馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

ロシア美術館

Привет!

今日はサンクト=ペテルブルクにあるロシア美術館について書こうと思います。いつも間違った情報を書いてはいけないので「地球の歩き方」などでその場所について確認をするのですが、このロシア美術館についてはいろいろな情報の後に「ロシア美術の真髄に触れるためには、やはりトレチャコフ美術館も是非見学したいところだ」と書いてありました。いや、ここ一応ロシア美術館の説明だよね?なかなかの言い草です。しかもトレチャコフが同じ街にあるなら良いのですが、モスクワにあるのです。そんなこと言われても…となっている旅行者がいないことを祈るばかりです。

そんなこんなで、初ロシア美術館に行ってきました! 外観だけならトレチャコフ美術館より立派です(根に持ってる)。ちなみに入り口はこの写真では見切れている右端の小さなドアでした。意外。

大人の料金は400pだったかな?私の持っている国際学生証では170pでした。チケットを買って「展示はこちら」の表示に従って進むと階段に出ます。 踊り場のプレートには「アレクサンドル3世記念ロシア美術館」と書いてありました。この美術館はアレクサンドル3世の息子、ニコライ二世によって1898年に開かれたのだそうです。見た目からもわかるようにもともとはミハイロフ宮殿という、1825年に建てられた宮殿でした。開館したあと、革命が起こりソ連になり、個人所蔵の作品は国有化されてここに集められます。なので作品数は多いわ、もともと宮殿なので広大な敷地だわ、と見学にかなり時間がかかりました。私の印象としてはトレチャコフより大きい気がします(多分気のせい)。

もらった地図を見ても今自分がどこにいるのか、どうやって回るのか全くわからなかったので、監視役のおばあさんに聞いてみました。彼女はかなり丁寧に説明してくれるのと同時に、どこに誰の作品が飾られているかも教えてくれます。

ところで、前回母が来た時にトレチャコフ美術館で目を奪われた作品がありました。 この色彩もさることながら、題名を見て心を掴まれるような感覚になりました。「ユダの良心」言わずと知れた12使徒でイエス・キリストを告発して裏切り者だと言われるあのユダです。これはその行きか帰りか、良心とは誰に対するものなのか。この絵を描いたのはニコライ・ゲー。もともと肖像画が有名なようですが、かの文豪トルストイと仲が良いことからこのような宗教画も多く手がけています。トレチャコフでは現在彼の部屋が改装中で見られないのですが、このロシア美術館にも多く飾られていると聞いて楽しみにしていました。

そこで、おばあさんに聞いてみたのです。ゲーの絵はどこですか、と。おばあさんは「あ、今どこかの展示会に貸していた気がするわ…ここにはないの」と申し訳なさそうに言いました。またお目当のものに会えないのか。お礼を言いつつ、肩を落として初めの展示室に入りました。そこはイコン画のコーナーです。正直、かなりがっかりしていた私(と弟)はあまりイコン画に興味が持てなかったので、先も長いことだし、足早に次の展示室へと向かいました。と、後ろから突然肩を掴まれます。驚いて振り向くと、先ほどのおばあさんが少し息を切らしながら「間違っていたわ!ゲーの絵は26番の部屋にあるわよ!楽しんできてね」とわざわざ言いに来てくれたのです。そこからはもう上機嫌です。心の余裕を取り戻した私は1つ1つ絵を見ることができました。何と言ってもゲーの絵が見れるのです。

エルミタージュと同じように、この美術館は内装も綺麗でした。 みんな大好き、エカテリーナ2世と天井。

それにしても見ても見ても絵が続きます。時々彫刻。一見順路がないように見えるロシアの美術館ですが、部屋の入り口に数字が書いてあるので、その数字が小さい方から順番に回っていくと、見忘れる部屋が出てきません。ちなみにこの方法でエルミタージュを回ると、何日あっても見切れないのでそこは自己責任でお願いします。それにしても、ロシア美術館は途中でアイヴァゾフスキーの壮大な絵があったり(この画家については後述します)、量も質も素晴らしい美術館でした。トレチャコフに負けているとは思わないけどなあ。

