馬耳風風 (ばじ カザフう)

2016年7月末〜 2018年8月 モスクワ/2018年10月〜 カザフスタンのアスタナ

ヴォルホフ川クルーズ

Привет!

今日は夏至ですね!近頃では夜10:00近くにやっと日が沈み、朝4:00前には日が昇るので、4:30ごろに明るい中目が覚めて寝坊したかと慌てて時計を見て安心し、二度寝して結局寝坊しかけるという日々を送っています。1度、目が覚めたらお布団に入るべきではないですね。そんな生活ですが、やはり日が長いのは無条件に嬉しいので、これから日が短くなることを思うと少し寂しいです。

引き続きノブゴロドでのお話です。教会でタイムスリップのような感覚を味わった後、クレムリンへ向けて歩き出しました。ヴォルホフ川に架かる橋を半分くらいまできたところで、何かが聞こえてきます。「あと3分でクルーズが出発しますよー!まだ席は空いています!ヴォルホフ川の景色が楽しめるのでぜひー!」見ると、橋を渡った先、クレムリン側に船が一隻浮いていました。 こんなのです。

あと3分!?ちょうど少し休憩がしたかったことと、天気も良かったこともあり、絶好のクルーズタイミングではないかと思った私は(一応他の二人の意思を確認して)船へ向かって走り出しました。全然焦らない旦那と母を心配しながら、船の係りのお兄さんに「あと二人来ます」と息を切らして伝えます。「待つからそんな焦らなくて大丈夫やで」と苦笑いしながら言われ、その言葉通り二人が船に乗り込んだ瞬間、出航しました。後から来た旦那の話によると、橋のところにいた若者に「絶対間に合わへんで」と笑われていたそうです。間に合ったもんね!

スッキリと晴れて、美しい景色を見ていると、母に小声で言われました。「このクルーズ、何時間でいくらするか聞いてから乗ったの?カード使えるかきいた?」と。

実は前回のサンクトペテルブルクでお財布を盗られたので、今回は用心して現金はあまり持ってきませんでした。その結果、最終日であるノブゴロドではかなり資金が底をつきかけていたのです。ただ、カードはあるので、レストランやお店では大丈夫でした。どう見ても船の中ではカードは使えなさそうです。そう言われればチケットを買えと言われなかったな…。ここへ来るバスと同じでまさかチケット確認されない!?

しかし、そんなはずはなく、集金のお兄さんが回って来ました。恐怖に震えながら「いくらですか…」と尋ねると「一人500pだから3人で1500p(3000円)です」とのこと。それなら手持ちで足りそうです。やっと安心して周りをしっかり見れるようになりました。

高い建物がなく、河原の緑と青い空を見ながら船が進みます。 12世紀ごろに作られたという橋脚(橋自体はありませんでした)を見ながら進みます。船の中でずっと早口で(おそらく)見えるものや歴史について音声が流れていたのですが、早いだけでなく船の音でほとんど聞き取れないので情報が断片的です。

そんな風に進むこと30分、なんだか見たことのある建物が見えて来ました。 市街地の近郊にあったユーリエフ修道院です。戦争時は大きな被害を受けたと言っていた気がします(記憶が曖昧)。ユーリエフ修道院を過ぎると、ヴォルホフ川はほとんど並行して流れているイルメニ川と合流して、大きな湖になります。そこまで来ると、船はUターンをして来た道(川)を戻り始めました。

船の甲板にはタオルケットも置いてありましたが寒くなってきた私たちは船内へ。あまり綺麗な窓ではありませんでしたが、水面がちょうど目線にあることで違う景色が楽しめました。

こうして一時間ちょっとのクルーズは終了。ペトロザボーツクのキジ島への船、サンクトペテルブルクのペテルゴフへの船、そして旅行前に母と乗ったモスクワ川の船と2週間で4回クルーズをしましたが、町歩きだけではわからない、その土地の風景が見えて面白いです。

さあ、帰りの列車の時間まであと4時間ほどです。少し早めの晩御飯へ向かいます。その話はまた次に。

Пока!

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ヤロスラフ宮廷跡と市場

Привет!

