馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

バレエ週間

Привет!

最近お湯が出なかったり、電気が止まったり(前もってお知らせはありました)、その他諸々の小さな問題が発生してバタバタしておりました。

ロシア語圏に来てから、急速にバレエを見る機会が増えたのですが、先週のように1週間で二回も見た日はなかったかもしれません。モスクワは街が大きいこともあり、数え切れないほどバレエを上演する劇場があったのですが(その分クオリティも値段もまちまちです)、我が街ヌルスルタンには二つしかありません。

今回は私が初めて行く劇場、「アスタナバレエ」に日本人のバレエカンパニーが来ると聞き、月曜日に見に行きました。 この6月4日から16日まで行われていた「ユーラシアダンスフェスティバル」に出場していたのです。他にはロシアやチェコからも来ているようですね。日本がユーラシアに含まれるかどうかは置いておき、お客さんも多く安心しました。このフェスティバルは3回目のようで、最終日は世界のバレエスターによるガラが行われました。

会場となったアスタナバレエは、万博会場の目の前にあります。 モスクワのボリショイ劇場のような、ヌルスルタンにあるもう一つの劇場「アスタナオペラ」とは違い、現代的な建物でした。サイズもアスタナオペラに比べると小規模ですが、その分舞台との距離が近く感じます。
私は一階席の真ん中左寄りの場所に座っていたのですが、そこから見る舞台の様子はこのような感じでした。 フェスティバル名が書かれた幕は毎度新調するのでしょうか。ひとつだけ、オーケストラピットがなかったことが残念でした。そのかわり幕が上がると、後方の壁に世界観に合った映像が流れるので面白かったです。

今回、1幕はコンテンポラリーバレエ、2幕はクラシックバレエという流れでした。1幕はさらに3つの踊りから構成されており、2つ目についてはバレエではなくダンスだったのですが、どの踊りにも共通しているのが「よくその筋肉だけ動いて、その体勢を保てるよなあ」という思いです。バレエを見る時はいつも思うことなのですが、今回はお話がなかったのでより踊りに集中できたのです。さらに、その前の週に「ビギナーヨガ教室」に行ってあまりの自分の体の動かなさに唖然としたところだったので、よりその思いが強まったのかもしれません。 背後の映像も五重の塔や障子、桜などを使い、日本らしさを出していたのも面白かったです。今回来てくれたバレエカンパニーは日本国際バレエカンパニーというところで、今回が初公演だったそうです。プロジェクトごとにバレリーナをオーディションで集めるようで、今回は10代後半から20代のプロになる手前のダンサーたちが集まったと聞きました。バレエの世界は本当に大変だとよく言われますが、彼らがこれからも続けて欲しいなあと思いながら見ていました。

ところで私がバレエの中で一番好きな演目は「ジゼル」です。 mickymm.hatenablog.com この時に見たのが初めてだったのですが、衣装がダントツで好みだった上に、他の演目に比べて劇のパートが多いところ、だからこそバレリーナによって主人公ジゼルやほかの登場人物の印象が変わることが面白く、モスクワでも2、3度見に行っていました。そのジゼルがここヌルスルタンのアスタナオペラにて初めて上演されることになったのです。1ヶ月ほど前から友達に金曜日のチケットを取ってもらっていたのですが、狙ったかのようにその日にどうしても外せない用事が入ってしまい、落ち込んでいました。

すると水曜日に、アスタナオペラでバレリーナをしているお友達から「金曜日に来れなくなったと聞いたのですが、よかったら明日のゲネプロに来られますか?」とお誘いをいただきました。もう天にも昇る心地です。ゲネプロというのは、本番前に本番と同じようにオーケストラも入れて、衣装もつけてリハーサルをするというものです。 場所は選べませんが、ちゃんとチケットもあります。席が手書きなのが特別感をより盛り上げてくれます。実際には舞台が始まると、周りの人は空いている席にどんどん移っていきました。

今回のジゼルは、これまで見たものと大道具は一緒だったのですが、やはり細かいところは全く違って興味深かったです。ちょっとした手の仕草ひとつでジゼルが心臓が弱いことを示したり、貴族の皆さんが狩りに行っていたことを示すために鷹や獲物をもっていたりと説得力が増していました。

看板の前は人が多く、知らないお姉さんを撮ってしまいました。
ゲネプロだったのでやはり途中でアナウンスによる舞台上の人への指示が入るなど、いつもと違う感じも味わえましたが、やはり今回も素晴らしく、これからアスタナオペラのレパートリーの一つとして毎年上演されるといいな、と思います。

ただ今回少し残念だったのは、録画している観客があまりにも多かったこと。舞台最後のカーテンコールの時だけ撮影は許可されているという認識なのですが、横の人は踊りが変わるたびに撮影をしていました。踊りが美しいので気持ちは分かるのですが、特に二幕の夜の森でウィリー(亡霊)たちが踊っているところなどは携帯電話の明かりが本当に眩しいのです。次にそのような状況に遭遇したらちゃんと注意できるように、ロシア語をもっと勉強した上で度胸をつけようと思います。

Пока!