そしてついに26番の、つまりゲーの部屋に! まずはこちら、トルストイの肖像画です。こんな場面を描けるなんて、本当に仲が良かったのですね。

そしてこちらは「最後の晩餐」という題の絵です。 あの有名な「最後の晩餐」と同じ場面ですが、こちらはユダが裏切ったと知った時のキリストの場面です。この絵のためにここに来れて、ちゃんと見ることができて良かったです。

この美術館ではおそらくこちらの絵の方が有名かもしれません。 レーピンの「ヴォルガの舟曳き」です。いつもレーピンの絵は思ったより小さくて驚きます。ちなみに現在トレチャコフでは「イワン雷帝とその息子イワン」も改装中で見られません。少し残念でした。

他にも民族工芸品や、トレチャコフであれば新館に行かなければ見ることのできないアバンギャルドなども見ることができます。広すぎて疲れてきたのもあって、このアバンギャルドのコーナーで道に迷った時は少し精神が崩壊するかと思いました。行っても行っても何を示しているか未熟な私には理解できない絵が続き、もう一生ここから出られないのでは、という感覚に陥ったのです。

そんな広くて見応えのある美術館です。お時間があれば是非!

Пока!

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カチューシャ

Привет!

今日はサンクト=ペテルブルクのレストランを紹介します。話題となる街があっち行ったりこっち行ったりしてすみません。ちなみにモスクワとサンクト=ペテルブルクは新幹線のような列車<サプサン>で4時間近くかかります。広大なロシア全土からすると近くに位置する街ですが、日本人からすると、そんなにご近所という感じはしません。

3回目のサンクト=ペテルブルクとは言えど同行者は毎回違うので、必然的にレストラン選びで失敗しないように毎回同じお店に行ってしまいます。今回も前回行って当たりだった文学カフェに行きました。本当にこのお店は美味しいし、値段も良心的だし、お気に入りです。

そしてこれまで紹介しそびれていた行きつけのレストランがもう一軒あります。 それがこちら「カチューシャ」です。毎回行っているのでもう3回目。場所はネフスキー通りにある「ドーム・クニーギ」からエルミタージュの方へ進んで行った1つ目の角です。写真に写っている車の奥が階段になっており、そこを少し下った半地下に入り口があります。夏の間はお店の目の前の広場(作家のゴーゴリ像があります)にテラス席が作ってあるので見つけやすいかもしれません。 ドアを開けた瞬間から可愛い内装にトキメキます。もともと1回目のサンクト=ペテルブルク訪問時に、いいレストランがないかと地図アプリで「ロシア料理」と検索してヒットしたので訪れたのです。なぜか私が持っているガイドブックのレストランコーナーにはもう無いお店が載っているのにこのお店の紹介はありません。立地としてもすごくいいお店なのに。
ロシア料理を出すお店なのですが、料理の前に特筆すべきはこの内装の可愛さと店員さんの可愛さです。上の写真でも少し写っていますが、店員さんがみんなレトロなワンピースを着ているのです。ワンピースが似合わない人は面接で落としているのかというくらい、それぞれに似合うワンピースを着て、全員愛想がいいのです。このお店で嫌な思いをしたことがありません。 テーブルの小物もセンスが光ります。ちなみに横にあるリング状の乾パンのようなものは1回目だけサービスで出てきました。

メニューも全てに写真が付いていて分かりやすいし、ここで有名なロシア料理はほとんど食べられると思います。 これは牛肉のタルタル。奥のお皿に乗っているのはドラニキ(ジャガイモのおやき)だったと思います。確かこちらは店員さんのオススメ。素敵な笑顔で「こちらオススメです」と言われると頼まざるを得ませんでした。 これはサラダ…名前を忘れたのですが、上にネギとイクラが載っていてめちゃくちゃ美味しかったです。サラダコーナーで一番か二番目に安かったのに。