昨日からうちのクラスに新しい生徒が来て、フランス人二人、イギリス人(育ちはフランス)、イタリア人(大学はフランス)、日本人(生まれも育ちも日本)の5人で勉強しています。そろそろ本気でフランス語を始めるか迷ってきました。音は綺麗なんだけどなー自分が話しているところが想像つきません。

さて、まだまだノブゴロド編を続けたいと思います。クレムリンは通り抜けられるようになっていて、駅やホテルのある方から入ってまっすぐ進むとそのまま川へ出ます。 ヴォルホフ川です。今回泊まったホテルの名前にもなっているこの川は、ノブゴロドの街を二分しています。クレムリンがない側には、修道院や宮廷跡などが点在していました。

時間もあったので、ゆっくり歩きながらヴォルホフ川に架かる橋を渡ります。途中、おそらく近くの大学か高校で卒業式があったらしく、着飾った少年少女がたくさん歩いていました。可愛いなあ…と見ていると、突然「一緒に写真を撮ってください!」と言われてなぜかドレスの子たちに囲まれて一緒にフレームに収まりました。街にはびっくりするくらいアジアの人がいなかったので、珍しかったからかと思いましたが、見ているとその子達は次から次へと通行人に声をかけて写真を撮っています。…100人と写真を撮らないと帰れないとかかしら。

橋を渡りきると、 これまで見た中で一番教会がぎゅっと一箇所に集まっています。中世にが市場が開かれたこの土地ではかつてヤロスラフ賢帝の宮廷があったので「ヤロスラフ宮廷跡と市場」という名前で世界遺産に登録されています。今では12〜17世紀に作られた7つの教会がここに含まれているそうです。ほとんどは白い壁をしているのですが、1つだけ赤いレンガ造りで目立っている教会がありました。おそらくもともとは他の教会と同じように白い壁だったのが、年月を経て漆喰が剥がれ、中のレンガが見えているという感じです。なかなか興味を惹かれるのですが、よく見たらピサの斜塔のように少し斜めになっている気がします。他の観光客と一緒になって遠巻きにその教会を見たり写真を撮ったりしていた時です。どこからか現れたおばさんが、教会のドアについていた重そうな鍵を開け、入っていくではありませんか。しかもしばらく出てきません。おそらくあの人は休憩を終えた係りの人やな。 これは中に入れてもらえそうだ…と3人で重いドアを開けました。入るとやはりチケットブースがあり、一人50p(100円)だと言われました。チケットを受け取ると「まず横に階段があるからそこを登って二階から見てくださいね」と順路の説明を受けます。

それにしても、これまでたくさんロシア正教の教会や聖堂へ行きましたが、一番殺風景な内装です。おそらく昔は他の教会と同じく壁一面にフレスコ画が描かれていたのだろうと想像しながら見渡します。天井付近にかろうじてフレスコ画が残っていました。 ほんとうに「かろうじて」真ん中上部に絵が見えると思います。そして他の部分から、この教会の特異さが感じていただけますでしょうか。ここまで古くなるということは、相当歴史がある建物なんだろうとその場でガイドブックの地図からこの教会の名前を割り出して調べてみました。パラスケヴァ・ピャトニツァ教会と呼ばれるこの教会が建てられたのは1207年。いや、十分古いんですが、さっきまで1040年付近の教会を見ていたので「いやいやソフィア大聖堂よりは150年以上後やん。何がどうなったらこんなボロボロになるねん」と突っ込まずにはいられませんでした。

さて、気を取り直して係りのおばさんに言われた階段を探します。教会で二階に登ってもいいよ、というのは初めてだったのでワクワクしながらあちこち見て回りますが、なかなか見つかりません。おばさんに言われた順路は二階からだったのに、一階をほぼ見終わるのではないかというころ、やっと見つけました。 え、これ登るの…?

段の高さが違う、一人分の幅しかない、手すりのない階段に手こずりながらなんとか登りきりました。相変わらず漆喰の禿げた壁をに囲まれたロフトのようなところに出ます。 何に使われたのか想像ができないのですが、説明書いて欲しいなー。

そこから見下ろすと、柱を支える梁の部分にたくさんのコインが乗っていました。噴水などに投げ込まれているのと同じようなものでしょう。ただ、梁の部分の許容範囲が狭いのでここからコインを投げて梁に乗せられたら願い事が叶う、と勝手に決めて私たちもトライしてみました。 全然成功せずに地面にコインが落ちる音ばかり響いて、おばさんに笑われていそうなので途中で諦めました。難しいな。

慣れてくると、この朽ちかけた教会も居心地が良くなってきます。結局私たちは20分近くそこでゆっくりしていました。それにしてもこの国にはファンタジー好きの心を満足させてくれるような建物が多いです。想像力が鍛えられます。

他の教会も中に入れたのですが、定休日のところもあったり、少し疲れてきたこともあってクレムリンの方へ戻ることにしました。 対岸からクレムリンを臨んだ図。のどかで美しい景色でした!いい天気なのでクルージングできたら気持ちいいだろうなあ。

Пока!

