば水がありそうなのでひたすら前に進んでいたのですが、進んでも進んでも人が少なくなる以外の変化がなかったので、途中で引き返すことにしました。後で調べてみると、この湖は琵琶湖の二倍もの面積があるそうです。琵琶湖でさえ海に見えるのに…。

トルコではずっと日照りが厳しかったのですが、特にここは地面が白いので照り返しが激しく、かなり熱くなってきました。建物の手前にあったアイスクリームの屋台で(トルコアイスではない)普通のアイスを購入。建物の中にあったカフェのテラス席に座って外を眺めながらアイスを堪能していると、結婚式の写真撮影に来たカップルと遭遇しました。こんな素敵な撮影スポットが近くにあるといいなあ。
湖のほとりには観光地によくある地名が書かれた撮影スポットも置かれています(上の写真)。トゥズとギュルの間にフラミンコがいるので友達に聞いてみると「この湖は野生のフラミンゴでも有名なんだよ」とのこと。こんな塩分の多い水辺に!

一通り堪能したので、いよいよカッパドキアへ向かいます。友達もここからのドライブは初めてとのことで、助手席に座った旦那がナビ役を買って出ました。地図アプリを立ち上げた旦那が言います。「道は簡単だよ。ここから94km道なりに進んで、左折、そこから70km進んだら到着」

…これまで聞いたことのない距離の道案内です。思わず聞き返してしまいました。「9.4じゃなくて?94?」何度見直しても距離は縮まりません。友達が運転に飽きないか心配ですが、とりあえず出発!

Пока!

憧れのトルコへ

イスタンブール。 古くはコンスタンチノープルと呼ばれ、ヨーロッパとアジアの二大陸をつなぐ街。 ♪昔コンスタンチノープル
今はイスタンブール
名前の変わったわけは誰にも分からない
トルコの人にしか
ちゃん♪
この一風変わった歌を幼少期からよく聞いていたからか、イスタンブールはトルコにあるということは知っていました(ちなみに名前が変わったわけは統治者が変わったからです)。メロディーが気になる方は「コンスタンチノープル、イスタンブール」で検索してみてください。

イスタンブール、ひいてはトルコに憧れを抱いたのはいつ頃だったか、もう覚えていません。小学生の高学年で映画「トロイ」をみてあの戦いに熱狂した頃か、はたまた中学生の頃に「村田エフェンディ滞土録」を読んだ頃か。この私の生涯ベスト本については以前少しだけ紹介しましたね。 mickymm.hatenablog.com もちろん持っていって読み返しました。

いつからかトルコにはなかなかいけないし、憧れは憧れのままで置いておこうと思い始めていたのですが、ここ一年でトルコに住んでいる人と仲良くなったり、かつてトルコに住んでいた人たちとこちらで知り合ったりするうちに「いや、やっぱり行きたい」という思いがまた出てきました。旦那にはサブリミナル効果を狙って事あるごとにトルコの話をし続けていたからか、彼が夏休みをもぎ取れた時、すぐにメッセージを送ってくれました。「夏休み取れたよ!トルコ行く?」

トルコ、と一口に言っても日本の二倍もある国土には見所がたくさん詰まっています。イスタンブールに行くのは決定で、友達が住んでいる首都アンカラにも行きたいし、奇岩がたくさんあるカッパドキアも見たいし、トロイにも行ってみたいけれど、この調子だと5日では足りないな…。そんな折、友達が「アンカラに来てくれたらカッパドキアまで車を出すよ!」と行ってくれました。その一言でヌルスルタン→アンカラ→カッパドキア→イスタンブールという旅程が決まりました。 ヌルスルタンからアンカラまでは直行便はありませんが、イスタンブールを経由するとあまり乗り継ぎ時間も長くはなくスムーズに行けます。なぜかイスタンブールへの往復の飛行機は早朝発着なので、深夜1時にヌルスルタンの空港へ行ってみて驚きました。普段は心配になるくらい人がいないナザルバエフ空港ですが、この時間は人で溢れていたのです。昼間にはめぼしい便が発着していないのかな。ヌルスルタンを早朝3時20分に出ると、アンカラには現地時間9時20分につくという寸法でした。これでこの日は一日観光できます。

さあ、いよいよ念願のトルコ旅行の始まりです。しばらくカザフ情報はお休みして、トルコで出会った色々なこと、もの、人についてしばらく書こうと思います。期待値を最大限に上げていったのに、その期待を超えてくれる国でした。お付き合いいただけると幸いです。

街の日

Привет!