ヌルスルタン近況

Привет!

バス停でバスを待っていたら、突然小さなシャボン玉の群勢に囲まれました。びっくりして本から顔を上げると、少女が笑顔で私の前でシャボン玉を作り出しているではありませんか。彼女はある程度シャボン液を吹いて満足すると、私の横にいた女性の前でまた同じようにシャボン玉を作り始めました。シャボン玉の妖精なのかな。

ようやくバスが来た時には、ポツポツと大粒の雨が降り出していました。近頃一日の中で天気の移り変わりが激しいのです。風が強いからか雲の流れが早く、さっきまで青空が見えていたと思ったらもう空が雨雲で覆われていたりします。今日もそんな感じで、大粒の雨はみるみるうちに激しくなり、バスに乗り込んだらもうスコールのような痛そうな雨になっていました。雷までゴロゴロし始めます。まあでも、私はもうバスの中だから大丈夫、と安心して空いていた席に座りました。バスが動き始めると、肩のあたりが濡れています。頭にも手にも雨が当たるので不思議に思って周りを見渡すと、バスの窓は全開な上に天窓まで開いていました。ほとんどの人は濡れるのも気にしない様子で座っていましたが、5分もしないうちに外と変わらない濡れ方になってきたので、みんなで協力して窓を閉めてまわりました。前から思っていたのですが、こちらの人は不条理にもあまり逆らわずにある程度は黙って耐える傾向がある気がします。

そんな国民性だと思っていたので、月曜日の朝に友人から「昨日デモがあったらしいけど大丈夫?」というメールが来たのには驚きました。デモをするんだ。そのデモがあった日曜日は大統領選挙が行われていました。うちのポストにも案内のカードが入っていましたよ。 中を開けるとカードの上側がカザフ語、下側はロシア語で「選挙するから自分を証明できるものを持って、○○まで来てね」と書いてありました。聞くところによると、投票所ならどこでもいいわけではなく、自分が登録している住所の最寄りの指定された投票所に行かなければいけないようです。カードの○○の部分は手書きで指定された投票所ナンバーが書かれていました。そもそも私はカザフ人ではないので投票権はないのですが。

ロシア語を習っている大学も投票所になっているらしく、入り口にも看板がありました。 正面玄関を入ってすぐのところもいつもはガランとしたホールになっているのですが、前日にはカザフブルーの布で仕切られた投票ブースが置かれ、大きなカザフスタンの国旗も飾られていました。

この日は市内のバスが無料で乗ることができたので、政治には参加できませんがその恩恵だけ受けることができました。そもそも今回の選挙は、3月に突然辞任したナザルバエフ前大統領の後継者であるトカエフ大統領が、3月に就任した時は前大統領に指名されただけで選挙もしなかったので、その正当性を確立するために、本来は来年4月に予定されていた大統領選を繰り上げて行ったものです。なので今回の選挙の結果は…火を見るよりも明らかでしたが、トカエフ大統領に決まりました。

水曜日。家でごろごろしていると、突然銃声が聞こえて飛び起きました。しかも銃声は一度ではなく、10回以上続けて鳴り響いています。とりあえず音が止んでから散歩がてら現場(博物館前の独立広場)を見に行ってみると、柵が置かれており、近づけないようになっていました。 後から聞くところによるとこの日は大統領の就任式が行われていたそうで、その祝砲だったようです。びっくりした。

これら一連のイベントのせいか、先週末からありとあらゆるSNSが繋がりにくくなっています。InstagramやTwitter、Facebookなどは見なければいい話なのですが、こちらでメジャーなメッセージアプリのwhatsappが繋がらないのには弱りました。文章で打てないとなると緊急の連絡は電話をする羽目になるからです。色々と不便ですが、1週間近くが経った今日はもうかなり元どおりに使えるようになってきました。

もちろん、この国で進歩していることもあります。以前はすべてのゴミを一箇所で集めて広大な土地に埋め立てていたのですが、先日ゴミステーションの横を通りかかった時に見慣れないものを見つけました。 写真の左側に公園にあるようなゴミ箱が写っているのが分かるでしょうか。なんとここ、ペットボトルや洗剤の空容器など、プラスチックのものを入れるようになっていたのです。ただ、これらだけを集めてリサイクルをするのかと言われると疑問が残りますが…。とりあえず、分別が始まっただけでも大進歩です。これからもこの制度がなくならないことを願うばかりです。

Пока!

映画「アラジン」

Привет!

最近日が長いので1日も長く感じられるのですが、それに甘んじてぼーっとしていると一週間がとても短く感じられて驚きます。もう金曜日なのですね!

