馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

アルマトイ市街散策

Привет!

外気温は氷点下25度なのに、部屋の中が熱すぎるので窓を開けて温度調整しています。案の定、朝起きたらのどが痛くなっていました。そういえば、今日はクリスマスイブですね!こちらではクリスマス自体は1/7ですがプレゼントなどは新年が開けるときにツリーの下から出して交換するので、あまりクリスマス感はありません。ただ街中のツリーは見つけた時に写真に収めているので、いつかお見せできたらと思います。

ということで、今日はアルマトイの街中にある観光地をご紹介します!

まずは「28人のバンティロフ戦士公園」 入るところを間違えて、そこには何も表示がなかったので不安なまま歩いていたのですが、出るときに振り返るとこの表示がありました。ここは大祖国戦争(ソ連の対ドイツ戦:1941-1945)でカザフスタンからモスクワに出征し、戦死したバンティロフ将軍と28人の兵士をたたえるために作られた公園です。思っていたより広い園内で、どこかに「消えない火」をたたえた無名戦士の墓があるそうなのですが見つけられませんでした。 おそらくこの人がバンティロフ将軍。彼の横には大砲が二基置かれていました。また、公園の中心部にはゼンコフ正教教会もあります。ただ、今は絶賛改装中だったので、横に仮設で小さな教会が造られており、そこから讃美歌が聞こえてきていました。ちなみにこの教会は宗教禁止のソ連時代には博物館として使用されていたそうです。ソ連時代にすべての教会を潰してしまわなくて本当に良かったです。 この色合いを久しぶりに見てモスクワが懐かしくなります。それにしても、アルマトイの街中が旧ソ連圏の他の街(例えばイルクーツクとかタシケントとか)と変わらない風景で、自分が今ロシアにいるのかカザフにいるのか少し混乱してしまいました。そういう意味でもやはりアスタナは新しい街なのだと実感します。

この公園から少し歩くと中央バザールにつきます。通称はグリーンバザールというそうです。グーグルマップの地図でもgreen bazaarと出てきました。 建物の外にも屋台のような形でたくさんのお店が出ています。この時期だからか、多くの屋台でツリーの装飾品が売られていました。それらの屋台を見ながら建物の周りをぐるっと回るのですが建物に入る場所が見つかりません。進めば進むほど屋台で売られているものが専門的になってきました。ありとあらゆるネジが所狭しと並べられていたり、壁一面にいろいろな形の蛇口が展示されていたり、ここで見つからないものはないのではないのか、というくらいありとあらゆるものが置かれています。かなり広いので日用品のコーナーだけで迷子になりそうでした。なんとかそこを抜け出し、建物の入り口を見つけて衣料品コーナーや食料品コーナーへ行きましたが、時間が遅かったこともあってほとんどのお店が閉まっています。キムチコーナーはまだ盛況でした。 こんな風にお店が並んでいます。アルマトイに住んでいたら毎日のお買い物に通いつめそうですが、旅行者としていくと買うものがあまり見つからないかもしれません。もしかしたらあの巨大な建物のどこかにお土産屋さんなどもあったかもしれませんが…。朝一番で体力があるときにまた行ってみたいです。

もう一か所、私たちが行ったのは国立中央博物館。 堂々としたたたずまい。アスタナのものより建物が小さく感じたのですが、中はアルマトイのほうが充実していました。やはり歴史の長さが違います。この土地に生活が根付いた時期に始まり、ソ連から独立するまでの人々の様子をしっかり見ることができました。私が好きな民族衣装のコーナーもかなり展示物が多かったのでその部屋だけでも入場料500テンゲ(160円ちょっと)の価値はありました。ちなみにカザフ人は入場料が300テンゲだそうですが、外国人は500テンゲです。それでも安いですが。 また、カザフ人だけでなく、ソ連時代にカザフに移住させられたいろんな民族の生活を見せてくれる部屋もあります。ほとんどの部屋が撮影禁止なのが残念なところです。 通常はエントランスはがらんと空いていて、国の地図や黄金人間(紀元前5世紀のスキタイ戦士の墓から発掘された黄金でできた鎧)のレプリカなどが飾ってあるそうですが、ちょうど私たちが行ったときはクリスマスバザーの真っ最中でした。ちなみに上の写真はその黄金人間の60cmくらいのレプリカです。エントランスのレプリカは等身大だとか。 およそ国立博物館のエントランスとは思えないポップさ。ロシアやウクライナ、ウズベキスタンにもちろんカザフスタンの手作り工芸品が売られていました。

アルマトイとは「りんごの里」という意味で(アルマが「りんご」だそうです)、街中を歩いているとりんごの銅像(?)がいくつか見うけられました。 こちらはカザフスタンホテルのエントランス前にいた女性とりんご。 こちらはコクトベにあったりんご。

そもそもりんごの起源がカザフスタン、特にアルマトイ近辺で、昔はアルマトイにはりんご林があったことからこの名前がついたそうです。今はりんご林は見られなくなってしまいました。

ついでに、地下道の入り口の屋根にいたカタツムリ。 ここ以外にも二ヶ所で確認されています。

アスタナよりも暖かくて、この時期でも散歩が楽しめるアルマトイ。ぜひ街中をぶらぶらしてみてください。

Пока!