パリではかなり気温が上がっているそうですが、モスクワでは連日15度以下だそうで、もう秋なのか…とあまりのことに驚いています。そんな中ヌルスルタンでは近頃最高気温が30度を超えていて、かなり日差しも強いので外に出ると溶けそうになります。湿気はない方なんだけどな…。それにしても真冬は-40度まで下がるのに、夏も30度以上になるなんて!これ以上気温差が開かないことを祈るばかりです。

さて、日本では3連休だと思いますが、こちらでは先週末でした。7/6の土曜日が「街の日(かつてはアスタナの日、だったのですが名前が変わったので…ヌルスルタンの日とはあまり聞きませんでした)」だったので、月曜日がその振替休日となったのです。ロシア語の先生からこの話を聞いた時、私は街中のイベントにできる限り行ってみようと心に決めました。先生にどこでやっているか聴くと「至る所で何かしらやっているわ」とのこと。とりあえず色々な広場に行くことにします。

まず初めに向かったのは街のシンボル、バイテレク。ただ、ここの広場では何も行われていなかったのでショッピングセンターのハン=シャティールへ伸びる一本道を歩き始めました。 天気も良く、休日なので家族づれで賑わっていました。この写真の感じでも「賑わっている」と思う私はかなりこの街に慣れてきたのかもしれません。
道沿いには屋台のようなものが出ています。この日だけではなく、2週間ほど前にこの道を通った時も屋台は置いてあったのですが、商品を並べて店を開けているのは1、2店舗でした。ところがこの日はフルでオープンしています(ちなみに1週間後にも行ってみたら、同じくらい開いていました)。ちょっと覗いてみると、フェルトでできた小物から、色とりどりの石で作ったアクセサリー、革製品、お洒落なTシャツなど多種多様なお土産が並んでいました。

ハン=シャティールの横にある広場は時々イベントをしているので、この日も盛大に「街の日」を祝っているものと思い、向かってみると おお!何かやっています!

近づいてみると看板はカザフ語でよくわからないのですが、ロゴやお店を見ている限りカザフスタンのアクタウ地方からやってきたお肉や乳製品、パンなどを屋台で売っているようです。ただ、この日はとても暑かったので会議机の上にそのまま置かれているお肉の鮮度には疑問を持ってしまいました…。
入り口に置かれていた巨大なビニールの人形も、よくみると愛嬌があります。 真ん中の女性が器を持っているのは「お客様歓迎」の印ですね。

さて、あまり「街の日」を感じられていない私は不完全燃焼で2017年の万博会場まで足を伸ばしましたが、そこでは夕方から夜にかけてコンサートをするらしく、舞台を建てている最中でした。なんだか2016年に私が個人的に1週間間違えていた「モスクワの日」を彷彿とさせます。

こうなったら他の広場にも行ってみようと思い、博物館とピラミッドの前にある独立広場にも行ったのですが、そこも何かのイベントの準備中。本当は明日なのか??