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ノブゴロド・クレムリン

Привет!

今朝地下鉄でもらった新聞を電車の中でめくっていたら、衝撃的な見出しを見つけてしまいました。なんと「モスクワに再び寒さが戻ってくる」と書いてあるではありませんか。なんでも、今週の半ばが最後の太陽が出る日で、来週からまた寒くなるそうです。やっと衣替えができるのでは、と期待していたのに。夏はどこで買えますか。

キジ島から始まったこの旅は今からは考えられないほど、ほとんど晴れていたのですが、最終日のノブゴロドで少し雲が出てきてしまいました。クレムリンの中に入る頃には初めて傘を鞄から出すことに。晴れ女を自称している母と私は少し悔しい思いになりましたが仕方がありません。 少し待って雲の切れ間から青空が覗くと、赤れんがでできた城壁の美しさが際立ちます。周りの木々や草の緑と相まって、ずっと眺めていたい気持ちになりました。また、日本のお城のように、城壁の周りにはお堀のようなものがあります(水はありませんでした)。

前日、限られた時間を有効活用するために計画を立てていた時のことです。そういえばクレムリンは何時から開いているのだろう、と調べてみるとなんと早朝6:00から深夜12:00までだと分かりました。めっちゃ早いやん。地元の人にも愛されている公園なのでしょう。

そんな「ロシアで最も歴史のある町」ノブゴロドのクレムリンは、これまで行ったクレムリン(モスクワ、カザン、二ジニー・ノブゴロド)の中では小規模ながら町の中でも一番古い場所で、見所が3つあります。

1つ目はこちら。 その名もロシア1000年記念碑。なんと1862年に作られました。今から200年前ですでに1000年記念。想像すると気が遠くなります。写真中央、盾を持ってどーんと立っているのがこの街を作ったリューリクだそうです。多分。というのも地球の歩き方にはそう書いてあるのですが、あまりにも記念碑に彫られている人が多すぎて自信が持てないのです。他にもイワン雷帝やピョートル大帝、そして女性からはただ一人エカテリーナ2世がいるそうなのですが、見つけられないどころか女性は2、3人いた気がします。おそらく地元の高校生が先生に連れられて雨の中説明を受けていました。

この1000年記念碑の北側にあるのが、2つ目の見所、ソフィア大聖堂です。 1045年に建てられた、現存する中ではロシア最古の建築の1つで、世界遺産にも登録されています。午前中に訪れた郊外にあるユーリエフ修道院と同じくらい歴史を感じる内部でした。こちらの方が少し大きかったと思います。そして、ここにこの聖堂を建てたウラジーミル公とその父の最初の妻、アンナの棺が置かれています。他にもたくさんの貴族の棺もあるので二人のものを見つけるのは至難の技です(南西にあるそうですが、中に入ると方角なんてわかりません)。ウラジーミル公は、ウクライナはキエフにあるソフィア大聖堂を模してこの聖堂を作ったそうです。

そして、1000年記念碑を挟んでソフィア大聖堂の向かい側にあるノブゴロド歴史考古学博物館が3つ目の見所ですが、この日は休館日でした。いや、雨女ならぬ「定休日女(いつも定休日に当たる)」である私がここまで全く定休日や休館日に遭遇していなかったので、おかしいと思ったんですよ。ちなみに火曜日と毎月最終木曜日が休館日だそうです。この日は月に一回の最終木曜日でした。

仕方がないので、趣味であるクレムリンの城壁ウォークをしようと思います。 14:00から15:00は休憩時間なので注意です。詰所で3DSか何かゲームをしている門番を横目に、チケットを購入するために鐘楼の2階に登ります(1階で売ってくれ)。チケットが欲しい、というと「どこへ行きたいん」と聞かれました。鐘楼と城壁ウォークがセットになっているとばかり思っていた旦那と私は、顔を見合わせて上を指差しました。え、鐘楼?城壁?と聞かれてやっと理解し、城壁を歩きたいねん、と伝えます。別売りだったのね。チケットを購入すると、また下へ降りて、左手にある門番にチケットを見せるように言われました。あのゲームをしてた人たちにか。

無事門番に通してもらい、また城壁まで急な階段を登ります。二ジニー・ノブゴロドよりはマシでしたが、何でみんなこんな急な階段を作るの。やっと辿り着いた城壁の上からの景色は 美しいの一言でした。頑張って登った甲斐があったー!