そして、ここに来たらいつも頼んでしまうビーフストロガノフ(左)とパジャルスキーカツレツ(右)です。 ビーフストロガノフはお店によって水分が多かったり、反対に全然なかったりします。これは多い方ですね。また、ロシアでカツレツといえばパン粉が全くついていないハンバーグのようなものを出されるのですが、日本のものに近いのを注文したいときはキエフ風カツレツと言えば大丈夫です。そしてこのパジャルスキーカツレツは柔らかいクルトンのようなもので覆われています。伝統的なロシア料理の1つだそうで、文豪カフェにもプーシキンカフェにもありました。

紅茶も安く、デザートも美味しそうなので次にサンクト=ペテルブルクを訪れた時も行ってしまいそうです。お値段は文豪カフェと変わらないくらい。観光地の近くにあるので(カザン大聖堂の目の前)、どのレストランに入るか迷った時にはオススメです!

Пока!

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モスクワの日2017

Привет!

今日は旅行記をお休みして、昨日行って来たモスクワの日のお祭りについて書こうと思います!去年のものはこちらからどうぞ。

今年は記念すべき、870年目です!去年はロシア映画がテーマでしたが、今年は「歴史が作られた街、モスクワ」がテーマ。 今年の地図です。表紙にあるのはВДНХにある「労働者とコルホーズの女性」像と戦勝広場にある凱旋門ですね。ソ連と、革命前のモスクワを象徴する2つの建築物を見ると、モスクワの人たちにとってこの町の象徴はこれらなのか、とハッとしました。ロマノフ王朝はほとんどサンクトペテルブルクが首都だったからか。ちなみに、この「モスクワの日」のお祝いが始まったのは1847年、700年祭の時だったそうです。そんな前からだったとは。

街中では40もの広場で催し物があったそうですが、私たちはお友達と一緒に、去年に引き続きトベルスカヤ通りへ繰り出しました。イベント自体は10:00からだと聞いていたので、朝一番に身体検査を受けて、通りへ入ります。 人がびっくりするくらいいません。赤の広場側からトベルスカヤ通りに入ると、初めはスポーツのコーナーでした。写真はボクシングのリングの近くにいた女性がウォーミングアップをしているところです。これぞロシア美女!というような金髪や黒髪の、顔もスタイルも良くて腹筋が割れている女性ばかりで見惚れてしまったのですが、いや、準備運動はイベント開始前にやっておこうよ。でもその後も展示物を作っている途中だったり、何かものを運んでいたり、まだイベント開始前かな?という光景にかなり出くわしました。すごく「モスクワらしい」イベントです。

相変わらず規模は大きくて、 家から戦車が出てきていたり、実際のモスクワの街並みと同じ位置でスターリン建築のミニチュア(というには大きいのでギガチュア)が置かれていたり、その間を実際と同じように道路と川が通っていたり、 車がやけにリアルでした。他にもバスやトランバイ(路面電車)などもありましたよ!一年住んだから分かる地名なども多く、テンションが上がりました。

こちらはスターリン建築の1つを建てたお兄さん。 手にコンパスを持っています。

子供用に大きなブロックを動かしてみようのコーナーや、クレーン車を扱ってみようのコーナーもありました。そしてもう1つ面白かったのは、大学のような部屋が作ってあり、そこで科学などの実験をしていたこと。 こんな感じのものが通りに5、6個ありました。この街は本当に子供に優しく、こういうイベントでも子供向けのものがたくさんあるのです。生物のコーナーでは体の仕組みや野菜を人工的に育てる仕組みの展示などの横にこんなものが。 亀。ここに子供が入るのかと見ていると、短めの丈のワンピースを来たお母さんが、息子と旦那に荷物やカメラをもたせて入っていました。案の定出るのに大変苦労し、旦那とスタッフの手を借りてなんとか脱出していました。