さて、最近はかなり映画館に行く頻度が上がっています。『アベンジャーズ/エンドゲーム 』は2回見ましたし、先日は『名探偵ピカチュウ』も見ました。どちらについてもまた機会を見つけて書きたいと思います。

私はこちらで映画を見る時はロシア語なのですが、きちんと理解できるか不安なので毎度旦那を連れて行って、あとで答え合わせや質問をさせてもらっています。ただ、彼の仕事が忙しくなってきたことと、劇場で観たい映画が増えてきたこともあり、旦那がそこまで観たい訳ではないものに付き合わせるのは気の毒になってきました。というわけで、先日こちらで一人映画デビューをしました!!その映画が『アラジン』です。 ディズニープリンセスの中ではラプンツェルが一番好きなのですが、ディズニーの曲の中ではA whole new worldが一番好きなのです。掛け合いの部分も一人で歌えます。イギリスに滞在していた時もロンドンにいる時にミュージカル版のアラジンをみんなで見に行きました(ちなみにその時は車椅子だったのですが、劇場の人は本当に良くしてくれました)。その時に友達から借りたミュージカルのサントラを聴きながら劇場へ向かいます。

インターネットで事前に調べていた時間に映画館へ行くと「あーその時間のはカザフ語なんです。その次はロシア語ですよ」と言われてしまいました。なんとサイトにはロシア語もカザフ語も区別せずに上映時間が書かれていたのです。最近ミュージカルを見ていなかったので、いつもと同じようにロシア語音声、カザフ語字幕だとばかり思っていました。ミュージカルにはこんな罠があったとは。次の時間は都合が悪かったので、そこから歩いて30分ほどの映画館へ。そこでは無事にロシア語で見ることができました。ところで英語での発音は「アラジン」の「ラ」にアクセントが来るのですが、ロシア語でも同じように発音したらチケット売り場のお姉さんに「は?」という顔をされました。ロシア語では「ジ」にアクセントが来るので、どちらかというと日本語に近い発音で大丈夫だったのです。

アラジンに出てくる曲は全部好きで英語で聴き慣れているので、予告で見た時に一番心配したのはロシア語の吹き替えに違和感を覚えないか、ということでした。こちらではもう夏休みが始まっているので、劇場は子供達でいっぱい。さあ、いよいよ上演です。

ここからは少しネタバレしています。予備知識なしで見に行きたい人はご注意ください。

一番初めの歌、「アラビアンナイト」が始まった瞬間に大丈夫かもしれない、と思いました。何よりジーニー(ロシア語では「ジン」でした)の声をやっている役者さんが私のイメージ通りで、歌のノリも本当にうまく再現していました。ありがとう。 YouTubeのキャプチャー画ですが、彼がジンの声だそうです。 もし、ロシア語での歌が気になる方はこちらの動画をどうぞ。 カザフ人の知り合いと「最近アラジンを見た!」と盛り上がった時、彼女は突然「アラブスカヤ ノーーーーチ(アラビアンナイトのロシア語)」と良い声で歌い出したので驚いてしまいました。たしかに耳に残るので気持ちは分かる。

映画は本当に本当に楽しかったです。大好きな世界観を見せてくれていて、役者さんも、何より監督が楽しんで作ったのだろうな、と伝わってきました。子供が多い回だったので、応援上映のようになっていました。パーティのシーンでジャファーがプリンス・アリに向かって「あなたが誰だか知っていますよ」と言った時も、となりの男の子が「アラジンだよ!」と叫んでいました。正体を明かしたらダメだよ。

ジャスミンも美しく、アラジン…というかプリンス・アリもかっこよく、ウィル・スミスじゃなかったジーニーはとても楽しそうで見ていてずっと幸せでした。何より絨毯が!思わず目で追ってしまうほど魅力的でした。一家に一枚欲しい。

幸せな気持ちで映画館が入っているショッピングモールから一歩出ると、そこにはウズベク料理のレストランがありました。その外観が先ほどまで没入していた世界の続きのようで、この町で見て良かったなあと思いながら帰途につきました。

それから早1週間半。あの世界が忘れられず、そしてこの映画は3DのIMAXで見るとより楽しめるのではないかと思い、また一人で見に行きました(旦那はミュージカルが苦手なのでそんなに見たくないらしいのですが、一回連れて行って感想を聞きたいです)。人生初IMAXです。普段の映画は2Dで観ると1000テンゲ(330円ちょっと)なのですが、なんと言ってもIMAXです。3000テンゲ(1000円)くらいを想定してチケットを買いました。「IMAXですか?3Dなので、メガネをかけるものですが、大丈夫ですか?」「あの、メガネは持ってないのですが」「劇場に入る時に貸し出すので大丈夫ですよ。1500テンゲ(500円)です」…安い!ヌルスルタンにはIMAX設備がある劇場は2つあるのですが、同じ系列の映画館なので値段は変わらないと思います。