二ジニー・ノブゴロドの城壁は屋根が付いていて、下はむき出しのレンガでしたが、こちらは木で作られた道を歩きます。 多くは工事中で、全体の4分の1ほどを歩くことができますが、疲れてしまうほどではなくちょうど良い長さでした。

ちなみに鐘楼の方へ行きたいといえば、現役の鐘と、引退した古い鐘を見ることができるそうです。

城壁の上にあった注意看板。 「わーい!」…めっちゃ楽しそうやん。

Пока!

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ユーリエフ修道院

Привет!

もう20度台前半を維持するようになった気温にまだ慣れません。上着を着ていないと心細くて、スプリングコートをきて出かけては暑くて後悔する、という日々です(学習ができない人)。

さて、野外博物館を見終わったので、市街地に戻るバス停を探します。バス停自体はすぐ見つかったのですが、時刻表がない…。携帯によると相変わらず49分間隔でバスが走っているようなのですが、ここで一時間近くもぼーっとしているのも時間が勿体無いので、ここへ来る途中でタクシー運転手さんが教えてくれた修道院へ行ってみることにしました。ちなみにここでタクシーを呼べばいいのではないか、というツッコミには、市街地ではないので「サービス外」だった、と反論しておきます。

一本道だったのですが、歩道もなく、車もほとんど通らなければ人は歩いておらず、何よりどんよりした空を見ているとどんどん心細くなってきます。10分ほど歩いたところで着きました。 世界遺産にもなっているユーリエフ修道院の入り口である鐘楼です。ちなみにこの中にはカフェがあると書いてありました。それにしても人がいません。

なんとこの修道院、1030年にできたそうです。ほとんど1000年前!改修作業は少しずつ進んでいるそうですが、世界の果てに来てしまった感は拭えません。またその感じがこの修道院に趣きを出しているとも言えます。そして目玉は1119年に建てられたと言われるゲオルギー聖堂です。 中にはロシア正教の聖堂らしく、壁一面にびっしりとフレスコ画が描かれています。

やはり時の流れに逆らえず、ほとんどが復元されたものだそうですが、オリジナルは窓枠の近くに少し残っていると地球の歩き方が教えてくれました。

そう言われて注意深く見ていくと、ありました!少し見えにくいですが、左側に薄く残っています。 ただ、他の壁の部分は剥がれていますね…。900年の重みを感じます。足元にはおそらく有名な人のものだと思われる棺が置かれていました。

近くにはスパスキー聖堂もあります。そちらの方が比較的新しいようでした。他の聖堂が天井が高いのとは対照的に、こちらのスパスキー聖堂は天井が低く、壁が白かったのが印象てでした。

このユーリエフ修道院ではおそらく韓国から観光客の方が真摯に祈っておられました。そもそも修道院や聖堂はそういう場所なんだ、と思い出します。

さあ、そろそろバスは来たでしょうか。約1kmある一本道を野外博物館の方へ歩き始めます。後ろから車が来る音が聞こえるたびにバスかと期待して振り返るのですが、乗用車ばかりです。バスなんて実は存在しないのではないか、いざそうなったらどうするか…と考え始めました。そうやって歩きながら振り返ること数回目、バス停が見えてきたというところまで来た時、ようやく後ろからバスが来ました!そしてもちろんバスの方が早いので追い抜かされます。あれに置いていかれたら帰れないので、必死でバスの後ろを走って追いかけました。

いや、絶対間に合わない、目の前でバスが行ってしまう…と半泣きで走りましたが、なかなかバスは出発しません。どうやら野外博物館帰りの小学生たちが大量に乗り込むのに時間がかかっているようです。みんなのおかげで路頭に迷わずにすんだよ、ありがとう。なので、バスは小学生でいっぱいでした。この子供でいっぱいのバス、既視感…(ツァールスコエ・セローからの帰り道も同じ状況でした)。20分ほど乗って、クレムリンの壁が見えて来たところで降りました。なんとか帰ってこれたー!