また、こういうイベントでの楽しみは、配られているグッズをもらうこと!去年はメガネでしたが、今年は頭につけるものでした。 上からスターリン建築のセブンシスターズ、ソ連時代っぽい車の正面、先述した「労働者とコルホーズの女性」像です。いくつか種類があると気づくと、コンプリートしたくなってしまい、配っているものをたくさんもらってしまいました。結果、私もスタッフに間違えられ、普通のお客さん何人かに声をかけられる羽目に。紛らわしくてごめんなさい。またイベントに参加した子供達にマグネットも配っていました。

こんな大きなイベントなので、途中でお腹が空いても大丈夫です。たくさんレストランが出ており、私たちがたまたま立ち寄ったところが「カフェ・プーシキン」の出店でした。 制服でハッとしました。最近ビジネスランチの内容が変わり、ビーフストロガノフが姿を消しましたが(通常メニューではあります)、ここでは350p(700円)で食べることができます。

プーシキン広場に着く頃には周りのテーマは宇宙になっており、太陽系の大きな模型からロケット、星の探査機まで置いてありました。お昼過ぎになっていたからか、お客さんの数も増え、朝からは考えられないくらいの混雑具合に。

少し人酔いはしましたが、モスクワの魅力が詰まっており、この街に来てよかった、と実感する一日になりました。

Пока!

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ペトロパブロフスク要塞②

Привет!

快晴で気持ちがいいのですが、気温があまり高くなく朝布団から出にくくなりました。そんなモスクワでは、昨日クレムリンの近くに新しい大きな公園がオープンしたそうです。モスクワの日に合わせて夏の間ずっと街中の整備が進められていたのですが、今年も間に合ったようです。

さて、前回の続きです。ペトロパブロフスク要塞は政治犯の監獄としても使われました。むしろ、要塞よりも監獄として有名だったようです。歴史を遡ると、ピョートル大帝の息子もここに入れられ、死去しています。そんな監獄も共通チケットで入ることができました。 少し入り口が奥まっていて分かりにくいのですが、明らかに監獄然とした入り口でした。

少し薄暗い入り口を過ぎると、小さな部屋に出ます。そこには壁に囚人服や看守の制服などが展示してありました。 フェルトでできていますが、真冬もこの服だけであれば寒そうです。

その部屋を通りすぎると囚人部屋が並ぶ廊下に出ます。かなりの部屋数があり、それぞれに「何年から何年まで使われた部屋の内装」という説明と「誰がいたか」が書いてありました。 この看守たちはマネキンです。

ただ、どの時代もあまり変わりはなく、内装は こんな感じでした。一部屋ごとに覗き込めるようになっているのですが、時々パネルに描かれた囚人の様子が立てかけられていたり、落書きを再現してあったりして、少しゾッとするところもありました。

どこかで作家ドストエフスキーもここに収容されたことがあると聞いて、部屋ごとに貼ってある「誰がいたか」プレートを見ていたのですが、ついに見つけられませんでした(後で調べてみると収容されていたことには変わりないようです)。ソ連の歴史にはあまり明るくない私にはほとんど初めて見る名前ばかりだったのですが、この名前だけは聞いたことがありました。 レフ・トロツキーです。レーニンの後継者争いでスターリンに負けた人だ、と弟から教わりました。
また、驚いたのは男性に負けず劣らず、女性の投獄者も多かったことです。夫婦で別の部屋に入れられている人もいました。

他にも寒くないように壁に工夫がされていることを見せてくれたり 左右上下の囚人たちとコミュニケーションを取るための暗号(壁を叩いて伝えていたそうです)の展示もありました。 いまいち見方がわかりませんでしたが。 思っていたよりも怖くはなく、興味深い展示でした。