コクトベ

Привет!

朝から携帯の通知が多いので何事かとのぞいてみたら、当局から「今日は‐30度まで下がるので厳戒態勢を!」というお知らせでした。朝は実際に‐30度だったそうなのですが、私がお昼に天気アプリを見たときは‐28度でした。そのままお買い物をしに外へ出ると、鼻で呼吸をするだけで体の内側が凍る感覚を久しぶりに味わいます。この空気がこちらに刃を向けてくるような気温は「寒い」を通り越して「痛い」のですが、きりりと身が引き締まる感じがするので一度体験すると癖になります。

さて、こんな気温が嘘のようなアルマトイ旅行のお話です。今回アルマトイで宿泊した「ホテル・カザフスタン」の近くに丘へと続くロープウェイ乗り場がありました。 行きつく先は標高1070mの丘、コクトベ。聞くところによると上には展望台だけでなく遊園地や動物園もあるとか。楽しみになってきました。ロープウェイは往復で2000テンゲ(660円ほど)でした。登りに使ったチケットを下りにも使うので、なくさないようにしてくださいね。 到着!山を背にしているので、こう見ると平地が広がっていますね。それにしても結構上りました。丘の上は空気がとても綺麗で、こんなに違うものかと少し驚くほどでした。ロープウェイを降りたところは広場になっていて、そこには気になるものがいろいろとあるのですが、とりあえず奥へと進みます。お土産屋さんを通り過ぎ、しばらく歩くと突然どこからともなくビートルズの歌が聞こえてきました。音が大きくなるほうへ歩いていくと、少しだけ大きめに作られたメンバーの銅像が! カザフ人の大家族がこの像と写真を撮り終えるのを待って、私たちも撮影。横の看板にはビートルズの軌跡が書かれていたので読んだのですが、別にアルマトイに来たことがあるわけじゃないんですね。ビートルズのファンの会(?)がここを「待ち合わせ場所にできるように」作ったそうです。え、こんな丘の奥まったところで待ち合わせる人いる?

ビートルズに別れを告げて、奥へと進みます。「鏡の部屋」と書かれた小屋や、的あての屋台、「バイキング」という小さめのアトラクション(船型の乗り物が前後に揺れるもの)などが森の中に点在しており、どことなくさびれた遊園地が想起されます。一昔前のひらかたパークのような。「コクトベ兄さん」とか作って宣伝したほうがいいんじゃないかな。中でも白鳥の形をした乗り物が音楽に合わせてメリーゴーランドのように回る、というアトラクションがあったのですが、子供がロシア語で歌うマイナー調の曲を流しながら誰も乗っていないのに回り続けているのが不気味でした。サスペンスのにおいがするね、という旦那と足早にそこを離れます。その遊園地の右手には小さな動物園がありました。入り口のあたりで紙コップに入った生野菜が200テンゲ(66円ほど)で売られていますが、別に餌付けをしに来たわけではないし、と何も持たずに園内に入りました。入ってすぐはアルパカです。 カメラ目線をいただきました。なんだ、野菜を買わなくても自分の敷地内に草があるのか、と安心して次へと足を進めた時です。ロバと目が合いました。 このつぶらな瞳とかわいさに思わず野菜を買わなければ、という使命感にかられます。入り口まで戻るか、と顔を上げると、そこには狙ったかのように野菜が販売されているではありませんか。ああ、私たちは運営側の思惑通りの良いカモなんだろうな。 ロバが思ったよりも勢いよくニンジンを食むのを見届け、つぎの鹿へと足を進めます。鹿にも野菜を差し出すと、取り合いが始まってしまいました。争いの種をまいてごめん。そこからは怒涛の鳥コーナーです。いろんな種類の鶏に雉、クジャクや鷹、アヒルまで多種多様な鳥を観察することができます。モスクワ動物園も鳥ばっかりでしたが旧ソ連圏は鳥が好きなのかな。

小さい動物園の上に種類が偏っていましたが、かなり癒されました。さらに奥に進むと山側の展望台になっています。 さあ、広場まで戻りましょう。広場では民族衣装を着て写真を撮らせてくれる(そしておそらく高い値段をとられる)コーナーがありました。この後ほかの観光地でもこのようなコーナーを見かけるのですが、そのすべてで狩猟用の鷹(本物)を肩に置かれるのです。時々羽ばたいていてものすごい迫力でした。