私たちはこんなギリギリの帰り道でしたが、もしバスが来なければ(そんなことがあるかわかりませんが)、野外博物館の前にレストラン兼ホテルがあったので、そこでタクシーを呼んでもらえると思います。おそらく。

さて、次はメインのクレムリンです! Пока!

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野外博物館「ヴィタスラブリツィ」

Привет!

家庭教師の先生に今日の予定を聞かれたので「とりあえず宿題します」と答えると「明日は晴れるらしいから、今日中にしちゃって明日は散歩しにいったら?」というアドバイスを受けました。明日晴れるって!!!素晴らしいニュースやん!と喜んでいると、一言「すっかりロシア人みたいね」と先生。いやいや、最近の雨模様にはロシア人じゃなくてもうんざりしてますよ…。

今日からノブゴロドの観光編です。この日の午後9時には電車に乗っていないとモスクワに帰れない、というタイムリミットがあったので午前中は郊外へ行き、午後から駅の近くのクレムリンや他の観光地へ行くことにしました。ということで、第一回目からノブゴロド「近郊」の話です。ご了承ください。

ホテルは町の中心地にあったのでバス停も近かったのですが、なんと今回目指していた博物館へ行くには49分に一本(中途半端な間隔)しか走っていないバスに乗れ、とスマホに言われました。この日の私たちにとっては時は金なり。旦那のタクシーアプリ(Gettaxi)は使えませんでしたが、私のタクシーアプリ(Yandex)はかろうじて使えたので、ささっとタクシーを呼んで30分ほど走ってもらいました。それで240p(480円ほど)だったと記憶しています。モスクワより少しお安めでした。

ノブゴロド自体小さな町だったので、5分も走ると驚くくらい自然の中に放り出された感覚に陥りました。歩いている人もいなければ、他に車も見当たりません。タクシーはほとんど直線で進んでいたのですが、突然左折しました。その時にそれまで一言も声を出さなかった運転手さんが右を指して「あっちに有名な教会がありますよ」と教えてくれました。まあ私たちは左に曲がってその教会からどんどん離れて行っているのですが。

そうやって着いたのはこちら! 「ヴィタスラブリツィ」という、木造建築を集めた野外博物館です。あれ、なんかこの文字列見たことあるぞ、と思ったらキジ島と同じような感じでした。私たちの後ろからバスが来ていたのですが、それに乗っていたと思われる小学生を歓迎するためにゲート側で立っていた民族衣装で手に楽器を持ったおばさん達はこちらに目もくれません。もう少しサービス精神出してくれてもいいのにな…。

キジ島とは違い、こちらは森の中に木造建築が点在している感じでした。教会や普通のお家、一階が家畜小屋で二階が住居スペースとなっているようなユニークな建築も多かったです。 二階から見た一階の家畜スペース。やはり寒いロシアでは同じ家の中で一緒に暮らした方が効率もいいですよね。

そしてキジ島と同じように、中を見学できる建築には必ずおばあさんが待機しています。もうこの現象を「1家屋、1おばあさん」と名付けました。語呂が少し悪いのが気になっているのでもっと良い案があればコメントにお願いします。

やはりそんなおばあさんにこちらから話しかけて情報をもらう、というRPGルールも健在です。が、家の中もほとんど同じような構造で、図らずも復習することができました。ロシアの木造建築で出来た民家についてのレポートなら書けそうです。そんな中でももちろんここにしかないものもあります。 これが置いてあったのは19世紀後半に使われていた比較的新しい家なのですが、これはその時代の漫画だそうです。漫画と言っても、風刺画のような当時の出来事を書いたものだそう。左下の絵ではクマが民衆を、大きな猫が皇帝を表していて、その皇帝が崩御した時のことが描かれているそうです。お時間があれば画像を拡大して探して見てくださいね。実はこちら、原本だそうで、複製はサンクトペテルブルクのエルミタージュにあるのだと言われました。昨日行ったところなんです!と言うと、見つけられた?と聞かれました。これまでに合計3日は行っているはずなのですが、見た覚えがありません。次に探してみます。