監獄を出て、また博物館へ入ります。入り口が少し分かりにくかったのですが、おばあさんが中に誘導してくれました。お客さんが少なかったのか、そのまま入り口付近の説明をしてくれます。 この大きな天使の像は、ペトロパブロフスク聖堂の123mもある鐘楼のてっぺんについているもののレプリカだそうです。え、こんな大きいものがついてるの…!と目を疑うほどの立派な天使でした。ちなみに実物を地上から見上げたのがこちら。 同じものらしいです。よく分かりませんね。

ここは、この要塞の博物館だそうで、どうやって中州を作ったか、どんな船か、など細かく模型を使って展示してあります。 人が少ないのでゆっくり見ることができました。

そして最後が宇宙航空博物館!なんでここで!?と思いましたが、とりあえず入ってみました。…正直、4日ほど前にモスクワの宇宙航空博物館へ行ってしまっていたので、こちらの規模の小ささは否めませんでした。 展示方法は相変わらず興味深かったです。ガガーリンの身長が意外と低かったことも分かりました。エンジンなどが好きな人には垂涎ものだとおもいます。

中にお土産物屋さんやカフェなどもあるし、かなり広いし、今回紹介した博物館以外にもいくつか施設があるので、本当に一日中いることができます。サンクトペテルブルクではオススメの場所の1つです!

Пока!

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ペトロパブロフスク要塞①

Привет!

今週末はモスクワの日のお祝いです。去年と違って今年は騙されませんでした。今日と明日は赤の広場前の目抜き通り、トベルスカヤが歩行者天国になって町中でイベントが行われます。別の用事でモスクワ中心部に出かけたのですが、人が多すぎて諦めざるを得ませんでした。今年のモスクワの日の様子は週明けに書く予定なので、今回はサンクトペテルブルクについて引き続き書きます。

うさぎ島にあるペトロパブロフスク要塞は、ピョートル大帝が1703年に建設し始めたもので、ここからサンクトペテルブルクの街が作られたのは前回書いた通り。要塞とはいうものの、主に政治犯収容所として有名です。現在では造幣局になっている建物もこの要塞の中にあります。

私たちが最初に向かったのはこちら。 ペトロパブロフスク聖堂です。鐘楼の高さは123m。エルミタージュの方からもこの金色の尖塔を見ることができました。敷地の中でも中心に建てられているこの聖堂は、ピョートル大帝以降ニコライ二世までの歴代皇帝が眠る場所でもあります。チケットを見せるゲートを抜けると、ロシア正教らしからぬパステルカラーで可愛い内装でした。 そして中央の祭壇の右手に棺が並んでいました。それぞれに名前がちゃんと書いてあるのですぐにわかるのですが、真横においてある看板でも確認できます。その中でもやはりピョートル大帝の棺には彼の胸像が置かれているのですぐにわかりました(手前右)。そして彼の棺の上にはサンクトペテルブルクの街◯周年記念コインがいくつか置かれています。 すこし見えにくいですが、奥にも3つ棺が並んでおり、その左端にあるのがエカテリーナ2世の棺だそうです。

私たちは見られませんでしたが、ロシア最後の皇帝、ニコライ二世とその家族が葬られているのは違う部屋だそうです。革命が起きたのは1917年でしたが(今年100年目です)、彼らの遺体が埋葬されたのは1998年、ソ連崩壊後だったそう。その埋葬時の様子は写真で長い廊下に展示されていました。そこにはニコライ二世についてだけではなく、ピョートル大帝から歴代の皇帝の肖像画や写真、遺品なども展示してありました。 この聖堂は10:00から開いています(日曜日は11:00)。

次に向かったのは司令官の館。入り口は地味ですが、前の記事に載せた、五匹のうさぎが助け合っている(?)像が目印です。ここは11:00からだったらしく、10:45くらいに入ろうとしたらすごい剣幕で怒られました。
司令官の館は、サンクトペテルブルクの歴史博物館として見学することができます。ただ、企画展だったのか入った瞬間の展示が こんな感じでした。よく見ると、壁にソ連のプロパガンダポスターが所狭しと貼ってあるのです。しかも1917-25年くらいのもの。つまり革命直後の「敵は王政である」とか「生活様式を全く変えなければならない」というようなメッセージが色濃く出ているものばかりです。皇帝一家のお墓を見た直後だけに、ギャップで心の整理が追いつきませんでした。そりゃ、これまでエルミタージュに代表される豪華絢爛さから一転、こういうプロパガンダポスターが街中に貼られるようになったら芸術家も亡命するわ、と納得させられる展示でした。 ポスターの一例。