この日はあまり収穫を得られず家に帰ってきました。次の日、休日出勤した旦那を見送ってからインターネットでイベントがないか調べてみることに(今から思うと前日からこうするべきでした)。すると独立広場でカザフの民族楽器、ドンブラのコンサートが開かれるというではありませんか!しかし開始時間は12:00。この情報を得たのが13:00。慌てて家を飛び出して会場へ向かいました。 実はこの日、7月7日はドンブラの日だそうで、毎年ここでコンサートをしているそうです。しかも、年齢に関係なくドンブラを弾ける人が集まってきて、4曲ほど披露したとか。こちらの政府発表によるとなんと当日は最大で1000人以上もの人が演奏したとのことです。見たかった…。

私が行った頃にはかなり椅子が片付けられていましたが、それでもどれほどの人が参加したのかを感じられました。意気消沈して帰ろうかとも思ったのですが、広場に真っ白に輝くユルタを発見。 図らずもユルタとモスクの共演になりました。

入り口には「カザフスタンの伝統工芸博物館」と書かれており、足を踏み入れてみると いろんな作家さんのドンブラが置かれていました。しかも試演してもいいとのこと!上の写真のドンブラはとても綺麗なカザフ模様が描かれていますね。私はこの時までドンブラが二弦しかないということを知りませんでした。時々耳にしていた音色からは想像がつかなかったのです。 テレビではドンブラのチャンネルがあるほど人気の楽器なので、弾ける人もかなり多いようです。試演している人たちもほとんどが自分のドンブラ入れを担いでいました。

模様はかなり自由なようで、もちろんカザフ模様は美しいものもたくさんありますが、作家さんによってはこのように動物を描いているものもあります。鷹と馬!かっこいいですね。

おそらくアマチュアの人だと思われる人が、そこに置かれていたドンブラで演奏を始めると、見ていた人が他のドンブラを取って同じ曲を弾き始め、突然凄まじいセッションが始まった時もありました。弾けるようになったら楽しそうです。

外にはユルタを半分に切って屋台にしているようなお店もあります。 お土産もたくさん並んでいましたが、ドンブラをはじめとしたカザフの楽器を売っているお店も!
名称が気になっていたけれどこれまで聞く機会がなかった楽器もありました。 この下に置かれているものは「コムズ」という名前で、指ではなくヴァイオリンのように弓で引くものです。今回音色は聞けませんでしたが、ロシア語の先生曰く「コムズは少し寂しい、悲しい音がする」とのこと。先生はドンブラが好きなようで「ドンブラはすべての感情を表すことができる」とべた褒めしていました。

また来年も7月7日にドンブラの1000人の演奏会するかなあ。次は行きたいです。

Пока!

最新スーパー情報

Привет!

夏ですね!!近頃は家の中が20度台というかなり過ごしやすい気候なのですが、家の中で虫と遭遇する確率が増えたことで夏だということを実感しています。部屋のドアを開ける度にそこに虫がいるのではないかと思うと気が気ではありません。冬が長く、あまり生物がいないように見えたので、こんなに生息していたとは少し驚きました。ロシア語の先生曰く、あのGから始まる黒の化身も90年代まではいなかったのに突然現れたそうです。彼女の推理ではヨーロッパから持ち込まれたのだとか。証拠はどこにもありませんが。
水辺は少ないので、蚊が日本ほどいないのが救いです。ただ、一度噛まれると痛くかんじるほど強力なので、気をつけてください。

さて、今日は久しぶりにヌルスルタン生活について書こうと思います。いつもは食料品などをバザールで買っているのですが、先日久しぶりにスーパーへ行ってみるとあまりこちらでは見ない日本の食材が売られていたので紹介します。ショッピングセンター「ケルエン」と「ケルエンシティ」に入っているスーパー、galmartというスーパーは時々驚く食材が入荷されていますが、あまり売れないとやはりレパートリーからは消えてしまうので、時々チェックしに行って、買って応援するのがよさそうです。 これがケルエンに入っているgalmartの入り口。中はかなり広いです。先日はえのきが売られていて驚いたのですが、しばらくえのきを使っていなかったのでメニューを考えているうちに店舗から消えてしまいました。青梗菜も最近見かけません。…もしかしてどちらも旬を過ぎたから?冬の入り口になるとまた売られるかもしれないので、期待して待つことにします。 季節があまり関係なさそうな缶入りのもやしも見つけました。その名も「もやし・イン・ウォーター」!今度買ってみようと思いながら(あまりえのきで学習していない)、もやしを見つけたという話をお友達にすると「あんまり美味しくないよ」と言われてしまいました。…そうなのか…。ちなみにもやしを買うなら、お勧めは韓国食材屋さんか、バザールの韓国コーナーです。韓国系カザフ人が多いのでユーラシアバザールには韓国コーナーがあり、キムチや豆腐(木綿豆腐の堅いバージョンです。麻婆豆腐に最適)、ニンジンのナムルや椎茸のニンニク漬けなど美味しいものが売られています。ここにもやしのナムルもあるのですが、ナムルがあるということは材料のもやしも売られているはずだ!と思い、店員さんに「(ナムルを指さしながら)これの調理されていないものをください」というと「ああ、生の(сырой:スィーロイ)?」と言って下から大量のもやしを出してくれました。「どれくらいほしいの?1kg?」と聞かれたのですが、1kgのもやしが想像できずに「とりあえず200g」でお願いしました。 こんな袋に入ってきます。皮はついているものの、しゃきしゃきで美味しいです。200gで500テンゲ(160円くらい)したと思います。