広場にもアトラクションが3つほど並んでいます。一つは観覧車。各地の観覧車に乗るのが趣味なのでチケットを買おうかと思ったのですが、よく見たら観覧車の一つ一つの箱がさっき乗ってきたロープウェイの箱と同じものだったので今回は見送りました。もうすでに高いところにいることですし。観覧車の真横にはひっくり返った家があるので一瞬びっくりします。 これはトリックアートのような写真が中の各部屋でも撮れるようで、この丘で一番の人気でした。行列があったので私たちは入っていませんが「カザフスタンで初めて!」という看板がチケット売り場に貼られています。

私たちが一番気になったのはジェットコースター。先にコースを見せますね。 丘の斜面を利用してコースが作られているようで、頼りない線路がうねうねと木々の間を縫って設置されているのが見えます。写真で見るとあんまりですが、実際見ると結構な傾斜がある上に一歩間違えると丘から放り出されそうで結構怖いのです。同じ不安はその場にいた全員が持っていたのか、みんな遠巻きにして乗り場を見つめています。と、その時勇気ある二人組の女性がその乗り場へ一歩踏み出しました。乗り場で待機していた係員のおじいさんに説明を受けながらシートベルト(車についているもの)を締めます。 これがその乗り物。一つに二人乗りで、一台ずつ発進します。彼女たちが叫び声をあげながらも無事に帰還したのを見て、勇気が足りなかった人たちが一斉にチケット売り場へ向かいました。私たちもそれに倣います。

少し並んで、私たちの番が来ました。二人のうち体が大きい方が自動的に後ろに座らされ、私は旦那の前に座って乗り物の前についている取っ手を握るように指示されます。係り員のおじいさんは旦那に「英語がいい?ロシア語分かるん!それはよかった。じゃあこのレバーを握って。前に倒したらアクセル、後ろに倒したらブレーキ。自分で速さは調整してな。コース見える?あのあたり(といってコースの終わりのほうのカーブを指さす)でブレーキを引いてスピードを落とすんやで。分かった?じゃあ行ってらっしゃい!」といって勢いよく押されました。え、アクセルがあるジェットコースターなの!私たちの命は全てレバーを握っている彼に一任されています。これ相当信頼関係がないと危険なのでは。実際走り出してみるとかなりのスピードが出て、カーブのたびに目の前にアルマトイの街が広がります。そして何度かカーブを曲がっていると、先ほどおじいさんがどこでスピードを落とせといったのか分からなくなりました。そういえばさっき列に並んでいるときに後ろの男の子が「もし僕たちが死んだら」とか言ってたな、と思っていると「スピードを落として!」という看板がありました。確かにあの説明を受けていなかったら見逃していたかもしれないような看板です。ああ、助かった。

無事丘の上まで引き上げられ、なんとか帰ってこられました。スリル満点で面白かったです。降り口のところで、いつ撮られたのかジェットコースターを楽しんでいる私たちを正面からとらえた写真を展示していました。私が恐怖と興奮でひどい顔をしていたので笑って通り過ぎようとしたのですが、旦那が「いくらですか?1000テンゲ(330円ほど)?買います」といって買っていました。こういうところで写真を買わない人だと思っていたので理由を尋ねると「俺がいい顔をしてたから」とのこと。そうですか。

園内に流れている音楽や、アトラクションの雰囲気が2000年代前半を思い出させるような、良い遊園地でした。晴れた日に是非どうぞ!

Пока!

アルマトイへ

Привет!

12月16日、17日はカザフスタンの独立記念日です。今年は16日が日曜日だったので、18日の火曜日が振替休日となり4連休でした。せっかくの連休をアスタナで過ごすのはもったいない、ということでカザフスタン第二の都市、アルマトイへ行ってきました! アルマトイは空気汚染がひどいらしく、確かに飛行機から見ても茶色いのが分かります。ちなみにアスタナを出るときも帰ってきたときもまだ太陽が昇り切っておらず、空からどんな風に見えるのかはわかりません。

第二の都市と言ってもアスタナに20年前に遷都するまではアルマトイがソ連を構成するカザフ社会主義共和国の首都だったので、町の規模としてはアスタナの数倍あり、今でもカザフスタン最大の都市はアルマトイです。行くことになってから「地球の歩き方」を開いて驚きました。アルマトイの地図ページにある情報量が、アスタナのそれよりかなり多いのです。アルマトイには9ページ割かれており(ホテルやレストラン情報除く)、アスタナには4ページしか割かれていません。…これは、アスタナだけを見てカザフスタンを知った気になってはいけないな。旅行を決めたのが直前だったので、とりあえず2泊3日で飛行機とホテルを予約してアスタナを飛び立ちました。