二階にも展示は続きます。二階ではこの地域が原始時代どうだったか、そこにピョートル大帝がどのように街を作っていったか、などが模型や絵などで分かりやすく示されていました。これまで訪れた博物館の中で一、二を争う充実した内容です。 そして各時代の人々の暮らしがどんな風だったかを、部屋を作ったりミニチュアを置いたりすることで、自分があたかもそこで暮らしているかのように見せてくれます。もちろん部屋だけではなく、お店に何が売られていたか、街中にどんな車が走っていたか、娯楽はどうだったか、など多岐に渡ります。 浴室。

これだけで350pは安いような気がしていますが、まだ入れる場所が3つもあります。それらは次に。

Пока!

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うさぎ島

Привет!

昨日の続きです。
ノブゴロドを発つバスが来ないまま、時間になりました。先ほど声をかけた人の近くにいた別のおばさんが「私たちサンクトペテルブルクへ行くわよ!バスの番号見せて…うん、同じ番号ね。私たちの後について来れば大丈夫!」と言ってくれました。一安心です。でもバスは来ません。結局、20分遅れでバスが到着し、前回とは違ってしっかりチケット確認はされるわ、荷物代も取られるわ、今回はしっかり運営されていました。それなら時間通りに来てください…不安になります…。

そんなこんなで、サンクトペテルブルクに着きました。サンクトペテルブルクは3回目ということで、ついにエルミタージュを効率的に回る方法を編み出しました!そして初めてしっかり猫に会うことができました。 エルミタージュではネズミ退治のために地下でたくさん猫を飼っているとは聞いていたのですが、こんなにしっかりと動かずにいてくれたのは初めてだったのです(前回は逃げられました)。

そして今回は初めてうさぎ島にも行けました。
うさぎ島とは、ペトロパブロフスク要塞のある中洲のことを指します。実は、この地から1703年、ピョートル大帝はサンクトペテルブルクを築きあげたのです。うさぎ島という名前の由来は「ピョートル大帝が初めて見かけた動物だから」とも「うさぎが多いから」とも言われていますが、確かに島の中にはうさぎばかりでした。 これは可愛いですが こんな風に石が詰められているものや リアルなもの、 ちょっと調子に乗っているものまで様々なうさぎが出迎えてくれます。お土産物にもうさぎが多かったように思いました。

ただ、私がこの島で出会った初めての動物はやっぱり猫でしたが。この島には他にも色々と面白いものも置いてあり、老年のピョートル大帝の銅像などもありました。中でもこのバス 一見するとただのバスですが、実はお手洗いになっています(30p)。

こんなうさぎ島ことペトロパブロフスク要塞ですが、中洲なので木製の橋を渡って入ることになります。門自体は6:00から開いているので、散歩にも良いかもしれません。広い敷地内にはいくつかの博物館や聖堂、監獄やパノラマ遊歩道などがあり、一日中楽しめるようになっています。そしてその中の3つの博物館、聖堂、監獄の全てに共通チケット600p(学生350p、日本の学生証も使えました)で入ることができるのです。これがかなりお得なチケットでした。メトロのゴーゴリコフスカヤ駅から10分ほど歩いたところにある門から入ると、直ぐ左手のチケット売り場で共通チケットも売られています。

次回からこの中の紹介をしますね!
Пока!

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再びノブゴロドへ

Привет!