また、この家は冬と夏で使う部屋が分けられていました。おそらく方角によるのだと思いますが、寒暖差が激しいロシアらしい構造です。

この野外博物館では、東端に農場があると地図に書いてあったので向かいます。馬に乗れたりするかな。近くにつれて「めえ」という可愛い声が聞こえて来ました。その声の主であるヤギが少し離れたところで草を食んでいるのが見えます。母と旦那と3人でしばし眺めていると、ヤギもこちらに気がつきました。その途端、こちらに向かって走ってくるではありませんか。ちょっと待って、ヤギの周りに柵が見えません。このままだと襲われる…と覚悟したところで、ヤギは私たちの足元の草を食べ始めました。 いや、なんで。向こうにも草あったやん。襲われなかったと安心したのも束の間、先ほどこの白いヤギ達がいたところにもう一匹、もうふた周りほど大きな黒いヤギがいたのですが、そいつがゆっくりとこちらに向かって歩き始めました。逃げるか、戦うか--

すると、左手にあった馬小屋で馬の世話をしていたお姉さんが牧羊犬と一緒に飛び出して来ました。黒ヤギは踵を返して元の位置に戻ります。助かった…。

そろそろお昼になって来たので、次の場所へ移動することにしました。

Пока!

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ノブゴロドについて&ホテル

Привет!

最近朝おにぎりを作って学校の休み時間に食べているのですが、たまたまかぶりつくところを見ていた先生に「それ、砂糖の塊?」と聞かれました。もともと開けていた口が呆れてもっと開いた気がします。思わず「ライスボールって知らない?」と聞くと「ああ、それお米なの!」とのお返事。先生、手のひらほどの砂糖の塊を生徒が食べていたら、とりあえず止めてください。

さて、ノブゴロドにつきました!観光地の紹介をする前に、今回はこの街について少し書こうと思います。

「ノブゴロド」と聞いて、このブログを読んでくださっている方の中には聞き覚えがある、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。そうです、5月初めに旅行した「二ジニー・ノブゴロド」という街にもノブゴロドの文字が入っています。その時の記事と被ってしまうのですが、この街の名前の由来は「新しい=новый(ノーヴィ)」と「街=город(ゴーラド)」の2つの単語からできています。つまり訳すと「新しい街」です。

駅の表示にありました。

ただ、やはりモスクワやサンクトペテルブルクと比べて有名ではないので、友人に行ってきた、と話すと「延五郎(のぶごろう)みたいな響きで面白い名前だね」と言われました。その発想はなかった。そんな少し地味なイメージを持たれがちなノブゴロドですが、街の名前の由来とは違って、実はロシアで一番古い街だと言われています。

ルーシと呼ばれるノルマン人またはスウェーデン人の部族(ヴァイキングだったと考えられています)の一人、リューリクによってこの場所にノブゴロド公国が作られたのが862年。1478年にイワン雷帝によって併合されるまで繁栄しました。

新しく街ができるとこの名前がつけられがちなので(二ジニー・ノブゴロドしかり)、区別するためにもこの一番古い街であるノブゴロドは尊敬の意をもって「偉大なるノブゴロド=великий новгород(ヴェリキー・ノブゴロド)」と呼ばれています。ロシア人に「ノブゴロド行ったよー」と話すと「どの?(Какой?)」と聞かれました。

夕方7時半ごろにバスターミナルについた私たちは、その日のホテルを目指して歩き始めました。雨上がりで少し滑りそうな、上の写真のような景色の中を20分ほどほとんどまっすぐクレムリンの方へ進むと「ヴォルホフ」というホテルに着きます。思ったより小さな街でしたが、この20分歩いただけで居心地の良さが伝わってきました。若者たちが楽しそうに散歩したり、親子連れで歩いていたり、小さなお店が道沿いに並んでいたりします。

一応前の日にチェックイン時間(14:00)にはつけないことを旦那が前もって伝えてくれていたので、スムーズにチェックインできました。優しそうなレセプションのお兄さんに晩御飯にいいレストランがないか聞くと、クレムリンの近くにある一軒と、ホテルの中のレストランをお勧めしてくれました。ちょっと疲れていたのでその日はホテルのレストランへ行くことに。

もしここへ来ることがあれば「冷たいボルシチ」を注文されることを強くお勧めします。冷製スープの特集だったこともあり、卓上の広告でも宣伝していたので頼んだら正解でした。 美味しいのはもちろんのこと、自分で(写真右にある)ボルシチスープを具材(写真左)の上にかけていただくタイプになっていました。ただただ、楽しい!