アスタナからは飛行機で1時間40分の距離。エア・アスタナという国一番の航空会社では一日に数本、朝と夜に飛行機が出ています。9時ごろに出てお昼前につくような便でしたが、結構がっつりとした機内食が出てきて驚きました。おいしかったのですが、時間にしては量が多すぎたように思います。

そんなこんなで街の規模からすると小ぶりな空港に到着。空港を出て第一声は「あったかい!」でした。出発時、アスタナは氷点下10度前後でしたが、アルマトイは0度前後だったのです。10度も気温が上がるとむしろ「暑い」とまで感じてしまいます。コートはもう一段階薄くてよかったし、マフラーはいらなかったな…と一瞬考えてしまいましたが、よく考えると0度前後でも十分寒いはずです。もう一つ感動したのは3000m級の山脈が見えること!山で感動したのはカムチャッカ以来です。つくづく、私には山のある生活圏があってるのだと実感します。どうしてモスクワもアスタナにも山がないのでしょうか。

タクシーで30分ほども走ると市内に出ます。途中に建設途中の橋のあたりで大渋滞に巻き込まれたので、運転手さんと少し話すと「アルマトイは渋滞がひどいかって?車が多いから、そうだね。とくにあの橋はずっと工事していて、この辺りはお昼時になるとひどい渋滞になる。もう5年ほど工事しているけど全然進んでいないね。ここは上海じゃないから、中国人とは違ってカザフ人は仕事がゆっくりなんだよ」と言われました。そう思うと20年で完成していないとはいえ、きちんと「街」になっているアスタナは凄いですね。

アルマトイにはメトロがあるのですが、まだ建設途中のため街の大きさに比べて守備範囲が狭く、まだ一本しかなく、9駅ほどしかありません。 メトロの入り口です。メトロは今年でできてから7年目だそうですが、聞いたところによるとはじめは駅の名前を世界の大都市(ニューヨークやパリ、東京など)にしようとして住民の大反対にあったそうです。そりゃそうだ、訳が分からなくなりますよね。結局、今は駅がある通りの名前がついています。そんな豆知識を旦那に披露しながら、入り口の荷物検査を過ぎて改札を通り、ホームへ降りると、そこには「モスクワ行き」の文字が。え、このメトロってモスクワまで伸びてるの!?それは大ニュースだ…と思っていると、どうやらそのホームに来る電車が進む方向の終着駅の名前がモスクワというようです。大都市の名前は付けないんじゃなかったのか。その駅がある通りがモスクワかどうかは確かめていません。 ホームへのエスカレーターはロシアの地下鉄を彷彿とさせます。ただ、エレベーターを降りてからホームまでの通路の雰囲気はロンドンの地下鉄に似ていました。彼らもそれを意識しているのか、ところどころの広告コーナーに二階建てバスやビックベン、赤いテレフォンボックスの絵が描いてあります。ここはアルマトイやで。ちなみに乗車は一回80テンゲ(25円ほど)。改札前の切符売り場で80テンゲを出すと黄色いプラスチックのコインがもらえるので、それを改札に投入します。そして車内はモスクワの一番古い赤線よりも綺麗で、静かで、座席には阪急電車のシート生地のような、毛足の短い毛皮が張られていました。ちょっとした高級感。将来的にはメトロの線を増やし、延ばし、守備範囲を広げるようです。もっと便利になりますね。 ホームの様子。電車は10分に一本ほどでした。

一方バスは150テンゲ(50円)で、運転手さんに支払うとチケットがもらえる仕組みです。バス自体はアスタナとほとんど変わりませんでした。また、地球の歩き方にはトランバイが運行停止中と書いてあったのですが、再開していました。一般車両とぶつかって何台も巻き込む大きな事故になっていたそうです。

こんな風に市内の公共交通機関は発達していたのですが、アスタナでタクシーを呼ぶことに慣れてしまっていたため、タクシーも常時活用していました。アスタナよりもタクシーの運転手さんが話しかけてくることが少なかったです。一度、博物館まで行ってもらうときに「博物館ってことは旅行者?あ、日本から来たんだ!ということは『おしん』知ってる?『おしん』だよ、ドラマの!そうそう、あれで何人のカザフ人が涙したか…」と突然『おしん』について語り始められたくらいです。カザフでも放送してたんですね。

次から実際に行った観光地を紹介していきます!お楽しみに。

Пока!

お魚屋さん

Привет!