ここの映画館にはこの二人が置かれていました。なんであえてジャファーとジーニーなんでしょう。

劇場に入る前に「メガネを壊したり無くしたら3000テンゲ(1000円)の罰金です」と書かれていました。日本では3Dメガネは買うスタイルだったと思うのですが、ここでは貸し出してくれるようです。まだまだ2Dが優勢だからでしょうか。

映画が始まる前もIMAXの宣伝がかなり長く流れました。かなりスタイリッシュな映像で、3Dの特性を見せてくれます。スクリーンも普通のものより大きいのかな。音が大きかった印象です。ただ、もとから2Dでも3Dに見えるというか、映画に没入できるタイプなので、IMAXだけの特別感はあまり感じませんでした。少しでも顔を傾けるとメガネの焦点が合わなくなることに慣れるのに時間がかかったくらいです。

ただ、2回目で気がついたことはいくつかありました。序盤に出てくるスルタンの執務室(?)に日本からだと思われる甲冑が置かれていたこと、オリジナルソング「speechless」ではジャスミンのロシア語の声優さんの気持ちが入りすぎているのか、口の形はあっているのに歌だけ浮いて聞こえたことです。それでもやはり幸せな気持ちで映画館を後にしました。

この日行ったのはバイテレク横のショッピングセンター、ケルエンの映画館で、ここは建物自体がシルクロードを強く打ち出しているのですが、映画館も例に漏れずアラビアンな世界観の内装なのでアラジンを見るのにぴったりでした。 通路の絵です。

次はスパイダーマンを見に行きたいです!
Пока!

BIマラソン

Привет!

昨日でラマダンが終わりました。ラマダンとはイスラム教の断食期間のことで、一か月ほど続いていました。敬虔なムスリムは日が出ているうちは食べることはもちろん、水を飲むこともいけないそうで、この期間に飲み会やパーティーに呼ばれても午後8時30分まで目の前に並んだ料理を眺めていました。実際には今、ヌルスルタンでは日が沈むのは午後9時30分なのですが、一律で8時30分までと決めているようです。またムスリムでも若い人の中にはラマダンを行わない人も多くいると聞きました。また、ラマダンが開ける直前の金曜日はかなり大切な日らしく、家の近くのモスクの前を夜に通ると、いつもは人っ子一人いないモスクの周りが大渋滞していました。夜でよく見えなかったのですが、モスクに入りきらなかった人が入り口の前にたくさんいたので、そこだけ夜の闇が一段と濃くなっています。私は何より「この街にこんなに人がいたのか」ということに驚いていました。みんな普段どこに隠れているの…。

最近気候がいいので青空を見えると外に飛び出してぶらぶらと歩いてしまいます。20度前半の熱くも寒くもない気候と、冬の間はなかなか浴びることができない日光(太陽が出ている、すなわち気温が氷点下20度以下)のおかげでかなり快適な散歩ができるのです。ちょうど昨日のロシア語の授業で、日光浴のことをロシア語でも「太陽のお風呂」ということを知りました。このような違う言語でも表現上の共通点を見つけると「やはり感じ方は国を超えても同じなんだなあ」とすこし嬉しい気持ちになります。さて、そんな気持ちのいい初夏の中でも特に寒かった日の早朝、ヌルスルタンでマラソン大会が行われました。 距離は2㎞と5㎞が子供専用、大人用は10㎞と21㎞(ハーフマラソン)、そして42.195km(フルマラソン)の三種類。もちろん私は、…走っていません。そもそも持久力がないので長距離はあまり好きではない上に、身体作りもしてこなかったので棄権する未来しか見えなかったためです。しかし、21㎞走る友人に「あ、申込時の緊急連絡先にしておいたから」と突然通達されたので、きちんと見守ろうと思い、スタートとゴール時に応援に駆け付けました。前日に受付を済ませた参加者たちが集まってきます。このスタートが、午前7時だったのでなんと集合は6時30分でした。朝早い。旦那は初めこそのんきに「走ろうかな」と言っていたのですが、この集合時間に恐れをなして申し込みもしませんでした。私が家を出るときにも「まだ寝ていたい」と一言つぶやくと、また夢の世界に帰っていきました。ちなみに主催者はマラソンの名前にもなっているBIグループです。1995年にできた建築会社のようですが、事業がかなり上手く行っているようで街中で見かける工事現場の仕切りにはこのグループのロゴがよく見られます。最近立ったこのビルもBI TOKYOと書いてあるのでこのグループのものでしょう。なんで東京なのかはオープンするまで謎ですが。