もやしで語りすぎました。スーパーに話を戻すと、油コーナーにはいくつかの種類のごま油が売られていました。「кунжутный(クンジュートヌイ)」がゴマです。親切なメーカーは英語で書いてくれています。それにしても油の種類は多いですね。この写真の左端に映り込んでいるのはナッツの油です。 このロシア語で書いている「まゆみ」というメーカーはどこの会社なのでしょうか。まゆみの公式ホームページによると、メインの会社はロシアのオムスクにあるそうです。会社情報についてみていると「日本食」と繰り返しているのに「中国で作っています!」としっかり書いてあるあたり正直でいいと思います。商品情報やレシピなども載っていたのですが、その中の「ポン酢」を見て、「これモスクワで買ったことある…」と思い出しました。味は酢がかなり勝っていて、あまりポン酢らしくなかった気がします。この会社か…。

ですがこの会社はかなり勢力を伸ばしていて、エスニック食材コーナーなどはこの「まゆみ」のマークがよく見られました。例えば紅ショウガの棚。 スシと書かれたレストランの看板をよく見かけるからか、紅ショウガの種類もかなりあります。日本のスーパーでもこれほど置いていない気がしますが…。普通の生ショウガはバザールでも置いているのに購入すると「何に使うの?」と驚かれるくらいあまり食べられていない印象なのですが、こうやって調理してあるとみんな食べるのでしょうか。

他の「まゆみ」商品で驚いたのが乾燥シイタケ! これもまだ買っていないのですが、ちゃんとしているのかな。それにしてもこの大きさ(コーンフレークの箱より少し小さいくらい)で1675テンゲ(600円弱)とは少し安い気がします。ちなみにパン粉もちゃんとпанко、あるいはpankoとして「まゆみ」が出してくれていました。パン粉は間違いないと思います。

また、韓国料理用の食材を出しているメーカーで有名なчим-чим(チムチム)も、蕎麦や素麺、うどん、春雨などを出していました。このメーカーもロシアのノボシビルスクに本社があるらしく、ロシアでもよく見かけました。蕎麦とうどんはバザールでも見かけたのですが、素麺!ちゃんとキリル文字で「ソーメン」と書いてあります。カザフスタンに来た当初は、モスクワにあった日本食材屋さんもないし、なにもない!と思っていましたが、よく見たらいろいろとあって不自由しません。

みりんなども韓国食材屋さんに売られています。 味も日本のものと比べあまり遜色がないらしく、酒類に入るので日本から送れなかったのですがもう安心です(そもそもちゃんと家に届くのかわからずまだ日本から荷物を送っていません)。韓国食材屋さんには日本の味噌も売られています。すべてのものが毎回あるとは限らないのですが、品ぞろえも豊富でとても助かっています。先日感動したのはホットケーキミックスが売られていたこと! 日本のものと同じく、牛乳と卵を入れて混ぜるだけで生地ができます。割合は粉500gに対して牛乳400g、卵2個。このレシピで作ると大きなホットケーキが4枚出来たのでいつもこの半量で作っています。

暮らす上でもあまり不自由を感じなくなったヌルスルタンです。

Пока!