今朝から細かい雪が降っていて、地面の茶色くなった雪をうっすらと白く覆っていきました。風景としてはとてもきれいなのですが、この新しい雪は氷におおわれている地面も隠してしまいます。なので日中私も一度綺麗に滑ってしりもちをつきましたし、歩道には何人もの滑った跡が残っていました。打ちどころによっては骨折もするので、本当に気を付けたいと思います。

さて、先日タクシーの運転手さんとおいしい魚がないと盛り上がったばかりですが、スーパーでも魚が置いているときもあります。ただ、種類が少ないのです。鮭しかないときもあります。先日、お友達から家の近くの魚屋さんで鰤が手に入ると聞き、早速行ってみることにしました。そもそもこの国に魚屋さんがあったなんて驚きです。やはり内陸国なので、魚より野菜より、肉を食べると聞いていました。

魚屋さんに向かうことにした日は、偶然にも吹雪の日。魚屋さんの位置はおおよその目印しか聞いていなかったので、迷いに迷いました。同じところを行ったり来たり、でも往復するたびに自分の足跡が消えていくことに少し恐怖を覚えます。吹きつける雪に耐えられず、目の前にあったお肉屋さんに入りました。売っているものが正反対のお店で「お魚屋さんはどこですか」と聞くことには少し罪悪感を覚えましたが、店員さんのほうから「どうしたんですか!?」と悲鳴にも似た声をかけられました。それほど私の姿はボロボロだったようです。「あの…魚を買いたくて…」私はお肉屋さんで何を言っているんだ。「あ、魚屋さんならこの道をまっすぐに行ったところにありますよ!上に「魚屋」って書いてあるからちゃんと見ながら歩いてね!この道ですよ。ところで肉を買いませんか」と店員さんは道を教えてくれたり商品を勧めてきたりしながら店の外まで見送ってくれました。ありがとう…あなたのご好意を無駄にしないようにちゃんと魚を買って帰ります。

お肉屋さんに言われた通り上の看板を見ながら歩き続けました。すると、先ほど何度も前を通ったはずのところに突然看板が現れたのです(おそらく吹雪で視界が狭まっていただけ)。 その時は写真を撮る余裕がなかったので、後日撮った写真です。入り口は一見ビール屋さんでした。よく見れば入り口の横に魚の写真と共に「私のお魚ちゃん(Рыбка мая)」という店名が書いてありました。お店を見つけただけで嬉しくて泣きそうになりながら、ビール屋さんの奥にある魚屋さんへと進みます。 魚屋さんの入り口。ロシア語とカザフ語で「魚」と書いてあります。文字の上にある金魚が何とも言えない表情をしていますね。それにしても、この入り口からうかがえる中の様子が、私の知っている魚屋さんとは少し異なります。中に入ってみると、スーパーにある冷凍食品コーナーのようなクーラーボックスが壁に沿って5つ並べられており、計りが乗ったレジらしきテーブルをはさんで、ケーキ屋さんのようなショーケースが置かれていました。クーラーボックスを上から覗き込むと、凍った魚がこっちを見上げています。ちょっとびっくりして後ずさりそうになった私に、店員さんが「何が欲しいですか?」と聞いてくれました。

とりあえず目についたサンマ(Сайра)とブリ(Лакедра)があるか聞いてみると、ありますよ、と言って凍ったサンマを選ばせてくれます。日本で見るものより少し小ぶりでしたが、3匹買っても180テンゲ(60円)と非常に安価でした。では次にブリを、と店員さんが呼ぶほうへ行ってみると、彼女はクーラーボックスから丸々のブリを出してきました。「これでいい?」と店員さん。「え?これブリなんですか?」と切り身しか見たことがなかった私。「そもそもこれどうやって捌くんですか?」ときくと、魚のお腹のあたりにナイフを入れるジェスチャーをしながら「シャッてここを切って、内臓を出せばいいのよ」と言われました。気が付くとそのブリをビニール袋に入れて持って帰るために包んでくれています。いまさら要らないと言い出せず、店員さんがそんな簡単そうに言うなら、ととりあえず買ってみました。一匹で2700テンゲ(900円)ほど。安くはない買い物です。

私の指の先から肘までの長さがあるブリはかちんこちんに凍っており、それとこれまた凍った小ぶりのサンマ3匹、そしてブリ大根にしようとスーパーで買ってきた大根を持って帰途につきながら、ちゃんと食べられるか分からないけれどとりあえず魚も大根も棍棒にできるので武器は手に入ったな、などと考えていました。 家について改めてブリを眺めながら途方に暮れます。思わず実家に電話してしまいました。母のアドバイスに従い、とりあえずその日はサンマの塩焼きにし、家に帰ってきた旦那に冷蔵庫で解凍中のブリを見せました。たじろぐかと思いましたが、彼は子供のころに出刃包丁を持って釣った魚を捌いていたらしく「週末にブリパーティーするか」と言ってくれました。なんと頼もしい。しかし「うちって出刃包丁あったっけ?」と聞かれたので家にある包丁を全部見せると少し困った顔をしていました。 週末お友達を二人家に呼んで、ブリを捌く旦那をみんなで見守ります。写真は三枚におろして粗を鍋にするために食べやすく切っているところ。三枚におろしたほうは照り焼きにしてくれました。捌いている間は「もうしばらくしたくない」とぼやいていた旦那ですが、食べ終わるころには「楽しかったから一か月に一回くらいならしてもいい」と言ってくれました。また我が家の食卓に魚が並ぶ日が来るかはわかりませんが、少し我が家の食卓が豊かになりました。 Пока!