私は6時45分ごろにつくように会場へ向かっていたのですが、ゼッケンをつけた人たちが走って私を追い抜いていきました。マラソンがもう始まっているのかと思いましたが、どうやら開始時間に遅刻しそうだから走っていたようです。いまからみんな走るのに。思っていたよりも参加者が多く、荷物を預ける場所が完全に機能していませんでした。その中で何とか友人とおちあい、やはり荷物を預けられなかった知人の荷物は私が預かることに。朝は早かったのですが会場ではステージが組まれ、DJが重低音のビートを刻んでいました。スタート地点に並んだ人々のテンションは最高潮で、飛んでくるドローンに手を振ってアピールしたりしています。プログラムでは7時に10㎞の人が、7時5分にフルマラソンの人が、そして7時10分にハーフマラソンの人がスタートを切ることになっていましたが、7時15分になっても誰も出発していません。ざわざわし始める人々。司会者は注意事項やスタート地点の案内をマイクで叫んでいました。ようやく7時25分になって「はい、もう全員スタート!」と司会者が宣言したので、スタート地点から続いている参加者の列はのろのろと進み始めました。どう考えても参加者とスタート/ゴールの門の大きさ(上の写真にあるものです)が釣り合っていないのです。タイムを計りたい人はほかの人が全員スタート地点を通り過ぎてから、自分の腕時計を合わせて、自分のタイミングでスタートしていました。

よくニュースなどでマラソン大会にコスプレで参加する人が撮られたりしていますが、ヌルスルタンマラソンではそんな人はほとんどいませんでした。そんな中、目を引いたのはこちらのウエディングドレスの人たち。 どうやら『Я здесь(私はここにいる)』というカザフ映画の宣伝のようです。後ろの「頭に布袋をかぶせられた男女の絵」と「ウエディングドレス」と「題名」から、私は勝手に抑圧された女性の物語なのかと思っていましたが、そのあとに見に行った映画の予告編でホラー映画だったことを知りました。予告編はかなり怖そうでした。このままウエディングドレスで走るのはかなり辛そうだとおもってみていると、1㎞ほど走ったところでコースわきに止めてあったワゴン車に乗り込んでいます。

友人たちは10㎞とハーフマラソンに出場していたので、とりあえず1時間近くは帰ってこないだろうと思い、とりあえず家に帰って朝食をとることにしました。ここで気が付いたのですが、観客の通り道とコースが同じ道なのです。この弊害は、ハーフマラソンの人が走り終えたときに顕著になります。フルマラソンの人たちはハーフマラソンのコースを2周する形なので、ハーフマラソンの人たちが走り終えて帰路につく道と、フルマラソンの人が走るコースが同じだったのです。そのせいでフルマラソンの人たちはとても走りにくそうでした。 無事に完走した友人たちと合流しようと思いましたが、ゴール脇の人が多くなかなか出会えません。携帯電話で連絡を取ろうとしても、ことごとく私が預かった荷物の中から着信音が聞こえるので絶望しそうになります。ちょうどその時、見知った集団を目の端に捕らえられたのでなんとか出会うことができました。なぜかゴールしてすぐにバナナをもらうらしく、みんな手にバナナを持っていて笑ってしまいます(友人曰く、ほかの人から断られ続けて気の毒に思ってしまったとのこと)。

つぎは9月にマラソンがあるそうなので、今度こそトレーニングをして10㎞に挑戦してみたいと思います。乞うご期待!

チャリンキャニオン散策

Привет!

最近はずっと晴れの日が続いています!25度以上になるとわかっているのに、なかなか家を出る時に七分袖より短い服を着られません。だってまた突然寒くなったりするんでしょう…という疑念から逃れられないのです。さて、夏本番はどうなることでしょう。

前回の記事の続きです。 チャリン・キャニオンの谷底でガイドのビクトルと合流した私たちは、少しずつ歩きながら風景を眺めていました。 地層が斜めに出ている部分は「数千年前に上から落ちてきたんだろうね」とのこと。え、あんなに大きいのが落ちてくるんですか…と怖がっていると、ビクトルは「まあここ数百年は落ちてきたっていう話は聞かないから大丈夫だよ」と笑っていました。そして「あ、あれなんか明日落ちてきてもおかしくないよね」と少し背筋が凍るようなことを言います。 確かに土台が小さくて安定していなさそうですね。

いろんな動物が岩の間や奥の方で暮らしているけれど、ここは人が多いのであまり出てこない、という話もしてくれました。小型の狐やネズミなどが住んでいるそうです。

進めば進むほど視界に木が増えてきました。 この背の高い植物は砂漠化を止めてくれるらしく、人工的に植えているとのことでした。

途中でヌルスルタン在住の知り合いとすれ違いました。この日に行くとは聞いていましたが、本当に会えるとは!彼らからこの先の川沿いにあるカフェのプロフが美味しいという情報を仕入れます。緩やかな下り坂になっているので、そんなに疲れません。しばらく歩みを進めると、川の音が聞こえてきました。やっとゴールです! ここにあるユルタには泊まることができるそうです。川の近くには青々とした木も生えていて「こういうところをオアシスと言うのか」と実感しました。