世界の遊牧民2019

Привет!

7月ですね!そこまで暑くない上に雨も降らないからか、私の気持ちの上では5月くらいなのですが、今年ももう半分が終わってしまったと思うとなぜか少し焦るきもちになります。最近は雨も減って、毎日朝起きたら青空が見えるのでうれしいです(日の出は5:02)。青空に雲が浮かんでいると、この街の空の広さを実感します。

土曜日の夜遅くにふっとFacebookを眺めていると、民族衣装を着た人が草原で馬に乗っている写真が流れてきました。かっこいい!どこで見られるの?と思っていたら「世界の遊牧民2019」というイベントがヌルスルタンで行われているとのこと。これは行くしかない!よく見るとこの週末の二日間のみの開催のようです。渋る旦那と友達を説得して日曜日に行ってきました。しかしあんな草原まで行くのに結構かかるのではないだろうかと危惧しながら家を出たのですが、車で20分ほどで到着してしまいました。驚きの近さです。 イベント会場です。青い空と、緑の地平線に白いユルタが太陽の光を浴びて輝いています。こんなに大量のユルタは初めて見ました。確かにこれほど遊牧民の雰囲気を味わえる会場が市内からそう遠くないところにある街という意味ではヌルスルタンはぴったりです。それぞれのユルタには、今回のイベントに参加している様々な国の旗が掲げられていました。キルギス、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、イラン、モンゴル、トルコ、ブルガリア、そして韓国です。韓国にも遊牧民がいたとは知りませんでした。 私たちが会場に入った時、ステージ上ではモンゴルのグループが演奏していました。ホーミーのような不思議な音です。ステージの前にはテントと椅子が置かれているのですが、あまり椅子の数は多くなく、大半の人はその周りに置かれた干し草のベンチの上に中央アジア風の(風の、ではなく中央アジアの、かもしれませんが)布団を敷いて座っていたので、私たちも同じようにします。

干し草の上に座る経験は意外とあまりできないので嬉しかったです。イベントも人でごった返しているというほどでもなかったので、子供達も布団の上ででんぐり返しをしたり、大人も寝転んだりしています。平和。

モンゴルの演奏が終わったので、もう少し会場を見て回ろうということに。ステージ右横には木でできた柵が作られていましたが、その内外に大量の馬と民族衣装を着た人たちが! むしろ柵の内側の方が馬が多いのですが…これは柵ではなくて馬を繋ぐためだけのものなのかな。
近づくと、まずその馬の大きさに驚きました。小さい馬もいるのですが、立派な馬が多かったです。小さな子供達は抱え上げられて乗せてもらっていました。

この人たちは韓国から。カザフに来て一番の写真映えをする場所だったので、みるみるうちに携帯のカメラロールが埋まっていきました。柵(?)の奥では、皆さん馬に乗りながら弓の練習をしています。会場の人口の半分はそれを見ているのでは、と言うほどこの馬の周りは人が多かったです。また皆さんのかっこいいこと。 背景にユルタも入れられました。

会場内では、なぜか目の前に本物の馬がいるのに、獅子舞のように人間二人を立てに並べて上から布をかぶせて作り物の馬の頭をつけた「なんちゃって馬」も歩いていました。やたらと背が高いと思った。馬は流石にすぐ「偽物だ!」と気がつきましたが、その後に遭遇した「なんちゃってラクダ」は一瞬偽物だと気がつきませんでした。 顔がリアル。ふたこぶラクダなのでちゃんと二人分の頭のスペースがあっていいアイデアだと思いました。ひとこぶラクダはどうするんだろう。

そうこうしているうちに、ステージ前でショーが始まりました!初めは鎧をつけた歩兵が剣を交え、一人が倒れると次の相手が名乗りをあげる、というもの。倒れた人が時々「まだかな?」といいたげに顔をあげるのに気を取られ、1戦目以降はあまり集中できませんでした。 右にある台とキャベツは後から使います。