タクシーの運転手との会話

Привет!

先日、タクシーに乗るとロック調の曲が流れていました。聞くともなしに聞いていると、歌詞の90%が「冬は~寒い~♪」で、覚えようとしなくても一度聴いたら歌えそうな曲なのに、運転手さんはハミングにとどめています。いっそのこと歌い上げてくれたらこちらも気持ちいいのに。やっとその曲が終わりました。次は「夏は暑い」かな、と思っていると聞き覚えのある前奏が…。なんと乗車していた20分間、ひたすら「冬は寒い」という分かり切ったことを聞かされ続けました。「この曲好きなんですか?」という言葉がのどまで出かかっていましたが、運転手さんのハミングを止めてまで質問しなくても答えはわかっているような気がして聞けませんでした。

メトロがないこの国では、自分の車がない場合の移動手段はバスかタクシーになります。バス停で10分以上待つのが厳しくなってきたこの季節はやはりタクシーが便利なうえに、日本やモスクワに比べると安いのでかなり利用しています。初乗りはタクシーアプリによりますが私が使っているYandexは250円ほど。これでも値上がりしたそうです。そしてアスタナの街自体が小さいので、渋滞しやすい時間帯でなければこの初乗り料金でほとんどの場所に行けてしまいます。朝や夕方など混む時間帯でもだいたい400円もあれば大丈夫です。

もちろん運転手さんによりますが、助手席に座るとよく話しかけてくる印象があります。ほとんどの場合、はじめは「どこから来たんですか?」と聞かれ、日本だと答えると「初めて日本人に会いました!」と言われます。場合によっては名前を聞かれ、運転手さんも名前を言い、握手を求められます。お願いだから両手でハンドルを握ってください。そこからは日本についていろいろと聞かれます。アニメや日本文化が好きだ、という人の中には少し日本語も知っていたりして、その知識があっているか、正しい発音ができているかなどを熱心に聞いてくる運転手さんもいました。この日本に関する質問でカザフスタンの人々にとって日本がどんな印象なのかが分かって面白いです。おそらくこれまで興味を持ってこなかった人は「学校で日本について習ったのを思い出しました!えっと、北京とか東京とかソウルとかって日本のどこにあるんですか?」という、どこから突っ込んだらいいか分からない質問を繰り出しました。それでも、私が日本にいたときにカザフ人に会っていても同じレベルの知識しかなかったような気がします。そう思うと、ひたすら自分の知っている日本の地名を列挙されるのもうれしいものです。どんな反応をすればいいか悩みますが。 ほかにも「いま日本って何度くらい?」とか「アスタナと東京どっちが素敵だと思う?」「医者や教師の月収ってどれくらい?」「物価は?」などはよく聞かれます。ほかの変わり種は「映画『ラストサムライ』がすごく好きなんだけれど、あれはやっぱりアメリカによってかなり脚色されているんですか?」(好きだというので夢を壊さないようにするべきか悩みました)や「日本人って何の肉を食べるの?」などがありました。ちなみに「カザフでよく食べられている馬は、日本では一部の地域でしか食べられていないし、生で食べるんですよ」というと大体良い反応が返ってきます。食べ物といえば、昨日「お勧めの日本食は?」と聞かれたので「寿司」と答えると「あー、僕は魚は好きなんだけど寿司は苦手で…もしかしたらまだ本物の寿司に出会っていないからかもしれない…」とジョージア人の運転手に言われました。カザフではいい魚が手に入らない、ということで盛り上がって面白かったです。彼はジョージア人だということもあり、今年優勝した力士の栃ノ心について熱く語っていました。