ビクトルは「お手洗い休憩にしよう。カフェに行きたい?じゃあ僕はここで待っているから、好きなだけ居ていいよ」と言うと川のほとりのベンチに座ってしまいました。でも時間は1時。ここからお昼ご飯を食べると言われた場所までどう考えても3時間はかかると思ったので、とりあえず腹ごしらえをします。 カフェです。レジのところにあるメニューを見ていると、その種類の多さに驚いてしまいました。時間はかかるでしょうがシャシリク(バーベキュー)などもありました。

プロフはもうできていたようですぐ運ばれてきました。お腹が空いていたこともあり、噂通りの絶品です。お皿に山盛りだったので、友人と旦那と仲良く分け合いました。お支払いの時に「もしよかったらプロフの鍋を見てもいいですか?」と聞いてみるとなんと快諾。 こんな風に伝統的に作っているところはあまり見られないので嬉しかったです。

ビクトルをあまり待たせるのも悪いので、早めに戻ります。彼はお腹が空かないのでしょうか。「じゃあ今からさっきの合流したところまで戻るよ」…今からは緩やかな上り坂です。
行きと比べると口数と撮った写真の枚数が激減しましたが、なんとかたどり着きました。 ビクトルは「ここから上に登るよ」と言っています。子供の頃から登山はしていたので、これくらいの高さを登ることは平気なように思えたのですが、これまで暮らしたモスクワにもヌルスルタンにも山が全くありません。特にヌルスルタンはかなり平坦な街なので、坂道を登る筋肉が衰えていることに登り始めてから気がつきました。神戸から来た友達はぐんぐん登っていきます。見る見るうちに彼女との距離が開き、上でみんなに待ってもらう形になりました。恥ずかしい。なんとか上に着くと、ビクトルには「休憩を挟んでしまうと辛くなるから、歩き続けたほうがいいよ」と言われました。いや、あの、休憩は挟んでいなかったんですよ…。

でもこの上から見る景色は絶品で、登った甲斐がありました。 先ほどまで歩いていた道です。こう思うと結構登ったなあ。

上から見ると、その長さがより分かります。実は川の向こうにもまだキャニオンは続いていたのですが、そこに行くのはかなり大変だそうです。 私よりも健脚なおばあちゃんと3、4回すれ違いながら、写真を撮ったり広大な景色を目に焼き付けたりしました。

さあ、そろそろこの場所を離れます。よく言われる表現ですが、自分はこの地球上でなんて小さな存在なのだろう、と心から思いました。悩みがある人は是非。

さて、行きは雨雲が立ち込めていた草原ですが、帰りは晴れていました。一度だけ車を止めてもらって、遊牧民の見た景色を堪能します。 何もない。ここを馬や羊を追いながら暮らす生活の、なんと豊かなことでしょう。私自身はやれと言われてもできる気がしませんが、だからこそ憧れてしまいます。一度、山肌を山羊の群れが走っていくのを見ました。

時速100kmで走る車窓から外を眺めていると、道路脇に等間隔で置かれている緑のものに気がつきました。…ネギ? 疾走するネギ(疾走しているのは私たちです)。行きに見かけた時はネギが置かれているだけでしたが、帰りはそれぞれのネギの横に人が座って、通る車にネギを振ってアピールしたりしています。「あれはなに?」とビクトルに尋ねると「この近くの村の人たちがネギを売っているんだよ。その村は基本的には牛や山羊や羊の放牧で食べているんだけど、ソ連が崩壊してから村にスーパーができてね。そこで食材を買うために現金が必要だから、この近くで取れる唯一の野菜を売って、現金を作っているんだ」とのこと。まだまだ私の知らない生活スタイルがあるなあ。

結局この日お昼ご飯にありつけたのは午後4時でした。小さな町の、地元の人しか行かないような食堂でその日2度目のプロフと塩辛いサラダ、マンティを食べました。好奇心からビクトルに「最近チャリンキャニオンに行ったのは?」と聞くと「一昨日。今週3回目だよ」と真顔で言われました。ガイドさんというお仕事もなかなか大変です。

Пока!

チャリンキャニオンへ

Привет!

友人が遊びに来てくれたのはちょうど1週間だったのですが、ヌルスルタンがあまり観光する場所がないため(生活する分にはとても良いところなのですが、観光となると2泊もあれば十分だと思います)、アルマティまで足を伸ばしました。ただ街中だけ散策するのもせっかく来たのに勿体無いので、アルマティ郊外まで足を伸ばしてみることに。

私がどうしても行きたかったのは「チャリン・キャニオン」です。こんなところ。 別名、カザフスタンのグランドキャニオンです。ここまで行くには車で3時間かかるので、今回はアルマティのツアー会社にお願いして運転手兼ガイドを手配してもらいました。ホームページに載っている代表者の連絡先にメッセージを送るとすぐに返事が来たので信頼できそうです。そんなツアー会社はここです。クリックするとホームページにつながりますが、ロシア語しかありません。申し込みをする場合は目次の一番下のконтакты(コンタクトゥイ)というところにあるメールアドレスに、行きたいところと日付を英語で書いて送ってみると返事が来るかもしれませんが、Google翻訳でロシア語もつけておくとよりいいと思います。