そこからは騎馬兵が鎧をつけた人の持つ盾に向かって矢を放ったり(一度は成功したのですが、二度目は脛に当たったので痛そうでした) 馬上で逆立ちをしたり 騎馬兵が槍で地面に落ちている座布団を拾い上げたり、走り抜けながらキャベツを切って行ったり、多岐にわたるパフォーマンスを見せてくれました。キャベツだけ毛色が違ったので驚きましたが、主催者側はかなり力を入れていたのか、終わった後にはキャベツがたくさん転がっていました。

ここらでお腹がすいてきたので、会場の中心近くにあるテントへ行くと、なんとプロフが!!一つ700テンゲ(230円くらい)です。大きなプロフ鍋で炊いた、本物のプロフです。これを先ほどの干し草の上で食べると、もう本当に美味しかったです。

ステージ左手には相撲リングがあり、私が見たときは韓国の選手たちが戦っていました。ここも結構な人手で、みんなリング状に腰掛けて試合を眺めています。 写真右端には相撲を眺める馬もいますね。会場内を歩いていると、自転車感覚で時々馬に乗っている人に出くわすので、遊牧民感覚を簡単に味わうことができました。

リングの周りには、色々な国から来た小物を売る売店(ユルタ)が。旦那にちょっと引かれながらもステージで流れている音楽に身を任せて踊っていると、突然その売店のおばさんに手招きされました。なんだろうと近づくと、おばさんは私の手を取って踊り出したのです。ひとしきり踊ると、私はその売店の商品を見ることにしたのですが、そこでそのおばさんがイランからきたこと、英語もロシア語もカザフ語も話せないことを彼女のジェスチャーから知りました。そのお店が扱っていたのは綺麗な布製品で、本当に素敵だったので、いつかイランに行ってみたくなります。細かい話になると、横で店を出していたペルシャからきたと言うカザフ語ができる女性を呼んできて、値段交渉などに応じていました。ただ私も友達もカザフ語ができないので、なんとか英語で話をしてもらいました。刺繍はどうしてあんなに魅力的なのでしょう。

会場のあちこちに乗ってみたかった遊牧民のブランコがありました。 立って二人で漕ぐタイプのものです。実際やってみると、木の軋み具合がちょっと不安になること、立っているので地面がより遠くに見えて怖いことがわかりました。なんでもやってみないとわかりません。友達も旦那もあまり怖くないのか、笑顔でたくさん漕ぐので、余計にそう感じたのかもしれません。私たちが降りると、子供達が駆け寄ってきてすぐに埋まってしまいました。こんなところで育つこの子達がちょっと羨ましくなりながら、この日は会場を後にしました。

想像していたよりもずっと楽しかったです!

Пока!

ハチャプリ屋さんでおしゃべり

Привет!

朝起きたら大雨が降っていて驚きました。こんなにしっかりした雨を見たのは久しぶりです。でもヌルスルタンでは通常夏はよく雨が降るらしく、8月はそれに加えてもう寒くなるのだとか。まだ未経験のこの地での夏、今から満喫する気でいないと一瞬で終わってしまいそうです。何より驚いたのは、草むらから虫の声が聞こえること!ここに住んでもう9ヶ月ですが、初めて聞いた気がします。草むらの真ん中で突然立ち止まった私を周りの人が怪訝な顔で追い抜かして行きました。

さて、友人と週2回ロシア語を習っている大学はヌルスルタンやや中心部、サーカスの向かいにあります。時々授業の後に二人でご飯に行くのですが、もっとも近いレストランは二つしかないので、あまりにも通いすぎてメニューを全制覇しそうです。というわけで、ある日はじめてのお店に挑戦してみました。その時参考にさせていただいたのが、この記事。サーカスのそばにハチャプリ屋さんの屋台のような小さなお店があるのは知っていたのですが、なかなか勇気が出なかったのです。 こちら。この季節になると、もう中の席が埋まっていてもテラスというか、外のテーブルで食べられるのでやっと行く決心がつきました。