アスタナは今年が遷都されて20年だということで、かなり新しい街です。私ばかり「どこの出身ですか」と聞かれるのも飽きてきたので、運転手さんたちにも聞いてみることにしました。そうするとやはりアスタナで生まれ育った人はほとんどおらず、引っ越してきてどれくらい?と聞くと「長いよ、3年」だったり「5年」などの答えが返ってきます。出身地は皆それぞれで、カザフスタンの南の小さな村だったり、ロケットの発射基地があるバイコヌールだったり、中央アジアの他の国だったり、そして多いのが出身は韓国やロシアの街でも「ソ連時代に強制移住でカザフスタンに来た」という話でした。中には「ソ連時代は政府の命令で両親や祖父母に連れられてタジキスタンやカザフスタンの街を転々とした」という人もいました。子供たちの教育のためにアメリカや韓国、ドイツで働いたことがある、という人も。「祖国がどこか分からない」と言われたこともあります。自分が全く経験してこなかったり、これからも経験できないようなお話を聞けるので、いつもワクワクしながらタクシーに乗りこみます。

時々政治の話にもなります。カザフスタンの目覚ましい成長に誇りを持っている人、その裏で広がる経済格差に憤る人、様々です。そしてその流れで日本の今の状況についても聞かれるので、ちゃんと勉強しておかないといけないな、と気を引き締める思いで車を降りることもあります。 最近のアスタナの路上(雪が多く降った次の日です)。最近はインターネットでなんでも調べられますが、直接会話しないと分からない空気もあるな、と実感する毎日です。

Пока!

ロシア語始めました

Привет! 最近は街中にずっと煙が立ち込めています。はじめは霧かと思っていたのですが、聞くところによると旧市街地のほうではセントラルヒーティングがなく、家の中を温めるのは木炭の役割だそうです。この木炭を燃やした時に出る煙がどこにも行けず街中にとどまっているわけですが、普段気にならないのはアスタナが風の強い街だからです。ところがここ数日はあまり風が吹いておらず、それはそれで体感温度が下がらないのでいいのですが、街中が煙たくなる、という仕組みのようです。良いことだけとはいかないようです。

さて、ロシア生活以降、イギリスと日本で4か月ほどブランクが空いたロシア語のレベルは、カザフスタンに来た当初驚くほど下がっていました。話していると自分でも「片言だな」と分かるほどです。言語は使わないと忘れます。モスクワよりもタクシーの運転手やバザールの人たちが話しかけてくれるので話す機会は増えたのですが、当然のことながら誰も文法を直してくれません。このままではだめだと思い、モスクワの時のように週5日でなくともロシア語を習うことにしました(いっそのことカザフ語を習うか迷いましたが、このままでは中途半端に知っている言語が増えるだけです)。しかし、ここアスタナにあるロシア語の学校をインターネットで検索しても全くヒットしませんでした。2年ほど更新されていない家庭教師とのマッチングサイトはありましたが、機能しているとは思えません。周りにも学校を探しているという話をしていたら、お友達が「こんなの見つけたよ!」とアスタナ国際大学のロシア語講座のチラシを持ってきてくれたのです。そのお友達もグループレッスンを探していた、とのことで二人で体験授業に行ってみました。

事前に電話して、参加したい旨を伝えると、事務のお姉さんは優しくこちらのレベルや都合のいい日を聞いてくれました。どうやらモスクワの語学学校のように毎日授業が開催されているわけではなく、希望者がいればこの大学に登録している先生を紹介してくれて場所も提供してくれるというシステムのようです。 入り口の写真。約束の日、大学につくと事務のお姉さんから「312号室で先生が待っているから直接来てね」というメッセージが届きました。入り口の警備員さんに聞くと「3階まで階段で登って左ですよ」と教えてくれます。3階につくと、右手に偶数の部屋が、左手に奇数の部屋がずっと続いていました。306、308、と順番に見ていくと突然316号室に飛びました。…私たちの常識がおかしいのか。ハリー・ポッターに出てくる9と3/4番線のように柱の向こうに存在するのかもしれません。今にも壁に突進しようとする私を止めながら、お友達がそこらへんに歩いていた学生さんに聞いてくれました。学生さんも308の次で足を止めてしまいます。あれ、もしかしてここの学生さんじゃなかったのかな。すると彼は何を思ったのか302号室に私たちを案内し「たぶんここだと思う」と言って去っていきました。隣の教室では数学の授業が行われています。ここは何の大学なんだ。302号室には私たちのほかに小さな女の子がスマートフォンをいじっていました。ほんまにここ?と思っていると、事務のお姉さんから電話がかかってきます。「今どこですか?大学の場所が分からずに迷っていますか?」「いえ、中にいるんですけど312号室が見つからなくて、302号室にいます」「分かりました、迎えに行きます」という会話を経てお姉さんが迎えに来てくれ、連れて行ってくれたのは320号室のまだ奥でした。ナンバリングはどうなっているんだ。