今日からロシアで「君の名は。」が公開されます。一年以上待ったよ!!近々見に行く予定ですので、またレポをお楽しみに。日本で観ていないので比較できないのが悔しいなあ。

さて、今回も恒例の小旅行へ行って来ました。さすがに旦那は仕事があるので私と弟の二人旅です。行き先は母とも行ったノブゴロド及びサンクトペテルブルクということもあり、初めての場所ではないので不安要素は少なかったのですが、出発前日は心配で仕方がありませんでした。いつも旦那に任せっきりだったことを嫌という程思い知ります。

今回は前回と反対に、夜行列車でノブゴロドにつき、半日だけ観光した後サンクトペテルブルクへバスへ向かうという計画でした。私たちがノブゴロドについたのが朝の6:20!早朝です。 別に勝算がなかったわけではありません。前回クレムリンが6:00から開くことを知っていたのです。駅のコインロッカーに210pで荷物を預け、サンクトペテルブルクへのバスの切符を買っておき、観光開始です。バスは12:30出発なのであまり時間がありません。

クレムリンについたのが7:30頃でした。クレムリン自体に関してはこちらに詳しく書いてあるのでどうぞ。朝日に照らされたクレムリンは本当に美しく、見惚れるくらいでした。 それにしても、寒い。朝なので全く気温が上がっておらず、14度近くだったのです。ウィンドブレーカーを着ていたのですが、風は防げても気温の低さはどうしようもありません。そして絶望的なことに、クレムリン自体は門が解放されていても中の聖堂は8:00から、博物館などは10:00からしか開かないことが分かりました。8:00に開いた聖堂を見学した後は、暖をとるためにカフェへ行くことに。まさか8月に「暖をとる」という表現をすることになろうとは。

ヴォルホフ川を渡ったところに可愛い看板が出ていたので、そこのお店へ入りました。スープを頼むと、中世から現役のような可愛い壺で出て来ます。 ボルシチとシー(キャベツのスープ)です。後ろにあるのはスズキの丸焼きです。まさか丸焼きだとは注文時に思わなかったので、少し度肝を抜かれましたが、いかにもノブゴロド、という店内の雰囲気でテンションが上がりました。広くはありませんでしたが、全てが木製のアットホームな感じで良かったです。

1時間程滞在した後、ゆっくり散歩しながら教会の外観を見つつ、 前回閉館日だったノブゴロド歴史博物館へ行きました。クレムリンの中にある博物館です。

200pとは思えないほどの展示品の多さでした。初めの方はどこの博物館とも同じように石器や矢じりからだったのですが、 このように使い方などもはっきり示されているのでただ並べてあるだけの展示より分かり易かったです。そしてやはり古い町なので、資料が本当に年季の入ったものばかりで、マニアにはたまらない博物館だと思います。そうやって時間をかけて見たので、ロビーに出た瞬間、受付のお姉さんから「じゃあ次は二階へどうぞ」と言われた時には「バスに間に合うか…?」と不安になって来ました。 一階にはクレムリン内にあるソフィア聖堂の1000年前の姿も模型で展示してありました。今の姿とは少し違っていて面白かったです。説明してくれていたおばあさんが全てロシア語で説明した後「ロシア語わかる…?」と聞いて来たのが一番のツッコミどころでした。

二階は第二次世界大戦時のノブゴロドの様子と軍服、プロパガンダのポスターなどの展示の部屋がありました。見て来た街並みが荒廃している写真を見るにつれて、よくぞここまで直してくれた、と感謝の気持ちでいっぱいになります。

もう1つの部屋はイコンの展示で、あまりのイコンの多さに気後れしましたが、時間がなくて早足になってしまったのが残念でした。

そうして、なんとか10分前に長距離バスの駅に着きましたが、バスがいません。近くにいたおばちゃんの集団に「サンクトペテルブルクへ行きますか?」と聞くと「いいえ」と言われてしまいました。あ、あれ?

何度確認してもプラットホームの番号は間違っていません。さて、無事にサンクトペテルブルクへ行けるのでしょうか!?

Пока!

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