店に近づくと、外のテーブルにはおばちゃん3人組が座って仲良くお話をしているところが目に入りました。人気のお店なのかな。彼女たちを横目に見ながら、お店の窓から中に声をかけます。中にはひとりの店員さんらしき女の子がいましたが、私たちが来たことに多少うろたえているようでした。すると外で座っていたおばちゃんのうちの一人が突然立ち上がって私たちに「どうしたの?」と声をかけてきます。いや、どうしたって…ただハチャプリを食べたいだけですが…と答えると「あらお客さんだったの!!どこでも座って!え、中?もちろん席あるよ。すぐ作り始めるね!チーズとアジャンスキーのどっちのハチャプリがいい?」と勢いよく話し始めました。ちなみにチーズハチャプリはピザのような見た目で、アジャンスキーは目玉のようなものです。よくハチャプリと聞いてイメージするのはこちら。私たちも例に漏れずアジャンスキーと、紅茶を注文しました。

このお店は生地の成形から目の前でハチャプリを作ってくれます。その作業の手を全く止めずに私たちに話かけてくれました。外のテーブルで話していたおばちゃんの一人はここの店長だったようです。先に店内にいたお姉さんは長くなると思ったのか紅茶を入れてくれます。「あなたたちはどこの人?中国?」「いいえ、日本ですよ」「日本!日本といえば一年ほど前、この店が出来たばかりの時に日本人のジャーナリストが来たわ。名前は確か…◯◯」先ほど言及した、私がここに来るきっかけになった記事を書いた人の名前です。一年前に聞いた日本人の名前を覚えているとは…さすが客商売。 私もブログをやっているんだけど、そこに載せていい?と許可をもらって撮影したそのおばちゃんの写真がこちら。いい笑顔です。後ろのオーブンではハチャプリが焼かれています。

彼女はアルメニア人で、アゼルバイジャンに住んでいたそうです。1988年に領土問題から二国間で戦争が勃発。1994年まで続きます。彼女はその時にアゼルバイジャンから逃げて、カザフスタンに移住してきたそうです。初めは違う仕事をしていましたが、去年ようやく自分の店を持てたのだ、と嬉しそうに話してくれました。

店内はザクロをモチーフとした置物をはじめ、コーカサスの雰囲気が味わえる小物で飾られています。 これらはアルメニアのものだよ、と教えてくれました。

アルメニアで地震があった時(おそらく1988年のマグニチュード6.8のものでしょう)に真っ先に日本が支援してくれたことは忘れない、だから日本のことはアルメニア人は好きなんだ、と語ってくれたことは忘れられません。そこから日本についての素朴な疑問や、日本語で何か歌ってくれと言ったリクエスト(おそらく彼女は歌が好きなのでしょう。話が途切れると鼻歌がすぐ始まりました)など、いろいろなことを話しました。何か日本語を教えて、というリクエストはよく受けるので色々と用意をしているのですが、歌はパッと思いつかなかったのでいくつかレパートリーを持っておく必要がありますね。この時はとっさに「まんが日本昔ばなし」の「にんげんっていいな」を歌いました。

いつもこういう話を振られると自国の文化がある程度世界に知られているのが嬉しくなるのと同時に、ある程度こちらからも質問ができるくらいには相手の国の文化について知っていれば…と自分が不甲斐なくなります。

そんなこんなで20分ほどたった頃、ハチャプリが焼きあがりました。アジャンスキーハチャプリです。 晩御飯のつもりだったので足りるか不安でしたが、一人では多いくらいでした。味は絶品!ハチャプリはやっぱり焼きたての熱々にかぎりますね。ただ、この店にはカテドラリーというものが無いようで、紅茶の砂糖をかき混ぜるのも、近くにあった調理に使うスプーンでしたし、ハチャプリも大きいのに「食べやすいように切るね!」と言ってピザカッターで切られた後は手づかみでした。そうなると真ん中のチーズ部分が結構食べにくいのです(熱いので)。でもそんな食べにくさを軽々と乗り越えられるくらい美味しかったので、またおしゃべりをしに訪れようと思います。

Пока!