お友達のほうがロシア語のレベルは高かったのですが、私と一緒に授業を受けるといってくれ、いい先生も見つかって週2回、ご機嫌に通っています。電話で伝えたはずなのに私たちのレベルを先生が知らなくてキリル文字から始めようとしたり、体験授業ではなくて本格的に授業だったり、事務と先生の連絡がきちんと行き届いているのか不安になりましたが、それ以外は特に問題もなく1か月が経ちました。そこで気が付いたのです。…あれ、授業料を支払うのに必要な請求書をもらっていない。

そこから一週間後、突然メールで請求用紙が届きました。銀行で支払ってください、という言葉と共に。モスクワでは学校の事務にカードで支払っていたので、どうやってこちらの銀行に支払うか分かりませんでしたがとりあえずトライ。人生何事も経験です。私はこちらに銀行口座を持っていないので、旦那が口座を持っている銀行に行ってみました。請求用紙を見せながら「これに支払いたいんですが」というと「支払先の銀行がここではないので無理なんです。とりあえずそこのATMで現金を下ろしてから振込先の銀行に行ってください。パスポートも持って行ってくださいね」とのこと。大学が指定している銀行は…Народный банк Казахстана。直訳するとカザフスタン国民銀行といったところでしょうか。たいそうな名前がついているのにこれまで見かけたことがありません。とりあえず検索にかけてみると「HALYK BANK」と出てきました。この銀行ならよく見かけます。どうやらカザフスタン国民銀行のほうが正式名称で、HALYK BANKのほうが通称のようです。通称と正式名称の乖離が激しいです。 アスタナに来るとこのロゴをよく見かけます。 ここで何とか支払いを終えて、一安心で帰途につきました。

カルチャーギャップ(?)を楽しみながらロシア語もちゃんと話せるように研鑽を積んでいきたいと思います!

Пока!

見つけたものたち

Привет!

なぜか周りに教師をしている人が多いので、彼らが忙しそうにしているのを見るにつけ、毎年「今年も文字通り師走だな」などと思っているのですが、私も12月に入った途端イベントごとが増え、忙しい毎日を送っています。このままだと気が付けば年を越していた、なんてことになりかねません。もう少しゆっくり時間が過ぎてくれないかなあ。

何かとバタバタしているので、一つだけでは記事にはなりにくい見つけたものを紹介しようと思います!

まずは牛乳。以前牛乳は袋入りがメジャーだと書きましたが、ついにその袋を立たせる容器を見つけました! こちらでの先輩のお宅にあるというこの容器の写真を送ってもらい、バザールのキッチン用品屋さんで置いているか聞いて回ったのです。一つ目のお店では「置いていないけど、あそこにあるお店だったら置いているかも!」と親切にも教えてくれました。

教えてもらったお店で尋ねてみると「ありますよ!白と青のどちらがいいですか?」と聞かれました。在庫も二つだったようで、あまり頻繁に売れるものではないようです。兎にも角にも、これで新鮮な牛乳が飲めます!どの袋入り牛乳も賞味期限が5日ほどで、常温牛乳(賞味期限が半年)に比べるとやはり安心感が段違いです。

牛乳と一緒に食べるお菓子といえばオレオなどが有名ですが、こちらでは韓国食材を扱っているお店に行けば買うことができます。どのお店でも置いてあるクッキーなどは素朴なものが多いのですが、先日私の好みのクッキーに出会えました! それがこちら。例えるならば日本で売っている『ハーベスト』に近い食感と味です。美味しくて見つけたらついつい買ってしまいます。おススメです!

スーパーの中で見つけたものといえば、こちらのサツマイモ。 横の玉ねぎが特段小さいというわけではありません。この時並んでいたサツマイモが異常なほど大きかったのです。こちらでは大根も売っているのですが、カザフの大根は細くて短いのでこのサツマイモと比べると大根の方が小さいほどでした。結局この時買ったサツマイモは三食分になりました。大きさは置いておいて、とても甘くて美味しかったです。

次は食べ物ではなく、スポーツ用品店で見つけたものです。モスクワでロシア語を習っている時、играть(遊ぶ、球を打つ、演奏する、など)という単語をいろんなスポーツ名と繋げて用法を覚える練習をしていました。サッカーやテニスなどを使ってみんなで例文を作りましたが、もうこれ以上スポーツが思いつかない、という段階になると先生が「ほら、まだ有名なスポーツがあるじゃない。駒を使って王様を取る…」と言い出したのです。え、もしかしてチェス?(шахматы と言います)私やほかの国から来た生徒たちは「いや、チェスはスポーツじゃないやろ」と反論したのですが、先生は「ロシア語ではチェスはスポーツなの」の一点張り。 アスタナでスポーツ用品店のショーウィンドウに飾られたチェスを見た時、この時の話を思い出しました。写真からチェスを探してみてください。あの話ほんまやったんや…。

今日はこの辺りで。

Пока!