当日朝は滞在していたホテルに車で迎えに来てくれました。この日は残念ながら市内では雨模様。3時間も車に乗るので目的地の天候はまだましなことを祈りながら車に揺られます。 ここは大体2時間ほど走ったあたりでしょうか。文字通り暗雲が立ち込めていますが、雨は降っていません。そして驚くほど何もない草原の真ん中です。思い描いていたような「遊牧地」を見られたことにとても興奮していました。時々馬や牛が放牧されていて、その光景もまた「目にしたかったもの」だったので嬉しかったです。ガイドのビクトルは「写真を撮りたかったらいつでも止まってって声をかけてね」と言ってくれたのですが、これだけまっすぐな道です。対向車もほとんどいなければ、歩いている人もいません。車のスピードは当然のように時速100kmほど出ていました。そうすると草原の中に佇む馬を見つけても、声をかけて止まってもらう間に通り過ぎてしまうのです。結果、上の写真のようなひたすら何もない草原が撮れました。

去年出来たばかりという舗装された道をずっと走れると思ったのですが、最後の方はかなりデコボコした道になりました。アトラクションに激しく揺られているような気分になっていると、チャリンキャニオンは突然現れました。 うっすらと向こうの方に地層が見えますでしょうか。もちろん入り口が一応あり、入場料を支払う場所もありました(私たちの場合はツアー料金に含まれていたので正確な金額がわかりません)。

ビクトルは私たちをキャニオンの下に続く階段の前で降ろすと「このまま降りて、しばらく進んで。俺は車で先回りして、途中で待ってるから。一本道だからわかると思うよ」と言い残して去って行きました。 仕方がありません。とりあえず降りてみましょう。

アメリカのグランドキャニオンには行ったことがありませんが、チャリンキャニオンはもっと浅く、つまり年齢は若いそうです。長さも90kmで、やはりアメリカの446kmに比べると短いですが、90kmでも視界の端から端まで続いていたので大きさを実感するには充分でした。

階段を降りた後は緩やかな下り坂になっており、見える景色は火星のようです。火星にも行ったことはありませんが。友人と旦那と3人で岩に登ったり写真を撮ったりしながらわいわいと歩いていると、ビクトルが石の一つに腰掛けて待っていました。観光客も多く、ほとんどがトレッキングウエアを着ているのですがビクトルは「ちょっと近所の公園を散歩します」というようなセーターにジーパン姿なので目立つのです。

「お、来たか。じゃあこの道をまっすぐ下ったところにある川まで行くぞ」と言って歩き始めました。いよいよチャリンキャニオンツアーの始まりです。長くなりそうなので今日はここまで。

Пока!

ヌルスルタンのピラミッド

Привет!

二週間も空いてしまいました。日本は近頃とても気温が高いと聞いたのですが、皆様大丈夫でしょうか。30度越えはつらいなあと思いながらニュースを見ていたら、私の携帯電話にカザフスタン当局からお知らせが届きました。 前半はカザフ語、後半はロシア語をアルファベットで書いていますね。それでも「ヌルスルタン」という文字と数字が見えたら内容は何となくわかります。ちょっと前までこのお知らせも「アスタナ」という名前で来ていたなあと懐かしい気持ちになりながら少し目を滑らせると、飛び込んできたのは「-2」という数字。え、ちょっと待って、明日-2度になるの?5月ももう終わろうというのに?結果的には2度までしか下がりませんでしたが、前日が20度台だったことを考えると十分身体に影響がありそうな寒さです。ちなみにその前の数字は日付です。旧ソ連圏では「日付・月・年」の順番で表示されるので、日本で買ってきた食品の賞味期限が「20.08.13」と書かれていた時は一瞬ぎょっとしてしまいました。2013年8月20日に見えたのです。

閑話休題。前回書いたレッカー車にお世話になった日も、季節外れの寒い日でした。前日は26度もあったのにこの日は修理工場に車を預けて市内に帰ってくると雪が降りだしたのです。私もまさか4月末から五月にかけて雪が降るとは思いもせず、日本から遊びに来てくれた友人には「平均15度くらいかな」などと伝えていたので、明らかに友人の装備は不十分でした。それでも屋内に入れば大丈夫だろうと、次の目的地であった国立博物館へと急ぎます。はじめは「雪だー!」とテンションが上がっていた私たちも、どんどんひどくなっていく雪と風に閉口してしまいました。 mickymm.hatenablog.com この時の博物館です。タクシーが乗り入れられるところから入り口までも少し距離があったので、小走りでドアに駆け寄ります。するとそこには
「CLEAN UP DAY」
と分かりやすく英語で書いてありました。え!?定休日でもないのに!あきらめきれずドアを押したり引いたりしてみましたがびくともしません。どんどん白くなる視界。博物館の地下でお昼を食べようと思っていたので、かなり空腹でもありました。凍える友人を連れてどこへ向かえばいいか分からず、とりあえず目の前に見えているピラミッドへ向かうことに。観光目的ではなく、ミュージカルを見に中に入ったことがあるので、カフェがあることは知っていました。その時の記事はこちら。 mickymm.hatenablog.com