次はメインです。母が頼んだのはザンダーという白身魚のグリルでした。 写真左の小さな入れ物に入ったピンクの液体が付いてきました。魚の上にかけるものか、そのまま飲むものか迷った挙句、舐めてみると、なんとクランベリーのウォッカでした(後で店員さんに聞いて確かめました)。次の日の朝食会場(バイキング形式)もこちらのレストランです。

3人部屋はなかったので二人部屋+一人部屋(階は違いました)だったのですが、250p(500円)ほどでビリヤード台が使えたり、その横には こんなコーナーがあったりと面白いホテルでした。これはなんと「忘れ物博物館」です。さかのぼることソ連時代、1959年からついこの間までの忘れ物が展示されています。部屋番号と、名前付きで。歯ブラシや髭剃りのような、まだ分かる忘れ物から、アイロンや注射器(しかも2つ)、タイプライターのような、なぜこれを忘れた?というものまであって、じっくり見ていると時間があっという間に経ってしまいました。

Пока!

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ノブゴロドへ

Привет!

今日はプーチン大統領に国民が直接質問できるホットラインがあるそうです。朝のニュースでもずっと画面の端に「ホットラインまであと○時間○分○秒」と出ていました。日本でも初めて中継されると聞いて、関心の高さがうかがえます。 ついでに興味があるかわかりませんが、現在(朝の9:30ごろ)で気温は8度です。夜寒かったからか、6月に雪が降る夢を見ました。

さて、サンクトペテルブルクの観光を終えて、ロシア最古の街とも言われるノブゴロドへ向かいます。移動手段は、バス。2日前に場所の下見も兼ねて街の中心部から少し離れたところにあるАвтовокзал(アフトバグザール)と呼ばれる長距離バス乗り場へ赴き、チケットを購入していたのです。一応こちらでバスの時刻表は調べることができますし、チケット売り場にも各所への時刻表が分厚い冊子になって置いてあるので、希望の日時、人数を伝えると買えました。 ロビー自体はこじんまりとして薄暗い印象でしたが、バス乗り場はこんな感じ。 発車10分前になるまで何番にバスが来るのかわかりません。ロビーに置かれた電光掲示板を注意深く見ておきます。そこにずらっと並んだ行き先を見ていると、知らない街や遠い街も書かれていました。時には違う国の都市名も。他の国と地続きなのだ、とこの時はっとしました。

さて、10分前になったので指定されたバス乗り場へ行きます。 隣の番号にも同じ時間に出発するバスが停まっていました。そちらの方にはどんどん人が乗って行き、運転手さんにパスポートとチケットを見せています。こちらのバスは…停まっているだけで運転手さんがいません。そうこうしているうちに空いているドアからお客さんが乗り込み、場所取りをし始めました。ついに3分前になって小走りで運転手さんがやってきて、タイヤの横の荷物入れを開けて くれます。あれ、荷物預けるのに50p(100円)って聞いたけど何も言われないなーと思いつつも預けました。

乗り込む時にチケットを見せようとすると、時間がなかったからか「後でいいよ」というようなジェスチャーをされます。後っていつだ…。結局、何事もなかったかのように時間通りにバスは走り始めました。 サンクトペテルブルクを後にして、ものの30分も走るとこんな景色です。本当に農業大国だなあ…という景色が続きました。牛や羊を見かけたときはテンションが上がります。

二時間ほど経ったところで、突然バスが止まりました。どうやら休憩のようです(案内全くなし)。バスを降りると、モーテルと小さな店があるだけでした。 自転車でロシアを回っているらしい中国人の団体に話しかけられましたが、中国語だったので全くわかりませんでした。なんだかすみません。

20分くらいぶらぶらしてバスに帰って来ると、運転手さんはまだ帰ってきていませんでした。またバスの外に出て、腰を伸ばしていると、モーテルの方から運転手さんが歩いて来るのが見えて、慌ててバスに乗り込みます。運転手さんがバスに乗り込むやいなやバスが走り出しました。人数確認とかいいの…?誰か置いて行っててもわからないし、ここで置いていかれた人には絶望しか残されない気がします。

また二時間ほど走って、突然街中に来ました。ノブゴロドです!終点のノブゴロドのアフトバグザール(バス乗り場)に着き、お礼をいってバスを降りました。 こんなバスでした。お世話になりました。…あれ、チケットは結局確かめられなかったな…?無賃乗車可能やん…

さあ、次回からノブゴロド編の始まりです!пока!

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