この辺りは無駄に敷地を広くとっているので近くに見えていても歩くと10分くらいかかります。友人と励まし合いながらなんとかピラミッドにたどり着けました。チケット売り場で大人一人1000テンゲのチケット代を払うと、ガイド料も含まれているようで係員の人に「何語のガイドをご希望ですか?」と聞かれました。「英語でお願いします」「分かりました。ではここで5分ほど待ってもらえますか」「あ、あの、先にご飯を食べたいのですが…」「それなら下の食堂へどうぞ」とスムーズに案内してもらえました。私が思っていたカフェはご飯というよりちょっとしたお菓子と飲み物だけだったのです。食堂はいかにも社員食堂という感じで、作りっぱなしにされている料理が並べられていました。 お支払いを済ませると「そこのレンジで自由に温めてね!」と言われたので料理を入れていたのですが、しばらくすると食堂の人が自分の料理を持ってきて私たちのレンジを強制終了し、自分の料理をレンジに入れていました。え…。生半可に温まったお料理でしたが、ジャガイモとお肉の料理は美味しかったです。ジャガイモはしばらく要らないなと思いました。

食事を済ませて先ほどの係員さんに戻ってきたことを伝えると「おかえりなさい!あと4分待ってくださいね」と言われました。あの食堂での時間は実際には1分ほどだったのかな、などと冗談を言っていると、綺麗なカザフ人のお姉さんが近づいてきて「ベラルーシから来られたグループと一緒に回りますね。私は英語で話して彼らの中にいる通訳がベラルーシ語に訳しますので、あなたたちは英語の部分を聞き取ってくださいね」とロシア語で言ってきました。いや、英語希望って言ってるやん。 さて、ツアーはこのピラミッドの断面模型から始まります。それを使ってこれからどこを通るかを大まかに説明してくれました。前回ミュージカルを見たホールは地下にあったんですね。そこからは建設当時の写真を見ながら敷地面積や工事に従事した人の人数など、具体的な数字を入れて説明がありました。その説明自体も興味深かったのですが、ベラルーシの通訳の人が数字は苦手らしく、言葉に詰まっているところをツアー客の大半を占める英語が分かるベラルーシの人たちが助けていたりして、傍から見ていると面白かったです。おそらく彼はロシア語とベラルーシ語の通訳なのでしょう。

コンサートホールの天井にあるモチーフは太陽だという説明を受けながら観客席で休憩した後、エレベーターで上にのぼります。私は先ほどからピラミッドという通称でこの建物を呼んでいますが、実際には「平和と調和の宮殿」という名前があるのです。その名の通り、この場所は国際会議などが行われるコンベンションホールとしての役割が第一にあります。 エレベーターが着いた2階は、そんなこの建物本来の役割を思い出させてくれるような、世界各国の民族衣装の展示やかつての会議でほかの国から贈られたプレゼントが展示してありました。一番インパクトが強かったのはインドのガネーシャの置物です。2m近くの高さがありました。また上の写真で、真ん中のほうが盛り上がっているのが分かりますか?ここはまさに先ほどのコンサートホールの真上で、この真ん中に立って願い事をするといいよ、と言われました(叶うとは言われていません)。

次にエレベーターが向かった先は8階でした。 エレベーターを降りた瞬間に、これまでとは全く違った景色に驚きます。少しわかりにくいですが、壁が緑でおおわれているのです。聞いてみるとほとんどは作り物ですが、中には本物の植物もあるということでした。ここを壁沿いに階段で上がっていくと、最上階の会議場にたどり着きます。 一番乗りしてしまったので人がいない一瞬を撮ることができましたが、この後はツアーの参加者が思い思いの席に座って写真撮影大会になりました。真ん中の部分は先ほどの2階まで吹き抜けになっているのですこし怖いです(途中にセーフティネットはありますが…)。また天井には美しいハトの絵が描かれていますが、これは特殊なガラスなので外側からは見えないようになっています。外側から見るとテーブルと椅子が見えるのが不思議です。ひときわしっかりとした椅子があり、その前にはマイクとカザフ国旗が置かれていますが、ここがかのナザルバエフ前大統領が座った椅子だそうです。みんなそこでポーズを決めていました。

ここから下にエレベーターで降りてツアーは終了。外に出るとうっすらと雪が積もっていてまたはしゃいでしまいました。しっかり案内してもらえるので、ここは観光にお勧めです!

Пока!